黒い夢
ビーグル犬のポン太
第1話 夢に入る
「友達の夢に、入ってもらえませんか?」
俺は、
彼女は真面目な顔で続ける。その目は、まっすぐに俺を見ていて、とても冗談を言っているようには思えない。
「
俺はコーヒーカップを受け皿に置いて頷きつつ、どうして呼び出されたのかと不思議に思っていた謎が解けてスッキリともしていた。
挨拶もそこそこに彼女がしたお願いと質問はヘンテコなものであるが、俺にとっては『ご飯は食べますよね?』という、当たり前のことを尋ねられているという感覚である。ただ、こういうことを彼女に知られてしまった過去の自分の軽率さに恥ずかしさを覚えるので、『はい、いいですよ』と返すことはできなかった。
言葉を発しない俺を前に、彼女は断られるのではないかと思ったらしい。不安を隠さず、俺の返事を待たずして口を開く。
「最近、変な夢が続くと相談してきた友達がいまして……寝不足で大変そうなんです。就職活動も忙しくなってきた時期で……聖さんに相談しようと思って」
そうきたか……。
これは実に微妙な相談だ。
たしかに俺は、他人の夢に入ることができるが、だからといって何かを治したり、助けたりできるわけではない。
そういうことを、それとなく伝えようと思い彼女に言う。
「医者に相談したほうがいいと思いますが……カウンセリングとかを受けるように勧めたほうがいいと思いますよ」
「行ったそうです。でも、全く……ただストレスで疲れているのではないか程度の診断で……睡眠薬を飲んでも、その夢を見るみたいなんですよ」
興味が湧いた。
睡眠薬を飲んでも、夢をみて、それを覚えているのはどういうものだろう?
考えたところでわかるはずもなく、俺は組んでいた腕を解いて清宮さんを眺める。
可愛いという表現がぴったりだな……。
彼女は、俺の視線に瞬きを返して、不安げに口を開く。
「駄目……ですか?」
「いや……」
俺は気恥ずかしさを誤魔化すように店内を見渡す。
店内は、静かな音楽と客達の会話が心地よい雑音となって居心地がいい。
たまにはこういうところでお茶をするのもいいなと思いつつ、呼び出された理由がもっと別のものであったらと思う希望を誤魔化すように身動ぎしながら言う。
「俺が、その人の夢の中に入ったとしても、それだけで終わるかもしれませんよ。何も変わらないと思いますけど」
「……他に相談できそうな人、いなくて……」
俺は男として彼女を意識しているから、清宮さんが言う友達が、実際は恋人ではないだろうかと推測してしまい、彼女の頼みであること、その夢に興味があるとこと、の二点があれども、手伝うのはなんだか嫌だという感情がある。かといって、無碍に断るのもできない自分がいる。
そもそも、俺が彼女に、あんな悪戯をしてしまったことが、今の原因ともいえるし……。
あの日、俺は彼女に、自分が他人の夢に入ることができると話してしまった。
実際に、入ってみせた……。
どこでどういう展開でそうなってしまったのかは全く記憶にないが、共通の友人を通して、食事会を居酒屋で開いた帰りのことだ。
彼女によると、帰る方向が同じであることから、俺と彼女は一緒に駅まで歩いたらしく、その時に話がでたそうだ。
その時の記憶はなく、気付くと駅のホームのベンチに二人で座っていた。
どうやら酩酊した俺を、彼女はベンチで休ませてくれて、さらに放置せず目覚めるまで付き合ってくれたのである。
ウイスキーに日本酒にワインは危険だ。
いや、飲み過ぎた自分が悪いのだが……。
とにかく、その時に俺が彼女へ、自分は他人の夢に入ることができると話したそうだ。もちろん、彼女も最初は信じなかった。酔っ払いがおかしなことを言っていると思ったそうだが、寝込んだ俺を見て、彼女も隣で瞼を閉じたら眠ってしまった。そして、夢の中に俺が現れたという。
夢の中で、俺はこう言ったそうだ。
『信じてくれた?』
彼女から一部始終を聞かされて赤面し、俺は秘密にしてくれと不始末と秘密の件で頭をペコペコと下げまくったわけである。ここで清宮さんに感謝するのは、彼女は俺の変な特技を知っても、以前と同じように付き合ってくれていることだ。そして、俺の変な特技を約束通り秘密にしてくれている、
こういう経緯もあるから、俺はできれば、彼女の力になってあげたいと思う。
でも……。
考え込んだ俺を見て、彼女がペコリと頭を下げた。
「ごめんなさい。忘れてください。秘密にしていてと頼まれていたことを持ちだして、こんなことお願いするの間違っていました」
「いや……」
俺は、誤魔化すように笑みを浮かべて口を開く。
「……ごめん。まさかこの事で相談受けるなんて思ってもみなかったんでどう反応したらいいのかわからなくてさ」
「意外です。これまで相談をいくつも受けてると思ってました」
「まさか……俺もあちこちで言いまくっているわけじゃないからね。自慢できるようなことでもないし。気持ち悪がられるほうが多いと思うしね。あの日はどうかしてたんだと思う……」
俺が冷めたコーヒーに口をつけたところで、彼女が上目遣いで俺を見た。
「聖さん、同級生とこの後、会うんです。話を、聴いてあげてもらえません?」
そうだな。あんなことがあったのに、気持ち悪がったり言いふらすようなことをしない清宮さんと、彼女の友達の為に、やってみるのも悪くないかもしれない。
ただ、確認したいことがある。
「その友達、男の人?」
彼女は目をパチクリさせる。
「え? 女の子ですけど……」
安堵する自分が情けなかった。
-nightmare-
「
俺が名乗ると、相手も名乗った。
「
清宮さんの同級生という森本イズミは、清楚で大人しいという表現がピタリと当てはまる。ただ隈はメイクで誤魔化してもわかるほどであるから、そうとうに困っているのだと見て取れた。
俺は、彼女に期待させてはいけないと思い、清宮さんを一瞥して口を開く。
「先に話しておきますけど、俺は医者でもカウンセラーでもないので、そこは誤解なくお願いします」
「はい……あの、ありがとうございます。見た目はチャラいから驚いたんですけど、いい人そうでよかった」
心外だ……。
「ちょっと、イズミ!」
清宮さんが同級生を窘める。
森本イズミは、笑顔をつくって俺に謝ってくれた。
俺の髪の毛が茶色なのは生まれつきだ。耳のピアスは別におかしくないだろ? 誰でも……けっこうな割合でしていると思う。服装のことを言われているなら、それはもう弁解の余地はないが、好きなものを着ているに過ぎない。
スーツで大学に通う馬鹿がいるか?
就職活動をしている奴らならともかく、俺は違うのだ。
「カッコいいですね。穂香のカレシってどんな人だろうって思ってました」
森本イズミの言葉に、清宮さんが全力で「ちがう、ちがう」と否定する。
俺を目の前にしての全力否定は傷つく……。
俺達は、清宮さんの同級生が通うという明応大学のキャンパスからほど近い明応庭園で待ち合わせをした。彼女達は、中学から高校が一緒だったらしい。
庭園の中を歩きつつ自己紹介を終わらせて、台座のような岩に並んで腰掛ける。
明応大学の創始者が庭園を造り今に至るが、都内は本当に公園だらけだ。便利な交通網を使って移動すると気付けないが、徒歩で出掛けるとあちこちに見つけることができる。
「で、夢て、どんな夢?」
本題だ。
俺の質問に、森本イズミは膝の上に置いた両手を眺めて答える。
「あの、私、殺されるんです」
「……夢で?」
「はい……」
森本イズミは、不安な表情で懸命に夢のことを話してくれた。
彼女が話す夢の内容……それは、どこかわからない空間……どこかの大きな建物の中だと思われる……何かに追われていて、逃げて、隠れて、でも最後は捕まって殺されるというものだったが、彼女はここで断りをいれる。
「正確には……捕まる直前、なんとか目覚めて助かるって感じなんです。あの、夢を見ていて、でもこれは夢だってわかること、ありますよね?」
ある。
そういう時、いい夢ならばそのまま見続けるし、よくないものなら起きろと自分に命じたりもする。でも頻繁にはない。
「これは夢だと、夢の中のわたしはわかっていて……でも怖くて、殺されそうだから逃げてるんです。なんとか助かろうとして……他の人達の悲鳴や、ものすごい大きな声とか……でもわたしは一人で……心細くて、怖くて……逃げて……隠れるんですけど、もう駄目って時に、危ないって時に、懸命に起きようと頑張って……」
森本イズミは、そこで唇を閉じると震え始めた。
「夢に他の人も出てくるみたいだけど、声に覚えはありますか?」
俺の問いに、森本イズミは困ったように眉根を寄せた。
「あるといえば……でも、本当に思い出せなくて、それよりも逃げたり隠れたりするのに必死で……あの、怖いんです。あのまま夢の中で殺されたら、本当に死んじゃうんじゃないかって……」
「君は、どうして殺されると思うの?」
俺の質問は意地悪だったかもしれないが大事なことだ。
彼女は夢の中で、殺されるとわかっているから、逃げているのである。では、誰に? 理由は?
「あの、とても不気味なものに追いかけられて……殺されるってわかってるんです。どうしてなのかわからないんですけど、わかっているんです……夢の中だと、そうなんです……」
断片的だが、夢なので仕方ない。
俺は森本イズミに、もう喋らなくていいと伝えた。彼女の震えが尋常ではなかったからだ。
考える。
夢の中で、追われて逃げているというのはよくあることだ。
気になる点とすれば、彼女が何者に追われているのかを話さないことである。話したくないのか、話せないのか、失念しているのか、そもそも何に追われているのかわかっていないことも考えられるが、何に追われているかはけっこう重要である。
追ってくる者、モノの正体は、森本イズミが現実社会でストレスを感じているそのものであると考えることができる。俺は学者ではないから断定はできないが、一般的に言われていることをあてはめるとそうなる。
次に、追われているという夢は精神的にゆとりのない時に見ることが多いらしいから、彼女は、例えばレポートの提出期限が迫っているとか、何かの回答期限が近いとか、そういう状況にあるのかもしれない。就職活動が大変だと清宮さんも言っていたから、それかもしれない。
「今夜、さっそく夢に入らせてもらってもいいですか?」
俺の声に、森本イズミがコクリと頷く。彼女は俯いたままで、手の平に涙をポトリと落とした。安堵からか、悲しみからか、俺に察することなどできないが、とにかくここは夢の中に入り、彼女の夢の正体を知ることが、森本イズミを安心させてあげられる方法なのだと思えた。
事情を知らない人が聞けば、こいつは頭おかしいと思われるような事を言った俺は、迷いもせず頷いた森本イズミに対して、本当にマイっているのだと同情を覚える。
俺は、右耳にしているピアスのひとつを外して、彼女に渡した。
「これ、寝る時に枕の下に入れておいて。あとは寝るだけ」
受け取った森本イズミは、そこでようやく顔をあげた。
メイクを直したほうがいい顔になってしまっている……。
彼女は、疲れた表情と声で言う。
「ずっと寝不足で、特にこの二日間は寝るのがもう怖くて、ずっと寝ないようにしてるんです……」
彼女の背中を、清宮さんが撫でた。
-nightmare-
同じ年齢の奴らの多くは就職活動をほぼ終えて、内定をもらって卒業を待つだけであるが、俺はどこからも内定が出ていない。
当然だ。
就職活動をしていないからである。
起業しようとか、実家の商売を継ごうとか、そういう理由からではない。
面倒だから、していない。
駄目な男だと自分でも思う。
親の金で大学に通っているくせにと、まともな人なら俺を批判するだろう。俺だって、自分にそう言ってやっている。でも無理なものは無理だ。
しかし現実問題として、生きていくにはお金がいるから、どうにかして収入を確保せねばならず、頭の痛いところである。
他人の夢に入ることができるなんて、どうでもいい変な特技はいらない。どうせなら、他人の頭の中を読めるとか、未来を予見できるとか、そういうわかりやすいものが欲しい。
他人の夢に入る。
俺は、この事を
欠伸をする。
テレビではニュースが流れていて、都内で不審死が続いていると報じている。
興味があるわけではないが、テレビを眺めつつ晩御飯を食べる。
アルバイト先のコンビニで買ったおでんだ。
自炊したほうがいいのだろうが、片付けが苦手だという自覚があるのでしてはいない。部屋の中も、散らかす自信があるので最低限のものしか置いていない。ベッドとテーブルと座椅子とパソコン、そしてテレビだけという簡素なものだ。
家賃は六万円で、築四〇年超えというマンションの四階である。エレベーターがないこの建物は、二階の家賃が高く、最上階の五階が最も安い。都内でも家賃を安く借りることができているが、階段で四階まで上るのは大変である。
それも毎日のことだ。
ゴボウ巻を食べようと箸で掴んだ時、スマートフォンが振動した。
清宮さんからの、メッセージだった。
『イズミ、そろそろ寝ますよ』
俺は食べかけのおでんをラップして冷蔵庫に入れる。そして歯磨きをするべく洗面台に立った。
森本イズミの部屋には清宮さんがお邪魔していて、俺に同級生が寝るタイミングを教えてくれる。また、寝ている時の彼女の様子を観察してくれる。
その人の夢に跳ぶ時、わざわざ寝る時間を合わせる必要はない。でも森本イズミの場合、例の夢が始まったと同時に俺もそこにいなければならず、寝るタイミングを合わせる必要があった。
歯磨きを追え、部屋に入る。
ベッドの下から新品のスニーカーを出し、ロングパンツにシャツにパーカーという格好のままベッドに寝転ぶ。念のために、ダッフルコートを抱いた。
夢の中の季節がわからないのだ。
瞼を閉じ、集中する。
ピアス……俺のピアスはどこだ?
暗闇の中に、ストンと落ちるような感覚が身体を包んだ。
でも恐怖は感じない。
ずっと前から、知っている懐かしい空間にいると思う。
ピアスを探す。
この闇の中で、ピアスは光って見えるはずだ。
あった……。
遠くに輝きが見える。
俺は泳ぐようにしてそれを目指す。
森本イズミの夢が、そこにはある。
暗い空間の中に、横長のディスプレイが置かれているかのようだ。そこでは映像が再生されていて、彼女の夢である。
俺は映像の前に立ち、森本イズミの見ている夢を眺めている。
どうやら、彼女にはカレシがいるらしい。二人で、遊園地で遊んでいる夢を見ているようだ。
楽しそうに笑う彼女。
この夢にお邪魔する気はない。
彼女達の邪魔をしているように感じるので、眺めるのも遠慮したいところであるが、夢は突然に終わり、突然に始まるものだ。
しばらく、幸せそうなふたりの映像を眺めた。
楽しむ二人は、いくつかのアトラクションで遊び、次は観覧車に乗ろうと手を繋いで歩きだした。彼女達の背中を眺め、後を追うような映像を見せられる俺は、ここで異変に気付く。
画像に、ノイズが走った。
なんだと思い凝視していると、映像が大きく揺れる。
夢の終わり方とは違うとわかった。
遊園地だった画像が、乱れ、揺れて、上から下へと黒く塗りつぶされていく。
――ぐぐぐぐぐ……。
……聞こえた。
――ぐぐぐ……ぐぐぐぐ……ぎぎ。
笑い声……?
長方形の黒い映像が、大きく波打っていた。
これは……夢だ!
彼女達が遊園地で楽しんでいた夢を、この黒い夢が強制的に割り込んだ!?
悪夢が始まっている!
俺は、その中に飛び込んだ。
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