* 47 *

「雨ですねぇ」

 鼻歌でも歌い出すんじゃないか。そんな陽気なトーンで、名本さんがまた呟く。

「雨が降っている風景も、名本は好きです」

 彼女の気持ちが丸々こもった響きに釣られて、足が前に出る。


 ――何を見ているんだろう。


 今までの揺らいだ心を脇に押しやって、窓辺に佇む名本さんの右隣に並ぶ。彼女の視線の先には、降り続く雨で濡れた木々。

 灰色の厚い雲が空を覆っているせいで、薄暗く街全体が肌寒そうに感じる色彩だ。

「荷物が多くなるし、濡れるから雨は好きじゃない」

 個人的な感想を述べると、「確かにそうですけどぉ」と複雑そうに名本さんが口を開く。

「雲の低さとか雨で霞んで見える景色が、すごく好きなのです。晴れている時には見られない光景ですから」

 本当に嬉しそうに言いながら、名本さんは空を指差しながら続けた。

「スカイグレー、鉛色なまりいろ灰白色かいはくしょく。こうやって見ると、灰色にも色んな種類があるって気づくんです」

「かいはいしょく?」

「はい。わずかに灰色を含んだ白い色のことですぅ」

 どういう字なのか疑問に思っていると、明るいグレーがかった白い雲を横から伸びた指が示す。


 ――灰白色……確かに。


 名本さんなら、あの色をなんて言うんだろう。

 そびえ立つ雨雲を見てそう思ったのは、ついこの前。

 その思いがこんなにも早く叶うなんて……。


「この前の約束、もう少し待っていて下さいね」

 名本さんの脈絡のない言葉に、一瞬何のことかわからなかった。

 ……名本さんとの約束。

 考えて思い出した。名本さんとの噂が立った時。自習をサボって、芝生の上で約束したこと。

「覚えていないと思っていた」

 そう思い込んで、頭の隅にそのことを追いやっていた。

「覚えていないはずが、ありませんよぉ。楽しみにしていて下さい」

「わかった。楽しみにしている」

 自信ありげな名本さんの言葉に、たちまち関心がそっちに移る。


 お釣りが来るほどの出来映え。

 彼女自身がそう評価した絵。

 どんな絵なんだろう。


「すみませんが…」

 がらりと変わった名本さんの口調に、意識が引っ張られる。

「他の人には、転校のことは内緒にしておいて下さい。お願いします」

 今まで聞いたことのない真剣な言い方に、オレは拒否できなかった。




 荷物を片づける名本さんを残して、A組のクラスに戻ってきた。

 さっきまでの名本さんとの会話が胸中でとぐろを巻く。ぐるぐると。


 ――名本さんが、引っ越す。


 授業が始まってもそのことが頭から離れなくて、内容が頭の中に入ってこない。

 板書している教師の目を盗んで、左の方に目を向ける。午前中までぽっかりと空いた席。今は名本さんが座って、真剣に授業を受けているようだ。


『どうして?』

 難詰なんきつするような訊き方をした。

『家の都合です』

 平然と答えた名本さんは、転校することを受け入れているのか、のほほんとしていた。

 家の都合――そう言われてしまったら、何も言えなくなる。

 仕方がない。

 頭では理解しても、やり切れない思いがしこりのように胸の奥に居座る。

 親から引っ越しの話を聞かされた時、名本さんは少しでも反対したのだろうか。

 転校することに淋しいと感じたんだろうか。

『偶然再会して。お互い独り同士だったら、貰ってあげますね』

 名本さんの転校に動揺していたオレに、彼女は無邪気に言ってきた。

 今は、その屈託のなさがうらめしい。


 ――何で、このタイミング? マイペースにもほどがある。

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