同族殺しは愚者である

三月弥生

一章 異世界洗礼

00  そして生者はいなくなった(1)



 ――そこは数時間前まで何の変哲もない街の一つだった。


 人が住む住居や怪我や病気の際に活用する医療機関、生活必需品から多彩な娯楽用品を扱う商業施設等の近代建築が立ち並び、多くの人々が集り賑わいある平凡で平穏な日常が流れる街……そんな何処にでもあったはずの街は今はもう無い。

 あるのは日常を逸脱した凄惨な光景。

 熱気孕む風が火の粉を巻き上げ、街を包む炎を猛らせる。炎は何の容赦もなく、そこで生きていた人々にも等しく灼熱の抱擁を与えていた。

 そして今も尚、ここは人にとって……いや、命あるモノ全てにとっての死地。

 災禍の炎が煌々と夜闇を照らすその場所で、一人の青年が静かに憂いを帯びた眼差しで紅い虚空を見つめ佇んでいる。


「………………」


 熱風に靡く灰色の髪と漆黒のロングコート、深い悲しみと後悔を滲ませる銀と深紫の色違いの瞳に陰のある表情。今にも倒れてしまいそうな雰囲気で有りながらも大小一対の血を滴らせる刀を握りしめる両手と、百八十を超える長身を支える足はしっかりとしていた。コートの上からでも分かる一切の緩み無く鍛え抜かれた肉体は脂肪だけでなく、過重な筋肉さえ削ぎ落とされている。

 その体躯はまさに彼が手に持つ鋼の刃を思わせる、何よりそれを証明するかのように彼の足下に広がるどす黒い血溜まりと数え切れない程に転がっている人の屍。

 青年の持つ双刀によって斬られた者は最低でもその身を四つ以上に分断され、拳あるいは蹴りといった打撃を受けた者は腐りかけた果実のように無惨に潰されていた。その惨たらしい骸と彼が手にする血塗られた刀を見れば、誰もがこの惨劇を造り出したのが青年だと理解するだろう。

 この世に地獄があるのなら……青年が立つこの場こそが地獄だ。


「……作戦終了。マクスウェル、武装解除」


『イエス、マスター』


 落ち着きのある凜とした声と機械的な女性の声が紅い戦場に響く。

 それと同時に、青年の手にしていた双刀の刀身が澄みきった音を立てて砕けるように消え柄だけが残る。

 青年は柄だけとなったそれを腰に装着している専用のホルスターに納めた。


『衛星から受信した作戦領域の索敵映像を分析…………敵影無し。マスターの体温、心拍数、肉体損傷率いずれも問題ありません。バイタルチェック完了を持って大規模討伐作戦を終了――作戦終了五分前には衛星との回線を遮断しておきました。安心して下さい』


「………………」


 青年は自分の首に身につけている白銀のチョーカー―― 戦闘支援型自律AI『マクスウェル』の本体である機械水晶に触れ、彼女の声に瞼を閉じゆっくりと口を開いた。


「助かる」


『いえ。ワタシがマスターにしてあげられる事は、武器の構築とマスターの周囲を警戒する事くらいですから礼はいりません……しかし、本当に実行するつもりですか?』


「……ああ、もう俺には戦う理由なんて無い。無くなってしまったんだからな」


 辺り一面、血と死体で埋め尽くされた場所で、青年は辛辣な表情でマクスウェルの問いに答える。


「すまない、俺の勝手な都合にお前を巻き込んでしまって」


『そんな事を言う必要はありません。それよりも今は、またとないこのチャンスを活用しましょう……マスターの願いを叶える為に』


「それが俺に許されているのなら、だがな」


 青年は眼を細め周囲の状況を確認する。彼の眼に映るのは少しも変わる事のない咽せる程の血の匂いが漂う赤い煉獄。


『これだけの人と《輪外者》の死体が転がっていればマスターが逃げたのか、死んだのかなんて簡単に調べられる物ではありません。軍から逃げきれる可能性は充分かと』


 マクスウェルの言う通り、青年が此処から逃げる事は出来る。青年がたった一人で造り上げた救いのない末法の世、常人が見続けるにはあまりにも悲惨な光景だ。最新の科学技術を駆使し、遺伝子レベルで調べたとしても、無数の骸の中から青年が生きているという痕跡を見つけ出すのは至難の業だろう。

 青年の目的を叶えるのなら、これ以上無い好条件だ。


『ですが、逃走手段に問題があります。これまでもマスターは何度もあの能力を使用していますが、あの設定条件では――』


「良いんだ、今の俺にはうってつけだろう」


『マスターが良いのであればワタシは何も。しかし、身の安全は保証出来かねます。海の上に出るか、断層の中に出るか……もしかしたら宇宙空間に放り出されてしまう可能性も』


「分かってる。逃げ延びだ先が人間の生きられないような場所だったとしたら……それは間違いなく俺の運命だ」


 今、この場にある屍山を築き上げたのは他の誰でもない自分自身だ。何人もの命を奪ってきた自分が逃げた先に待っているものが、逃れ得ない【死】だとしても拒む気は無い。

 だがそれでも、何もかも失ってしまった自分に残されたちっぽけな願いを叶えるには、もう逃げるという選択肢しか残っていないのだ。


「自分の意志で選び歩いた道の先に在るものが、望まない物だったとしても俺の迎えるべき結末だと言うのなら……俺には願いを叶える資格がなかったっと言う事だろう。諦める事が出来なくても納得する事はできる」


 自分がしてきた事に、してきてしまった事に青年は悔いて色違いの双眸を細める。


『……マスター、アナタはもう少し我が儘に生きるべきです』


 マクスウェルは悲しげな声で青年に語りかけた。


『したい事があるのならするべきです。たとえ人でありながら人の理なら外れた異業の力を持つ《輪外者》、その中で最強と謳われる能力者だとしても……マスターはまだ成人に達してさえいないのですから』


「……ありがとう」


『大したことは言っていません。それより、時間です』


「そう、か」


 マクスウェルの言葉に、もう傷心に浸っている暇が無い事を悟る青年。

 この死が跋扈する街で生き残っている自分を回収しに来る者達が、刻一刻とこちらへ向かってきているはずだ。

 青年は未だに迷いが残る自問自答をやめ、大きく息を吐きながら眼を瞑る。

 そして、再び眼を開いた時、青年の左眼が僅かに光を灯す。

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