第6話 ひとはうそをつく。

 一階から五階までに和洋中なんでもござれと多くの飲食店が入るビルは、六階から上がオフィスフロアとなっていて、様々な企業が入っている。そのビルの一〇階から上が毎朝新聞社東京本社だ。その本社フロアは一〇階から三〇階までで改めて大きな企業だなと感じた。


「最近じゃ、新聞よりも不動産の収益で稼いでいるんだろうな」


 兄の推測はそう外れていないだろうと思う。


 一〇階ロビーへとエレベーターであがり、総合受付に向かう。


 兄はスーツ姿だからいいが、俺はなんとも場違いな格好である。


 俺よりも少し年上らしい女性が受付に座っていて、兄の視線を受けると立ち上がり一礼した。


 お上品である。


 兄が名乗った。


「作家をしております高野(たかの)康孝(やすたか)と申します。十六時に記録管理室の飯田(いいだ)様と約束を頂いております。お取次ぎの程、お願い致します」


 作家の名刺を差し出した兄に、受付の女性は目を見開き、名刺と兄を交互に眺める。彼はニコリとしていて、女性が内線でどこかに電話をかけているのを眺めた。


 受話器を終えた女性が、微笑んで口を開いた。


「お待たせ致しました。飯田が参りますので、あちらでお待ち頂けますか?」


「ありがとうございます」


 余裕の兄に続き、移動して待合場所に並んで立つ。


「さっきの人、兄貴のこと、じろじろと見てたけど知ってるのかな?」

「どうだろ? ペンネームの名前が女っぽいから、意外だったんじゃないの?」


 兄は、ミステリーから恋愛までいろいろ書いているが、男が恋愛を書いているなんて気持ち悪いだろうという主観から、ペンネームを女流作家のようにしている。


 兄の名刺には、本名とペンネームが記載されているから、兄の作品を読んでいる人がそれを受け取ると、誰もが驚くという。そして、「男だったんですか」と、言われるそうだ。


高根(たかね)花(はな)が、兄のペンネームなのだ……。


「あの人かな?」


 背の低い――俺や兄貴に比べてであるが、背の低い男性が受付の女性に話しかけ、こちらを見ている。彼らはなにやら会話をして、男のほうが俺達へと近付いて来た。


「あの、飯田と申します」


 眼鏡をかけて、少し痩せ方で、細面であることもあって弱々しい印象を受けた。


「高野と申します。こっちは助手で弟の聖です」


 俺がペコリとする。


 飯田さんは、兄と名刺交換をして、俺にも名刺をくれた。もちろん、俺は名刺など持っていないから固辞したのだが、どうぞと言われた。


「もう、あの事件から三年が過ぎるんですねぇ」


 飯田さんは、兄貴の名刺を眺めながら言い、外の喫茶店でと誘う。


「お察しかもしれませんが、今はちょっと一線から外されていましてね。社内で昔の記事をほじくり返すような事をしていると、まずいんですよ」


 そのあたりの事情にすごく興味があるが、訊く図々しさはない。


 連れだってエレベーターに乗ると、飯田さんは一階を押した。そしてスーツの内ポケットからポケットサイズの手帳を引っ張りだす。


「当時の手帳です……データより、当時の自分が書いたメモを読むほうが、頭が刺激されて思い出しやすくなるんですよ」

「ああ、わかります。ありますよねぇ。取材したことをテキストファイルにまとめるより、方眼紙にメモっていたほうが、後になってアイデアが出やすかったりするんですよ」


 二人の会話を聞きながら、俺が夢の中でメモを取る行為もこれかもしれないと思った。


 夢の中でメモを取った事を、夢から覚めても鮮明に覚えていられるのだ。


 エレベーターが一階に到着し、兄、俺、飯田さんの順番に外に出る。そして毎朝新聞本社ビルから少し歩いた場所のカフェに入った。


 俺と飯田さんがコーヒーを頼み、兄はオレンジジュースを頼む。


「しかし意外です。高根花さんが男性とはね」


 飯田さんの言葉に、兄が照れたように笑う。


「皆、そう言いますね」

「ええ、だってあれは女性が書いていると思いますよ」

「男は女を書けない。女は男を書けない……とデビュー前に言われたことがありましてね。カチンときて……だからわざと女性っぽいペンネームにしてるんですよ……反論のつもりなんですよ。俺にそんなことを宣った奴は、言ったことなど忘れてるでしょうけど……」


 兄が言い、飯田さんは頷きながら口を開く。


「でも、よく観察してますねぇ……娘も読んでまして、とても共感しているもんだから、やっぱり女性の先生は女性の描写がうまいんだろうなと思っていたんですよ」

「別に俺が女性でなくても書けますよ。女の子をモデルにすればいいんですからね」


 兄が書いている恋愛小説に出てくるヒロインの話らしい。


 それを知っているという事は、飯田さんは兄の恋愛小説を読んでいるのだろうか?


「兄の小説、読んでくれているんですか?」


 尋ねると、飯田さんは照れた。


「恋愛もの、好きなんですよ。最近はありがたいですよね。私みたいなおっさんでも、電子書籍を購入すればレジで恥をかかなくてすむ」


 電子書籍の恩恵は、こういうものもあるのだろう。


 それにしても、兄がペンネームを女性風にしているのはそういう理由もあったのかと思いつつ、さすが俺の兄だけあってひねくれていると思えた。


 飲み物が運ばれてきて、飯田さんが「では」と切り出した。


「野間学園高等学校の事件……私は事件だと思っていて調べていたんですが、違うところでミスをして、今はビルの隅っこで記事の記録を管理しているだけの仕事です」

「異動ですか……」


 兄の声が沈み、飯田さんも表情を暗くする。


「ええ……野間学園の事件と同時期、近くで児童虐待の事件があったんですけど、そちらの取材の際、加害者家族にコメントを求めようと迫ったら、相手が高所から落ちましてね……幸い、命に別状はなかったんですが相手が騒いで……会社からもこっぴどく怒られまして、ハハハ……相手が逃げるので、小走りで追いかけたのがまずかったんです」


 あっさりと知りたかった情報を聞けた。


 そういう時、会社は守ってくれないのだろうか?


「一応、これは私の為でもあるんですよ。この程度の処分で済んでいるから、また記事が書けるときがやってくるかもしれないし……でも、残念でならないのは、私が異動したことで野間学園の取材は、軽くさらっと……表面だけの聞き取りをして終わりになった事です」


 飯田さんはもしかしたら、この件で誰かと話をしたかったのかもしれない。今は異動しているから、車内で違う部署のことをあれこれと言えないのではないか。だから今日、会ってくれたのではないか……。


 そういう漠然とした印象を持った時、兄が俺の背中を軽く叩いた。


「コイツの知り合いが、飯田さんが取材していた事件の関係者なんですよ。当時は高校二年生だった女の子が、今は大学三年生です。三年……四年は早いですね」


 兄の言葉に、飯田さんがコーヒーを啜った。彼はポケットから煙草を取り出し、兄と一緒に火をつける。


 飯田さんが、手帳をペラペラとめくって言う。


「話せる範囲でよろしいですね?」


 兄は、「もちろんです」と答える。


 煙草を咥えた元記者は、手帳の頁を眺めながら口を開く


「黒田朱美さんは、確かに、誰とでも仲良くなるというタイプではなかったようですが、内向的であったとか、そういうタイプではなかったと中学時代の同級生達が話しています」


 高校に入って変わったという事だろうか?


「ただ……彼女と高校一年生の時に同じクラスだった子で、二年になっても登下校を一緒にしていた彼女の友達によると、気になる事はあったとも言っていますね」


 兄が身を乗り出す。


「気になる事?」

「ええ」


 飯田さんが、手帳をめくり、言葉をつむぐ。


「……黒田朱美は、もしかしたら、クラスでイジメに遭っていたのではないかとその友達は言っているんです。いや、その友達が尋ねた際、本人は否定したそうです。でも、それは強がりとか、恥ずかしさとか、心配させたくないとか、そういう感情からの否定でというのは、少なくないケースだと思うんですね」


 彼は言葉を選ぶように、瞬きの度に視線を散らして口を開く。


「どうして、話してくれなかったのか? どうして隠していたのか? イジメの被害者の周囲にいる大人達はこう言うことがあるんですが、話せないんですよ。いや、話す時はもう、どうしようもなく困った時くらいじゃないでしょうか……それも、本当に大変な勇気を振り絞って吐露した結果だと……私は思うんです」


 飯田さんは、長くなった煙草の灰を灰皿に落とし、一口吸うと灰皿に煙草を押し付けて消した。


彼は、煙と声を吐き出す。


「黒田朱美の場合……もしかしたらその友達は、自分の友達がイジメに遭っていると知ればクラスに乗り込んで行きかねないタイプだったのかもしれない。それは時に、物事を悪い方向に加速させるケースもありますから……それを心配した黒田朱美は、大丈夫だよ、何もないよ、と嘘をついたという可能性はあります」


 兄も煙草を消し、俺は煙ハラスメントから解放された。


「その、黒田朱美と仲の良かった同級生は、どうして黒田朱美がイジメに遭っていたと感じたんでしょうね?」


 兄の質問に、飯田さんは、手人差し指を立てて「ああ、そうそう」と言いながら右手を軽く振り、手帳へと視線を幾度か落としながら答える。


「上の空で考え込んでいたような雰囲気であることが多かったとか、二年になってしばらくしてから、疲れていたような感じだったとか……成績に関しては良かったようで、まあ本人がどう思っていたかは別ですけど、その友達から見て成績で悩むようなことや、家に問題があったはずがないとのことで、あとはクラスかと思ったようです。実際、その友達は黒田朱美のクラスに何度も様子を見に行ったそうでして」


 飯田さんがコーヒーを啜り、ゴクンと飲んで続ける。


「いつ行っても、黒田朱美は自分の席でポツンとしていたそうです。だからだと」

「それにしては、飛躍していると思いますが」


 兄の指摘に、飯田さんも頷きつつ、「だが」と口を開く。


「そうだとしても、その友達の主観としては、これはおかしいと。イジメに遭っているのではないかと思ったんでしょうね。まあ、私も記事にはイジメではなかったと書いた通り、学校や同級生側の証言に重きを置いたわけですが」


 確かに、記事にはイジメはなかったと書かれていた。


「あの……」


 俺は、どうしても確認したいことがあり、身を乗り出して飯田さんに尋ねる。


「クラスメイトは皆、イジメはなかったと言っていたんでしょうか? 学校も?」

「ええ」


 飯田さんが腕を組む。


「イジメなどなかった。ただ……黒田朱美がいつも一人でいたという事実はあったそうです。それはしかし、クラスメイト達にしてみれば、イジメていてそうなったわけではなく、彼女がそれを望んで、そうなっていたとしか答えようがない的な返答でしたね。話しかけてもそっけなく、話しかけられることもなかったそうですから」


 俺は首を傾げる。


 黒田朱美がそういう子であったとして、じゃあ友達だったという同級生はどうして友達になっていたのか……? 中学校時代の友達は、そんな態度が普通の黒田朱美とどうやって付き合っていたのか? 


「親御さんは何て仰ってたんですか?」


 兄の質問に、飯田さんは難しい顔を作る。


「うーん……彼女のご両親は、彼女が幼い頃に他界しておりまして、祖父母が引き取って育てていたんですね。ですから、私が取材したのは祖父母になるんですが、お二人とも口を揃えて、自殺なんてあり得ないと言っておりました」


 飯田さんは、兄と俺を交互に眺め、わざとらしく周囲を窺うように視線を彷徨わせると声をひそめる。


「これは私の印象でしかないんですが、学校はイジメはなかったことにしておきたい。クラスメイト達に関しても、皆が口を揃えて同じ証言であることに違和感があり、ただの自殺ではなかったのではないかと思います」


 彼は、古い手帳の端をちぎると、ペン先を紙面に走らせる。


住所と電話番号、そして電話番号のみが記されていた。


「手帳に残っていた番号と住所ですから、今もこれでいいかはわかりませんが、住所と電話番号は黒田朱美の祖父母のもの。電話番号だけのものは彼女の友達です」


 兄と俺は、同時に「助かります」「ありがとうございます」と感謝を口にした。


 飯田さんは、暗い表情で口を開く。


「私の名前は出さないでください。入手先を訊かれたら、黒田朱美さんのクラスメイトを辿ったと言って頂けますか?」

「わかりました」


 兄の承知で話は終わりだという空気となり、俺が立ち上がると飯田さんが兄に言う。


「情報提供料をください。私と娘、受付の子にサイン、もらえません?」

「いいですよ。新聞社の……この名詞の部署に送ります」

「よろしくお願いします」


 こうして飯田さんと別れた後、二人で駐車場まで戻ると車に乗り、改めてメモを見る。


 俺も兄も、思わず二度見していた。


 黒田朱美と仲の良かった友達というのは、男の名前だったからだ。


 岸田(きしだ)亮一(りょういち)。


 意外というか、納得というか、なんとも言えない気持ちである。


 黒田朱美は、彼をただの友達と思っていなかったのではないか? だから、話せなかったのではなだろうか?




-nightmare-




 その日は俺にアルバイトが入っていたので、兄は電車で自宅に帰った。


コンビニでの深夜シフトをこなして帰宅した俺は、風呂に入って睡眠を取る。


着信で 目が覚めた。


 ディスプレイの時計は、午後一〇時前を示していて、着信は清宮さんからだった。


アルバイトを終えて帰宅したのが朝の六時半だったので、三時間ほど寝たことになる。もっと眠りたかったが、世間では普通に起床して生活している時間帯なので仕方ない。


「もしもし」

「聖さん、今、どこですか!?」


慌てた声だ。


「家だけど」

「すぐ! すぐにイズミの夢に入ってください! 起きないんです!」


 眠気が吹き飛ぶ。


「俺のピアス、彼女のベッドにある?」

「あります。枕の下に置いてます」

「すぐに入ってみます」


 起こされて、またすぐに寝ることになるが仕方ない。


 横になろうとしたが、すぐに気付いて立ち上がる。素早く着替えをして、この前のジャンプの時に使ったボディバッグを抱えた。


 このわずかな時間すらもどかしい。


 ベッドに横たわり、瞼を閉じる。


 なかなか集中できない。


 ごちゃごちゃといろんな事を考えてしまう。


 起きないというのは、眠るのを我慢し続けていた結果、堪えられなくなって眠ってしまい、身体が目覚めることを拒否しているのだろうか。


 それとも……。


 あの不気味な夢が、彼女の覚醒を許さないのか?


 暗闇の中に、光が見えた。


 見つけた。


 急いで近づくと、夢は始まっていた。


 うっすらと、パソコンのディスプレイが発する光で浮かび上がる室内は職員室だとわかった。


 彼女は走っている。


 俺はそこに飛び込み、彼女の隣に立つものとばかり思っていたが、そうではなかった。


体育館の部屋かよ!


 俺はボディバックに肩を通し、ドアを勢いよく開けて外に出た。体育館のフロアにはバスケットボールが転がっていて、壁に当たってトンっと音を立ててまた転がる。


 上の観客席を気にする余裕はなかった。


 俺は体育館から飛び出し、地下通路を走る。


 途中、何があってもいいようにバッグから雑誌を取り出し、丸めて握った。


 突き当たりを右に曲がり、階段を駆け上がる。


 一階廊下は、点滅する裸電球で照らされていた。


 俺は、右方向へと進む。


 この道しか知らないからだ。


 階段。


 上を見上げる。


 踊り場で折れるように上に続く階段の手すりに身を乗り出すと、それと目があった。不気味や相手は、下を覗き込んでいて、明らかに俺の存在を予感しての動作だった。髪は伸び放題で、目は瞼がない。白目は充血し赤く、黒目である中心は白く白濁している。鼻は削げて穴が開いているだけだ。唇は裂けたようにめくりあがり、黒い歯茎に白い牙のような歯が生えそろっているのがはっきりとわかった。


 俺は動くことができなかった。


 恐怖で、身体が硬直してしまったようだ。


 相手は、一瞬で姿を消した。


 だが、バタバタという音が接近してくる。


 懸命に、身体に動けと命じた。


 刹那。


 踊り場に蜘蛛を連想させる動きでそれが現れる。


 ピタリと止まって俺を見た。


 口が、耳のあたりまで吊り上がるように開く。


「見ぃいつけたぁあぁああ」


 くそ! 動け!


 俺は反転し走る。


 後ろを肩越しに見た。


 手足を動かし、蜘蛛が這うように追いかけてくる化け物は、何かをブツブツと呟いているようだが聞き取れない。


「……んで……しが……るな……ぁあ……けいない……だろ……ね」


 ところどころで声が跳ねるように大きくなり、そこだけはっきりと聞こえる。


 俺は地下通路に続く階段を左手に眺め進み、突き当たりを右に曲がった。


 階段。


 駆け上がる。


 後ろから追いかけてくる。


「……だろ……か……そが……すぞ……がい……ぁがあ」


 男だ。


 追いかけてくるのは、髪が長いから女かと思っていたが男だ!


 俺は一気に四階まで上り、森本イズミがいるだろう職員室へと向かう。だが、校長室のドアが内側から勢いよく開かれ、セーラー服を着た女の子が現れた。黒髪は長く顔を隠しているが、その手には、血に濡れた長い包丁が握られていて、それで何をしたのか、問うまでもなくわかる。


 相手は女の子だ。


 油断しなければ!


 正直、後ろから追っかけて来ている奴のほうが何倍も不気味だ。


「森本さん! いるかぁあ!?」


 叫んだ俺。


 次の瞬間だった。


 廊下に現れた女の子の顔をはっきりと見た。


「森本イズミ!?」


 止まれない。


 彼女は、微笑むと包丁を突きだす。


 俺は、吸い込まれるようにその切っ先に突っ込み、彼女と抱き合う格好で止まれた。


 抱きしめ合う。


 俺は、彼女の髪に触れる。


 するりと、腰まで伸びたボサボサの髪が落ちた。


 カツラ……。


「な……なんで?」


 声が震える。


「こうしないと、私が殺されるから……」


 俺が耳にした最後の声は、間違いなく森本イズミのものだった。




-nightmare-




 カっと口を開き飛び起きた俺は、自分の胸のあたりを触る。


 包丁は刺さっていない。


 だが、汗に濡れた身体はとても冷たく、心臓は激しく動いている。


 喉がカラカラだ。


 携帯電話が鳴り始めた。


 清宮さんだ。


 なんと説明すればいいのか……。


 出ないわけにもいかず、着信ボタンを撫でる。


『もしもし、聖さん! イズミが! イズミが!』


 彼女の声が聞こえてくるが、その背後から複数人の声も聞こえてきた。とても慌てているとわかる。


 動転している清宮さんを落ち着かせるべく、俺は「落ち着いて」「大丈夫」と声をかけるが、彼女には全く効果がない。


 森本イズミは、眠ったまま心臓が止まった。


 清宮さんは、森本イズミの呼吸音が消えたことから、すぐに胸に耳をあて、これは大変だと救急車を呼んだそうだ。そして、俺に電話をかけ続けた。


 電話を終えて、着信履歴を見てみれば、清宮さんからの着信がずらりと並んでいる。


 俺が彼女の夢に入った時、すでに彼女は心停止の状態になっていたのかもしれない。


 森本イズミは、病院に搬送された。


 彼女はまだ死んではいない。


 だが、目覚めない。


 心肺装置で生命を維持している状態だ。


 俺は、どうやってそこまで来たのか記憶がないほどに慌てて、病院に辿り着いていた。


 森本イズミの家族、清宮さん……。


 警察の人達もいた。


 清宮さんは、説明をしていた。


「眠るのが怖いから、一緒にいてと言われて、一緒にいたんです。眠ってしまったら、起こして欲しいと言われてました。でも、全く起きなくて、息も止まって……それで……」


 目に涙を溜めて説明する清宮さんに近寄ると、警察の人達から「誰だ?」という目で見られる。もちろん、森本イズミの家族からも……。


「聖さん」


 清宮さんが、俺に抱きついて来た。


 彼女の肩を抱き、森本イズミのご両親に会釈をする。


 俺も、警察から事情を聴かれた。


 怖い夢を見るから、眠りたくないという事情を聞かされていた。専門医に相談しても解決しないとも聞いて知っていた。彼女の気が楽になるのであればと、話を聞いてやっていた。


 こう説明するしかない。


 兄の言う通りだ。


 人は、嘘をつくのだ。

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