「たのしい水族館 」

haruto

第1話 キラキラ光る

竹ぼうきのさきに、透明なパンの袋が、引っかかった。

武井友三は、袋をつかむと、腰ベルトに巻いているゴミ袋に捨てた。

風が強い。

飛ばされそうな、帽子をつかんだ。

水族館の高台からは、真っ青な海が見える。

朝の潮風は冷たく、友三に気合を入れてくれた。

「今日も一日、頑張るぞい」

(働く喜びを感じさせてくれる風さん・・ありがとう)心のなかで感謝をつげる。

退職後の、第二の人生は、小さな街にある「水族館」だった。

街の観光に、大きくかかわる古くからある施設。

三人の娘達が小さなころ、よく、ここへ連れてきたもんだ。

色あせたブルーの壁と、ところどころ白いペンキが、はがれた建物。

口が大きく、目がパチクリしたイルカの絵が、「ようこそ~♪」と、お客を迎えている。

「今日は、混むぞ!」

ゴールディンウィークでも今日は、最強に混むであろう「子供の日」

昨日は小雨が降り、肌寒かった。

雪が解けたばかりの北海道の春は、まだまだ春になっても気温は低い。

天気は「晴れ」気温も高くなりそう。

ここ一番のピークにちがいない。

道内から集まる家族連れで、にぎわいそうだ。

その予想どうりに、開演前からゲートが閉じた駐車場前には、車が停まっていた。

友三の腕時計の針は「午前6時」を少し過ぎたところ。

(開演まで、あと、三時間はあるのに、ずいぶん早いな~ぁ)

竹ほうきの掃く音と、鼻水をすする音が、混ざりあい合奏。

細い目のさきには、函館ナンバーの軽ワゴン車がいた。

車内は満員御礼。

小さな子供がいるようだ、何度か、車から降りておしっこさせている。

(ゴミだけは持って行って、もらわねば・・・)友三の目が光った。

竹ほうきで掃きながら、チラチラ監視の目を光らせていた。

用をすますと、若い母親は友三に頭をさげて、そそくさと、車に乗り込んだ。

若い父親は、赤ちゃんを抱っこしながら、高台に建つ水族館を見上げている。

哀愁漂いながら、目を細めて眩しそうにしている。

その軽四の後ろに並ぶ車は、なんとも怪しい窓スモークの、ワックスが抜群に利いた、ピカピカの黒の古い「クラウン」

昔からよくある光景だ。

カップルらしい。

北見ナンバーだから、彼氏も相当、疲れ気味だろう。

しかし、疲れも何のやら、恋心と下心で、ここまでたどり着いたパターンだろう。と・

友三は、勝手に想像していた。



「色彩水族館」の屋根には、今日も三本の旗がたっていた。

真ん中は日の丸(休日のしるし)、左右はイルカのイラスト。

毎朝、旗を揚げるのは、売店で働く祥子さんだ。

友三は祥子さんを尊敬していた。

仕事もでき、なにより、この水族館を愛する彼女の熱意に尊敬していた。

(祥子さん、今日もご苦労様です。)自然に手のひらを合わす。


友三は、今年75歳。


大手自動車メーカーの営業部長を退職してから、妻の勧めと、知人の紹介という断りにくい理由で、この職についた。

本当は、水族館の「お掃除おじさん」なんか、やりたくなかった。

だいたい、自分よりも、ずっと、年下の部下どもに、こき使われると思ったら、嫌気がさした。

水族館の外装と同じ水色の作業服を着て、掃除道具の詰まったイルカプールの隣にある小屋で、チマチマ「ゴミの仕分け作業」をする。考えただけで寒気がした。

しかし、友三には、働かなくてはいけない理由があった。

それは妻の恵子の存在だ。


友三が、退職後、毎日、家にいるもので、恵子はノイローゼ気味になった。


「お友達と札幌まで行ってきます。」

「何時に帰るんだ!」

「文化センターのお友達と、旅行へいきたいんだけど」

「こないだ行ったばかりじゃないか?」

「生協まで買い物へ行ってきますね」

「俺も行く!」

「町会の女性部のお手伝いへ行ってきます」

「また!町会か!いいかげんやめろ!」

しだいに、毎日、二人は顔を合わせるとケンカの日々。

朝、昼、晩、と、毎日一緒にいるものだから恵子は疲れたのだろう。

ある日。

キッチンで正座しながら、年金が入った通帳をみつめながら、「お金がない」と話した。

残高もある。

ささやかな蓄えもある。

俺が家にいて不安になったのだろう。

キレイ好きで、料理が好きな妻の、大切なキッチンは、いつしか汚れていた。

あんなに大好きだった、ルクルーゼの鉄鍋も使わなくなっていた。

キッチンを見渡すと、妻の体調を知らせるサインがところどころにあった。

「お金」の不安を話した日の翌日、診療内科を受診した。

軽いうつ病と診断をうけた。

かれこれ50年あまり。

友三は、専業主婦の恵子に見送られ、毎朝、会社へむかった。

毎朝、「いってらっしゃ~い」と、笑顔で手を振る妻だった。

転勤になっても、新しい場所でも、すぐに友達をつくる妻だった。


明るく、自由きままで、人懐こくて、誰からも好かれる妻。

友三は、ただ働き、妻にお金を運ぶのが生きがいだった。

そうして退職。

今頃、気がついた。

自分の行先がないもんだから。

妻の自由をうばい。

言葉のはしをつまみあげ、難癖をつけてせめていた悪の自分のせいだ。

薬を飲む彼女の横顔をみると、辛くなった。

そう思っていたところに、妻の親しくしている町会の女性部長から声がかかった。

「旦那さんなら、几帳面だし、信頼できるからお願いしたいの」

妻は友三の顔をのぞいた。

その顔は、笑顔でキラキラしていた。

なぜなら、水族館が大好きだったからだ。

友三は、即座に「はい。わたくしで、良ければお願いします」と頭を下げていた。

しかし、実際、不安だった。

第二の職場は、「ゴミ収集人だ」

薄汚れた小屋に押し込まれた年寄り。

ネズミのように、モップや、竹ほうき、ゴミ袋に囲まれる職場。

かっては、背広にネクタイ。

広いオフィスにデスク。

「部長!部長!」と若い部下に呼ばれる。

慣れた職場。

地位が上がるたびに、態度もデカクなる。

そして信用も得て、この会社になくてはならない存在のような気になる。

「定年」という期限がくるなんて想像できないほど働いた。

蓄えもあったから、働くことは考えられなかった。

「第二の人生」で、働くとは思わなかった。

50年ぶりに、履歴書を書くなんて、考えられなかった。

すべては妻の健康のためだった。


「色彩水族館」に、はじめて面接に来た日のことを思うと、やり切れない思いになる。

なにも、「第二の職場」の誘いはここだけではなかったのに、偶然と、流れという名の運命が重なり、導かれたようなかんじだ。

そう思い込んだ。


でも、面接当日のあさ。

シルバーのハイブリット車に乗り込んだ友三を、笑顔で見送る妻を見ると「別の誘いの職場にいく」と言えなかった。

妻は嬉しそうにキラキラした目をして何度も話した。

「イルカを、毎日、見れるのね?キラキラした海もみるのね」

友三は、笑顔で「あ~、そうだ。行って来る」と話した。

少女にかえったように、可愛らしい妻の顔だった。

「毎日。見るのね。イルカの声を聞くのね。素敵ね」

車は走り出した。

見慣れた景色が消え、新たな居場所へと向かう。

このみじめな気持。

通り過ぎる真新しいビル、華やかな新車を展示しているショーフィンドウをみると、自然に目がいく。修理工場や、新車展示会のお知らせと書かれた看板。

試乗車。

信号待ちで止まるたびに、自然に目がいった。

でも、とたんに、妻を思いだした。

(いまの私の居場所は、ここなんだ)心に話し続ける。

不安だらけの職場。

不安な仕事。

新入社員の気持ちが、こんなにも切なく、こんなにも、心細いのを、初めて知った。

スーツ姿の自分が、一歩、一歩、青白い建物に吸い込まれていく。

人生の行きつく場は、こんなところか?

重い足取りのさきは、娘たちが小さな頃、連れてきた、老朽化した水族館があった。

履歴書が入る革の鞄を握りしめ、開園したばかりの入り口に立つ。

チケット売り場で、販売員に声をかけた。


「あの。今日、面接にきました武井と申します。」


平日の開演30分前。

朝のあわただしい時間に、背広姿の品のよさそうな高齢男性が通った声で話す。

元気な声は、緊張を鎮めるおまじないだった。

窓口にいた女性は一人。

「お待ちください」

背の高いすらっとした女性が笑った。

それが、祥子さんだった。

第一印象は、かって勤めた会社の売上ナンバーワン小泉紀子さんに似た印象を受けた。

愛知県の本社へ引き抜かれ、社内では伝説と呼ばれていた女性だ。

いまは外国工場の幹部だ。

けして美人ではないが、体から発するオーラが、彼女と重なった。

(こういう人も働いているんだな~)と、感じた瞬間だ。

「こちらへどうそ」

水族館ゲートを開けてくれた。

入場券もなくゲートをくぐり抜ける。

入り口正面では、大きな「ウミガメ」が、お腹をみせて泳いでいた。

(妻がみたら喜ぶだろうな)

しかし、水槽から聞こえるモーター音が、緊張を高めた。

お客様でしか来た記憶がない水族館で、まさか、友三が働くことになるとは、誰が想像しただろう?


案内された事務所は売店の中にあった。

細いドアを開けると、若い館長が笑顔で迎えてくれた。

長年、営業職をやってきた経験から、友三は人を見る目があった。

美人、不美人ではない。

痩せた、太ったでもない。

目だ。

人の心を写す目と、体から発信するオーラ。

そして言葉から発信する人柄。

服装、態度。

瞬時に見抜く力は、職業柄、自然に備わっていた。

目は心を表す。

「はじめまぁ~して、ここの水族館の館長をしています。大田雄一と言います。よろしくお願いしますぅ・・・・。」

ぽっちゃりした体格の大田は、三十代半ばといったところだろうか?

丁寧に挨拶した。

なぜか?緊張のためか、頬と耳が赤くなっていた。

どっちが面接される側か?わからない。

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

「どうぞ、おかけくださぁい~」

鼻息交じりに話す言葉は、息が抜けて聞こえた。

しかし大田の目は、いい目をしていた。

澄んだビー玉のような綺麗な目だ。

そして案内してくれた女性は、また強くまっすぐな誠実な瞳。

友三の心の迷いは消えた。

(ここで、勤めよう)

しっかり心が決まった瞬間だった。

館長の大田は、友三が差しだした履歴書をみるわけでもなく、「ウミガメ」の大きな目がかわいいと、嬉しそうに話した。

「水族館の中でも、ウミガメの目はキラキラして素晴らしいですよ。是非、お勧めします」と早口で話した。

友三は、大田の瞳の中のキラキラした光の泡を見つめていた。

それは友三の後ろにある水槽の泡だった。

青く輝く光の泡。

売れ残りの電池式の水層の置物だった。

泡のなかには、オレンジ色の魚のおもちゃが泳いでいた。

「パパ!頑張ってね!」と笑う妻のように見えた。

(仕事に慣れたら、妻を連れてこよう)

こうして、友三はキラキラ働き始めた。


(お次も読んでね・・・。by作者・SARU)












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