第18話 絶望

 アクロ、セフィア、オリヴィアは全力で魔族の王の元へと走っていた。軍式雷魔砲で道を開き、最小限の攻撃で脇目もふらずに突き進む。

 地平線上に煌々と青い光が輝いているのを、三人は見逃さなかった。


「ラズ!」

「アイツもう着いていたのか……」

「急ごう。王の相手を一人でさせるのは危険過ぎる」


 三人は更に足を速める。

 アクロはイウェレスとの戦いの後、さらに2回“紺龍の暴流”ブルマリーノ・ヴィオレンツァを発動したため、魔力回路はほぼ限界に来ていた。オリヴィアも魔力の大半を使用しているため、強力な魔術は安易に使えなくなっている。魔力消費を行うために体術をメインに切り替えているが、体力の底もすらも見え始めていた。

 戦力が半分以下になっているこの三人で勝てるのだろうか。溢れ出る不安を押し殺し王の元へと駆け寄る。


 そして明確になる魔族の王の姿。その足元にラズが苦悶の表情を浮かべて倒れていた。体には剣が突き刺さり、血まみれになっている。


「ラズっ! “紺龍の暴流”ブルマリーノ・ヴィオレンツァ!」


 ラズの姿を見た途端、アクロは無意識に叫んでいた。紺の龍が10頭、魔族の王に襲いかかる。

 王は目の前に黒い霧を展開する。その霧を通過した途端、龍が制御できなくなり、四方八方に飛んでいってしまった。


「魔術が言うことをきかなくなった……回路が限界に来ているのか」

「いえ、違います」


 アクロのつぶやきをセフィアは否定する。


「あれは……"黒雲迷彩"バイオタイト・インガナーレと呼ばれる魔術です」

「なんだそれは?」

「その霧を通過した魔術は、魔術師の操作権から離れてしまう魔力作用魔術の一つ。そして、私の知る人物の魔術です」


 セフィアは先頭に立ち、キッと睨みつける。


「バルトロ=ヴィオティート……貴方が元凶でしたか」

「久しぶりだな、セフィア=アジュール。魔術が使えない気分はどうだ?」


 愉快そうにしゃべるバルトロ。この瞬間を、魔術が使えなくなったセフィアと対面する時を心待ちにしていたのだろう。


「どういうことだ? お前は魔族の王と顔馴染みなのか?」

「ええ。私達の学園の長をしていました。ここに私達を送り込んだ張本人です」


 オリヴィアの問にセフィアが答える。そして、バルトロに会ったらまず始めに訊きたかった質問を行う。


「あの転移の術に、何かしらの策を仕込んだのですね」

「ご名答。セフィアとラズの体内生成される魔力を、直接アクロに移すよう術式を埋め込んだ」


 アジュール姉妹は魔術を使えなくなったわけではない。体内で生成される魔力の全てが、アクロの体内に転移されていたのだ。

 転移後に感じた頭痛は魔術の使用を悟られなくするためにわざと引き起こした。腹痛になったのは、腹に魔術を埋め込まれ通常とは違う魔力の流れになったことが原因だった。


「それが私たちに分からなかったのは、あなたの魔術のせいということですか」

"黒雲迷彩"バイオタイト・インガナーレは、その魔力で包んだものを私以外に認識されなくなる。君たちに仕込んだ魔力転移術がバレなかったのも、魔族の体内の魔力回路が見えないのも、私の中に流れる魔族の魔力が誰にも悟られなかったのも……全てこの魔法によるものだ」


 黒い霧を通った魔術が制御できなくなるのは、黒い霧を通ることでその魔術が自分が発動した魔術だと認識できなくなってしまうためであった。セフィアは、ただ魔術の操作権を失わせるだけの魔術であると教えられていた。実際に戦場を共にした事がなかったため、情報を得る機会が無かった。


「魔族の存在もお前が生み出しのか」


 オリヴィアは“魔族の体内の魔力回路が見えない”という言葉に引っかかった。


「いや、魔族はこの世界に元々いた種族だ。だが、ここまで土地を広めたのは俺が手を貸したからだ。代償として、その時の魔族の王は我が体内に取り込ませてもらったが」

「人体融合魔術……あなたは禁忌の術を使ったのですね」


 今となっては、バルトロがどのような非道なことをしていたとしても不思議には思えなくなっている。王に信頼されている貴族を演じる裏側で、人間に対する蹂躙を行っていたのだから。

 セフィアは頭を抑えがら、バルトロを睨みつける。


「随分と饒舌ですね。秘密主義なあなたらしくない」

「何も分からずに殺すよりは、全てを知った上で抗えないという絶望の表情にしてから殺す方が爽快ではないだろうか?」

「今、ようやく分かりました。貴方がどれだけ狂っている人間かを」


 その言葉の裏には、“バルトロが狂ったことしか分かっていない”という意味もあった。彼の"黒雲迷彩"バイオタイト・インガナーレはセフィアの想像を遥かに超えて厄介な能力であった。理詰めで相手を倒すセフィアにとって、手の内が見えない相手ほど厄介な敵はいない。

 準備周到なバルトロは、おそらく幾重もの罠を張り巡らせているであろう。


 だからと言って、指をくわえて見ているわけにはいかない。


「オリヴィアさん! ラズを!」

「ああ!」


 無駄に話していただけではない。

 魔力を練り込み、ありったけの筋力強化を行ったオリヴィアは疾風のごとき速さでラズへと迫る。感圧式の魔術が起動するが、それより早く動き躱す。

 バルトロの黒い霧を紙一重で避けながら、オリヴィアはラズを抱え込む。


「ほう」


 バルトロは感嘆の声をあげる。


「アクロ!」

「分かってる!」


 オリヴィアの足元から紺龍が出現、砂塵を撒き散しながらその場で爆発した。

 濃度の砂と魔力を宙に舞わせることで、バルトロの追跡を無効にする。


「ならば……これでどうだ」


 バルトロは手を砂煙が立ち上がる方向へ掲げる。

 展開するは巨大な紅蓮の魔術陣。それも複数の魔術陣が重なり合っている。赤みを帯びた砂をより鮮やかな赤に染め上げるほど、強い光を放っている。

 バルトロは目を閉じ、魔術式を構築する。


 思うは生き物を死滅させる無数の凶星。

 重ねて思うは、星を生み出した炎の水。

 願うは貴族を貶めた許されざる一族の死。

 そして、併せて発するは火を溶かす灼熱の流星群。


 バルトロの魔術陣から、溶岩を帯びた岩石が砲弾のように飛び出す。たとえ直撃しなくても、飛び散る溶岩に触れてしまえば大火傷は避けられない。バルトロは凶弾をセフィアがいた方向に次から次へと打ち続ける。飛び散った溶岩は砂の上で煮え滾っていた。

 

 しかしそれらは、アクロの紺龍によって防がれていた。


「さすがアクロ……君の存在は、本当にイレギュラーだ」


 バルトロは憎々しげに、けれどもどこか愉快そうに言った。

 あっさりとラズを奪ったアクロたちだったが、手詰まり状態だった。

 セフィアがいくつか策は練っていたものの、"黒雲迷彩"バイオタイト・インガナーレにより迂闊に手が出せなくなった。

 オリヴィアは今治癒魔術でラズを回復しているが、それによってほぼ魔力は尽きてしまっている。アクロの魔力回路は限界を迎えており、痛みが身体中に走っている。

 

「一矢報いたはいいが、一矢しか報いれていない……そのような表情をしているな」


 セフィアの苦々しい表情に、バルトロは笑みをこぼす。

 だが万策尽きたわけではない。第4師団が今、魔族を片付けながらこちらに進軍している筈である。セフィアが見る限り、幹部級の魔族はもういなかった。

 さすがのバルトロといえど、数で攻めれば分はある。


「しかし、悠長に構えていていいのか?」


 展開していた陣を消し、バルトロはほくそ笑む。


「っ! ぐっあああぁ……」

「アクロ!」


 腹を抑え、倒れこんだアクロをセフィアは支える。額からは尋常じゃない汗が浮き出ており、体は不規則に痙攣している。


「何をしたのですか!」

「何も。ただ、お前たちの桁外れの魔力治癒力が、そいつにとって毒なだけだ」


 生まれつき少量の魔力しか体に宿していなかったアクロにとって、アジュール姉妹二人分の魔力はかなりの負担であった。例えるなら少食の人間が、大食いの人間二人分の食べ物を腹に直接詰め込んだようなものである。アクロが魔力を多く消費する“紺龍の暴流”ブルマリーノ・ヴィオレンツァを使っていなかったら魔力の増え過ぎにより体が破裂していた。


「ん……あれ、私……確かバルトロに……」


 傷が癒えたラズは体を起こし、傍にいたオリヴィアを見上げる。


「良かった。それよりアクロが……」

「っ! あのバカ!」


 ラズは立ち上がり、治癒の際に抜き取られた魔剣を手に取る。


「ラズ、無闇に斬りかからないでください。バルトロの強さは知っているでしょう!」

「じゃあ何をすればいいのよ! このままアクロが死ぬところを見るなんて嫌よ!」

「そうか……親しき人間が死ぬ苦悩だけでは少ないというのか足りないというのか」


 バルトロはぱちんと指を鳴らす。

 すると、誰もいなかった筈の砂丘に、1万を超える魔族が唐突に姿を表した。中には幹部クラスの魔族も複数いた。


「……光学迷彩……魔術……」


 セフィアは辛うじて単語を呟く。

 僅かな希望の光が消え去った。この数の兵がこんな至近距離にいては、たとえ第4師団が間に合ったとしても抗いようがない。ラズもオリヴィアも言葉を失い、目の前に広がる地獄をただ見尽くしていた。

 

「魔力探知により実用性がないと言われている魔術だが……私の能力と組み合わせれば、完全な探知回避ステルス性を得ることができる」

「だからどうした!」


 オリヴィアは手に魔力を集中させ、魔族を倒さんと走りだす。が、駆け出そうとした瞬間足元に大きなくぼみができ、足が埋もれてしまう。


「このっ……!」

「この赤い砂には魔族の魔力が含まれているのは常識だろう? お前たちは……私の掌の上で藻掻いているのにすぎないのだよ」


 複数を同時に発動できる魔術式と"黒雲迷彩"バイオタイト・インガナーレによる盾。

 1万を超える魔族。

 そして、足元に広がる赤い砂の操作。

 バルトロが用意した三重構えの策に、一部の隙もない。

 セフィアは認めた。

 今この瞬間、絶望したと。


「このまま看取るのも暇だろう。さらなる苦痛を与えようぞ」


 魔族たちは目を血走らせながら、セフィアたちに近づく。魔族たちに対して、本能的に拒否感を抱いた。しかし、1万体に囲まれていては逃げる隙がない。

 ラズは剣で何体かは斬り伏せたが、八方から一度に押し寄せられては全てに対処することは出来なかった。


「きゃっ!」

「お姉ちゃ……ぐあっ!」


 力任せに押し倒し、数人がかりで身動きを取らせないよう固定する。筋力のあるラズでも、複数の魔族に抑えられては抵抗できない。

 この先の悲惨な展開を思い浮かべてしまい頭が真っ白になりかける。


「この外道!」

「何とでも言うが良い。この世界にはもう……君たちを救う者は誰もいないのだから」


 ラズは歯を食いしばりながら、目の前に群がる魔族を睨みつける。

 しかし魔族は容赦なくラズの襟元に掴みかかり、服を引きちぎった。血なまぐさい吐息がラズの顔にかかる。

 ラズは目を食いしばり、ただただ祈った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る