第10話/4


 彼女がそこに行きつくことができたのは、まったくの偶然の結果だと言って良い。


――自らに必要な状況に出逢う。それに必要な要素が『運』だとすれば、彼女はその意味で人物だったのだろう。


 

 電子メールの差出元を特定するのは不可能ではないだろうが、かなり骨が折れる作業だと思わされた。英数字完全ランダムの捨てしょきアドレス。その文言を信頼するというのであれば――あるいは、そこが第一の関門で――彼女は珍奇極まるいくつもの“作法”にのっとらなければならないらしい。


【急ぎでなければ明日の朝は駅前のカフェでトーストを食べた後、九時に向かいのホテルにある自販機でコーラを2ユーロ入れて買うこと。

 ※トースト以外でもお好きなように。】


 さて。彼女が悪戯に踊らされるかどうか。果たして――


 目当てのホテルには確かにコーラの入った自販機が設置されていた。


 だが、その値段は1ユーロだった。暫しの逡巡の後、彼女は一枚で足りるユーロ硬貨を二枚入れて、指示の通りにコーラのボタンを押し、ペットボトルがごとん、と落ちて来たので回収し、当たり前のように1ユーロ分の釣り銭がちゃりん、とそのまま返却されたので、ため息混じりにそれも回収しようと指を返却口に入れたところで――


「――――」


 指先に当たる、に、息を呑んだ。



 そして手の中には今、1ユーロ硬貨と、どこでも見かけるような、小さな鍵がある。


 鍵にはピンクのプラスチックのタグが付いており、【A310】という味気ない番号が振られていた。ホテルの部屋のものか、と一瞬だけ思ったが、違う。安物すぎる。他に出された指示はあったか、とメールの内容を思い返すが覚えも無い。


「…………」


 そして、そのヒントは彼女の歩いた今朝の道のりにあった。


 駅前のカフェで、という指示。つまりは一度、この最寄の駅に足を運び、そこからカフェを見つけたのだから。そこまでに、同じような何かを、見た気がする。



――そして、行って帰ってもう一度。彼女は駅のロータリー付近にある、コインロッカーの前にいた。


【A310】のロッカーに、鍵を差し込む。かちゃん、という開錠の音。もう、少女とは言えない歳になって久しく、かつて感じた小さな高揚感――彼女は宝探しゲームをしている気分で、ロッカーを開けた。


 中には二つ折りの紙が一枚。プリントされた文面は、メールと同じくらい味気ないものであった。


【ご苦労様。振り向いて右側にある公衆電話の前に、九時半】


 左手を逸らして手首の腕時計を確認する。――九時二十八分。差出人は、そこまで計算づくだというのか。あるいは――間に合わなかったらそこまで、という選別を兼ねているのか。


 深呼吸を一回、二回。ヒールの立てる靴音は甲高く。指定された通りに公衆電話の前に辿り着き、では次は、というところで。彼女の人生で初めて。


 、という事態に遭遇した。


「…………っ」


 取っても良いものか。そんな場違いな戸惑いを責めるように、デジタルなコール音が響いている。


 もう一度だけ深呼吸。彼女は受話器を取り――


『グッモーニン。お疲れ様。ハハ、ごめんねー。一見いちげんサンのお客にはこうして遠回りしてもらうことになってるんだ。オレほら、ビビリだからさー。というわけでキミが今回のクライアントで良いかな?』


 文面からでは推し量れなかった人格を垣間見る。とても良く口の周り、どことなくチャラい印象の通話相手が、とどのつまり――


「……“情報屋”のバド=ワイザー?」



『Yes。検索するとビールが出てくる偽名ってイイよね。でも意味は違うからね。あ、これはサービスの情報だから請求は気にしなくてイイヨ』


 賢しき愚か者Bad-Wiser、と。自らをそう名乗る稀代の情報屋は、続けて彼女にこう告げた。



『それで? なんの情報が知りたいのかな。キミがコメディアンでアドリブしたいっていうなら



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