焦燥
シアンはリラと別れたあと、すぐホテルに戻ろうとした。
キルケゴールに電話をかけるつもりだった。
今日のカーレースの時は、ついリラと盛り上がってしまいカチューシャ市国の実力者たちにつながる機会をみすみす失ってしまった。
しかし、アルケミストが明日の後夜祭の夜会にシアンを連れて行くと言ってくれた。
夜会にはこの国の実力者たちのほとんどが来るし、ゆっくり話もできる。
気合い入れて着飾れるし。
明日のチャンスは絶対逃さない。
シアンは決心する。
ホテルまでのタクシーの帰り道、窓から見える風景は普通なら心踊る風景のはずだった。
市街地には、屋台が並び、大道芸をする者や、仮装をする者等の姿が見え、あちこちでいろんなイベントが行われていた。
でも、シアンの心はそれらに何も感じない。
リラや誰かと話している時は、気が紛れていた。
一人になると一気に悪い展開を想像をしてしまう。
ホテルに着いて部屋に入ったあと、シアンはすぐにワンピースからいつものパンツ姿に着替えた。
やっぱり、スカートは慣れない。
脚がスースーして落ち着かない。
着替えると、キルケゴールに電話した。
昨夜と同じように、事務の男が出て今は取り次げないと言った。
シアンはイライラする。
ルーイはどうしたんだよ。
彼ならもっとしっかりやってくれんのに。
彼もそれどころじゃなく忙しいのだろうか。
キースが消えてから、彼が二役こなしてるらしいし。
できるだけ早く連絡してほしい、と伝えてシアンは電話を切った。
そのまま、ベッドに寝転ぶ。
ホテルの窓から、傾きかけた太陽が照らす礼拝堂のドーム型の屋根が見えた。
ちょうど鐘を鳴らす時間なのか、音が聴こえてきた。
シアンの瞼が重くなる。
そういえば、昨日はほとんど寝てない。
マットに沈む感覚が心地良くて、シアンは思わず目を閉じた。
******
電話が鳴っていた。
シアンは滑り落ちるように目を覚ました。
慌てて飛び起きた。
もう夜なのか、部屋の中は暗かった。
外から漏れる光で、部屋の概様が理解できた。
ベッドから飛び降りて、鳴っている電話の受話器を奪うように取り上げる。
「はい」
ホテルのフロントのスタッフが、レン=ベーカー氏からお電話です、と告げた。
なんだ。
気落ちして、シアンは返事する。
『シアンさん? 今、大丈夫ですか』
レンの明るい声が聞こえ、シアンはいくぶん心が和らいだ。
「はい。寝てました」
『それは起こしてしまって申し訳ありません』
レンが謝る。
「いいえ、お気になさらず。起きるところでした」
シアンは微笑む。
『どうですか、そちらは。何か不都合なことはありませんか』
「いえ、全く。前もお答えしたようにすごく快適です。いい部屋を用意して下さったし、昨日の前夜祭と今日の生誕祭はとても楽しめました」
『それは、良かった。私も今回そちらに行きたかったのですが、叔父が許してくれなくて』
レンは、残念そうに伝える。
シアンは心に浮かんだことを聞いた。
「あの。レン秘書官。すみません。……今回のキエスタでの修道士拉致事件ですが」
『はい? どうしました?』
「……修道士の一人がゼルダ人という話を聞いたのですが」
電話の向こうでレンが沈黙した。
『……非公開の情報だと聞いていましたが。あなたはご存知だったのですね』
「……ある筋から耳にしまして」
シアンはしまったかな、と思いながら続ける。
「私の国がどういう対応をとるのか、ご存知ですか?」
レンはしばらく沈黙した。
『……犯人からの要求を無視することに決定したと、私の情報筋からは聞き及んでおります』
心臓が悲鳴を上げた。
「確かなのですか」
『そう、思います』
シアンは受話器を耳から外した。
受話器から、シアンさん? と繰り返しレンの小さい声が聞こえる。
どうしよう。
シアンは、受話器を握りしめたまま突っ立った。
どうしよう。
どうすればいい。
レンが何か言っている声が聞こえたが、シアンは受話器を置いた。
******
アルケミストは、本日の予定が滞りなく済んだことを確認し、寝室に入った。
明日の夜には夜会があるが、午前中はいつも通り仕事にとりかかる予定だ。
9時にシアンを迎え、10時にはデイーを迎える。
絵はどちらも完成に近づきつつある。
シアンの絵の完成は出来るだけ引っ張りたいが、デイーの絵はさっさと完成して縁を切ってしまいたい。
彼の絵の注文者は素性がしれない。
本名を明かさず、自らAと名乗った。
この国で親しくなった仲間からAの噂を聞いた。
彼は、決して表に出てこない。
しかしながらこの国の経済に多大なる貢献と役割を果たしていると。
表に出て来られないのは、それなりの理由があるのだろう。
彼の資金源がどこからなのかは不明だと、その仲間はこぼしていた。
またモデルの彼、デイー自体に非はないが、シアンとの距離をいともあっさり縮めた彼も、自分にとっては面白くない。
アルケミストは寝間着に着替えようとして、玄関のドアがノックされる音に顔をしかめた。
誰だ。
予定が狂うのをよく思わない彼は顔をしかめた。
寝室を出て、玄関に向かう。
電話ぐらいよこしてから来い。
あきらかに不機嫌な顔でドアを開けたアルケミストは、目の前の人物の様子に目を見開いた。
「アル」
シアンは今までに見たことがないほど、取り乱していた。
彼女のいつもなでつけられている髪は乱れ、着ている服のシャツにはシワができている。
憔悴しきった顔で、彼女はこっちを見上げた。
「どうしよう。どうしよう、アル」
言って、彼女はアルケミストにかじりついた。――
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