第47話 バザール
市場は、行きかう人々でごったがえしていた。
白い巻頭衣に色とりどりに編んだ円柱形の帽子をかぶるキエスタ北部の民。
丈の長いシャツワンピースのような服に、頭は白い布で覆い、飾り紐で頭位を締めて固定している東部の民。
南部の民は、ズボンの裾を膨らませたパジャマのような装いをして、頭はターバンを巻いている。
南部の民の男性は、必ず短剣を腰に差しており、ベルトで固定していた。
そして、一番目を引くのはキエスタ西部の民だ。
ふんだんに刺繍をほどこした生地で、ゆったりと体を包む女性が特に目立つ。
彼女たちは装飾品の身に着ける量も、他の地域の女性と比べると群を抜いている。
何重にもつける腕輪や首輪。伸びた耳たぶから重たげにぶら下がっている、いくつもの耳飾り。
さぞ肩や首が凝るだろうと、ヴィンセントはいつも思う。
西部の男性は北部の男性と似たような衣装をしており、女性に比べるとかなり地味に見える。
西部以外の地域の女性はおしなべてシンプルな衣装だ。
北部の女性は男性と似たような衣装だし、東部、南部の女性は真っ黒な衣装で身体中を隈なく覆っている。
遠くから見ると黒い柱のようだ。
まだ東部の女性は顔だけは表に出してはいるが、南部の女性に至っては顔にも布を垂らし、わずかに目の部分だけが透けた生地になっている。
「しけた臭え干し魚ばっかりだな。ああ刺身が食いてえ」
隣のキャンデロロ副修道院長が干物をメインに並べてる店の前で、そうもらした。
東部民である店の店主は胡散臭げにキャンデロロを見やる。
「川魚は泥くせえんだよ。食指が動かねえや」
本日は買出しの日である。
朝から三時間、車を運転して一番大きい市が立つこの町へやって来た。
パウルとヴィンセント、そしてどうしてキャンデロロが一緒に居るかというと、今朝ドミニクが起床した瞬間にぎっくり腰を起こしたからだ。
今、ドミニクは教会の自室でカールに湿布を貼ってもらい、横になっているはずだった。
「おい、刺身は食ったことあんのかヴィンセント」
キャンデロロが隣に立つヴィンセントに聞いてきた。
「いいえ。残念ながらまだ」
ヴィンセントはキャンデロロを見下ろし答える。
魚を生で食する文化はグレートルイス東海岸地方特有の文化だ。
「バッキャーロ、食わねえうちにこっちに来ちまったのか。もったいねえ」
キャンデロロはヴィンセントを見上げ、肩で彼の胸を小突いた。
「こっちの魚は、寄生虫だらけで食えたもんじゃねえ。チンケな雑魚ばかりよ。捌きがいのあるデカイ魚がいねえんだからなあ」
キャンデロロはチッと舌をならして眉根を寄せた。
「キャンデロロ様は魚を捌かれるのですか」
「バッキャーロ、当たり前だろうが。俺はヨランダ出身だぜ。子供ん時から魚を捌くのなんざ、ケツ拭くのと同じことよ」
と、店先に並べてある干物のひとつを手に取る。店主が嫌そうな顔をしているがキャンデロロは気づきもしない。
「知ってっか。ヨランダの女はペティナイフでカツオを捌くんだぜ」
「それはすごいですね」
ヴィンセントは目を見開いて感嘆した。
「おうよ。男を捌くのなんざ、お手のもんよ。女はやっぱりヨランダの女が一番だな。てめえらなんざ三十秒で天国行きだぜ」
と、およそ修道士としては似つかわしくない言葉を吐くキャンデロロであったが、彼の話すのはグレートルイス語であるのでヴィンセントとパウル以外に彼の言葉を気にする者はいなかった。
キエスタではこの種の話題は厳禁である。
「ああーカツオが食いてえ。バーンと大皿に盛ったやつをよ。塩だけで何杯でもいけるぞ」
うなったキャンデロロの握りしめた手の中の干物が砕ける。
それを見ていた店主が早口のキエスタ東部語でしゃべりだした。
「なんて言ってんだ、早口でわかんねえ」
手にもつ砕けた干物をヴィンセントに渡しながらキャンデロロは眉間にしわを寄せた。
傍らのパウルが東部語で答え、店主の手の上に金を置いた。
「なんだパウル、おめえ東部訛りがわかるようになったのか?」
太い眉をあげてキャンデロロが聞く。
「イントネーションのコツが最近つかめてきました。ヴィンセントの指導のおかげです」
パウルは変わらぬ表情で答える。
「そうか、そりゃよかった。……ヴィンセント、てめえにはいつか機会がありゃ、でかい魚の捌き方を教えてやる。ソビヤンコの奴は山者だからよ。獣しか扱ったことねえからな」
キャンデロロはヴィンセントの肩を抱くようにして歩き出した。
背の高いヴィンセントはやや身をかがめ、歩きづらそうである。
それを見ながらパウルは苦笑しつつ、後ろからついて行った。
バザールでは様々な地方の商人が店を出していた。
北部は主に毛織物や乳製品。
南部は剣などの金属類。
西部は香辛料や刺繍をほどこした布が主である。
そして東部が主に食料品を占めていた。
テント状に幕をはった屋根がある店、青空の下で山のように品物を積み上げている店。
連なるように並んでいる店の間を、人の流れにもまれながら三人は進んでいく。
密林に近い地域産の果物が大量に積まれている店の横で、つながれた薄い茶色の毛をした犬が三匹、しょぼくれた目をヴィンセントに向けてきた。
『あれは、食料品としての売り物です』
以前にバザールに来たとき、ドミニクにそう教えられてヴィンセントは驚いたものだが、いまではそう見えてくるのだから慣れとは不思議だ。
『キエスタ東部で食べないのは石ぐらい』
という言葉があるほど、東部の人間は食材の種類が豊富だ。
昆虫はもちろん、サソリ、コウモリ、ヘビといった様々なものを店頭で扱う。
店の女性何人もがヴィンセントの顔を見て味見はどうかと、毎回サービスをしてくれる。
そのたびに礼を言って口に入れるヴィンセントに最初、パウルやドミニクは驚愕の表情をしていたものだった。
今も、揚げたサソリを受け取って食すヴィンセントにキャンデロロは太い眉をしかめた。
「てめえ、ゲテモノ専門の王子だったのか」
「美味しいですよ。海老の揚げたようで」
のみこんで、ヴィンセントはキャンデロロに残っているのを勧めるが彼は首を振る。
「いや、いい。それ、強精剤だろうがよ。おめえ夜、寝られなくなるぞ」
残りを飲み込んだヴィンセントはおどろいたように目を見開いた。
「知らなかったのか。なんでわざわざそんなの食うと思うんだ」
キャンデロロの言葉にヴィンセントは思い当たる。
どうりでバザールから帰った日はやたら体が火照ると思った。
東部の民は世界で一番の美食の民なのではないかと、ヴィンセントは思う。
食べられる種類が多いほど食する喜びも増えるとヴィンセントは感じるのだが、二人はそうは思わないようだ。
いつも食材を仕入れる店の前に立つと、店主が露骨に嫌な顔をした。
ヴィンセントが来てから、値のごまかしが利かないので常に無愛想である。
希望の食材を購入して三人はもときた道を戻った。
「あ、カールの野郎に糸、頼まれてたんだよ。畜生忘れてた。おいヴィンセント」
思い出して、振り返ったキャンデロロだったが後ろにいたはずのヴィンセントがいない。
パウルもあたりに目を走らせたが、彼の姿はなかった。
「どこにいきやがったんだ、あいつは。あの年で迷子か」
キャンデロロは毒づいて再びパウルと道を戻る。
すぐに彼は見つかった。
背が高い彼は頭一つ分周囲から浮いている。
雑誌等を主に取り扱う本屋で、彼は店先の新聞を見つめていた。
「おい、ヴィンセント。バッキャロー。勝手にいなくなるんじゃねえ」
キャンデロロの声に彼は我に返り、振り向いた。
「申し訳ありません」
「どうした、欲しいもんでもあんのか」
「いえ、ナシェに買ってやれるような本はないかと思いまして」
ヴィンセントはそう答えた。
「ああいいんじゃねえか。少しぐらい。いままでと違って、金ぼられなくなったんだからよ。適当なの選んでやれよ」
「ありがとうございます。では」
早速、ヴィンセントは店主と交渉を始める。
パウルはヴィンセントの見ていた新聞に目をやった。
日に焼けた新聞は、日付もだいぶ前のグレートルイスの新聞だった。
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