110話 映画

 前夜祭が始まるまでの時間つぶしにと入った映画館から出てきた時には、空は群青色に変化しつつあった。

 生ぬるい風は、かなり季節が夏に近づいているのを感じさせた。


「すげー感動したよ。ラマーン死ぬ程いい男だな。ああいう男に惚れられたら、女冥利に尽きるよなあ」


 先程見終わった映画の感想を興奮さめやらぬ様子で隣でまくしたてるシアンを、デイーは見下ろす。


 キエスタ世紀の美男俳優ラマーンのシリーズものの新作を観たいと言ったのは、シアンだ。

 毎回、ラマーン演じる役人カレスが地方に派遣された先で現地の女性と恋に落ち、なおかつ事件に巻き込まれるが最後には見事解決し、女性と泣く泣く別れて元の職場にと戻るというのがお決まりのストーリーの時代劇である。

 女性を狙った乙女道まっしぐらの話は、実はデイーも嫌いではないが、ラブシーンといえばキスシーンぐらいだから自分にはいまいち物足りない。

 ラマーンが生粋の潔癖なキエスタ人であるため、出演映画の内容に性的な部分が規制されるのは有名だ。

 そういう理由と、ラマーン自身が白馬の王子を熱演するため、このシリーズはローティーンを中心に爆発的な人気を博している。


 ラマーンの映画の前には、パニックものを見た。巨大アリがヒトを襲う話だったが、これはたまたま時間が合うのがそれしかなかったからだ。

 シアンはあまり乗り気じゃなさそうだったが、デイーが面白そう、と言ったらチケットを買ってくれた。映画を観たことなんて今まで故郷で一回きりしかなくて、素直に嬉しかった。


 しかしシアンと隣の席で映画を見て思ったが、彼はいちいち反応しすぎだ。

 というか、うるさかった。


 ひっ、とか、うわっ、とか、パニック映画の時は無意識に声を出していたし、ラマーンの映画ではラマーンがアップになるたび、いい男だなあ、と連発していた。

 女性とラマーン扮する主人公が別れるラストシーンでうっすら彼が涙を浮かべていたのを見たときは、おいおい本当かよ、と驚いた。

 映画より、隣の彼の表情を見てる方が面白かった。


 ああいうベタな話が好きなのだろうか。

 隣で真剣にパンフレットを見てラマーンを称賛しながら歩いているシアンは、まるでローティーンの少女と変わらない。


「おいおい、デイー」


 突然、シアンが立ち止まった。


「今気付いたけどオレ、デートっぽいことしたのこれが初めてだよ。この年でさあ」


 デイーより頭半分低い彼は、その事実に驚いたように大きな目を一層大きく見開いてデイーを見上げた。


 ……俺だって、全くもって生まれて初めてだよ。


 げんなりしてデイーは思う。

 泣きたいのか笑いたいのか、分からなくなる。

 どうして、記念すべき一回目が彼のような人物なのか。


「ゼルダでは、映画とか行かなかったのかよ」

「行った。ドミトリーの奴らと数人で。行ったけどさあ、オレらの国って堅い映画ばっかりなんだよ。戦争もんとか、文学っぽいのとか。規制かかってるからよ。…ラマーンの映画ぐらいなら、許してくれりゃいいのに」


 へえ。

 デイーは、驚いた。


 キエスタで観られるような映画でも、あの国では公開出来ないのか。

 なんか窮屈そうだな、と思ったデイーは映画と映画の待ち時間に購入した菓子のことを思い出した。


「あ、そうだ。……これ、やる。昼飯もチケットもおごってくれて悪いし。甘いもの好きだろ」


 昼間、ジェラートと共にシアンがチョコをたっぷりかけたクレープを食べてたことを思い出し、デイーはチョコを買った。

 ……パニック映画にちなんだ、リアルなアリを形どったチョコを。


 差し出した菓子袋をシアンは身体を強張らせて見た。

 が、ため息をついて微笑むと、デイーから菓子を受け取った。


「……ありがと。チョコ好きだから、今回だけもらっとくよ。でもオレ、アリが苦手なんだよ」


 そう言って歩き出す。


「昔から、アリが嫌いなんだよ。アリが怖いんだよ。アリが嫌なんだよ」


 ……3回も言った。


 デイーは目を軽く見張ったのち、ついで心の中でにやりと笑った。

 まだ幼い少年時代、村の少女にやらかしたイタズラを思い出す。


「……てめえ、もし今後ふざけたことオレにやらかしたら承知しねえからな」


 自分の考えが読めたのか、シアンがあわてて振り返った。

 その口にチョコがついてるのを見て、デイーはあきれる。


 もう食ってんのかよ。


 開いた袋を差し出すシアンから、デイーもひとつかみチョコをつかんで口に放り込み、歩き出した。


 ゼルダ人、てのは太らないのだろうか。

 さっきからちょこちょこつまんでいるシアンを見てデイーは思った。

 たしか映画館でもポップコーン食ってた。

 昼間もおおいに平らげてたし。

 それにしてはスリムだ。

 故郷の母や姉が彼のように食べていたら、間違いなく皆が憧れる豊満ボディになっているはずなのに。


 色も白いし。


 北の国だから、ゼルダ人は皆彼のように雪みたいに白いのが当然なのだろうか。


 キエスタ民族では、肌の明るさは美の基準に入る。

 肌の色が明るければ明るいほど、女性は嫁の貰い手が増える。

 このデイーも色が白い女性を見ると、それだけでいいな、とひかれる。

 グレートルイス人の女性もキエスタ人女性と比べると、はるかに色が白いので魅力的に見えたが、目の前の彼の白さときたら別格だ。


 ああ本当にこいつが女だったら。


 昨夜の夢の通りの展開で、今この瞬間幸せ色に染まっているのに違いないのに。

 心の中でため息をついたデイーだったが、道行く男たちが全てシアンに目をやるのに気づいた。ついで自分に羨望の眼差しを向けるのを感じとる。


 ……まあ、でもこの優越感は、いい。


 皆、俺みたいに勘違いしてるからな、と口元に笑みを浮かべて、デイーはもう一度菓子袋からチョコをつかみとった。

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