—第一章 行き倒れの天才魔導士—
1-1「目覚め」
一定の間隔で地面を打ち鳴らす小気味の良い音と、ガラガラと地面を転がる車輪の音が脳裏に響く。
同時に自分の身体が細かく揺れている事に気付き、俺はゆっくりと目を覚ました。
「あぁ、そういえば馬車の中だったな……」
気怠げに呟くと、上半身を起こし辺りを見回す。
馬車の中には俺以外に、酒樽や果物の入った木箱などの食糧品や衣服類、チョイとお高そうな装飾品など実に様々な物が置かれていた。
そんな俺の気配に気付いたのか――。
「お、あんちゃんお目覚めかい?」
と、手綱を持ったおっちゃんが笑顔で声を掛けてきた。
このおっちゃんは商人で、この馬車と荷物の所有者だ。
「なんか随分と
マジか、魘されてたのかよ。
言葉にすることなく俺は額に手を当て、溜息をついた。
やっぱり見慣れた悪夢とは言え、精神的には慣れるものでもないらしい。
「あぁ、大丈夫だ。ただ夢の中で豪華な食事と高級な酒をたらふく頂いた上、美女に囲まれるという
本当の事を喋る必要はないしな、ここは適当な事を言って誤魔化す。
そもそも俺は下戸過ぎて酒は一滴も飲めない。
「ハハッ! そいつは随分と羨ましい夢じゃねぇか! でもまぁ、あんちゃんイイ顔してるし若い女には良くモテるだろ?」
「残念ながら今日まで女がいた事もなければ、それらしい経験もしたことねぇよ」
苦笑気味に俺は言った。
実際問題、つい先日まで山に篭ってたため女がいた事はない。
世話になってた山村に近い歳の女はいたが、一日の時間の殆どを剣の修業やら狩りに費やしていた為、そういった経験は無い。
「おいおい、マジか? あんちゃん歳はいくつよ?」
「二十になったばっかだよ」
「その歳で経験無しって、あんちゃんもしかして……これか?」
おっちゃんは自身の手の甲を頬に当てた。
俺は思わず吹き出す。
「違うからな! 俺は普通に女が好きだ!」
自分の反応が面白かったのか、片手で腹を抑えながら「冗談だよ冗談!」と苦しそうにおっちゃんは笑う。
これだから商人って奴は……。
「しかしあんちゃんなら、そこらの女に声掛けりゃ一発で落とせそうだけどな?」
「もう冗談はいいって」
「いやいや、冗談抜きで! 俺が女ならあんちゃんを放っとかないぜ!」
俺は放っといて欲しいけどな。
それにかなり失礼な事を言うならば、おっちゃんが女だとすれば身の毛がよだつ。
しかし、俺がそんな事を思っているとはつゆ知らず、おっちゃんは笑顔で喋り続ける。
「その銀髪に切れ長の目、そして深紅の瞳。あんちゃんみたいなのはこの辺じゃあ見ないからな、街に行ったら女の視線があんちゃんに集中するのは間違いないぜ!」
「それは大袈裟に言い過ぎだろ、流石に照れる」
自身の外見を気にしたことはないが、流石にここまで言われると身体がむず痒い。
しかしだ。商人の言うことをまともに捉えない方がいい。商人とは大抵口が上手く、相手を口車に乗せては商品を買わせるのが主な仕事だ。
まぁ、このおっちゃんの場合——。
そんなつもりで言ってるわけじゃ無いのは俺も分かっている。
ここまで俺を絶賛するのは、大方あれが原因だろう。
「それにあんちゃんのあの剣技、魔物を一瞬でズバズバっと斬り伏せる強さもありゃあ、女じゃなくとも惚れちまうんじゃないか?」
「それも大袈裟だ。あれぐらいの魔物ならその辺の騎士でも倒せるだろ?」
「いやいや、その辺の雑魚騎士じゃあせいぜい数人掛かりで追っ払う程度だろうよ。それをあんちゃんはたった一人で八匹もいた糞犬どもを逃がす事なく斬り伏せたんだ。本当、いくら感謝してもしたりないよ! あんちゃんが通りがかってなけりゃ、今頃俺はもう魔物に食い散らかされてたさ!」
その時を思い出したのか、おっちゃんは興奮気味に事の状況を語った。
つまり大方の原因とはまさにこの事だった。
命の恩人である俺を高く評価してくれてるわけだ。
「そりゃどうも、顔だとか女だとかより、剣技を褒められるのは素直に嬉しいよ」
しかしまぁ、八年も山に篭って——いや、軟禁に近いか?——毎日修行してきたんだ。
あの程度の魔物、今となっては苦にもならない。
「まぁ、ともかくだ! おかげで命と大事な商品が無傷で助かった! 馬が一頭やられたのは手痛いが、それもあんちゃんの馬で何とか馬車を引ける! 本当、感謝の極みだよ! だから後は責任持って〈首都イデアルタ〉まで送り届けてやるからな!」
どんどん興奮して熱くなるおっちゃん。
このまま行くと面倒臭くなりそうだったので俺は「分かった、分かったから。じゃあその感謝ついでにそこにある果物一つ貰っていいか?」と適当に話を逸らした。
「あぁ、もちろん! 一つとは言わず好きなだけ食ってくれて構わないぜ!」
おっちゃん、それは流石に気前が良すぎるだろ。
まぁ、でもここはお言葉に甘えておこう。
俺は木箱に入った青い果物を一つ手に取ると、そのままかぶりついた。
——っ⁉︎
シャリッと歯切れの良い音と共に溢れ出す果汁はとても甘く、喉の渇きを癒した。
喉を通ったあとは
「どうだ、俺の見繕った林檎は? 中々な物だろう?」
御者台から此方を肩越しに覗き込み、自信満々でおっちゃんが言ってきた。
「あぁ、おっちゃん見る目があるよ。これはすぐに売れると思うぜ」
俺がそう返してやると、嬉しそうに「そうだろ、そうだろう!」と何度も頷いた。
全く、調子の良いおっちゃんだ。
まぁ、首都までにはまだあと一日は掛かる。それまで暇せずに、馬車による旅が楽しめるのなら俺も満足だ。
それに長らく山に篭ってたせいで外の世界の情報が乏しい。
あれからの八年。何があったのか、俺は知らなければならない。
あのクソ爺——師匠は最低限の情報しか教えやしないからな。
この国、〈イデアルタ共和国〉についての情報は殆ど知らないに等しい。“帝国から共和国”に変わっていたのもつい先日知ったばかりだ。
そもそも篭ってた山村自体が地図には載らない村で、国もその存在を認知していない程の辺境なせいか全く情報が入ってこない。
それどころか国に統治すらされていないのが、まず大問題なんだが――。
まぁ、どっちにしろ俺はこの国の現在については殆ど無知に近い。
なら何処かで一度、情報を得る必要がある。
何処で? 勿論、このおっちゃんから怪しまれないように聞き出す。
流石に自分の住む国について知らなさ過ぎるのはおかしいからな。
適当に会話をしながら時節、情報を得ていく作戦で行こう。
本格的に情報を得るのは首都に着いてからでも良いしな。
俺は頭の中でそう整理をつけると、また横になった。
とりあえず、今は眠れるうちに眠っておこう。
村を出てから数日間、ずっと野宿だったからろくに眠れていない。
というか、魔物が俺を寝かせてくれない。
人が熟睡しようとすれば、すぐに奴らは寝込みを襲ってきやがる。それも毎日毎晩。はた迷惑な奴らだ。
まぁ分かっていた事だが、一人旅と言うのはなかなかに疲れる。
だからこんな風に誰かが近くにいると言う事は、本当に気を抜いて安らぐ事が出来る。
「まぁ、これがおっちゃんじゃなくて、美女ならさらに良かったんだけどな」
「ん? あんちゃん、いま呼んだか?」
「いや、呼んでねぇよ」
そんな他愛ないやり取りのあと、今度は良い夢を見れるようにと願いながら俺は再び眠りについた。
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