デクステラ大陸物語ー機構弓剣使いと精霊追いの魔導士ー

猫ろがる

—プロローグー

始まりの悪夢 忘れることのない現実



 ——これは夢。

 ——始まりの夢。

 ——繰り返し見る悪夢。

 ——忘れられない、忘れてはいけない現実。



 眼前に広がる光景はあまりにも凄惨で、悲惨だった。

 周りを見渡せば、かつて俺が通っていた騎士学校の仲間は殆どが倒れ伏して息絶えている。

 同時に魔物の死骸も数体あり、騎士学校の鍛錬場は人と魔物の血で染まっていた。

 その中――。唯一、無傷で生き残った〝そこにいる自分〟もまた両方の血で染まっていて。

 左手で細剣を握り右手はまだ息のある友の手を強く握りながら、うわ言のように喋る友の声に耳を傾けていた。

 繰り返し見てきた夢だ。

 なにより当事者だ。

 会話の内容はわざわざ近づかなくても、頭の中にこびりついているが。

 それでも俺は、二人のやり取りを聞こうと傍まで足を進めた。


「リヒト……もう行け。この傷じゃあ俺はもうダメだ……」


 傍らに立てば、友はそこの自分に向けて告げた。

 そんな友の腹部は抉れて肉が見えており、そこから血液が止めどなく溢れ出している。

 ……この傷は、俺を魔物から庇ったが為に出来た傷だ。


「馬鹿が……諦めてんじゃねぇぞ、カリス! 今から俺がお前を背負って街医者なり軍医なりに見せてやるから……だから、死んだりするんじゃねぇぞ。絶対に助けてやるからッ!」


 無理だ。この傷ではまず助からない。この時の俺も、そう理解をしていた筈だ。

 だが、割り切れなかった。俺なんかを庇ったが為に、命尽きかけている大切な親友を見捨てることなんて出来るわけがなかった。

 当然だ。それが人の心だ。でもどうする事も出来ないのもまた事実だった。

 だから気休めにしかならない嘯いた言葉をこの時の俺は親友のカリスに告げたんだ。

 それがただの強がりだってのは、たぶんカリスも察していた。


「この状況だ……分かるだろ? 頼む……行って、他の皆を――。一人でも多く助けてやってくれ……リヒト、お前なら出来るだろ……?」


 だからか、カリスはそう言いながらも微笑んでいた。

 とても死ぬ間際の人間が出来る顔じゃない、悟り切った顔。

 そんな人間の出来過ぎた親友の願いを受けて、ようやくこの時の俺は納得した。

 もう無理なんだと——助けることは出来ないんだと。


「……お前は俺を買いかぶり過ぎだ。俺はお前が思うほど強くはないし、親友一人も助けられない只の……ガキだ」


 そう、この時――俺は自身が如何に無力な存在なのかと、心の底から思い知った。

 思い知って、らしくもなく弱音を吐き出した。


「そんな事ねぇよ……リヒト、お前は……お前なら……」


 だけど、カリスは俺の言葉を強く否定する。

 そして徐々に呼吸が浅くなっていく中、途切れ途切れに言葉を重ねていく姿に強い意志と死期を感じ取ったそこの自分と俺は、親友の最後の言葉を聞き逃すかと耳を傾けた。


「きっと、多くの命を救って……そんで生き延びて……俺達が願う理想…………約束……叶える騎士に…………なれる」


 カリスは精一杯の笑顔を作って最期の一言を言い切ると、全身の力が脱力し、眠るように息絶えた。瞳を覗けば既に光はなく、ただ虚空を映すばかり。


「……」


 何も言わず、そこの自分が目蓋を閉じさせる。

 すると、死んでいるとは思えないくらい親友の表情は穏やかだった。


「カリス、お前は俺に期待しすぎだ……お前は本当に俺が、俺なんかが、あの時交わした約束を叶えられるほどの騎士になれると思ってんのか?」


 俯きながら自嘲気味にそこの自分が呟くが。

 当然、既に事切れた親友から返事が返ってくることはない。

 それでも、そこの自分は続けて言う。


「だけど、例えそんな騎士になれなくても、きっと……いや絶対にお前たちの全てを奪ってった奴だけは、俺が必ずこの手で始末してやるよ。それで……赦してくれるか?」


 返答のない、義憤交じりの問いは只々大気を漂った。

 そして真紅のまなこからは涙が零れ落ちていて、亡き者となった親友の顔を濡らしていた。

 俺はそんな自分の顔を覗き込む。

 そこには大切な誰かを失うという悲しみと苦しみ、それからこれを引き起こした人物に対する怒りと憎悪……自分が弱かったばかりに仲間達を死なせてしまったという後悔と懺悔。驕り。

 およそ、十二歳の子供が知るには早すぎる様々な感情が顔に浮かんでいた。

 そうして暫く、そう多くはない時間、そこの自分は仲間達の死を悼むと涙を拭い去っては顔を振り上げた。

 それから左手に携えた細剣を強く握り込み、ゆっくりと立ち上がる。

 そして、いつまでもこの場にいてもしょうがないと心に思いながら鍛錬場の出入り口へと向かい。子供が開くには重すぎるその鉄扉を両腕で押し開けた。

 途端——。


「————ッ‼」


 熱風が吹き込み、全身を叩いた。

 そこの自分は思わず両腕で顔を覆い、一歩後退る。

 だが、負けじと再び一歩を踏み出してはもう一歩と鍛錬場から進み出た。

 外に出るとより熱さが増したはずだが、徐々に身体がその熱さに慣れたのか――或いは、熱さなど気にも留めないほどに激情に駆られていたかは今となっては覚えてないが――ゆっくりと顔を覆った両腕を外し、その真紅の両眼で前方の全てを映した。


「クソッ‼」


 吐き棄てるように言ったそこの自分は、奥歯を噛み締めては顔を怒りで歪める。

 その眼に映り込んでいるのは、〈オルドル騎士学校〉が炎に包まれ、音をあげながら徐々に崩れていく様子。


「あれじゃあ、もう中にいる奴等は……」


 まず助からないだろう。そう思っていた筈だ。

 周りを見渡せば、炎は校舎だけではなく辺りをそして街にまで火の手が上がっているようだった。

 そこら中で悲鳴の声が聞こえ、街の警鐘も鳴り響いている。

 この時点で、子供の自分ではもうどうする事も出来ない状況なのは理解していた。

 きっと街の騎士団も既に動いており、魔物の討伐に動いている筈。

 今の状況でもっとも最善な選択は、街にある教会まで避難すること。街一番の大きさを誇るあの教会なら多くの人が避難出来るだろう。そして、そこには騎士団もいる。自分も協会に逃げ込むべきだ。

 それが自分が生き残る最善の選択なのは分かっていた。

 しかし、この時の俺はその選択を取らなかった。


 ——何故なら“全てを知っていた”から。


 この魔物の襲撃が街の外からでは無く、“内から発生”した事を――。

 この騎士学校を焼いたのは、一頭の“黒竜”から放たれた炎である事を――。

 そしてその黒竜を魔物をこの騎士学校に“召喚した一人の人間”を――。


 だからこそ逃げるわけにはいかなかった。

 殺された仲間達の為にも、事件の首謀者を知っている俺が仇を取ってやらないと。あまりにも、報われない。


 俺はそこにいる自分の眼を見た。

 その真紅の眼に宿る強い意志は憎悪と怒り。


 ——許さねぇ、絶対に許さねぇ。殺してやる、殺してやる。


 子供ながらの直接的な感情は激しく燃え上り、このとき初めて自分の心に“復讐心”が芽生えた。

 そう、全てはここから始まった。

 今の自分の原点。そして存在理由。

 忘れられない、決して忘れてはいけない過去。


「フィリオ、エレナ、お前たちは生きててくれよ……」


 そこの自分が、今じゃ懐かしいカリスと同等に大切な〝二人の親友の名前〟を言った。

 思わず心が締め上げられた俺は、胸に手を当て視線を地面に落とす。

 その言葉は、気持ちは、八年経った今も自身の胸の内にある。そのことを今一度、思い起こされてしまった。


 俺は顔を上げ、もう一度そこの自分を見る。

 覚悟を決めた顔をしては地面を強く蹴り、まだ生きているであろう二人の親友を探しに駆け出した。

 背中が遠ざかっていく。

 同時に自身の見ている空間が徐々に白み始めた。それは靄のように広がっては俺を包み込み、あっという間に周辺を白く染め上げる。

 これは夢の終わりを告げていた。


「……今日の悪夢はここまでか」


 俺は安堵の息を漏らしては呟いた。

 ここから先の方が正直色々と辛い。

 何回も繰り返し観てきたが、慣れるものでもない。さっさと夢から醒めちまおう。


 そう思うと、俺は夢の中でゆっくりと眼を閉じた。

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