* 18 *

 5時限目の終了のチャイムと同時に美術室を出て、素知らぬ顔で6限の授業を受けた。

 部屋を出る前に、名本さんの様子をさぐると、チャイムが鳴ったことにも気づかないほど集中していた。

 だから、声をかけずに1人で教室に戻ったら、名本さんは6時限が始まっても姿を見せなかった。

 チクリと、気がとがめる。


 美術室を出る時に、声をかけた方がよかったのかな。


 授業中、くさくさと悩んで。

 自分には関係ないこと。それが、行き着いた答え。

 結局は、彼女の意思だ。

 自分の中で割り切ったのは、授業が中盤ちゅうばんに入った頃だった。

 もう、内容がどこまで進んだのかわからないから、黒板の文字をノートに書き写す。




 今日最後の授業が終わり、ホームルームの終了と同時に、教室を後にした。

 クラスにいたら、冨永たちにつかまりそうな気配を感じて、さっさと1階へ下りる。


 ――駅ビルの本屋に寄ろうかな。


 そんなことを考えながら、靴に履き替える。昇降口を出て、正門に向かって歩く。

 第3校舎の脇の舗装道路に差しかかった時。

 ひらり――と、白いモノが降ってきた。

 オレを目がけるように、いくつも。

 予想もしない事態に驚くよりも呆然として、無感情のまま足下に散らばっている紙を見下ろす。

 B5サイズの白い紙。

 緩慢かんまんとした動きで近くの1枚を拾い上げると、鉛筆でかれた絵が視野しやに飛び込んだ。

 瞬時に思いついて、自分の真上まうえあおぎ見る。


 4階の一番端。

 その窓枠から身を乗り出して、こちらを見下ろす名本さんの姿を確認した。

 笑いがこらえ切れない、そんな様相でオレのことを見つめている。

「ごめんねぇ」

 楽しそうな語調で謝る名本さんを見て、悟った。


 ――わざと、だ。


 周囲に落ちた10枚以上ある紙を素早く拾い、通ってきた道を戻る。擦れ違う生徒たちが、不思議そうにオレのことを見ていた。

 昇降口で上履きに履き替えて、美術室に向かう。

 3階分の階段を駆け上がり、呼吸を乱したまま美術室に入ると、

「早かったですねぇ。わざわざ走ってきてくれたのですか?」

 どこまでもマイペースな彼女の言葉に脱力して、大きく息を吐きながらその場にしゃがみ込んだ。

「大丈夫ですか? 走りすぎて、貧血になってしまいましたか?」


 誰のせい……。


「――大丈夫だよ。…はい、これ」

 オレのすぐ近くまで来て、本気で心配する名本さんに答えて、拾った紙を手渡す。

「ありがとうございます。森井くんは、優しいですねぇ」

 スケッチのしてある紙を受け取りながら、名本さんはそんな言葉をこぼした。

「そんなことは、ないよ」

 名本さんの言葉を条件反射的に否定する。


 ――オレは、優しい人間じゃない。


 複雑な顔つきをしていたのか、名本さんは納得していない気色きしょくで、オレをじっと見つめる。

「名本さんは、ここで何をしていたの?」

 近くの机の上に黒革の鞄を置いて、話題を変えるため、名本さんに問いかける。

 いつも、他人ひとの目をまっすぐ見る彼女の眼差しが、オレからはずれた。

「部活の課題が出ているので、それをやってしまおう。そう思っていたのです」

 オレから手の中の絵へ視線を移して、名本さんが答える。


 ……部活?

 絵をくのが、部活動――。


 不意に、思い及ぶ。

「名本さんって、美術部だったの!?」

 理解して、驚いた。

 そして、彼女のことをほとんど知らない自分自身を思い知る。


 本人を目の前に失礼すぎるだろう。


 そう反省しながら、北上の説明にもなかったことを思い出す。彼のことだから、故意に教えなかったのだ。

 絵がとても上手なことを知っているのに、彼女が美術部に入っていることを知らないわけがない。

「そうですよぉ。知りませんでしたか」

 そんなことは、全く気にしていません。そういう顔で、名本さんはあっさりと呟く。

 彼女のさらっとした、その態度に好意をいだく。

 いつも名本さんが美術室にいた理由が、やっとわかった。

「…実は。森井くんに、美術室に来てもらった理由が、ちゃんとあるのですよ」


 紙を降らせて、呼び出すなんて……。


「雑な呼び出し方だね」

 言いながら窓辺に移動し始めた名本さんの後に続いて、オレも窓の方に歩き出した。

 全開の窓に寄りかかる名本さんの横に並び、彼女が見ている方向に視線を移す。


 雲と雲の切れ間から、差し込む光の筋。

 透き通った茜色が、空と街をつなぐ。

 架け橋のように。

 降り注ぐみたいに、幾筋も。

 神々こうごうしい。


 ――あぁ。なんて…………。


「天使の梯子はしご。とか、ヤコブの梯子。って、言うそうですよ」

 りんとした声が、印象的で。

 心に残る。


「この景色を見てもらいたくて、森井くんに来てもらったのです」

 眼前の景色を眺めながら、名本さんが静かに告げる。

「……すごく、綺麗だね」

 素直に思ったことを言葉にすると、

「よかったですぅ。森井くんなら、そう言ってくれると思っていました」

 幸せそうに呟く名本さんの声に、オレは惹かれるように隣を見る。

 こぼれんばかりの笑み。


 味気ない白黒モノクロのようなオレの世界を、一瞬で変えた。


 鮮やかで。

 ふんわりと、穏やかで暖かみのある雰囲気。

 今まで感じたことのない、くすぐったいようなやわらかさを、このましく思う。



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