第4話 2回目のジャンプ

-nightmare-




 俺の部屋に女の子二人。


 緊張してしまう。


 もちろん、森本イズミが一番、緊張をしていて、彼女はなかなか寝付くことができなかった。それでも寝不足気味であったから、ストンと落ちるように眠り始める。


 森本イズミ、俺、清宮さんと川の字に並んで眠っている。


 俺は右手で、森本イズミの左手を握っている。


 瞼を閉じ、ボディバッグの感触を左手で確かめる。いろいろと用意したものがあるので、ポケットでは追いつかず、バッグに詰め込んでいる。そして、夢の中は肌寒かったのでマウンテンパーカーを選択した。動きやすいからだ。


 瞼を閉じ、暗闇の中で森本イズミを認識する。


 彼女はまだ夢を見ていない。


 俺は、彼女の手の平から伝わる温もりを感じながら、真っ暗な空間の中に浮いたような感覚の中で待つ。


 夢が始まれば、すぐに彼女と同じ場所に建てるはずだ。


 ボディバッグの中には、メモとペン、カードタイプのハンドミラー、スマートフォン、ポケットライト、ポケットティッシュとハンカチ、アーミーナイフ、ジッポーライターとオイル、雑誌、水のペットボトルが入っている。


 夢の中で入手したものを現実世界に持ち帰ることはできない。しかし、こちらから持ち込んだものは、持ち帰ることができる。前回、生徒の財布を手に入れたが、記憶する前に夢が終わってしまった。だから今回は、情報を全て記しておこうと思っている。


 ハンドミラーは単純に何かを映す時に使う。例えば曲がり角に身を隠して周囲を窺う時などに使えるし、肉眼で見てはいけないものを見る時、鏡を経由させることで見ることができる。


 スマートフォンは電話やメッセージ、メールが目的ではなく、カメラが使えるからだ。デジカメがあればそれで問題ないが、俺は持っていない。


 ポケットライトは照明である。前回、あの裸電球が落ちたら暗闇になっていただろう。万が一の為である。


 ポケットティッシュはいろいろと使える。ハンカチもそうだ。


 アーミーナイフ、マルチツールナイフと言ったほうがいいかもしれない。切ったり、削ったり、剥がしたり、研いだりと用途は多岐にわたる。


 ジッポーライターは、火だ。オイルは何かを燃やす時に役立つ。


 雑誌は、丸めて持つと武器になる。ページを破ってライターで燃やすこともできる。


 水はもちろん飲むためだ。五〇〇ミリリットルの大きさは意外と負担を強いられるものだが、仕方ない。途中、渇きで困るのは避けたい。


 必要と思われる物を用意した今回、近くに森本イズミもいる事であるし、前回よりも今回のジャンプは内容が濃く、時間も長いものとなるだろう。


 今回で彼女の悪夢を終わらせる手掛かりが得られればいいがと、空間を漂うようにして待つ俺は、グンと身体を引かれる感覚で肩越しに背後を見た。


 森本イズミの背中がある。


 彼女は、暗闇の中で、そこだけが輝いているように白い四角の枠内に立っていた。


 今、行く。


 俺は、姿勢を整えるように身動ぎをして、彼女の背中に向かって泳ぐように手足を動かした。




-nightmare-




 森本イズミの隣に立つ。


 彼女はハっと俺を見て、すぐに安堵した表情で胸を手で押さえる。


「高野さん、よかったぁ」

「ここは……校長室みたいな感じですね。普通の職員が使う部屋じゃない」


 立派な執務机に黒い椅子は重厚である。棚にはトロフィーが並んでいて、近づいて見ると教育指導に関する表彰によるものらしい。書棚には難しそうな本がずらりと収まっていて、額縁に入れられている表彰状を眺め、この場所がどこであるかわかった。


 野間学園高等学校。


 この学校の校長は、いろいろなところから表彰されている。


 応接用のガラステーブルにソファ、その向こうにドアだ。


「君はいつも、どこに隠れていました?」

「机の下です」


 俺の問いに迷いなく答えた森本イズミが、不安げに周囲を窺う。


 俺はもうひとつのドアに気付く。


 この部屋にはドアがふたつある。


 ひとつは、執務机の正面。ふたつ目は机から見て左手の壁。


 普通に考えるなら、正面のドアは廊下に通じている。そして左手のドアは職員室だろう。


「君に危害を加えようとする奴の姿は見ていないんですね?」


「恐くて、ずっと目を瞑ってます。気配を近くに感じて、いつも叫んで目を覚ますんです」

「どっちのドアから入ってくるか、わかりますか?」

「たぶん、あっち」


 彼女は廊下に通じているだろうドアを指差した。


「じゃあ、こちらから移動しましょう」


 俺が机から見て左手のドアへと近づくと、彼女はピトリと後ろにつく。


「高野さん、移動するんですか?」


 意外そうな声で問われて、説明がいるなと思い答える。


「君が、この夢を見ている理由をはっきりさせないと、ずっと見続けることになるかもしれません。恐いかもしれませんが、大丈夫。俺がいますし、何かあれば清宮さんが起こしてくれますよ」


 森本イズミは逡巡の後に、意を決したように頷くと俺の左腕を両手で掴んだ。そこでボディバッグに気付き、中身を探ろうとバッグの上から触れる。


「いろいろ入ってます。じゃ、開けますよ」


 俺はドアを少しだけ開き、隙間から向こう側を窺う。ここでバッグから鏡を出して、見える範囲の安全を確かめてドアを全開にした。


 職員室だ。


 似たようなデスクがずらりと並び、不思議なことにデスク上のパソコンは全て電源が入れられた状態である。天井の蛍光灯は沈黙したままだが、パソコンのディスプレイが明るく、室内は暗闇というわけではなかった。


「低くして」


 身をかがめ、廊下側を窺う。職員室の両端にスライド式のドアがふたつあり、すりガラスの窓枠がある。そこに何も映り出さないことを祈りながら、俺は身をかがめ前進をした。メモを取り出し、ペンで見取り図を記していく。


「あ、わたし、手伝います」

「いや、これは俺が書くから意味があるんだよ。ありがとう」


 俺は校長室、職員室と見取り図を描く。広さは正確ではないが、大事なのは配置だと思う。この空間の全体図があれば、移動する時に便利であるし、現実に存在する野間学園高等学校を比較することも可能である。


「校長室、職員室……」


 ペンを動かしながら呟いた俺に、森本イズミの声が届いた。


「あ……」

「どうしました?」

「あの……思い出したことがあるんですけど」

「何です?」

「わたし、高校の時、校長室なんて入ったことないんです」

「……」


 あり得る。


 実際、俺も高校生の時、校長室に入ったことはない。そういえば、学校のどこにそれがあるのかなんて覚えていないというより、知らない。


 どういうことだ?


 森本イズミは、どうして自分が知らない空間まで夢で見ている? いや、可能性としてはあり得るが、全く知らない場所はイメージできないはずだ。もしかしたら、テレビドラマなどで見た情報と現実をミックスさせて、この空間を創り上げている可能性もあるが……。


「それは、あとで検討しましょう」


 校長室から見て、奥のドアへと近づいた俺は、彼女が背後にいることを確かめて呼吸をする。


 ゆっくりと、少しだけドアをスライドさせて開き、鏡で廊下を見た。


 すぐに引っ込める。


 まずい……。


 まずい、まずい、まずい……。


 何かいた……。


 俺は、口の前に人差し指を立てて、彼女の手を引いて職員室の奥へと移動する。デスクの影に隠れ、廊下の方向を窺う。


「どうしました?」

「……誰かいた。何者かわからないから、少し待とう」


 俺の言葉に、森本イズミは頷く。


 そう、誰かいたのだ。


 身長が二メートル近くもある髪が伸び放題の誰かが……。白いワンピースのようなものを来て、裸足だった。


 鏡に映ったのは背中である。


 廊下に立っていて、位置はちょうど職員室のふたつのドアで量ると中間に当たる。壁さえなければ、あっちから俺達は見えていたに違いなく、逆もしかりだ。


 校長室から、何も考えず外に出ていれば、出くわしていただろう。


 あれが、森本イズミに危害を加えようとした者だろうか?


「ひぃぃいいいいぃいいい……」


 不気味な声が聞こえた。上と下の前歯を合わせて、「い」と発音しながら息を吐きだすような音だ。


 校長室に近い職員室のドアがガラガラと開いた。


 俺はデスクに隠れたまま、そちらを窺う。


 女か、男か、ここからではわからないが、背の高いそれは、やけに長い両手で頭をガシガシと掻きまくりながら、頭髪を乱しに乱して呻きながら歩く。


「あぁああぁああ」

「ひぃいいああいいぃいい」

「がぁぎぃいぎああ」


 森本イズミが俺に密着してくる。


 俺はバッグから雑誌を取り出し、素早く丸めて右手に持った。最悪、彼女が覚醒するまでの時間を稼げばいいのだ。しかし、こんなに早い段階でこんなピンチになるかよとうんざりとする。


 制作側のミスで、難易度が高いゲームをしているかのような苛立ちである。


 そいつはガクガクと激しく痙攣すると四つん這いとなった。そして、ボキボキという不気味な音を発して首を一回転させると、左手と左脚を同時に動かし、右手足を動かし、バランスを激しく乱しながらバタバタと進む。デスクがずらりと並ぶ職員室の中を、校長室のドアへと取りつき、ドアノブを掴もうと両手を振り回す。身体の関節がおかしくなっているせいか、腕の動きをコントロールするのが難しいようだ。だが、それが却って気味悪く、直視できない邪悪さを感じる。


 壊れた人形のように暴れるそいつは、今、こちらに背中を見せている。


 俺は、森本イズミに小声で言う。


「行こう。今なら行ける」

「……はい」


 泣き出しそうな顔と声の彼女は、見えていないにも関わらず、不気味なアイツの様子から察しているらしい。


 自分を襲うのはアレであると……。


 ドアを開けるのに苦労しているから、彼女はしらばく無事でいられたのだろうが、違和感を覚える。


 廊下からそれは入って来たと言ってなかったか?


 もしかしたら、俺達が移動した事で変化しているのだろうか?


 奴が校長室に入るタイミングを見計らってという選択肢もあるが、校長室側のドアから廊下へと出て来られては厄介だ。


 奴の背中を睨みながら動く。


 音を立てないように、慎重に、それでいて出来る限り素早く移動した俺は、そっとドアを開く。念のため、鏡で廊下を窺い何者もいないと視認して、森本イズミを手招いた。


 バタン! バタン!


 奴がドアを叩いている。


 苛立っているようだ。


 彼女は、恐怖で顔を引きつかせながらも俺の隣へと移動してきた。


 勇気のある子だと思う。


 こういう時、恐怖ですくんで動けなくなる相手が相棒だと大変だろう。


 ドアから廊下へと出て、アイツがドアを叩く音が消えないことを耳で確かめながら、身をかがめて歩く。


 通路を進むのは、二択しかない。


 校長室側へと前進するか、はたまた背後へと後退するか……。前進も後退も俺の主観でしかないが、どうしてかこう思えた。


 背後は階段で、下へと続いている。一方、校長室側へと廊下を進むと、突き当たりは右に曲がっているようだ。


 まず、この階を把握すべきだ。


 アイツがいるから、慎重に行わねばならない。


「きゃぁああああああああ!」


 どこかで、誰かがあげた叫び声。


 職員室で、アイツが暴れていた音が止む。


 まずい……。


 声は下のほうから聞こえてきた。


 俺達は、ふたつのドアを右手に見ながら、ちょうど中間の位置で止まっている。


 アイツが職員室に入ってきた時に開けられたままのドア。


 背後には、俺達が出たドア。


 バタンバタンという音が大きくなる。


 後ずさりする俺は、森本イズミの手を握った、彼女の震えが伝わってくる。


 俺が迷っていては駄目だ。


 走っていた。


 とにかく、アイツと距離を取る必要がある。


 今は、下に逃げる!


 背後で、咆哮があがった。


「ごぉおぉおおおお!」


 見つかった!


 ここが何階であるのか不明だが、階段から踊り場、そしてまた階段を駆け下り、スタート..した階の下に降り立った。階段はさらに下に続いているが、廊下をこちらに走ってくる女の子二人を無視はできない。


 彼女達は、俺と森本イズミを見た。


「逃げて! 逃げてぇ!」


 眼鏡にロングヘアの女の子が叫ぶ。


 背の低いショートボブの女の子が後ろを指差す。


 彼女達は階段を上がろうとした。


「駄目だ、上は駄目!」


 森本イズミの声。


「だったら下! 廊下に化け物が!」


 ショートボブの子が叫ぶ。


 俺は、ここは彼女達と行動を供にしたほうがいいと感じる。


 四人で階段を駆け下り、次の階も飛ばして一番下の階まで下りた。


 見覚えがある。


 右に伸びる廊下へと飛び出た俺は、正面左手に見える踊り場を見つけた。ここからでは見えないけれど、あれは最初のジャンプで、俺が体育館から上がってきた階段があるはずだ。


 あの時の二人はいない。


 右手に並ぶドアのひとつを開く。


 教室。


 机も椅子もない。


 隠れられない。


 次のドアを開く。


 ここも空の教室だ。


 それにしても、窓がない!


 コンクリートの壁に覆われた空間は、それだけで息苦しさを強いてくる。


 俺を先頭に、森本イズミ、女の子二人という順番で廊下を駆け抜け、例の踊り場を通り越し、突き当たりまで進んだ。廊下は右に折れていて、そこには上へと通じる階段がある。


 なんとなく全体像が見えてきた。


 この空間は、校舎に似せて作られている。


 一本の廊下の両端には階を移動する階段があり、四階建てなのだ。そしてここが一階で、森本イズミが隠れていた校長室が最上階にある。


 二階、三階は教室ばかりだろうか。


「ねえ、誰!?」


 眼鏡の女の子が俺に問う。


「森本さん、この人は?」


 ショートボブの女の子が、森本イズミに尋ねた。


 クラスメイトである彼女達は、そうではない俺が誰であるかわからないにしても、森本イズミと行動を供にしていることから、一応は味方だと認識してくれているらしい。


「あとで話す。ちょっと落ち着ける場所まで行きたい。どこに行けばいい?」


 尋ねた俺は、泣き出した眼鏡の子に驚いた。


「そんなの……そんなのわからないよ! どうして!? どうして何度も同じ夢を見るの!?」


 夢!


 彼女も、これが夢だとわかっている!?


「ぎゃあああああああ!」


 上の階から、凄まじい悲鳴が聞こえてきた。


 鳥肌が立つ。


 冷や汗が噴き出す。


 どうする?


「高野さん……」


 森本イズミの小さな声で、俺は迷ってばかりでは駄目だと決める。


 上も後ろも危ない。


 俺は、最初のジャンプでスタート地点だった体育館を思い出した。


 あの部屋……ベッドがあり……ん? 窓があったな。


 どうして、あそこだけ窓がある?


「こっちだ」


 俺が歩き出し、三人が無言で続く。


 倒れていた男の子は、今回はいない。


 下へと続く階段を進み、左に曲がるようにして通路へと出た。地下通路? いや、体育館の出口はこの通路に通じていて、高低差はなかった。


 走りながら、空間構造に訂正を入れる。


 建物の一階は、全体では二階の高さにあるということだ。そして体育館のフロアが底辺だ。普通に考えれば、体育館が地下に埋まっているとは考えにくい。


「あ、ドア」


 森本イズミが声を出し、俺は速度を落とした。


 一回目のジャンプではなかったはずのドアが、体育館と建物を繋ぐ通路の壁面に現れていたのだ。


 両開きの鉄でできた大きな扉。


 どういうことだ?


 二人が少し遅れていたので、俺は森本イズミと立ち止まり待つことにする。彼女達は疲労困憊の様子で、ふらふらとした足取りで追いついて来た。


 逃げ続けていたからだろう。もう全力で走るのは無理だという印象を受ける。


 四人で、体育館まで進み、俺が一回目のジャンプで最初に立っていた部屋へと入る。


 休んだほうがいい。


 ドアには鍵穴があるが、鍵がない。


 俺は、アーミーナイフを取り出し、細い六角の棒を選んで鍵穴に突っ込んだ。


 ガチャガチャと動かし、ガチリと何かが回転した音で手の動きを止める。


 ドアノブを回すと、鍵をかけたと確認できた。


 ベッドに眼鏡の子とショートボブの子を座らせた俺は、ボディバッグの中から水を取り出し差し出す。


 ショートボブの子が受け取り、一口飲むと眼鏡の子に渡した。


「俺は高野といいます。森本イズミさんの友達の知り合いで、ちょっと関わりがあってここにいます。彼女……」


 森本イズミを見て説明を続ける。


「……森本さんが、眠るのが恐いというので、悪夢から解放されるにはどうしたらいいかと思って……君達もそうなんですか?」


 壁に身体をあずけて座った俺は、隣に腰を下ろした森本イズミにハンカチを渡してやった。彼女は恐怖と緊張で汗を流していて、しかしぶるぶると震えている。


 制服は夏服だが、この空間の季節は秋から冬といったところだろう。


「イズミ……イズミがこの人を呼んだの?」


 眼鏡の子が尋ね、森本イズミは頷いた。ここで彼女は、紹介をしなければと思ったらしく、俺に二人の名前を教えてくれる。


「樫本(かしもと)梓(あずさ)ちゃんと、田中(たなか)美奈(みな)ちゃん」


 眼鏡の子が樫本梓で、ショートボブが田中美奈だと覚えた。二人とも青い顔をしていて身体の震えが止まらない。


「くっついて、温めあってください」


 俺は二人に伝え、森本イズミには着ていたマウンテンパーカーを脱いで渡した。遠慮する彼女に、自分は暑いからと嘘をついて着させる。でも、実際に俺はそう寒くない。長袖のシャツの下にヒートテックを着ているからだろう。少し汗をかいたので、ヒートテックの効果が出ているに違いない。


 さて、とにかく二人には教えて欲しいことがたくさんある。


 森本イズミは、校長室から出ていないので外の様子を知らない。


 でも彼女達は、走って逃げ回っていたようなので、どういった状況なのか、より詳しく知ることができるだろう。


 いや、なんとなく状況はわかっている。


 この悪夢は、クラスメイト共有の夢と解釈したほうがいいだろう。何が引き金となっているのか不明だが、あの化け物といい、悲鳴といい、森本イズミの言う『黒田朱美の呪い』がこれであるなら、どうすれば解放されるのだろうか……。


 謝るだけでは、終わらないという点は明白である。


 俺は、これまでに得た情報をメモに記していく。逃げ回っていたせいで、情報の記録ができていない。それにしても、こうまで忙しくなるとは予想外だった。始まりは静かなものだという先入観が俺にあったからだ。


 嵐の中に、放り込まれたという感覚に喘ぎ、合流した二人を見る。


 まず、彼女達に確認したのは、何者から逃れているかである。


 尋ねると、樫本梓が口を開く。


「化け物よ……あれは化け物。もう嫌だ。帰りたい」


 田中美奈が言う。


「這って来るの。こう……バタバタと変な動きで……髪を振り乱して……」


 彼女は身振り手振りで、追いかけてくる相手の様子を再現する。


 どうやら、俺達が職員室で出くわしたのと同じようなヤツが他にもいるらしい。


「でも、他にもいる。そいつは、突然に現れるの。園美が捕まった時は、本当にいきなり後ろにいたって感じで」


 園美とは、東園美のことか!


「君達、東園美さんと一緒にいたんですか?」


 俺の問いに、樫本梓が頷く。


「うん……彼女、髪を掴まれてあっという間に引きずられて行った……嫌……嫌だ!」


 突然に立ちあがった樫本梓は、俺達の視線を受けて顔を両手で覆う。


「嫌だ……嫌だいやだいやだ! あんなのに捕まって何をされるの!? 園美はどうなったの!?」


「ちょっと……静かに」


 俺は慌てて彼女の肩を掴み、座らせるとドアに歩み寄る。室内に振り返り、静かにとジェスチャーで伝えてドア越しに体育館から音がしないかと意識を集中する。


 ドーン!


 ボールが落ちた音だ。


 ドン! ドントントントトトト……。


 ボールが転がっている。


 これは前回もあった。特に害はなかったが……。


 ドン!


 ドアにボールがぶつかった。


 女の子達が引きつった悲鳴をあげ、俺は静かにしてくれと祈るような視線を三人に向ける。


 ガン! ガンガン!


 ドアを叩かれる。


 バタンバタンとひどい音と衝撃で、俺はアレが来たのだと寒気を覚えた。


 ドアがガタガタと揺れ、破壊されかねない勢いで俺は懸命にドアを押した。


「ベッド。ベッドをここに」


 俺の声に、森本イズミが立ち上がり、女の子達がベッドを引きずり、押して移動させる。俺は迷いつつもドアから離れ、ガンガンと激しい音を立てるドアを睨みつつ、ベッドをそれに押し付ける。


「高野さん!」


 森本イズミの声。


 彼女は、ベッドがあった箇所を見ていた。


 蓋?


 木の板。


「逃げなきゃ! 逃げなきゃぁあ!」


 田中美奈が叫び、木の蓋を持ち上げる。


 穴だ。


「高野さん! どうしよ!?」


 森本イズミが、クラスメイト二人が穴へと潜り込むのを見て俺に訊く。


 自分達も行くべきか。


 二人を先に行かせてもいいか。


 いろいろな意味の、どうしよ!? であるが、ここでは焦燥が最も大きな意味だろうか。


 俺はボディバッグからポケットライトを取り出し、森本イズミに投げた。


 彼女はキャッチし、スイッチを入れる。


 俺はベッドを押さえていて、先に行けと身振りで示した。


 頷き、穴へと歩き出した彼女。


 俺も、すぐに後を追えるようにと身構える。


「ぎゃああぁぁぁぁああああ!」


 穴から、絶叫が聞こえた。


「ああ! あ! あ! ああ! ぁぁあああ!」

「痛い! 痛! ぎゃあああ! あああああ!」


 樫本梓の声……。


 立ちすくんだ森本イズミが、穴から離れるように後退する。


 俺は彼女を抱き留め、ベッドで再び穴を塞ぐべきかと迷う。しかし、それをするとドアがもたないだろう。いや、悲鳴は樫本梓だけだ。


 田中美奈は無事か?


 ドン!


 ドアが大きく軋んだ。


 ベッド越しだが、外からの圧力の大きさはわかる。


「高野さん」


 森本イズミが、泣きながら喘ぐ。


 考えろ……外のアレと対峙して、すり抜けることができるか? それとも、ここはもう夢から出たほうがいいか!?


 この時、穴から手がにょきりと現れた。


「ひ!」


 森本イズミが固まる。


 俺も、凝視した。


 穴からは、田中美奈が現れる。のそりと、這うように穴から上がろうとする。涙と鼻水で汚れた顔は恐怖と憔悴で歪んでいて、俺達を見るなり叫ぶ。


「助けなさいよ! わたしを! 助けてよ!」


 ビクンと弾かれたように、森本イズミが彼女に手を伸ばし駆け出す。


 だが、田中美奈が俺達を見た時、彼女は一瞬で穴へと消える。


 引きずり込まれた!?


 空白。


 ドアに外からぶつかる圧力に耐えようと歯を食いしばる俺。


 駆け出そうとした姿勢で固まった森本イズミ。


 穴から、絶叫があがる。


「ごめんなさい! ごめんなざざあぁぁああああいいいいいいい!」

「痛! 痛いぃいいい! ごめんごめんごめ……がぁ! ああああ!」


 バキン! ボキン! グシャ……。


 粘着質な液体を、下品に啜る音が穴から漏れてくる。


 駄目だ……。


 ドアは、今にも破られそうなほどに軋んでいる。


 失敗だ!


 撤退だと決める。


「清宮さん! 清宮さん! 森本さんを起こしてくれ!」


 俺は叫んだ。

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