第10章

* 37 *

「名本と付き合っているらしいな」

 北上にそう言われたのは、6月1日の朝。

 学校に近い交差点で、待ち伏せていた北上に開口一番そう言われた。

「は?! 何それ?」

 突然の北上の発言に驚いたが、それだけは声に出すことができた。


 ――衝撃しょうげきが……大きすぎる。


「森井に関する新しい噂。放課後、名本と一緒にいるのを見たらしい、とか」

 眼鏡のふちを右手で押し上げながら、感情のない口調で北上が答える。

「それだけで?」

「それだけでも他の奴にしてみれば、青天の霹靂へきれきだった、ってことだろ」

 相変わらずの、無味乾燥な話し方。

 訂正しないと――と意を決した時、後ろからせわしない靴音が近づいてきた。オレを目指す強い意思を感じる。

「ねえ。夕香と付き合っているって、本当なの?」

 音の方に向き直った途端、米倉さんが走ってきた勢いのまま問いただす。友人のことを心配して余裕のない米倉さんの姿は、意想いそうがい

 何があっても動じない人だと、勝手に思っていた。

「付き合っていないよ。……誰から聞き出したの?」

 北上に言いそこねた事実を告げて、どちらにともなく投げかける。

「障子に目あり、壁に耳あり」

 オレの真剣な問いかけに、そんな答えで2人ははぐらかした。

「2人とも、よく似ているよね」

 内心、嘆息たんそくしながら告げる。

「それはそれは、光栄なことで」

「すごく、嬉しいわ」


 ――本当に、そっくりだよ。


 同時に感想を述べる彼らを見て思った。

「なぁに? 何か、言いたそうね」

 左横から俺の顔を眺めながら、米倉さんが含みのある笑みを見せる。

「別に、何もないよ」

 そう告げて、彼らより一足先に昇降口に入り、靴を履き替えた。

 廊下を歩いていると、相識そうしきではない生徒たちが、オレのことを見ながら小声で話し合っている光景ばかりが目に映る。噂が大好きな人間ばかり。


 ――どうでも、いい。


 騒ぎたい奴は、勝手に騒いでいればいい。

「昨日の放課後のうちに広まっていたのよ」

 興味なさそうに、米倉さんが説明をしてくれた。昨日の放課後は、委員会だった。

「そう」

 りに呟く。

 無遠慮な視線と、ささやき声。そんな女子の集団にうんざりして、彼女たちを視界に入れないように前を見据えた。

 教室のドアを開けて中に入った瞬間、騒然そうぜんとしていた室内が急速に静まる。


 ――どうでもよくなかった。


 クラス内の空気を肌で感じて、名本さんのことが急に心配になった。自分だけじゃなく、名本さんにも迷惑が及んでいる。

 名本さんの席を見ると、そこはぽっかりといたまま。

 彼女がまだ来ていないことにホッとしても、学校に来れば嫌でも耳に入る。そんな事態にやきもきしているオレに、山谷が近寄ってくる。

「森井と名本って、付き合っているのか?」

 オレの視線を真っ直ぐ見たまま、山谷が直接訊いてきた。

 名本さんが好きだと、彼が宣言したのは昨日。山谷にしてみれば、寝耳ねみみに水の状況だろう。

 クラスメイトが固唾かたずを飲んで、こちらを盗み見ている。

「付き合っていない」

 山谷の目を見返して、はっきりと否定する。

「……そう」

 あまり納得していない口ぶり。少し迷ってから山谷がもう一度口を開いた時。

「おはようございますぅ」

 間延びした声が室内に響く。


 ドキッと、身体が先に反応した。


 こんな風に噂になって迷惑をかけたから、申し訳なくて名本さんの顔を見れない。

 名本さんに続けて、米倉さんの声もした。昇降口で一緒になったのか。

「おはよう」

 教室に入ってきた彼女たちに、親しい女子たちが挨拶をする中、廊下から質問が飛ぶ。

「ねえ。名本さんって、森井くんと付き合っているの?」

 せせら笑うような女子の声に、視線を向ける。名本さんの後ろ、廊下から教室を覗き込んでいたのは、茶髪で完璧に化粧をしている女子生徒。クラスの人間ではない。

「どうしてですか?」

 不思議そうな表情で問い返す名本さんに、名前も知らない女子は口許に笑みを浮かべた。

「放課後、よく森井くんと一緒にいるのを見た子がいるから」

 裏のある笑い方も、名本さんは意に介していないみたいだ。少し考えてから、名本さんが納得したような顔つきをする。

「今、名本のワガママで、森井くんに絵のモデルになってもらっているのですぅ」

 屈託なく笑って、名本さんは言う。

「できましたら、三浦みうらさんも見て下さいね」

 そう追い討ちをかけられて、三浦さんと呼ばれた女子は、眉間にしわを寄せて何も言わずに去っていった。


 強い人間ひとだと、漠然ばくぜんと思った。

 噂なんかに潰されない強さを持っているのだ、と。

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