欲の世界
A子
一話
その男には欲がない。
だから、最低限の食料しか育てない。
第一たくさんあっても管理が大変だし、売ろうという気すらおきない。
それを食べることにさえ欲がなく、一日に三回も食卓には向かえない。
朝と昼は一緒にして、夜少し多めに食べていればそれでいい。
毎日同じ献立でも嫌じゃない。
それでも十分に生きていける。
一人で暮らしているから、荷物は布団、調理器具、洗い替えの服と手ぬぐいが数枚。
あとは畑仕事のためのオノとクワだけだ。
朝は少し遅めの十時に起きる。
適当に腹を膨らませ、十一時に家を出て畑で仕事をし、夕暮れ前に家に帰る。
途中、寄り道などしないし人付き合いもない。
町へ出る日など一年を通してほとんどない。
欲とは無縁の生活である。
そんなある日の夕暮れ前、男の体調はあまり芳しくなく、いつもより足が前に進まなかった。
畑と家のちょうど真ん中にある池の前の切り株に腰を下ろし、少し休憩をすることにした。
ぼんやりと、空と遠くに見える町を眺める。
毎日同じことの繰り返し、友達もいなければ、愛する人もいない。
欲が出ないこの性格に、いい加減嫌気が差してきた・・・・。
暫く切り株に座ったままでいた。
辺りが暗くなり、流石にお腹はぺこぺこだし、灯りも持っていないので帰ろうと立ち上がる。
手を伸ばし、横においていた仕事道具のオノを取ろうとした時、まるでカエルが巻き付いているかのような感触が男を襲った。
その気味の悪い感触に、思わず男はオノを池に放り投げてしまった。
「あゝ、ビックリした。まったく気味が悪い。驚いた・・・・」
その瞬間、太陽が突如現れたかのように目の前が明るくなり、男はまた驚いて今度は切り株で頭を打った。
「あゝ、イタイ、なんだなんだ。一体どうしたってんだ・・・・」
見たことも感じたこともない眩しさと切り株で頭を打ったのとで、瞼が開くのに少し時間がかかる。
「このオノはあなたのオノですか・・・・?」
「それとも、こちらがあなたのオノですか・・・・?」
(なんだ、誰かいるのか?)
やっと男の目が光に慣れ、声が聞こえてきた方を見た。
「あんた、何者だい・・・・?」
その光の中にいたのは、それはもうとても美しい女性だった。
手には何の変哲もない私のオノと、金色に輝くオノを持っていた。
「このオノはあなたのオノですか・・・・?」
「それとも、こちらがあなたのオノですか・・・・?」
男は答えた。
「オノなんかどっちでもいい。オノがあったら俺はまた畑仕事をしなけりゃならんし、その為にも飯も食わにゃならん。もうそんな暮らしは懲り懲りだ。欲がない性格だと思っていたがようやく分かった。俺には、一つだけ欲があったらしい。そのオノで、俺を殺してくれ。」
光のなかで輝く女性は戸惑いの表情を見せた。
そんな願いを受けたのは初めてだ。
いつもいつも男たちにオノはどっちだと聞く毎日。
そんな日々に、飽き飽きしていた。
そして気づく。
私も、この男と同じ欲を持っている。女は感謝した。
男は気づかせてくれたのだ。私の欲を。
そして、女は満たされたような笑顔で、オノを振り下ろした。
欲の世界 A子 @usacord28
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