同族殺しは愚者である

その是非を問えずとも（3）

　空に広がる蒼に偽りは無く、ソレは雲一つ無い青空の下で静かにその身を晒し続ける。

　されどソレは誰の眼にも止まる事は無い、地を駆ける野の獣、大空を気の向くままに羽ばたく鳥の一匹にすら見向きもされない。

　ソレを眼にしているのは、見ることが出来るのは、見下ろすことが出来るの蒼空だけ。

　ラウエルという都市は消え変わるように姿を成したのは深い、深い大穴。

「…………全員、怪我は無いか？」

　街の名残はおろか瓦礫の一つも残さずに鎮座する大穴の底で、自分以外の安否を確かめる名無の声が響いた。

「は、はい……私もティニーちゃんも無事です」

「こっちも大丈夫だ、坊主はどうだい？」

「僕も大丈夫だよ」

『五人全員の生体スキャンを完了、クアス・ルシェルシュとの戦闘で手傷を負ったマスターを除いて全員に外傷はありません。あの状況下であれば最大限の結果でしょう』

　奈落を思わせる大穴、それは『聖約魔律調整体』に内包されていた魔力の暴発によって造り上げられた物だった。その街一つ丸ごと吹き飛ばす赤雷の中心に居ながらも名無達は、傷一つ追う事無く難を逃れていた。

『これだけの威力と規模では生半可な防御手段では意味をなさなかったでしょう、『』が無ければ危ないところでした』

「あたしとの腕試しやさっきの戦いで使ってた魔法だろ？　まさかこんな馬鹿げたもんまで防ぎきるとは……主人殿は本当に規格外だねえ」

「うん、もう駄目だって思ったもん」

「そうか、フェイもよく頑張った」

　地面にへたり込むフェイの頭を撫で『絶越断界』を解除する名無。

　まだ警戒を怠るべきでは無かったが辺りには何も無い、まして地中深くから空へと穿孔した大穴。上を見上げれば空は遙か頭上、名無達から空を見る事が出来ても上から彼等がいる地底を目視するのはほぼ不可能。

　必要の無い能力を何時までも発動していても意味は無いだろう。

（都市一つ消し去るだけの威力……当分の間は『絶越断界』の再使用は難しいな）

　どうやら自分と戦う事だけでなく、『絶越断界』を使えないようにする事も含めてクアスの目的だったようだ。あの口ぶりからして『絶越断界』が魔法も含めて最大の防御方法だと分かっていたのは間違いない。

　攻撃の規模からして数日どころか数週間、下手をすれば数ヶ月単位で使えない可能性がある。それを見越して計画を立てていたのだ……所持している全ての能力が露呈しているとは考えたくは無いが、再会の言葉を残していった以上は手の内が全て露呈していると覚悟しておいた方が良いだろう。

　二度と使えなくなった訳では無いとは言え、『絶越断界』を奪われたも同然の状況に歯がみするも冷静に次の行動を起こす。

「マクスウェル、地上までの距離は？」

『人工衛星による画像解析データが無いので正確に計測できませんが、マスターの身長を基準に予測計算すると約二千メートルになります』

「この施設はそれだけ深い場所に設置されていたのか……暴走した魔法具の威力にも驚かされたが、建築技術にも驚かさせるな」

『ですが、やはり真に驚くべきは暴走した魔法具の威力とその性質です。核には遠く及びませんが、その威力は誘導ミサイルの通常弾頭などと比較できない物です。その上、効果範囲――爆発をむやみに拡散させるのでは無く、指定したであろう領域内に完全に留める事の出来る制御技術。科学者達が目の色を変えて飛びつく光景が想像できます』

「ああ、十中八九悪用されるだろうな」

　コレが核兵器開発に応用することが出来れば、爆発と共にまき散らしてしまう放射能による被害を抑えることが出来る。殲滅目標区域外への汚染被害を考える事なく多様できるとなれば、通常弾頭による遠距離戦すらする必要は無くなる。

　純粋な破壊力、そして収束される放射線に二次汚染。

　先だって核を放った国が無傷で勝利する事が出来る新たな殺戮兵器が完成する……そうなれば生きた兵器として戦争にかり出される《輪外者》達の存在価値も、理不尽に与えられる痛みさえ意味を失う。

　人も《輪外者》も戦う必要性がなくなるかも知れないという可能性も出てくるが、ボタン一つで争いが終わってしまうとなれば、それこそ人間という種は命の重さをはかり見違えるに違いない。

　画面の向こうで失われる命は、失われた事実に心を痛めたとしても所詮は映像と情報の羅列、他人事である事に変わりは無いのだ。

　こうして直に命のやり取りをしている方が幾らかマシだ。自分の意思で、自分の手で、自分の眼で命を奪う事が悪であると正しく認識することが出来るのだから。

「また主殿の口から聞き覚えのねえ言葉が出てきちまってるが……それより、これからどうすんだ？　こんな有様じゃやれる事は多くねえけどよ」

「どうするか、か……」

　コーディーが言ったのは、この地底から地上に上がる事。そして、出来うる限りの現状確認と物資の補給だ。しかし、今の名無は彼女の言葉を違う意味で捉えていた。

（これから先、この世界を見て回る事に変わりは無い。俺自身の願望を満たす為に、自己満足を押し通す為に……それすらも分かっていてクアスは俺と接触を図り、無視できない情報を残していった）

　自身の《輪外者》としての戦闘能力が漏洩している事については後手に回るものの対処のしようはある。だが、この世界に来て漸く自覚した自分の本質まで分かっている。

　正確に理解されているかまでは分からないが、本質の近しいところまで把握していなければ、こちらの行動を縛り付ける様に情報を幾つも残していくわけが無い。

（俺が奴らの思惑に乗らなくては今回の様な事がまた繰り返される。なら……）

クアス、そして魔王は自分との戦いで何かを見いだし果たそうとしている。こんな実験を躊躇うこと無く実行している相手に協力する気は更々無いが、ティニーやティファのように犠牲者を少しでも減らす為にも向こうの思惑に乗るしか無いだろう。

　――ずざっ

　これ以上考えても結論が変わることはないと結論づけた名無だったが、コーディーに答えを返す前に名無の背後で鈍い音が上がる。

「痛いっけど…………凄いな、私……これで生きてられるなんて…………ほんと、丈夫…………っ！」

　音の発信源はこの惨状を生み出した疑似人体魔法具『聖約魔律調整体』。

　あの爆発の起点でありながら、かの少女はその身を血だらけにしながらも確かに現存していた。

「あたし等以外に人がいたってのか……いや、あり得えねえ。居たとしてもさっきの状況下で生き残れる訳がねえ。あの嬢ちゃん何者だ？」

「この惨状を創り出した物そのものだ」

「まさかあの嬢ちゃんが」

「話は後だ、コーディーさんはレラ達を――」

「大丈夫、大丈夫です………ナナキさん」

「レラ……っ！」

　満身創痍の風体を見せる『聖約魔律調整体』にトドメを刺そうと対輪外者用武器を構えようとする名無だったが、レラの声が名無を踏みとどまらせた。同時に、呼び止められた理由を眼にし名無は眼を見張る。

「これは……」

「さっきの暴走で砕けて散った……私の……身体のいち、ぶ……になるのかな。私も、よく分からないけど……ね」

　名無の目に映るのは血まみれのティファの身体が淡い光を放つ光景、そしてそれはティファの身体だけではなく地の底を照らすように辺りから穏やかに立ちこめていた。

「この光からティファさんの心の色が読み取れたんです、落ち着いた緑と優しい水色、それとは別の色が入れかわってますけど……ティファさんに悪意はありません」

「………………」

　ティファ……であろう少女の苦笑混じりの言葉と懇願めいたレラの声に構えを解く名無。

「おいおい、そんなすんなり信じて良いのか主殿？」

「レラの力なら嘘かどうかも判断できる。仮に彼女の心の色を読み取る能力を欺けたとしても俺が対処する、おかしな行動をすれば直ぐにでもトドメを刺す」

　その場から半歩だけ足をどけ道を空ける名無、構えを解いたとは言っても両手には対輪外者用武器が握られている。ティファを映す瞳も鋭いまま。だが、そんな名無を見てティファは嬉しそうに笑みを溢す。

「ナナキさんが優しい人で、安心した……ティニーのこと、ちゃんと考えてくれてて……」　

　名無から厳しい言葉を掛けられても、その裏にある甘いと糾弾されてもおかしくない優しさをくみ取ったティファは覚束ない足取りでレラとティニーの元へ辿り着く。

「ありがとうございます、レラさん。あなたが居てくれたお陰で、時間を……無駄にせずにすみました」

「私の事は気にしないでください、今は……」

　レラはそれ以上言葉を紡ぐこと無く唇を噛みしめる。

　名無が傷を治さなかったこと、穏やかに立ちこめる光がティファの身体の一部であること、それらからティファに残されている時間が少ない事を理解出来てしまったから。

「はい……ありがとう、ございます」

　残る時間の全てをティファの思うとおり……レラの気遣いに感謝しながら、ティファは膝をつきティニーの頭をゆっくりと撫でる。

「たった数日、会わなかっただけ、なのに……ティニーに会えた事が嬉しい。外の世界を知って、ちょっとだけ成長したティニーが見れてとっても嬉しい……ティニーが私の事を、まだ……お姉ちゃんだって思っていてくれて凄く、嬉しかった……」

　眠るティニーに彼女の声は聞こえない。しかし、構うこと無くティファはティニーの髪を優しく梳かす。

「私が化け物になって怖かったよね、生きる意味を否定されて辛かったよね……ナナキさん達を巻き込んで泣きたかったよね――でも、明日を生きるティニーには必要な事なんだよ」

　この世界は弱い者を、力のない者を淘汰するように出来ている。

　そんな世界でティニーが受けた痛みは、悲しみはありふれた悲劇の一つでしかない。

　大切な人を殺された者、殺さなくてはいけなかった者。目の前で家族が、友人が、仲間が……自分の世界を形作る掛け替えのない人達が、理不尽に傷つけられ、犯され、弄ばれる現実が其処ら彼処に転がっている。

　ティニーよりもずっと目も当てられない悲劇に襲われている誰かが、この瞬間も生まれていてもおかしくない。

「生きていれば嬉しいことだけじゃ無い、幸せなことばかりじゃ無い……辛いことの方がずっと多い、きっと沢山ある。それを知ることが出来なかった姉さん達も同じくらい可哀想だったんだよ。だから、ティニー……泣いてばっかりじゃ駄目、ちゃんと前を見て生きなきゃ……だよ」

　その結果は自分以外の実験体である姉達と同じく死という結末……けれど、自分自身で選び取った答えが誇らしさで胸を一杯にしてくれている。

「ティニーには……明日がある、今日よりも辛い日になるかもしれない、悪い事が重なる日かもしれない、ずっとずっと暗い日が続くかもしれ……ない……けど……」

　淡い黄色の輝きに包まれたティファの身体が、静かに揺れ飛ぶ光に混じって行くように薄れていく。ティニーの髪を梳いていた指先はおろか手も消えかけていた。

「けど、それでもきっと、ティニーは大丈夫。ティニーは一人じゃない……どんなに先の見えない未来に晒されても、大丈夫……ティニーの隣に私はいてあげられないけど……でも、あなたと一緒に居てくれる人達が居る……から。悲しみを、辛さ分かち合ってくれる人達が……嬉しいを楽しいを、沢山くれる……優しい人達がいるから」

　指先から始まった消失は腕、胸、肩と進み残っているのは首から上。程なくして言葉を紡ぐ口元も消えてしまうだろう。自分の最後が差し迫っている中で、ティファは微塵も死に怯える様子も無く言葉を残し続ける。

「だから、いつか私達の所へ来る時が来たらでいい……私が見ることの出来なかった物を、知ることの出来なかった事を――『お姉ちゃん』に教えてね」

　口にした言葉は、紡いだ思いはティニーの姉として残すべき遺言であり未練であり……そしてまた彼女が初めて抱い証だった。死後の世界があるかは誰も分からない、会ったとして再会することが出来るのかも分からない。

　しかし、死にゆくティファが出来る二度目の抵抗。

　死ぬ事を覆す事は出来なかった、それでも先だった姉達とは決定的な違い。それは自分が選んだという事実を残すこと。

　ティニーの代わりに死んだと言う事実を、ティニーの姉として生きたという証拠を、言葉で、想いで――ティニーを生かすことで証明する事を。

「最後なのに……こんな事しか出来ない、酷いお姉ちゃんでごめん……。でも、でも……貴女の幸せを祈っているのは本当だから、貴女のお姉ちゃんで居られて幸せだった事は本当だから…………だから、直ぐに来ちゃ駄目だからね………………ティニー」

　懺悔の言葉と一緒に残された嘘偽りの無い感謝の言葉と最愛の妹への呼びかけを最後に、ティファはほどけ消えていく光と共に今度こそその命を終わらせた。

　ティファと黄光が消えた事で再び穴の底に冷たい暗がり舞い戻り、微かに濁ったような音が響く。

　だが、

「マクスウェル」

『なんでしょう、マスター』

「ティニーは眠りから覚めているのか？」

『いいえ、ティニー様の脳波は未だ睡眠状態のものです』

「そうか、なら俺が見たのは見間違いだな……コーディーさんもそうだろう」

「ああ、こんな暗がりじゃ近くを見るのも覚束ねえってもんさ。坊主も何も見えねえだろ？」

「うん、暗くて何も見えないよ」

「レラはどうだ？」

「私も同じです……何も見えません、何も」

「なら、全員の眼が暗がりになれるまで待とう……時間はある」

　……うぅ……ぐすっ……く……ぃ……ティ……姉ぇぇ……

　戦いは終わり無事に生き残れたとしても街が消えて無くなってしまった以上、今後の計画を立てるだけで無く情報の収集も旅に必要な物資の調達も迅速に行わなくてはならない。

　自分達が置かれている状況がどれだけ危険で緊急性を要するものなのか、それが分からない者はここにはいない。それでも名無達は何もかもが消え去った暗がりの底に留まり続けた。

　起きているはずが無い少女が溢す涙と必死に押し殺す嗚咽が止まるまで。