第5話 にんじん
健作が時間通り本館のロビーに行くと、そこには典子と智子がすでに待っていた。
「健作先輩、こんにちは。」
典子が微笑みながら手を上げると、健作は楽器のケースを足元に置いた。
「こんにちは、典子さん、智子さん。修のやつどうしたんだろう。電話してみようか。」
健作がポケットからスマホを取り出すと、そこに黄色と青の変なジャケットを着た修が、息を切らせてやってきた。
「やー、悪い悪い。一度下宿に戻って着替えてきたら遅くなっちゃった。どう、このジャケット!? 今日のために買ったんだ。」
と言うと、くるっと一回りした。
典子と、智子は顔を見合わせると、笑いを堪えた。
健作は典子、智子と顔を見合わせると、
「修、おまえ本気でそんな奇妙な格好していくのか?」
「えっ? これかっこいいだろう。俺気に入ってるんだ。」
「そりゃぁ、着る人が着れば格好良いかもしれないけど・・・ まあいいや、行こうぜ!」
4人は連れ立って、駅へと向かって歩きだした。
「典子さん、智子さん、修と相談したんだけど、俺たちがたまに行ってる生演奏でジャズの聴けるお店に行こうかと思うんだ。出てくる料理は無国籍!!」
と健作が説明すると、
「マスターもなかなか気さくで楽しいお店だよ。」
と修が引き継いだ。
「へー、じゃあ今日もジャスが聞けるんですね。楽しそう。」
と智子は目を輝かせた。
典子は健作が持っている楽器ケースを見ると、健作の顔を覗き込んだ。
健作は、典子に見つめられると、なぜか生まれて初めてソロをやった時のようにあがって、心臓がドキドキ脈打つのを感じた。
「先輩、その茶色のキャンバスのカバーの付いた大きなものは楽器ケースですよね。今日も演奏するんですか?」
「あ、いや、今日は演奏はしないよ。この楽器はね、ちょっと古い楽器なんだけどセルマーのマーク6といって、僕の宝物!
このケースはアルトサックスとフルートが一緒に入るように特注で作ったケースなんだよ。ケースの外張りの黒いレザーはやんぴ。ケースに傷がつくのがいやなのと、楽譜をしまえるようにとポケット付きの帆布のケースカバーをつけてるんだ。
フルートはムラマツのハンドメイドモデルで、このケースと中身で安い車だったら新車が買えるかな。『弘法筆を選ばず』なんていうけど、バイオリンにはストラディバリウスがあるように、音楽の世界ではあまり当てはまらないね。」
典子の隣を歩いていた智子は興味深そうに楽器のケースをのぞき込んだ。
「へ~、そんな凄いものなんだ。ところで『やんぴ』ってなんなんですか?」と智子が聞くと
「あ、『やんぴ』って羊のなめし皮だよ。」と健作は答えた。
「へー、すご~い。先輩って結構凝りやさんなんですね。」
典子は瞳を輝かせながら健作の顔を見つめた。
駅前の商店街の喧騒が静かになり初めて、お店と民家が入り混じったところまで来ると、修が指をさした。
「着いたよ、ここ。」
指さした先には白い漆喰がまぶしいくらいの壁に、分厚い木製のドアがついた飾り気の無い建物があった。ドアの中央上には、木製の看板がぶら下がっている。
近づいてみると、ひらがなで「にんじん」と書かれていた。
健作が重く分厚いドアを開けると、4人は中に入った。中は意外と広く、外とは打って変わって薄暗く落ち着いた雰囲気だ。
「マスター、こんばんは。」
健作と修が挨拶をすると、奥から恰幅のいい青い目で金髪のマスターがでてきた。
「いらっしゃい、健作君、修君。この前のライブは大成功だったみたいじゃないか、おめでとう。見ての通りの仕事で、聴きにいけなくて悪かったね。」
「あ、いやいや玄人のマスターに聞いてもらうなんてレベルじゃないですよ。」
健作は、頭をかきながら笑った。
「いやいやどうして、中々のものさ。私は皆さんのオーケストラ好きだよ。今日は素敵なお嬢様方をお連れなんだね。」
「マスター、ありがとうございます。こちらが智子さん、そして典子さん。同じ大学なんだ。」と修が説明した。
「Very welcome to my restaurant ! Miss Noriko,Miss Tomoko, Please enjoy tonight.」
マスターは、女性人に挨拶すると、小さなステージのかぶりつきのテーブルに案内した。
「典子さん、智子さん、飲み物はどうする?」と修が聞くと
「私はビール。トモちゃんは?」
「私もビール!」
「じゃぁジョッキ4つお願いします。それから料理は・・・」
健作は指を3本出すとマスターにウインクした。
「これでマスターにお任せ!」
マスターはニコニコ笑いながら気をつけをすると
「Roger !」と言って敬礼をすると、厨房に戻っていった。
料理が運ばれてくると、おいしいビールと、おいしい料理で会話が弾んだ。
「面白そうなマスターですね。うちのマスターとは大違い。」
智子がおどけた調子で言うと、三人から笑い声がもれた。
「ここのマスターはアメリカ人なんだ。たまにステージに立ってベースを弾くんだけど、これがまた素晴らしいんだぜ。ところで健作、今日は誰が出るんだっけ?」
「ああ、ジャズピアニストで編曲家の中村先生の率いるバンドが来るはずなんだけど・・・」
健作は、丁度料理を運んできたマスターを捕まえて、聞いた。
「あマスター、今日のライブはまだ始まらないんですか?」
「ああ、悪いなぁ・・・。中村先生は来てるんだけど、他のメンバーが大阪から戻ってくる途中で新幹線が止まっちゃって、缶詰になってるようなんだ。」
「え~、そうなんですか。残念だなぁ。中村先生のピアノ聞きたかったのになぁ。」と健作は肩を落とした。
「そうだ! 健作君、今日は楽器を持って来てるよね。修君用のドラムセットはあるし、どうだい、中村先生のピアノ、健作君のアルトサックス、修君のドラムス、私のベースの促成カルテットっていうのは?」
「いや普段だったらいいですけど、今日は友達連れてきてるからなぁ」と健作が躊躇すると、
「私たちもぜひ聞きたいわ。ねぇノリ!」
「うん、お願いします。」
と智子と典子は声をあげた。
「修、じゃあやるか。」
「おお、ちょっと面白い展開になってきたね。こういう非日常的なハプニングって大好きなんだ、オレ。」
「よし、そうと決まったら、ちょっと裏に行って中村先生と打ち合わせしてこようか。じゃあ、マスターお願いします。」
マスターはにこにこ笑いながら答えた。
「ほっ、ほっ、ほー、これは楽しくなってきましたね。」
健作と修はマスターと連れ立って奥に入っていった。
「ねぇ、ノリ。1回生のときから、健作先輩のこと『カッコイイ』って言ってたけど、いつの間に射止めちゃったの?」
「違うわよ。まだそんなんじゃないんだったら。まともに話したのは、この前のライブの時が初めて。」
「へ~、そうなんだ。それにしては傍から見ると『昔からの恋人同士』って感じに見えるよ。」
典子は、ビールのせいか恥ずかしかったのかわからないくらい顔を赤くしている。
「そういうトモチャンは修さんのこと、どう思ってるの?」
「そうだなぁー、いい人だと思うんだけど、いまのところそれ以上でもそれ以下でもないかな。でもね、一緒にいて肩の凝らない楽しい人だよ。」
話しが弾んでいるうちに、ステージに促成カルテットが登場すると、室内の照明は薄暗くなった。
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