孤高の騎士と悩める少女たち

天ヶ瀬翠

第1話 神様からの神託

 思いもよらない事象に遭遇すると、体や思考が硬直してしまう時がある。それは誰にもあることで、不意に訪れるため容易に回避できない。そもそも何が起きたか理解するのに時間を要してしまう。


 だから突然女風呂に飛ばされて、目の前の女体から目を逸らすことが出来なかったとしても、それは仕方のないことである。


 たとえ、頬を赤く染めて睨まれていたとしても。シャワー片手に背を向けながら涙目になっていても。タオルを体に巻きつけて興味深そうに見つめられていたとしても。

 把握するまでに時間を要するのは、さも当然の事なのだ。


 ふっと息を吐き、彼は緊張を解いた。

 わざとではないのならば、一体何の罪悪を感じなければならないのか。

 そう自己解決し、殺意の渦中に一人立っているカイリ=ロイスウェルは堂々と言い切った。


「悪いのは、神様だ」

 



 ――君の心には、隙がある




 神の住まう城と言われる高さ二千メートルを越える建物がある。形は円錐型に近く、遠目に見ると小さな山にも見える。一つの都市が成り立つほどの収容人数のある城は、雲を突き抜けて空へ伸びていた。

 その城の一室、無機質で真っ白な部屋に、濃い灰色のコートを来た一人の男がいた。

 彼の名はカイリ=ロイスウェル。黒い髪に黒い瞳というアジア系の青年は、誰も座っていない純白の椅子に向かって跪き、頭を下げていた。彼がここにいるのは、とある人物に呼ばれていたからだ。カイリはこの部屋に入ってから十分と少しの間常にこの体勢で待っていた。

 カイリの目の前には彼の愛刀が床に置かれていた。全長二メートル弱、幅十五センチ程の大きな両刃剣は、特殊繊維で出来た艶やかな焦げ茶色の鞘に納められている。身長が百七十センチほどの体が華奢な主の剣とは思えない大きさだが、幼少の時から使っていた馴染み深い武器だった。

 カイリはずっと床を見ていた。純白という言葉がふさわしい白に彩られた床には一切の濁りがない。金に包まれたドアの取っ手、宝石のように輝く大理石の廊下など触れることすら恐ろしいぐらい高価そうな物がこの神殿には無数あった。

 何一つ欠点の無い世界に、浮いているようにカイリは感じていた。家柄も、頭も、スタイルも、顔も特に秀でた点がない自分がいてしまっていいのかと疑問を抱いてい住まう。だが、真に高貴な存在はこの神殿ではない

 ふと、風がカイリの髪を撫でた。


「畏まらないで下さい。もっと楽にしましょう」


 美しいソプラノの声が、ゆっくりと彼らのいる謁見室に浸透する。その声は直接脳内に話されていると錯覚するほど澄み通り、何気ない言葉からとてつもない重圧を感じていた。


「顔を上げてください」


 カイリは緊張を表に出さないよう、ゆっくりと顔を上げた。

 先ほどまで誰もいなかった筈の玉座の前に、一人の長身の女性が微笑んでいた。その微笑みとともに瑠璃色の長い髪と水色のワンピースがさらさらと揺れていた。

 彼女は、いうなれば『神様』という地位に存在する者の一人。神様といっても外見も話す言葉も人間と相違ない。この世界における神様は全知全能ではない。ただ、人間よりも上位の概念に位置し、干渉する力がある。世界の創造、魔法体系の生成など人智を越えた事も行える。

 カイリの目の前にいる神様は女性の形をしているが、神様の性別というわけではなく単なる趣向らしい。プロポーション的にも、神クラスだった。


「とはいえ、神の前に立つのは初めてですものね。固くなるな、という方が無理でしょうね」


 神という立場なのに敬語で話す神様にカイリは違和感を覚えずにはいられなかった。カイリのイメージでは神様は傲岸不遜な性格をしていた。


「もしかして、神様ってもっと尊大な態度だと思っていましたか? 偉そうに上から目線で無理難題を押し付けるような?」


 まるで心を見透かしたかのようなタイミングでカイリに問いかけた。カイリは神様について多く知らない。が、心を読む事は朝飯前だろう。万能で無いとはいえ、人間から見れば万能に相違ない存在ではあるのだから。


「いえ、滅相もありません!」


 いきなりの失態にカイリは慌てふためいてしまった。神の御前につまらないことを考えてしまったと自分を戒めているカイリを見て、神様は細い手を口の前に持っていき、くすりと微笑んだ。


「冗談です。例えそう思っていても、あなたは言うような人じゃありませんものね」


 彼女は数歩下がり、ふわりと玉座に腰を下ろした。


「では、そろそろ『神託』に入りましょう」


 冗談を言った口調のまま、神様は本題へと話を移す。

 神託。それは文字通り、神様が人に託す仕事のこと。だからといって絶対的な命令ではなく、断ることもできる。神様から唐突に神託を告げられる時もあれば、『神託をしたい』という希望を出すこともできる。カイリは後者で、自ら神託を受けることを望んだ。


「カイリ=ロイスウェル。あなたは、『エラー』という言葉をご存知ですか? 今回の神託は、エラーを対処することになるのですが」


 カイリは数秒、頭の中の知識を探し回った。エラーという単語に引っかかる知識はあることはあるのだが、それは退治できるものではなかった。


「エラーというと、コンピュータなどでよく聞く単語ぐらいしか」


 コンピュータにおけるエラーとは、指示通りの動作が正常に出来ない際にその処理を停止させる処理のこと。カイリのいる世界にもコンピュータは存在するがあまり使われることはない。


「その通りです。しかし、私の言うエラーはコンピュータにおけるものではなく、世界におけるものです」


 その神様の言い回しが示す言葉に、カイリは心当たりがあった。


「もしかして、『ディンギル』ですか?」

「あらあら、鋭いですね」


 どうやら当たりだったようで、神様は二、三回拍手をした。カイリはただ「恐縮です」と頭を下げた。

 『ディンギル』とは神様が作った特殊粒子――一般的に魔力と言われている粒子――の一つ。神様は複数の魔法体系と特殊粒子を創造しているが、その中でもディンギルは異端の魔力だと言われている。異端である理由は複数存在するが、その中でも大きな理由は人間の心に強く依存し、心によって生み出される結果がエネルギー量の増減はおろか、概念干渉にまで及ぶからである。

 極端な話、思っただけで物理現象を捻じ曲げ、生命を生み出すことや新たな世界を創ることもできる。もちろん、そのレベルの事はカイリの目の前にいる神様ぐらいにしかできない。

 だが、心次第では人間でも起こしえてしまう。

 ディンギルは万能である。カイリもそう信じていた。


「いえ、知り合いから聞いただけです。『ディンギル』は完全じゃないと。私としては、そういう言葉はあまりよくないと言ったのです」


 目を伏せるカイリに、くすっと笑う神様。ディンギルはカイリらにとって『神様の血』と言われるほど神聖な物として扱われてきた。そして神の創作物であるディンギルに対し『不完全』と評価することは神に背くことと同意である。しかし、神様はそれを聞いて少し笑って言った。


「あなたの知人が言ったことは事実です。人の心というのは本当に多種多様なもので。それに合わせようとすると複雑な仕様になってしまいますからね。中々調節が難しいのです。そこで、異常をきたしたディンギル……すなわち、“エラー”を修復する神託を貴方に任せるのです」


 神様は笑みを浮かべたまま言ったが、カイリは笑えなかった。カイリはディンギルが万能に近いものであることを知っている。それが暴走したものであるエラーを、人間であるカイリがどうにかできると思えなかった。


「エラーについて、もう少し情報をもらえませんか? ディンギルが要因だってことはわかりましたが、エラーがどういう事態を引き起こすのか想像につかないので……」


 せめてどういう問題を引き起こすのか知ろうとしたカイリだったが、神様は首を横に振った。


「一概にこれを起こす、とは言えません。エラーはその時その時で起因が違い、様々な現象を起こします。今回あなたにお願いするエラーも、実は具体的にどういう現象を起こしているか分かっていません」

「……エラーの実態を明かすことも含めて、神託ですか」

「そういうことです。……不安ですか?」


 神様は声のトーンを落としてカイリに尋ねた。

 意地悪だな、とカイリは思った。神様はきっと自分の心の中など見透かしている。それなのにあえて問う。


「いえ、大丈夫です」


 それでも神様の瞳を真っ直ぐと見てカイリは答えた。

 カイリには神託を行う理由があった。たとえ、限りなく達成不可能な神託であったとしてでもやり遂げてみせると強く思うほどの理由が。


「そう言うと思いました」


 神様は満足気に頷き、細い右腕を空に掲げた。

 すると、カイリの足元に幾何学模様が浮かんだ。それは青白い光を発し、カイリの体を瞬く間に包み込んだ。


「エラーは実は完全に不規則な存在であるわけではありません。いくつかの性質と通例は存在します。それに関しては、転位中にあなたの頭に叩き込みます」

「転位って、まさか別世界で神託を行うのですか!?」


 カイリは思わず声を上げてしまった。神様は複数の世界を管轄していると聞くが、カイリは今自分のいる世界以外に行ったことがない。まさか始めの神託が異世界で行うとは思ってもいなかった。


「では、棄権します?」

「それはしません!」

「ふふ」


 神様は小さく笑った。完全にカイリは試されていた。


「あと、『頭に直接叩き込む』というのはどういう事ですか?」

「そのままの意味ですよ。転位には少し時間がかかるので、その間にあなたの脳にエラーに関する情報を刷り込みます。あ、別に脳を弄繰り回すとかしませんので、心配なさらないようにお願いしますね」


 神様はニコニコしたまま質問に答えた。最後の一文がなければ何の不安も抱かなかったのに、とカイリは心の隅で思ってしまった。

 足元の模様の光が一段と強くなった。転位するまであと少しであることカイリは感じ取った。カイリは大剣を持ち、音を立てずにすっと立ちあがった。それを背中に結びつけて、仄かに感じる暖かさにカイリは身を委ねた。


「そうそう」


 神様が手をパンと叩いた。カイリは何が起きるのかと待っていると、上着の胸ポケットに重みを感じた。手のひらよりも大きくない大きさのはずだが、なぜかしらずっしりとくる重さだった。


「『大切な物』をあなたに託します。使い方、ご存知ですね?」


 その一言で、カイリは何が渡されたのか理解した。それは、神託を行う際によく用いられるもの。いよいよ始まるのか、とカイリは更に心を引き締めた。


「はい、把握しております」

「飛ばす先は、エラーのいる場所です。これに関しても転位中に説明があると思います。いきなり襲ってくる訳ではないと思うので安心して下さい。衣食住については現地にいる協力者に指示を仰いで下さい」


 次第にカイリの意識は遠ざかるような錯覚に包まれた。目を開けていられないほどの白い光に包まれ、神様の姿がぼやけていく。


「では、『神遣い』カイリ=ロイスウェル。私の『神託』を難なくこなしてきてくださいね」


 神遣い。それは、神に従えるため人間を超えた存在。強靭な肉体に聡明な知識、神の魔術を与えられた種族。

 カイリは自分が神遣いである事を再認識しながら、転移した。

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