第12話 葛 藤

午後7時を過ぎて真っ赤な太陽が地平線に沈むと、朱から群青色までの見事なグラデーションが刻一刻と変化していく様に、プールサイドで食事やお酒を楽しんでいる人たちは、うっとりと眺めている。


健作たちは、たそがれていく東シナ海をバックに、プールサイドのオープンカフェのステージで演奏していた。10人程のビッグバンドで、健作と修以外はみなプロのミュージシャンだった。

The Shadow of your Smile・・・健作のむせび泣くようなソプラノサックスは、迫りくる夕闇に溶け込んでいくように、優しく響いている。

小一時間ほど演奏して、今日の最終ステージが終わると、バンドのメンバーは楽屋に引き上げた。健作と修が楽屋に入っていくと、典子と智子は中村先生、渡邊先生とテーブルを囲んで話し込んでいた。


「やぁ、健作君、修君、お疲れ様でしたね。」

中村先生が立ち上がって右手を差し出すと、健作も右手を出して握手をした。

渡邊先生も並んで立ちあがった。

「健作君のThe Shadow of your Smile は素晴らしかったね。

かげりゆく夕焼けにぴったりで、まさにこの時のために作られた曲じゃないか・・・っていう感じだったよ。」

渡邊先生もそういうと健作と握手した。

「中村先生、渡邊先生、ありがとうございます。」

健作はパイプ椅子を引き出して座った。

「あれ、俺の座るとこ無いじゃん!!」

健作の後ろに立っていた修は、壁際に立てかけてあったパイプ椅子を持ってきて、みんなの輪に加わった。


健作は疲れたのか、肩を落として、深々と座るとため息をついた。

「健作さん、お疲れですか?」心配そうに典子が健作の顔を覗き込んだ。

健作は、ちょっと躊躇したようなそぶりを見せてから、話し始めた。

「先生、僕はそんなに悪い演奏しているとは思わないんですが、どうもお客さんの反応がしっくり来ません。」

中村先生と、渡邊先生は、顔を見合わせるとにやりと笑った。

「健作君、」中村先生は、微笑みながら話し始めた。

「君の言わんとするところは、よくわかるよ。

今まで君が相手してきたお客さんは、君たちが奏でる『音楽』を聴きにきてくれていた。

でも、今日のお客さんはそうなのかな?

君たちの演奏は、この素晴らしい夕焼けと、おいしい料理、おいしいお酒を楽しみに来た人たちの雰囲気を盛り上げるものだ。

あっても無くても多くの人たちは気がつかない。

でもあるのと無いのとでは大違い・・・そんな存在なんだよ。」

修はちょっとおどけたように言った。

「それじゃぁ、俺たちは刺身のツマみたいなものですね!」

健作はちょっと険しい表情で修を見やると、また先生たちの方に向かい合った。

「俺、最近自分の『夢』についてよく考えるんです。」

健作は深呼吸すると、どこか遠くを眺めるように目線を上げた。

「音楽には国境がありません。また、人種も関係なければ、金持ちも、貧乏人も関係ない。みんな等しく平等に楽しめるものです。そんな素晴らしい音楽を通して、一人でも多くの人に感動と生きる喜びを感じてもらいたい。

音楽を愛する心に争いはありません。感動と生きる喜びを感じてもらうことによって、争いの無い、平和な世の中にすることができるんじゃないでしょうか。」

しばらくみんなは驚いたように健作の顔を見つめていたが、やがて渡邊先生が口を開いた。

「参ったな、今日は健作君に教えられてしまった。われわれプロは、演奏してなんぼだ。ギャラを払ってくれる人のリクエストに答えればいい。

どうも大切なことを一つ忘れていたようだ。」

「あっ、生意気なことを言って失礼しました。そろそろ帰りましょうか。」


荷物をまとめて楽屋を出ると、皆で典子の父親が経営しているダイビングショップのワゴン車に乗り込んだ。ワゴン車の側面には大きなイルカのイラストと『Blue Dolphin Diving Club』とロゴが入っている。

「渡邊先生と私も、今日から一週間お邪魔させてもらうよ。」

と言いながら、渡邊先生と中村先生も乗り込んできた。


典子が運転してホテルの駐車場を出ると、一路宜野湾の宿にしている外人住宅へと向かった。

健作は、深々とシートに身を沈めると押し黙ったまま目をつぶっている。カーラジオからは三線の音に合わせたウチナー口の琉球民謡が流れていた。


途中のスーパーでオリオンビール、泡盛、惣菜を買い揃えて帰宅した。

リビングの真ん中に置かれた四角いテーブルを囲むように絨毯の上に座ると、男性陣がシャワーを浴びている間に、典子と智子がキッチンで簡単な料理を作って、リビングのテーブルに綺麗に沖縄料理を並べた皿を置いていく。


全員が揃うと、オリオンビールのプルトップを開けて乾杯した。

「ハナハナハナハナ~!」

テーブルの上には、海ブドウ、ミミガー、ジーマーミー豆腐、スーチカー、ヒラヤーチーが並んでいる。

「ノリちゃん、さっきガスレンジで焙ってたけど、これ何?」

智子は箸をのばして、皿の上の肉を取り上げると、恐る恐る口に運んだ。

「え~、これ美味しい!」

「トモちゃん、それはスーチカーね。豚肉の塩漬けよ。

『スーチカー』の『スー』はお塩のこと。『チカー』は漬けるって言う意味かな。

豚ばら肉のブロックを島マース・・・沖縄で取れたミネラルタップのお塩に漬け込んで作るの。

ソーキソバにのせたり、チャンプルーに入れたり、このように焙って食べるのよ。泡盛と相性は抜群!」


「どれどれ、私もいただいてみましょう。」

渡邊先生も手を伸ばして一切れ口に運んだ。

「おー、これはこれは! 豚肉の旨味が口の中から溢れそうだ。沖縄料理は、奥が深いねぇ。」

修はヒラヤーチーを手で一切れ取ると口に運んだ。

「えっ、なんだこれ、ピザかと思ったらお好み焼きみたいな味だね。これもなかなかいけるよ!」

「『ヒラ』は平らなという意味で、『ヤーチー』は焼いたっていうことです。

沖縄風お好み焼きって感じかな。食事っていうよりも、おやつで食べたりします。」

渡邊先生と中村先生を囲んで話は盛り上がっていったが、健作は心ここにあらず・・・という感じで、話にはほとんど相づちをうつくらいだった。


「典子さん、あそこにおいてあるのはサンシンですか?」

中村先生は、立ち上がるとサイドボードの上においてあった布の包みを取り上げた。

「はい、私のサンシンです。」

「ほー、何か弾いていただけないかな?」

中村先生は、サンシンの包みを典子に渡した。

典子はサンシンを布の袋から出すと、調子を合わせた。

「それじゃあ、安里屋ユンタでもいきましょうか。」


典子がサンシンを奏で始めると、今までうつむいていた健作は突然顔をあげて、典子のサンシンを食い入るように見つめている。

典子が歌い終わると、健作は突然立ち上がった。

「これだっ!」


みんなは唖然として、健作の顔を見上げた。


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