葛藤
デイーは、バスの窓に額をつけながら外の流れる風景を見た。
昨日の聖誕祭を終えた市街は、日常の風景を取り戻しつつあった。
今日のメインイベントといえば、夜に行なわれる司教選出だけだ。
国旗はもう外している店舗や住居が多いし、学校や仕事も今日から始まる。
女学生たちが礼拝服のまま、ベンチでドーナツを食べているのを見て、サボりだな、と思う。昨日の今日で、学校に行きたくないのは分かる。
……俺も行きたくねえ。
デイーは思った。
前夜祭の夢のような楽しさから一転、昨日は一日中暗く過ごした。
やりたくねえ。
前夜祭の夜の弾けるようなシアンの笑顔、シャツのはりついた瑞々しく艶かしい姿態を思い出す。
あいつを俺の代わりに提供する役なんて。
デイーは目を閉じた。
シアンは、拒否しないかもしれない。
あいつ、この国にいられるならなんでもするって言ってたし。
相手に気に入られれば、ボスが言ってたようにこの国で遊んで暮らせるかもしれないし。
だけど。
俺が嫌だ。
……なんで俺にしといてくれなかったんだろう。ある程度、覚悟してたのに。
デイーは、いつもの場所でバスを降りる。
花屋の店員がデイーに挨拶したが、沈んでいたデイーは気づかない。
空腹すら感じず、いつものカフェも通り過ぎた。
アルケミストのアパートメントに着く。
いつもより、早い時間だ。
デイーは、ため息をついて階段を上り始めた。
でも、やるしかない。
俺に拒否なんて出来るわけがないのだから。
沈んだ面持ちで、ドアを開けたデイーは自分を待ち構えていたアルケミストとシアンの二人の姿に足を止めた。
え。
なんで。
デイーは二人の顔を見る。
アルケミストはいつもと違ってスーツではなく部屋着を着ていたし、シアンは裸体にガウンを羽織っているわけではなく、普通に服を着ていた。
絵は? 描いてねえの?
戸惑っているデイーにシアンが近付き、彼を見上げた。
「……ねえ、デイー。お前の雇い主、マフィアって本当?」
デイーは、目を見開いた。
「……なんで、それ……」
デイーは、アルケミストに目をやった。
彼か? その事、知ってたのか?
「……やっぱり、そのようだな」
自分の様子を見て、アルケミストが言った。
……カマかけられた。
デイーは気付いて、彼を睨みつける。
「くそじじい」
モデルの身は、守るって言ってたのに。
俺のことも秘密にするって言ってたのに。
シアンに話した。
ウソつきやがった。
「すまないね。例外はある」
アルケミストは答える。
「お願いデイー。オレを彼らに会わせて」
シアンがデイーの胸にかじりついた。
懇願するように、自分を見上げる。
「……なんで」
「時間がない。もう、彼らに頼むしかないかも」
必死の形相でシアンは告げる。
「オレの大事なやつの命がかかってる。……お願いだ、オレの弟みたいなやつなんだ」
シアンはデイーの胸に顔を押し付けた。
「お願い、デイー」
予想外の展開に、デイーはシアンの肩をだいたまま、立ち尽くした。
彼女の方から、来た。
なんでか分からないけど。
彼女の表情を見るに、かなり切羽詰まった状況のようだ。
「……分かった」
シアンの尋常じゃない様子にデイーはそう答えた。
とりあえず、それとこれとは話が別だ。
「ありがとう」
シアンがほ、として顔を離した。
「今から、すぐ会いたい」
デイーを見上げて言う。
デイーは頷いた。
外に出ようとする二人を、アルケミストが呼び止めた。
「シアン」
シアンが振り向くと、アルケミストは両手をズボンのポケットに差し入れたまま、こっちを見ていた。
「……今夜の夜会はどうするんだね」
シアンは数秒間息を飲んでいたが、口を開いた。
「……ごめん、アル。折角だけど、行けないと思う」
答えて、再びドアに顔を向けたシアンの後ろ姿に、アルケミストは声をかけた。
「この国の人間は高潔な者が多いんだ。一度、彼らと関わった君をこの国の人間は受け入れないかもしれない」
シアンが振り向いた。
「シアン」
アルケミストがシアンに近づき、彼女の手首をつかんだ。
「君とは、この国に来るために協力しあってきた。君の協力のおかげで私は一足早くここに来ることができた。……今度は、私が君に返す番だ。私に、それをさせてくれないのか」
「アル」
シアンは、アルケミストの手を離して、両手で握りしめた。微笑んで、アルケミストを見上げる。
「悪いけど、行くよ」
「……君とこの国で暮らすのが夢だった」
アルケミストがシアンを見つめて言った。
「彼から君を手に入れる、私が出来る唯一の方法だ」
「……バカだな、アル」
シアンは笑って、彼の顔を引き寄せた。
そのまま、背伸びして彼の唇に口づける。
「オレは誰のものでもないよ。安心して」
彼の両頬を手で包み、そうささやく。
顔を離して、シアンはアルケミストから離れた。
「ありがとう。アル」
彼の手からすり抜けて、シアンはドアから出て行った。
風に舞う花びらのように階段をおりて行く彼女を、アルケミストは見送った。
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