廊下の光。

 出席番号2番 綾瀬みう

 出席番号18番 天童あかり


 ◆◆◆


 駆け込んだトイレを安堵と共に後にした私は、少し校舎を散策してみたい気分になった。早く登校したのはテスト勉強のためだけど、そこまで勉強に慣れ親しんでいない私的にはもう気分転換したいタイミングだった。

 一階に降りて玄関前を通り抜ける。やっぱりまだ登校してくる生徒はまばらで、自分が本当に早く学校にやってきたことを実感する。時間がずれるだけで、校舎の風景も雰囲気も、こんなに変わるものなんだなと、特別な気分はまだまだ私を包み続ける。

 体育館の方から、活気のある音が聞こえてきた。運動部が朝練をしているらしい。冬海だけではなく、日常的にこんな時間から学校に通っている生徒がいることに思いを馳せる。同じ高校生。私にもできるはずだけど……自分がそうしている姿は想像もできなかった。すみません、ダメな子で。

 私の足は、自然と体育館へと向かっていた。眩しくて透明な光が支配する、長い廊下を歩いて行く。窓のそばを通るたびに私は照射され、体がキレイになる機械の中をベルトコンベアで流れていくみたいだな、と思う。

 後ろから聞き慣れた声に呼び止められる。振り返ると、天童あかりがいた。


「みう……。」

「ストップ。その先は言わなくてよい。」

「なんでもういるの?」

「言わないでって言ったのに!」


 本日三回目の質問に、もう私の精神ポイントはゼロです! 深い深ーいため息をつきながら改めて天童を見ると、すでに道着姿に着替えていて、これからまさに朝練という出で立ちだった。


「聞くまでもないけど朝練ですか。」

「うん。今日はちょっと遅刻だけどね。」

「朝練って……毎日やってるの?」

「さすがにそこまでじゃないよー! 週二日だけ、そして自由参加。」


 自由参加という響きが私を責める。きっと私なら来れないだろう。強制と自由、その響きで体の反応はだいぶ変わるものです。ああ、ストイックになりたい。なってみたい。


「ところでみうどうしたの? 今日何かあった?」

「ええっと……。日本史の小テスト、全然勉強してなかったからさ。

 ちょっとやろうかなって……。」

「そっか。一夜漬けどころか当日朝まで引っ張るところがみうっぽい。」

「褒められてないよね多分!」


 あはは、と天童は笑う。トレードマークのポニーテールが、揺れる。


「で、テスト勉強中のみうさんは、なんでこんなところにいるの?」

「え……。気分転換。」

「さすが。もう飽きた?」

「私ってそんなに勉強できないキャラで定着してるのか……。」

「慣れないことはするもんじゃないよー!」

「天童笑いすぎだしー!」


 天童はついに腹を抱えて笑いだした。ポニーテールは、思わず掴みたくなるほど、生きているみたいに揺れている。私は悲しいやら、だんだんおかしくなってきたやらで、結局一緒に笑っていた。本当に天童の言うとおり。まったく私らしくない。


「どうして突然、勉強しなきゃなんて思ったの?」

「なんだか仏様に悪い気がしたんだよ。」

「謎。ちょっとやめて、本気で腹筋崩壊しそうなんですけど!」


 ほとんど誰もいない冬の朝の廊下に、私たちの笑い声がこだましていく。そして、透き通って消えていく。吸い込んだ空気が、鼻腔をスンと冷やすのがなんだか心地良い。

 散々笑って呼吸を乱しながら、天童は本来の目的をやっと思い出したようだ。


「ごめん、そろそろ行くわ仏様。」

「やめて何のご利益もないよ!」

「いやいや、朝からハッピーになったし十分じゃない?」

「やだーー、ほんとに今だけにしてねそれ!」

「たぶん美咲には言っちゃうと思う。」

「すごいキレイな瞳で何の悪気もなく呼んできそうだからほんとやめてーー!!」


 おっとりいい子の美咲にまでそんなふうに呼ばれたら、やめてって言えなくなる。残りの学校生活で悟らなきゃいけなくなるので本当に勘弁してください。

 まだ将来のしの字もわからない私に、あまりにも解脱はハードルが高い! こんなに冷える冬の朝に、自ら朝練に来るようなストイックさもなければ、根気強くテスト勉強さえできない私に、とてもじゃないけどできることじゃない。

 何か成し遂げられる気さえしない私が、迷いから抜け出す未来なんて。ありはずがない気がする。


「天童って瞑想とかするの?」

「ゆー、高校生の剣道をどんなだと思ってる?」


 私の突飛な質問にまた笑いを堪えながら、天童は歩きだした。私は自然にその隣についていく。


「冬の剣道の朝練とか、なんか悟ったりしそうって思ったんだけど。」

「なんだそれ。でも……ま、そうだね。なくはないのかもね。」


 天童は、廊下のずっと向こう、体育館の方を真っ直ぐに見つめる。ポニーテールが揺れる。天童の背筋はピンと伸びて、透明な光に照らされた横顔はなんだか神々しくもあった。


「洗われてる気はするよ。八坂風に言えば、穢れが払われる……みたいな。

 ほら、午前中は神様の力も強いらしいし。日本の神様、太陽神だし? 

 これも八坂の受け売りだけど。

 ……この光の中、鍛錬してたら少しは神妙な気分にはなる。」


 冬海と見つめた太陽を、一人で歩いてきた廊下の光を思い起こし、私は納得する。生まれ変わって、清められて。ああ、ここから一日は始まるんだろう。

 冬の夜という名の、圧倒的絶対的な、死を超えて。


「と、ここまで神道のお話でしたが、綾瀬様に於かれましては

 引き続き仏教の勉強に励んで下さい。じゃ、またあとで。」


 天童の背中を見送りながら、私は思う。

 生まれ変わるなら、この怠惰な性質をリセットして下さい。神様仏様!

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