1ー3「ミルファスト」
もうすでにサラは馬車の中でくつろいでおり、足を伸ばして何やら自身の荷物をゴソゴソと漁っていた。
ひと悶着あったというのに切り替えの早い女だ。
まぁ、それはいいとして。早速一つ問題があった。
サラと名乗った女の座っている場所だ。
そこは丁度。わざわざ俺が、長い馬車旅をゆっくりと快適に過ごす為にと荷物の位置を調整してまでこしらえた憩いの場所だ。
荷と荷の間に身体がすっぽりと嵌り、左右に身体を揺らすことなく眠ることが出来るお気に入りの場所だ。
そこに女王の如く我が物顔でサラが鎮座している。非常に由々しき自体だ。
「そこ、俺の場所なんだが?」
たぶん無駄な気もするが、俺は場所の所有権の主張を試みた。
「……そう」
そう、って。駄目だ、まるで人の話を聞いてないこの女。
それどころか、荷物からやたら古めかしい本を取り出しては読み始めやがる。
「はぁ……分かった。もういいよ、そこは譲った」
意地でも退く気が無さそうだと悟ると俺はため息を漏らし、早々に諦めては適当な場所に腰をかけた。
程なくして――おっちゃんの「じゃあ出発しますぜ!」という掛け声が上がると、馬車が動き出す。
憩いの場所と違い。
左右にもたれる場所がないため馬車がガタガタと揺れるたび、自分もまた左右に身体が揺れる。足を伸ばすことも出来ないので非常に窮屈だ。おまけに眠気も消え失せたいま、惰眠もとれやしない。
完全に自身の活力と暇を持て余した俺は、何かやれる事はないかと模索をするがそれすら見つからない。
――こういう時は日課の剣術練習か肉体鍛錬でもするのが一番だが、狭い馬車の中でやる事ではないしな。
と、考えたところで気無しにチラリとサラに視線を向けてみた。
「…………」
こちらの視線に気付くこともなく―—あるいは気付いているのかもしれないが——本を読み耽っている。
俺は静かにその様を眺めた。
サラが一頁一頁読み進めるたび微かに聞こえる紙の擦れる音が何やら心地いい。
にしても――。
「揺れる馬車でよく読めるな?」
単純に気になった俺は感心の意味も込めてサラに言った。
「…………」
しかし返答はない。
「どんな内容なんだその本?」
「…………」
声は聞こえてるはずだが反応はない。つまり、無視をされているわけだ。
会話をする意思がないのなら、これ以上は話かけない方がいいだろう。
色々と面倒な事になる―—と、頭では分かっているのに俺は懲りずに会話を試みた。
「てか、そんな深いフード被ってたら読みづらくないか?」
これはもはや性格だ。ガキの頃から、気になることがあるとついつい相手のことを考えずにずけずけと言葉に出してしまう。悪い性格だ。
だが、反応はすぐに来た。
「………さい」
声が小さくなんて言ったか聞き取れなかった俺は「ん?」と訊き返す。
するとサラは読んでいた本をぱたりと閉じると此方を向いて、こう言った。
「うるさいって言ったの。私これでも忙しいの。あんたの相手をしてる暇ないの。邪魔しないでくれる?」
感情無く淡々とした口調で言葉を並べるサラ。
その物言いから明らかになるべく短い言葉で会話を終わらせようとする拒絶の意志が伝わってくる。
ここで俺も何故か意地になり――。
「忙しいって本読んでるだけだろ。それに俺が暇してるのはお前がその場所を占拠してるせいでもあるからな?」
なんてついつい言ってしまった。
こうなると先の展開は粗方読める。
「じゃあ逆に言わせてもらうけど、あんたはここで何をするつもりだったの?」
声を低く落とし、サラが訊ねてくる。
「なにって……ちょっと昼寝でもしようかと」
自分で答えてて、それだけかと馬鹿らしく思う。しかしそれしかないのだから他に答えようがない。
「昼寝って……噓でももうちょっとましな理由を言いなさいよ」
ぐうの音も出ない。
「そんな理由なら悪いけどこの場所は私が使わせてもらうわよ」
「……あぁ、もうそれでいいよ」
これ以上の口論は火に油を注ぐだけだと俺は判断すると、自身の負けを認めた。
まぁ、
でも最後に。
「ただその本、どんな内容かぐらいは教えてくれよ」
せめてものと言わんばかりに俺は聞いてみた。
そんなに熱心に読み込む本なら、きっと面白いのだろう。どんな話なのか気になる。
「別にいいけど……ただ内容を教える前に自分で読んでみた方が、色々と理解すると思う」
返ってきた言葉は意外だった。
てっきり断られるものだと思っていたが、案外あっさりとそう言っては手に持っている古めかしい本を俺に手渡してきた。
「どういう意味だよ?」
「いいから読んでみなさい」
疑問に思いつつも促されるままに俺はその本を受け取った。
まずはその古びた飾り気のない表紙を開いてみる。
————ッ⁉
俺はすぐに驚愕し、そしてサラの言葉の意味も理解した。
「お前、これ……」
俺は呟きつつ、頁をパラパラと開いていく。
その際、文字に目を通しているが殆ど流し読みだ。いや、はっきり言って読んでもいない。と言うより読めない。
そう、俺はこの本に書かれている文字を全く読むことが出来なかった。
だからと言って俺が読み書きの出来ない馬鹿ということじゃない。
この本に書かれている文字はこの大陸全土で使われているデクステラ文字とは様式から全く異なっていた。
見た感じ縦線や横線、斜め線や円、楕円などがくっついて形作られているみたいだ。
そのせいか文字一つ一つが冷たく無機質な印象を受けた。
曲線と点で形作られた何処か温かみのあるデクステラ文字とは全く似ても似つかわない――まぁ、単純に慣れ親しんでいるだけかもしれないが。
ともかく、読めないことが分かった俺は早々に本を閉じると、何も言わずサラに返した。
「どう、理解した?」
フードから僅かに見えるサラの口元が一瞬ニヤッとしたのを俺は見逃さなかった。
こいつ、俺が思った通りの反応をして笑ってやがるな。
「まぁ、俺がこの本に書かれてる文字を読むことが出来ないことは分かったよ」
少々、ふてくされながら俺は言ってやる。
「それだけじゃないでしょ? 私が忙しいのと邪魔してほしくない理由がわかったんじゃない? さらに言うなら学者である証明にもなったと思うんだけど?」
またしても正論でぐうの音も出ない。
俺は改めて思った。暇を持て余したからといって、ちょっかいを出すべきではなかっと。この女は一を言ったら十で返してくる奴だと。完全に自業自得だが面倒なことになったと後悔した。
さらに面倒になる前に謝っておいたほうがよさそうだ。
「そうだなお前が言ってることは正しいよ、学者ってことも信じる。俺が悪かった」
「分かればいいのよ、分かれば」
しかしサラは至って淡々としている。
この上からの態度、流石にもう慣れたな。
そんなことよりも――。
「そんで、なんだよその文字はそんなの見たことねぇぞ」
俺はこの謎の文字に興味が湧いていた。
サラは口元に手を当て少し思案した後―—「ま、いっか」と一言呟いた。
どうやら教えてくれるらしい。
「見たことなくて当然ね。この文字はおよそ千年程前ぐらいの時代まで使われてた旧文明文字よ」
千年前って……いきなり話がでかくなったな。
でもそうなるとだ。
「ってことは、つまり‟ミルファスト時代”の文字っつうことか」
俺が何気なくそう言ったところで、何故かサラはこっちを向いたまま何も言わない。
「なんだよ?」
「まさかあんたからその言葉が出てくるとわね。ちょっと驚いた」
完全に馬鹿にされてるな。
「ミルファスト時代―—‟全てのヒトの始まりの時代”。我ら人間、
「へぇ、意外。まともな知識を持ち合わせてるのねあんたにも」
こいつは俺を何だと思ってるんだ。
「でもそれなら話は早いわ。もうこの本に書かれてる内容、大体察しが付くんじゃない?」
「もしかしてミルファスト時代について書かれてるのか、その本?」
サラはこくりと頷いた。
「そういうこと。内容としては主にあなたが先程述べた四種族による大陸の覇権を賭けた戦争ね。まだ全部を読み解いたわけじゃないから推測でしかないけど、戦争が始まった事の発端と、どの様に収束し、どこの種族が覇権を握ったかが記されてるみたい」
それを聞いて俺は開いた口が塞がらなかった。
さっき俺が言ったようにミルファスト時代についての文献は少なく、その大体は伝承や御伽話だ。
しかしこの女の持つ本には、その時代の戦争―—つまりは歴史について記されているわけだ。しかも種族間による戦争。もしかしなくとも凄い発見じゃないのか?
なのにこいつは只々淡々としていて、逆に呆然としている俺を見て―—「なに、呆然として?」なんて言ってきやがる。
「おまえ、それってかなり貴重な書物で凄い発見をしてんじゃないのか?」
「そう? 貴重な書物ではあるけど、内容は正直分かり切っている事ばかりじゃない?」
言われたところで見当もつかない俺は首を傾げた。
「だって戦争で勝ったのは間違いなく私たち人間でしょ? その証拠に大陸中に人間の街が築かれ最も繫栄をしている。今じゃ、妖精人も獣人も全く姿を見かけないし、竜人に至っては絶滅したとも言われているわ」
「確かに、そう言われれば俺も一度も見かけたことはないな」
「でしょ?つまりはそういうこと、読み解かなくても今この大陸の
ここで俺は一つ疑問に思う。
「じゃあ、なんでお前はその本をわざわざ読み解いてるんだ?」
もう既に答えが出ているのにわざわざ難解な文字を読み解こうとする理由が俺は気になった。
「良い質問ね」
何となくだがサラの声色が変わった気がした。
「単純にミルファスト文字の解読力を上げる為と、この本に
そう語るサラの表情は、フード越しからでも機嫌がよさそうに窺える。
「ちなみに、その単語と存在ってのは?」
俺は俺で興味深い話を聞けそうだと、気分が上がってきた。
「それは————」
サラは人差し指を立て、ニヤリと笑う。
「それは?」
もったいぶるサラに俺は訊き返す。
「…………」
しかしすぐに答えは返ってこない。
指を立てたまま固まっており、何か考えているようだ。
その間、返答を待つ俺も何故か固まっている。
幾何か時間が経つと、ようやくサラの口が開いた。
「……教えない」
が、これだ。
「————は?」
思わず俺は真顔になった。
サラもまた、冷ややかな雰囲気に戻っている。
「よくよく考えたら、あんたにそこまで教える必要がないもの」
「いやいや、教えろよ! 気になるだろ⁉」
「絶対に嫌。それに私としてはあなたに対して自身の正しさを証明出来たからそれで満足なの。はい、もうこの話は終わり」
この女、言いたいことだけ言って一方的に話を切りやがった。
もう怒りを通り越して只々呆れた。
サラも先程の古書を開いては解読作業に戻っており、明らかに話し掛けるなという雰囲気を再び醸し出している。
「はいはい分かったよ。もう邪魔しないし、俺は大人しくこのまま寝る」
どうしたってこれ以上——この女は口を開く事はないなと思うと、流石の俺もあれこれ言おうとは思わなかった。
そして――。
まぁ、少しは暇もつぶせたかな。
窮屈な体勢のまま内心で呟くと俺は目を閉じた。
だけど当然、眠れる訳もなく。
結局その後、俺は窮屈に膝を抱えながら日が傾くまで、後ろに過ぎていく景色をただ眺めていた。
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