家事

 夕食時、気まずい空気の流れる中、キースは口に食事を運んだ。

 ここに来て、三日経った。


 今まで食事は自室でとっていたターニャだったが、今日はターニャは席を外すことなく、同じダイニングテーブルで食事を共にしていた。

 だが、相変わらず彼女の表情は硬く、かすかに眉根は寄せられたままで、むっつりと黙り込んでいる。

 彼女の隣のミナは、時折キースとターニャを交互に見ては大人しく口を動かしていた。

 沈黙が続く重い空気が苦しい。

 ターニャが本日用意した晩餐は魚の煮込み料理でかなり美味なはずだが、緊張感のあまりせっかくの料理を味わえない。

 自分が口を開けば爆弾が落ちてしまいそうな気がして、キースは黙っていた方が良いと判断した。

 ミナが何か他愛ない話でもしてくれればいいのに、とキースは思う。

 しかしこの二日、ミナと二人で食事したが彼女とはたいして話をしなかった。もともと、ミナは口数が多い方ではないのだろう。

 まるで、砂でも噛んでいるような味気ない表情でキースは食事を続ける。


 早く食べ終えたターニャが、席を立ちシンクへと皿を運んだ。


「皿洗いを私にさせてください」


 耐えきれず、キースはターニャの後ろ姿に声をかけた。

 この三日間、自分はここにいるだけで何もしていない。

 ケダン教会にいた生活と比べると、雲泥の差だ。

 なにもしないでいることがこんなに苦痛だとは思わなかった。

 ターニャは、シンクの中に皿を置いたあと振り返らずに答えた。


「……ヘンにいじくらないで。元の場所に戻して」


 キースは、ほ、とした。

 良かった。無視されるかと思っていた。

 ミナが、キースを見てにこりと可愛らしく微笑んだ。

 ダイニングから去ろうとするターニャに、キースは思いきって再び声をかける。


「よければ、昼食は私が作らせていただきたいのですが」


 立ち止まったターニャは背で答える。


「……好きにしなよ。食べられるもんつくるんだろうね」


 そう言って、ターニャは階段を上り二階へと上がっていった。

 安堵して脱力したキースの前で、ミナは鼻歌を歌いながら食事を再開した。


 *****


 翌日の正午、キースは調理しながらキッチンで感動していた。

 ガス、電気という文明の素晴らしさに。

 ケダン教会では、中世同様の調理器具、かまどしかなかった。

 だがここには、ミキサー、スライサー、ガスオーブンがある。

 こんなにも調理時間が短縮できるのかと、キースはあまりの楽さに泣きそうになった。

 ゼルダにいた時には、ドミトリー時代に調理実習をしたくらいで、自炊など全くしなかった。ドミトリーでは食事が出たし、ドミトリーを出てからは、ほぼ外食で済ませてた。

 あんなに恵まれた環境にいたのに、なんてもったいないことをしていたのかと今さらながらキースは思う。


 食材は定期的に、ターニャが車で市街に行き購入してくるようだった。

 昨日の午後、彼女が出掛けて帰ってきたため、冷蔵庫の中は豊富だった。

 一時間前、冷蔵庫の中の食材を見て、ターニャに使用していいかと一応聞いたが、彼女は何も答えなかった。

 無言はOKという意味だと仮定して、キースは構わず食材を取り出して調理を始めた。――


「すごく美味しそうな匂い」


 ミナがウサギのように鼻をひくつかせながら、ダイニングにやってきた。

 テーブルに用意された、テラコッタの中の赤と白のソースの中に埋まっている鶏肉を見て、ミナは目を輝かせた。


「北の国の料理?」


「いいえ」


 ミナの後ろから来るターニャを気にしながら、キースは答える。


「キエスタ西部の料理です」


 ケダン教会の皆に好評だった煮込み料理を作ってみた。最後に粉チーズを振って、オーブンで焦げ目をつけた。

 ターニャがどの地方出身かは不明だが、とりあえずキエスタの料理だ。彼女の口に合えばいいのだが。


 サラダボウルに入れたサラダと、パンかごに入ったパンをテーブルに置くと、どうぞ、とキースは二人に促す。

 二人が席に着いてから、キースは座り、食前の祈りを唱えた。

 もうこれは身体に染みついていて、抜けそうにない。

 ミナは、キースの最後の手振りだけ真似した。ターニャは、無言で祈りが終わるのを待っていてくれた。


「いただきます」


 ミナが、嬉しそうにテラコッタから料理を取り皿にとった。ターニャが続く。

 ターニャの様子をうかがいながら、キースも続いて料理をとった。


「美味しい」


 ミナが一口食べた後、キースを見て顔をほころばせた。


「こんなの食べたことないわ、ヴィンセント」


「……坊さんってのは、こんな美味いもん食ってんのかい」


 ターニャが単調な声で言った。


「……いえ、たまにつくる程度です」


 キースは安堵と嬉しさが混じった声で、答えた。

 彼女の口に合ったようだ。


 しばらく、無言で食事が進んだ。

 テラコッタ内の煮込みの量がハイペースで減っていくのに、彼女たちが食事に集中しているのだと気づく。


「あの、まだオーブン内にもう一皿ありますが」


 残り少なくなったテラコッタ内の量を見て、キースは二人に声をかけた。


「欲しいわ、ヴィンセント」


 にこりと笑って言うミナの隣で、ターニャはキースと目を合わせなかったが、頷いた。


 キースは、心の中で笑みを浮かべて、オーブンから二枚目のテラコッタを出した。

 再び、追加で取り皿にのせようと手を伸ばす二人に向かって、キースは言った。


「洗濯も私にさせてください」


 キースの目の前の二人は、動きを止めてお互いの顔を見合わせた。

 しばらくして、


「ミナと私の下着も洗ってくれるってのかい」


 ターニャが低い声で言った。


 キースは目を見開く。

 そういうことには、気がつかなかった。


「あ、いえ……」


 口ごもるキースに、気のせいだろうか。

 ターニャが……かすかに笑った気がした。


「いいよ。下着はあたしかミナが干す。その後の洗濯物は、あんたが好きなようにして」


「はい。ありがとうございます」


 ややうつむいて、キースは答えた。


 ウーと共に暮らしてたとき、当然のように下着は自分のと一緒にしていたことを思い出す。あれは、ウーにも自分にもそういう概念が無かったからだ。


「ねえ、ヴィンセント」


 ミナがキースを覗きこんだ。


「あなた、焼き菓子作れる?」


「はい。……あまり難しくないものなら」


 突然の質問に、キースは少々面食らいながらも答えた。


「あたしもターニャ姉さんも、パウンドケーキが大好きなの」


 にこり、とミナは笑った。


「あたしはクルミ入り。姉さんはオレンジの皮入りが好きよ」


 ニコニコと告げるミナの表情に気付いて、キースは微笑んで頷いた。


「よければ是非作らせていただきます」


 そう言って、残り少なくなったパンかごの中のパンを足そうと、キースは立ち上がった。――

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