第41話 カール修道士
「それで最後に私のところへ回ってきたわけですな」
診察室の椅子に座り、カール修道士が笑いながら言う。
診察室の中央にはカール、ナシェが座っており、部屋の端にはヴィンセントが壁に添うように立っていた。
「みんな気が短すぎるんだよ。ヴィンセントさんは来たばっかりなのに」
ナシェが口をとがらせてヴィンセントを弁護した。
ナシェのような子供に慰められるとはいかがなものか、とカールはちらりと佇むヴィンセントを見やった。
案の定、ヴィンセントは更に沈んだ顔をしていた。
憂いを帯びた彼の横顔はその端正さと合わさり、非常に庇護欲がかきたてられる。
これは男であってもかなりそそられるな、とカールは苦笑した。
今日は、朝から女性の村人が来るのが多い。
朝一番にきたサヒヤが村中に触れ回ったのか、なんでもない症状や、無理に理由をつけて診に来てもらう女性患者のなんと多いことか。
横に立っているこのヴィンセント見たさであることは歴然である。
無償で治療している立場からいえばたまったものではない。
後で、ヴィンセントには今日をかぎりに診察室から出て行ってもらいたいと院長に報告せねばなるまいな、とカールは思った。
彼には特にしてもらう仕事もない。器具を洗ったり、言った薬を取ってきてもらうだけだが、狭い診察室だ。自分一人で事足りる。それよりも体の大きいヴィンセントがいると、診察室がさらに狭く感じて息苦しさを感じる。
「どれ、ナシェ。包帯を代えましょう」
カールはナシェを呼び、前に座らせた。
今はお昼時で、村人は昼食をとっているであろうからしばらく教会には来ないだろう。
ようやく患者が落ち着いたと、一息ついてカールはナシェの膝から包帯を解いた。
「うん、治ってきていますね。良かったよかった」
カールは傷口を消毒すると、再び包帯で彼の膝を巻く。
ナシェはありがとう、と言ってヴィンセントに目を向けた。
「ヴィンセントさん、気にしなくていいよ、すぐ慣れるよ」
とどめをさしたな、とカールは内心ほくそえむ。
カールもヴィンセントを微笑んで見つめた。
「昼食抜きの生活には慣れましたかな。最初は、おなかがすいてしかたないでしょう」
ケダン教会の食事回数は朝と夕の二回だ。
量もそんなに多くはない。
彼のように体が大きいと、一般的には少なすぎるカロリーだ。
「はい。……でも、だんだんと慣れてきてはいると思います」
ヴィンセントはこっちを見て答えた。
彼の深い茶色の瞳はなんと優しげであることか。
外見だけは布教する修道士としては理想形なのだが、とカールは思う。
布教に修道士自身の魅力は不可欠な要素だ。
それは声であったり人柄でもあったりするのだが、第一印象ありきにて外見の良さは特に重要である。
道端で説教していても、道行く人が立ち止まってくれなければ何の意味もないのだから。
ヴィンセントはその点、この教会の修道士の中で一番の最適者であるといえる。
ほとんどが老体のしなびた修道士だし、キャンデロロは見かけに難ありだし、ドミニクは愛嬌はあるがいまいち目立たず、パウルはなかなか整った容姿をしているものの無愛想すぎるため、女性や子供には怖くみえるようだ。
ヴィンセントは恐ろしく整った容貌だが、笑みを浮かべれば柔かさが宿り、今日診察室にきた子供も彼を怖がる様子はなかった。
ナシェに関してはすぐ彼になついた。
女性に関しては、これはもう愛想のあるなしは関係ない。
今日、誰かがヴィンセントにキエスタ教の神の名前、ラミレスさま、とあだ名をつけているのを聞いてしまった。
彼は愛と子孫繁栄の神ラミレスのように、女好きではないと思うが。
間違いがないのを祈るばかりだ。
テス教を志したのだからそう誘惑にのるとも思えないが、年は二十五だというし、抑えきれない若さもあるだろう。
しかしながらテス教は禁欲を唱えるものの、修道士が妻を娶ることは許されている。
この教会の修道士、ファンデイム院長と長老三人も妻帯者だ。
故郷に残してきたもの、すでに死別したもの、離婚したもの、と分かれるが全員に子供がいる。
ヴィンセントが希望するならこの地で結婚することも可能なのだ。
とはいえ、キエスタの女性たちが行動に出すことは他の国の女性と比べると、滅多にない。
しかも異教徒の男と関係するなどとは、ありえないことである。
キエスタ人女性もそれを割り切って、目の保養のために診察室に来ている感があった。
今日来室したほとんどの女性が、子供のいる既婚者だったことを思い出せばそうだろう。
「カール様」
ためらいがちにヴィンセントが言った。
「失礼を承知でおたずねします。……その目はどうなさったのですか」
ああ、とカールは左目に手をやった。
そうだ。初対面の者には必ず聞かれたものだった。
新しく人に会うということが久しくなかった。
「先の戦争中ですよ。私は軍医でしてな」
カールは白く膜はったような左目を指さした。
「ある日、野営テントに爆弾を落とされた。傷はたいしたことはなかったのです。いま思えば砂のようなものが多めに入っただけだったかもしれない。あせった衛生兵がわたしの目に目薬だと思って点したのです。硫酸を」
カールは左目をまばたきした。
「じゅ、と音がしました。今でも覚えております。……戦争中のドサクサでしょうがないといえば、しょうがないですが。まさか、味方の兵にやられますとはな」
乾いた声でカールは笑う。
「まあ、命だけ助かったのはありがたいことです」
自らの手を消毒しながらカールは続ける。
「戦後こちらに来ました。やりがいはありますな。村の人たちからは神扱いです」
「ヴィンセントさん」
ナシェが真っ直ぐ突っ立ったままのヴィンセントのローブを引っ張った。
ナシェの頭はヴィンセントのお腹の高さまである。
「はい、何でしょう」
見下ろしたヴィンセントの顔をナシェは見上げて覗き込む。
「お願いがあります。キエスタ語の本で分からない言葉があります。教えてもらってもいいですか?」
「はい。もちろんです」
ヴィンセントは笑みをつくった。
「昼は、僕もヴィンセントさんも仕事があります。だから、夜にヴィンセントさんの部屋にお邪魔してもよろしいですか?」
「ええ。でもナシェ君は夜更かししてはいけませんので、早めに切り上げましょう」
「そうですね、ナシェ」
カールが付け加えた。
「ヴィンセントさんはまだここに来たばかりで慣れてないのです。お疲れでしょうから、早く寝ませてあげないと」
「はい」
ナシェは頷いて礼をすると部屋を出て行った。
「本が好きな子でしてな。もっと多くの本を読ませてあげたいのですが。なかなか。ここには聖書だけはたくさんあるのですが」
カールはナシェを見送るとそう言った。
「……ナシェ君の両親は」
ヴィンセントが間をおいて尋ねた。
「ナシェが生まれた時に父親が死にました。母親は、彼が一歳になるかそこらで亡くなりました」
カールは立ち上がって医薬品の棚に消毒薬を戻した。
「お気づきかもしれませんが、ナシェにはキエスタ人ではない血が混じっている。彼の父親は戦争の落し子でした。パウルもそうです」
ヴィンセントはうなずく。
パウルの、修道士たちとも村人たちとも違う肌の色。
ナシェの、キエスタ人にしてはやや明るい肌の色、そして異なる顔立ち。
二十年前のキエスタ紛争で、グレートルイス兵がキエスタ人女性に暴行をはたらいた結果、混血児が各地で誕生した。
キエスタ人女性にとって、異教徒の男と関係を持つことは自分の意志に関係なく重罪である。
刑罰はその一族によってちがうが、一族からの追放はまだいい方で、死をもって償う場合もあった。
そのため、被害に遭ったキエスタ人女性は暗黙することが多く、公にされた件は全体の三割にも満たないとされる。
戦争の落し子たちのほとんどはグレートルイスがひきとったというが、パウルのようにこの国で育った者もいるのだろう。
「わたしがここに来たのは、戦後五年ほどのことでした。あのときは、まだ戦争の落し子たちが何人かおりました。戦後、ここは一族から追放された妊婦や母親の最後の逃げ場となっておったそうです。女性たちはここで子を産むと、去りました。彼女たちの行方はしれません。自分の一族には帰れないでしょうから、どこか他の地で無事に生活していることを祈りますが。ここにいた子供たちのほとんどはグレートルイスに引き取られました。……パウルと、ナシェの父は、ここに残ることを希望した子です」
カールは、さて、とため息をついて椅子に腰かけた。
「ナシェの父親は生きておったらあなたに近い年齢ではないかな。背も高かったと記憶しております」
カールは目をヴィンセントに向けて、静かに言った。
「私が言えるのはここまでです。今後、ナシェの両親についての詮索はやめていただきたい。……ここにいる修道士、村人たちの両方にお願いいたします。我々教会の者、この村の者はあれの両親をなかったものとしております。それで今現在、両者はうまくいっておるのです」
「心得ました」
ヴィンセントはうなずいて頭を伏せた。
カールはその様子を確認すると目をゆっくりと閉じた。
ナシェがつく、昼時の鐘の音が修道院中に鳴り響き始めた。
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