第64話 西オルガン

 西オルガンはゼルダの中でも特殊な地域だ。


 場所は広大なゼルダの国土の南東の端に位置する。

 過去に領土であったオルガン北部面積と比べると、半分になってしまった。


 二百年前、ゼルダ国民がウイルス感染した折、飛び地だったオルガン北部の国民は首都セパに移動させられた。

 その状況にのっかり、オルガン北部は一旦はグレートルイスに占領された。


 100年後に返還の交渉を結ぶが、グレートルイス側が渋り20年前のキエスタを巻き込んだ戦争の末、オルガン北部は東西に分割し、西オルガンだけが返還された。


 本国ゼルダとは飛び地であるのと、グレートルイス領の東オルガンとは陸続きであるため、比較的ゼルダの中では外国人の出入国が易しい地域である。


 美しい西オルガンの自然、カジノなどの観光業を始め、唯一、外国人旅行者が存在する地域だ。


 しかし入国にはとんでもなく手間と費用がかかり、とくに女性に至っては厳重である。


 西オルガンに訪れる女性というのは大体相場が決まっていた。


 一言でいえば、ゼルダの実力者たちの愛人たちだ。


 彼女たちは元モデルや女優出身の美しい女性が多い。

 金もかかる。


 ゆえに、西オルガンの街には女性をターゲットにした宝石業や服飾業の店舗が存在する、ゼルダでは珍しい街となった。


 ゼルダの西オルガンの地に飛んで初めて下り立ったとき、ウーはこの地の絶景に目を見張った。

 どこまでも青く澄みきった空に、山々、湖は美しく、春の喜びを歌うように小鳥は囀り、花々が咲き乱れていた。

 そして、街中には洗練された美しい女性たちがいた。


 シアンのパラダイスにいた時、彼らの衣服や装飾品に心躍ったものだが、あれとはレベルが違う。

 今になって思うと、キャロルたちが身に着けていたものはひど過ぎる。


「ここで、好きなだけ必要な物をそろえるといい」


 あの男はウーの様子を見てそう言った。


「どうかな。この国も、そんなに悪いものではないだろう」


 傷も癒えたあの男は口もとに笑みを浮かべながら言い、一日、この地に滞在してセパへと戻った。

 ウーをここのホテルに残したまま。


 キルケゴールは教師をウーにつけた。

 引き続き一般常識と、この国の地理、歴史、ゼルダ語、そしてグレートルイス語も習わせた。


 ホテルの一室で、ウーは白髪の老人教師に日がな一日授業を受け、週に2回の休日は街を散策する。

 一度、夜に外出しようと思ったが、ホテルを出ようとしたとき一人の男が目の前に立って妨害された。

 男の顔は見覚えがあった。

 パラダイスに来て、キルケゴールのいる病院へとウーを連れて行った男のうちの一人だ。

 その時、ここに来てからずっと彼に見張られていたことを知った。

 街を散策しているときもあとをつけられていたのだろう。


 それからはその男の視線を感じながら外出するウーだったが、彼以外のもうひとつの視線にも気づいた。


 今、目の前にいるこの彼の視線だ。


 ウーが見上げている前で、男は数秒間ウーのことを見下ろしていたが、ふいに口もとに笑みを浮かべた。

 青い目がひょうきんさを帯び、ウーは小馬鹿にされているような気になる。


「なんでって……そうだな。どう答えようか。被写体がいいから?」


 外見どおりの明るい声で彼は言った。


 その時、彼の後ろに男が立つ。


「彼と、話してるだけよ」


 リックの後ろに立つ男にウーが声をかけた。

 リックが振り返ると、後ろのスーツを着崩した姿の男は一歩下がって、自分を見た。

 色つきの眼鏡をかけているため目の色は分らないが、おかたそうな顔をしているとリックは思った。

 身長は自分より高い。

 彼の体つきから推察すると……自分では、彼にはとうてい敵わない。


「話すことが、ダメなの?」


 ウーがその男に言った。


「話す内容によります」


 男は低い声で答えた。


「彼は、できるだけ好きにしてもいい、ってあたしに言ったわ」


 ウーはキルケゴールとの別れ際の言葉を思い出して言った。


 自家用機に乗る前に彼は自分に言った。


『ストレスをためさせたくないから、好きにしなさい。何食べたって、何買ったっていい。避妊さえすれば、火遊びも許す。……まあ、普通の父親ならこんなことは言わないと思うが。君はこの私の、娘だからね』


 あの時、彼もそばにいて聞いていたはずだ。


「……問題が起これば、私が対処します」


 そう言って、男は下がった。


「すごいね。君、ガード付きなんだ」


 リックは目を見開いて、目の前の彼女に驚嘆した。


「……ホテルに戻るわ」


 彼女はサングラスをかけ直し、リックの横をすり抜けるようにして来た道を戻った。


 路地から道に出て二、三歩歩いた彼女は、立ち止まって後ろを振り返る。


「来る?」


 自分に言われてるのだと気付いたリックは、少し離れたところに立つ男に目をやった。

 男は何も言わず表情も変えない。


 リックは彼女の言うままに彼女の後を追う。


 彼女が前を見て歩き出した。


「君、モデル? 女優の卵かなんか?」


 速足の彼女に追いつきながら、リックは問う。


 肩で風を切って歩くその横顔はやはり美しく、風にあおられる髪は赤みの強い褐色の馬の毛色そのものだ。


「グレートルイスのどこ出身?」


「国境沿いの密林よ」


 こちらを見ずにそう答える彼女の冗談に、リックは屈託のない笑い声で返した。


 ちらり、と彼女はそんな彼を見やる。


「俺は、リックだ。リック=レイモンド」


 交差点で車待ちしてるとき、リックは彼女に手を差し出して名乗った。


「ウーよ。シャン=ウー」


 ウーは彼の手を握って応える。


「シャン=ウー?グレートルイスじゃ、そう無い名前だな。芸名?」


 リックは青い目を丸くして素直に聞く。


「本名よ」


 ウーは彼の手を離して、目の前の交差点を渡り始める。

 リックは彼女と肩を並べながら話しかけ続けた。


「フリーのカメラマンをしてる。専ら、西オルガンの美女を撮り続けてる。君みたいな」


 先程のカフェの前を通り過ぎる。


「君みたいなレベルは滅多にいないけど。いやあ、びっくりしたね。君は、百年に一人、ていう逸材だと思う」


 ホテルの入り口の回転ドアに入るウーに続きながらリックは言う。


 ホテル内に入ったリックは思わずその広さに感嘆して息を吐き、上を見上げた。


 天井は高く広く、とんでもない大きさのシャンデリアがぶら下がっていた。


 周囲を見回す。

 大理石の床はピカピカに白く光り輝いていた。


 いつも外から眺めているだけだった。

 中には今日、初めて入った。


 ラウンジにいる紳士淑女然としたホテルの宿泊客に圧倒される。

 明らかに自分は場違いだな、と思ったリックは、ウーが自分を置いてさっさと歩き去るのに気付いた。


「待って。これだけは、聞きたいね。君の相手は、誰?」


 ウーを追いかけ、その後ろ姿に声を掛けるが、彼女は振り向かずそのままらせん階段を上り始めた。


 だめか、とあきらめて立ち止まって彼女を見送るリックを、階段を上る足を止めた彼女が振り返った。


「……部屋へ来ないの?」


 彼女のその言葉にリックは目を見開いた――。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る