「W」

みなりん

第1話

 なんて豪華なんだろう、今日の朝食は。世界の料理が食べ放題だって。フルーツや飲み物、スイーツも並んでいる。あたしが大好きなバナナクリームパイもある!いただきま……? あれ、味がしない。それに、サクサクのはずのパイ生地が、プラスチックみたいに固くて、美味しくない。


「ん?」

 

 その時、水樹葵は、目覚まし時計を口に入れようとしていた自分に気づいた。見ると時刻は、朝の4時過ぎだ。

「起きて、葵! もう行かなきゃ!」

「まだ4時だよ、舞子ちゃん」

「違うよ、もうチャイムが鳴ってる」

「えっ」


 葵はジャージに着替え、長い髪をゴムで一つに結わえて1分で支度をしたが、舞子はもう靴を履いていた。二人は部屋を出て、全速力で廊下を走った。もう寮には人の気配がない。窓の外で、他の生徒たちは点呼を終え、体操を始めていた。途中から後列に並んだものの、教官からの厳しい視線が飛んでくる。しんと張り詰めた空気の中で、葵だけ、息切れがすごい。坂上教官は、私たちの前で足を止め、腕時計を見て言った。


「新庄、遅刻の理由を述べなさい」

「少しゆっくりし過ぎていました。すみませんでした!」

「水樹、あなたは?」

「はい、正直に言うと、さっきまで寝ていました。うかつでした」

「ありえないことですよ! 今後、このようなことがあれば、即刻退学して頂く、いいですね?」

「はい! 申し訳ありませんでした!」

「それでは、ランニング開始!」


 舞子は、葵の背中に手のひらでバシッと気合いを入れて、集団の誰よりも先に走っていった。葵も、後に続いて走ろうと思ったが、舞子との距離は全然縮まらなかった。


「水樹! ほら、ちんたら走らない!」


葵は息が切れて、返事もできない。皆から離れて、一人、最後尾を走っていく。ようやくゴールすると、すでに、他の生徒たちは、グラウンドから去っており、舞子だけが、立って待っていた。坂上教官は、二人を並ばせて、厳しい顔つきで叱り飛ばした。


「集団生活の中で、一人が遅刻すれば、全員が遅れることになります。規律を守れなければ、他の生徒にも悪影響が出ます。そのことをきちんと肝に銘じて! それに、あなたがたの部屋は、布団は出しっぱなし、ロッカーは開けっ放し。部屋の中の整理整頓というものが、まるでできていなかったと報告がありました。よく反省し、以後このようなことは一切ないようにしなさい。わかりましたね?」

「はぁい」

「はぁいじゃなくて、ハイ!」

「ハイ!」

「それから、水樹さん、あなたは、体力がなさすぎです。もっともっと身体を鍛えなさい。そうしていくうちに、精神的にも強くなっていくはずよ。以上」

「ハイ!」



 その後、清掃をして、ようやく朝食にありつけた。食堂ではいつも、まかないの方々が、おいしいものを用意してくれている。食事の時間が楽しみな生徒は多い。みんなは、トレーを持って横に並び、ごはん、味噌汁、おかずと手に取り、長い机のあるほうに歩いて行き、向い合わせて座っていく。


「二人揃って遅刻は、やばかったね。さすがに焦った。私、昨日寝たの遅くてさぁ、起きれなかった」

「あたしのほうこそ、ごめん、熟睡して。早めに目覚ましかけてたはずなのに」

「時間ずれてたじゃん。電池切れじゃない? 売店に電池売ってなかったっけ」

「あ、売ってると思う。ついでに菓子パンとかも買っちゃおうかな?」

「危険だよ、電池買うの忘れて、菓子パンだけかっちゃうわ、葵なら」

「そんなこと……ないとは言い切れない」

「でしょ? よし、さっさと食べちゃおう。売店は、夜がいいよ」

 

 舞子は、朝からどんぶり飯だ。葵は、両手で椀を持ち、ほうれん草と油揚げが入ったお味噌汁を頂く。疲れた時は、食べるとほっと一息つける。でも、朝食の時間にリラックスし過ぎて、授業に遅刻しないようにと考えると、緊張感が残る。その点、舞子は、気分転換が上手いから、きっと、今朝のことなど、気にしていないはず。明日は明日の風が吹く……そんなタイプなのだ。嫌なことは忘れるのが一番。忘れられないで覚えていることも、もちろん重要だけれども。

 

 二人が並んで食事をしていると、同じクラスの候補生、仲井直之が、向かい合わせに座って来た。


「今日は寝坊?」

「そうよ、よく眠ったから、ごはんが美味しいわ。なにか?」

「いや、健康的で、いいんじゃない」


 舞子は、仲井をちらりと見て、グラスの水を飲んだ。仲井は、それ以上に言いたいことがあったみたいにも見えたが、何も言わず、ごはんと唐揚げを同時に食べた。葵も、から揚げをほおばった。朝から唐揚げ……永遠に食べていたい。


「新庄さんて、運動神経いいよね。あ、これ別に、水樹さんをディスっているわけじゃないよ」

「〇×△□……」


 口に入れた唐揚げが大きすぎてしゃべれなかったので、葵は、とりあえず、大きくうなずいておいた。仲井は、見るからにスポーツマンという感じ。確かに、ここに来る人は、運動神経がよさそうな人が揃っている。この人の場合は、いわゆる文武両道で、勉強もできるし、カリスマ性というの? そういうのも備えている。仲井が何か言えば、自然と皆が耳を傾ける雰囲気になるのだ。


「なんていうか、新庄さんは、警察学校にいてもおかしくないけど、水樹さんは、どことなく異質な感じがするんだ。まさか、水樹さん、強引に誘われて、仕方なく来たわけじゃないよね?」


そんなにやる気がなさそうに見えるのだろうか。葵は、左右に首を振った。


「……違います。警察官である父に憧れて、それで」

「そうか、俺の勘違いか。新庄さんの付き添いの可能性も否めないなと」

「ちょっと! 勝手な想像をするのはやめてちょうだい。それに、そうやって箸の先を人に向けないでよ、失礼でしょ」

「申し訳ない」


舞子が言うと、仲井は、箸をひっこめて、付け合わせの野菜を口に運んだ。葵が舞子ちゃんの付き添いだなんて……。自分だって、やる気がないわけじゃないんだけどな。でも、今朝のていたらくでは、そう見えても仕方ない。本気で体力づくりから始めなくては。葵は、二人に質問した。


「あの、二人とも、体力づくりは、どうやっているの?」

「校内にジムがあるのは知ってる? 俺もだけど、大概の生徒は、休みの日、そこで鍛えてるよ」

「そうね、私も同じよ。葵も今度一緒に行って、筋肉つけようよ」


舞子が、腕の筋肉を見せた時、仲井が、抑えた笑いを浮かべた。


「なんで笑うのよ」

「いや、新庄さんなら、簡単に犯人をねじ伏せられるだろうと思ったら、思わず笑顔が出ただけだよ」

「本気で思ってる?」

「もちろんさ、じゃあ、お先に」


仲井は、朝食を食べ終わると、席を立って行った。


「あいつ、内心、私を甘く見ている気がする。見てなさいよ、いつか負かしてやるわ」


葵は、舞子なら、本当に、なにかやりかねないと思った。

 


 二人は、朝食を終えると、部屋へ戻り、再び身支度を整えた。間もなくホームルームの時間がやってくる。またその次の授業の準備もあるし、あたふたしっぱなしだ。正直言って、一人でマイペースに過ごすのが好きな性格の葵にとって、集団生活は、常に時間や規律を守らなくてはならず、大変だ。泣きたくなっても、逃げ場もない。それに、自分と一緒にいるせいで、舞子に迷惑をかけてしまうのは、本当によくない。これ以上、悪目立ちしないように、足りない部分を克服していかなくっちゃいけない。まずは体力づくりから。他の子たちにも聞いてみたが、寮生それぞれが、体力増進のために、何かしら始めているらしい。自分もやろう。舞子ちゃんに追いつくのは無理でも、せめてみんなにばかにされないように。


 授業が終わり、夕方になった。舞子は、教官に提出する課題について質問があるとのことで、葵とは別行動をとっていた。そこで、葵は、夕食までの間、自主トレのため、運動靴に履き替えて、海岸通りを走っていた。水面がキラキラと輝くのを見ながら走るのは楽しい。警察学校の付近は、意外と風光明媚で、少し足を延ばすだけで、海や山がある。自分のペースでいいならば、走るのは嫌いじゃないのだ。余計なことを考えずに済むし、自分の気持ちも一足ごとにに、前へと進んで行ける気がするから。

 交差点に差し掛かったとき、首からかけていたポーチから、着信音が流れたので、急いでスマホを取り出した。


「もしもし?」

「葵、今どこ?」


 舞子だった。


「今、海岸線入り口付近を、走ってたところ」

「外走ってたの、こっちはそろそろ寮に戻るよ。ご飯まだでしょ? 早く帰らないと点呼もあるよ」

「うん、そうだね」

「ねえ、ころばない、迷わない、さらわれない。気をつけて帰ってくるのよ、いい?」

「はいはい」

「ハイは一回だけ」

「ヘイ!」


 電話を切ると、夕暮れ前の海が赤く染まって行くところだった。ちょっと遠くへ来すぎたかもしれない。葵は、ほんの少し不安を感じ、足を速めた。

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