偽空の下で(3)


『…………………………生体スキャン完了しました』


 造りものの青空が朱く染め上がった頃。

 第三区画の中で人の営みが感じられ無くなる状景が出来上がった廃墟の一つで、落ち着きある女性の――マクスウェルの声が響く。


『少女の命に別状はありません――が、少女が身に付けている衣服から検出された血液データは間違いなく彼女の物です』


「やはりそうか」


「で、でも……傷は見当たりませんよ?」


 廃墟の外には偽りとは言え眩しさを覚える夕日が静かに佇み、その外観を照らしてはいるが室内は酷く薄暗い。水と油のようにくっきりと人々の喧噪と無人の静寂が隔たれたその一室で、マクスウェルの診断結果に対し肯定する名無の声と困惑の響きに揺れるレラの声が後に続く。


『ですが体内の血液総量が不足しています。年齢は十歳前後、体重は二十五キロほど。体型からして血液総量は約千九百ミリリットル、体重と血液総量からすると出血による致死量はおよそ二分の一から三分の一の量になります。現在、少女の体内血液残量はおよそ三分の二、つまり致死量に届く約三分の一の血液が失われている状態です。衣服の状態から判断して外敵から危害を加えられたとしたら少なからず衣服にも損傷がみうけられるはず。外傷が無いという疑問点も踏まえれば第三者の血液であると考えるのがだろうですが、生体スキャンから得られた血液データは少女の体内血液と同型。考察すべき疑問点があり幾つか仮説を立てる事が出来ますが、この少女と情報のすり合わせが出来ない状況では憶測の域を出ないかと』


「え……えっと……?」


「簡単に言えば服についていた血はこの子のもので、命を失ってもおかしくない血を流してはいる、その原因になる傷が無いという問題点はこの子が起きてから聞いた方が早い……と言う事だ」


 マクスウェルの口から矢継ぎ早に提示される解析データと少女が抱える不可解な状況、その解説にはレラの知るよしもない知識によるものだった。何の予備知識も無くレラが名無達にとっての常識を聞けば戸惑うのは当たり前である、名無はレラにも理解出来るよう簡単に要点を絞る。


「あ、ありがとうございます。でも、その……」


「ああ、問題はこの子の事だけじゃない」


 名無は薄暗い室内を一切の音を立てず窓際へと移動、壁に身を隠したまま外へと視線をとばす。マクスウェルの索敵で廃墟周辺に敵の反応は無し。それ以上の距離も名無の眼に見える範囲でもそれらしい人影は確認出来ない。


「魔法の気配も無い、とりあえずだが追っ手は撒けたと考えて良い」


「い、いったい何が起きてるんでしょうか?」


「分からない、状況的にはこの子が命からがらに逃げているのは間違いないだろうが……」


 ラウエルに着いてから数時間、情報収集も特に行えていない現状では自分達から踏み込んだ問題がどのような物なのか断定することは出来ない。

 何らかの事情で追っ手達の反感を買ったか、知ってはいけない事情を知ってしまったか、盗みを働き報復を受けたのか。弱肉強食という理念の元に社会基盤が整えられた都市である事も考えれば、大した理由も無く痛めつけられ追い回されている事も有り得る。

 寧ろ理由も無く追われているなら問題の解決は簡単、酒場と同じように人間社会の流儀に従って力を示すだけで済む。だが、それ以外の理由で追われているのなら下手な行動は取れない。


「この子が眼を覚ますのを待つしか無いですね」


「いや、追っ手を撒いたとは言え追われている状況に変わりはない。弱った身体に鞭を入れるのは気が重いが無理にでも起きてもらおう」


 今の所、追っ手の姿も無くそれらしい気配も感じない。名無は窓から離れ浮かない表情で眠っている少女の傍らへと戻る。


「あ、あの、あまり乱暴には……」


「安心してくれ、少しでも安静にすべき時に無理をさせるんだ。起こすとは言っても痛みを与えるような事はしない――『意心起醒(メンテ・リズヴェリオ)』」


 眠る少女の額に優しく右手を置き能力を発動させる名無。

 人の脳の活動は起きている状態、脳は起きているが身体は眠っているレム睡眠、脳は眠っているが感覚器官や筋肉と繋がったままのノンレム睡眠の三つに分けられる。

 この廃墟までの間に少女の身体が受けた感覚で眼を覚まさなかったことから、彼女の状態は前者。大量の出血で低下した体力の回復だけで無く、夢を見たり起きている間に得た情報を整理する為のレム睡眠だろう。

 名無が使ったのは能力は先に述べた二つの睡眠状態のどちらでも意識を覚醒させることが出来る能力だ。眠る少女を優しく起こすだけでなく、捉えた敵兵を尋問したり拷問した際に無理矢理意識を覚醒させるという容赦の無い使い方も可能である。

 使う相手が敵対する物であれば気後れすること無く使っただろうが今回は無害であろう少女だ、無痛で起こすことが出来るとは言え休ませてやりたい名無の表情は少しばかり暗いものだった。


「………………っ………………」


 しかし、痛みの無い目覚めである事は確かである。

 横たわっていた少女の瞼がゆっくりと開き、視点が定まっていない朧気な翡翠色の瞳が現れる。


「大丈夫ですか? 何処か痛いところはありますか?」


「まぞ……く? ど……して……?」


 眼を覚ました少女を優しく労るように抱き起こすレラ、その感触に少女の定まらない視線がレラへと注がれ当然の疑問が溢れ出る。


「無理に起こしてしまって済まないな、辛いだろうが今は――」


「ひっ!?」


 しかし、すぐ傍にいた名無を眼に映した瞬間に少女は顔を青ざめさせ引きつった声を漏らした。


「やっ、やっ! 戻ら――い、痛いの――やっ!! ティニ、戻ら、な――こな、いでえぇ!?」


「………………」


 声を上げるのもままならないほど弱っている身体を必死に動かしレラの腕から逃れ二人から離れようとする少女。その光景は彼に取って見覚えが有りすぎるもで、あれから大分経った今でも苦い表情を浮かべ黙り込んでしまう名無。


「こない、で。も――痛い、痛いの――やっ……やぁ……」


「大丈夫です」


 そんな及び腰の名無に変わって這いずって逃げようとする少女へとゆっくり近づいて、もう一度抱きしめるレラ。しかし、名無を見て涙を流し怯えきった少女は尚もレラの腕から逃れようと何度も抵抗を試みていた。

 それでも、


「大丈夫、大丈夫です。何も痛い事なんてしません、街の人達に差し出す事もしません……酷い事なんて何もしません。だから大丈夫、大丈夫ですよ」


「っ……ううっ……ひぐっ……っう、んぅ……ぁ…………」


 レラは堪えきれない嗚咽を溢す少女をしっかりと抱きしめ背中を静かに、リズム良く撫で続ける。少女が自分達に向ける警戒心と恐怖を、此処には居ない心なき追跡者から受けた身体と心の痛みと傷を癒すように。


「それでも怖いなら、辛いなら泣いてください。たくさん、たくさん泣いて良いです……私もお兄さんもあなたの涙が止まるまで待ってます。泣いて、泣いて……涙が出なくなるまでずっと…………何も心配いりませんからね」


「……ひっぐ……うぇ……うぅぐ……ひっく…………ぅ……………………」


 自分を抱きしめるレラの温かな言葉と柔らかな体温に落ち着きを取り戻したのか、か細い泣き声は次第に小さくなっていき規則正しい息づかいに変わっていった。


「……眠ったみたいだな」


「ごめんなさい、寝かしつけてしまって。でも、今は……」


「謝らないでくれ、君の方が正しい」


 追っ手を振り切ったとは言え何も変わっていない状況を打開させるには少女の知る情報が何よりも必要だ。しかし、弱っている少女にこの状況で取り乱す程の体験を語らなくては成らないそれを強いるのは倫理的に悪手でしかない。

 レラの言い分はぐうの音も出ない正論中の正論……何より涙を流しレラの腕の中で寝入ってしまった少女の姿を見てしまっては、名無に無情な選択など出来るはずも無かった。


『少女から情報収集が出来ない以上これからどうしますか?』


「宿に戻る。このまま此処に居るのは追っ手の件だけじゃ無く、この子に充分な必要な休息と治療をする為には少しでも落ち着ける場所の方が良い」


「でも、宿屋に戻るには区画の検問所を通らないといけません。さっきみたいに見えなくなれば通れるとは思います、けど……この女の子の事情を分かってもらえるでしょうか?」


 各区画に設けられている検問所では区画間の出入りが厳重に管理されている。

 一際厳しくなるのが第三区画から第二区画へと向かう場合だ。幾ら上位クラスの力と権力を持っているとは言え、それはラウエルに永住する者達に限る話である。名無のように規格がの力を持っているとは言わないまでも、外からラウエルにいる魔法騎士を上回る実力者が訪れないとは限らない。

 仮にその実力者が来てラウエルの実権を争って戦う事になれば、力の差が圧倒的であれば戦う事も無く従うだろう。だが、互いの実力が拮抗したものであるのなら策を弄して対抗するだろう。

 それは相手も同じである以上、そういった策を未然に阻止しようと行動するのが当然の流れ。ラウエル内の各区画に設置されている検問所が良い例だ。


 検問所で人の出入りと物資の確認と管理を徹底することで、外部からの危険分子を迅速に排除。それが出来ないのであれば監視を張り付かせ、敵の情報を集め確実に追い詰め時間は掛かっても堅実に勝ちを拾う。

 街の治安維持を担う手段をそのまま敵対者に対する対策として活用する理にかなった方法を取るのだから、如何に名無達が第二区画への滞在を許された身でも連れが一人増えれば色々と探られる事になるのは間違いない。

 そして、少女が街の人間にとって有害または悪印象を与えていれば保護するのが難しくなる。そうなれば酒場でのような事が起きかねない、レラが検問所でのやり取りに危機感を感じてしまうのも肯ける。


「幸い……とは言えないが、レラが落ち着かせてくれたお陰で眠りは深いもののようだ。寝ているのならこの子から不測の事態を起こすようなことは無い、それに検問所を無事に突破する為の策で驚かせる心配もなくなった」


「驚かせる?」


「ああ、これに関してはレラも驚かせてしまうかもしれない。俺がこの子にする事を見てもあまり大きな声は出さないようにしてくれ」


「は、はい」


 マクスウェルの索敵に自分の目視で敵が近くにいない事は既に確認済みだが、自分達が此処に居たという痕跡は出来るだけ残した無い。痕跡を残せば残しただけ追跡が容易になるのは、こちら側にしてみれば不都合な事でしか無い。


「今から少し変わった魔法を使うが、レラはそのままその子を抱きしめていてくれ」


 名無の指示にレラは頷き少女を抱きしめつつ自分の口を手で塞ぐ、驚くという名無の言葉に声を出さなくて済むようにレラなりの対策のようだ。

 別にそこまでしなくともと苦笑を浮かべる名無ではあったが、備えるに越したことは無い。只でさえ魔法と偽って能力を使って見せているのだ、レラの気遣いに感謝こそすれ咎める事は筋違いであろう。


「よし、さっそく行動しよう……『拡縮扱納(グレーセ・トリート)』」


 『意心起醒(メンテ・リズヴェリオ)』と同じように少女にふれ能力を発動させる名無、すると眠っている少女の身体が淡い光を帯び――


「……? ……――っ!?」


 自分の眼に映る少女の変化にレラの双眸は驚きと共に釘付けになるのだった。











「おい、急げ! ちんたらしてる暇はねえんだぞ っ!?」


 名無達が少女をつれて廃墟に到着してたのとほぼ同時刻。

 第三区画にある宿屋の一室で慌ただしく荷造りを進める五人の男達の姿があった、その中でも一際体格の良い男――イディオットが額に大粒の汗を浮かべ声を張り上げる。


「あの場で見逃されはしたが何時あの坊主の気が変わるか分からねえ、とっととこの街からずらからなきゃ命が幾つあっても足りやしねえんだからな!!」


「そんな事言われなくても分かってるってのっ! ありゃ俺達何かじゃ相手にもならねえ、異名騎士どころか精霊騎士……いや、選定騎士にも引けは取らねえ化け物だ」


「何でそんな奴がこんな所にいるんだ……あれだけの力がありゃ王都にいたっておかしくねえってのに」


「知るか、そんな事より喋ってる暇があったら手を動かせ!」


「だから分かってるって言ってんだろうが、うっせえな!!」


 大衆酒場で名無にあっさりと敗れ惨めな姿をさらしたイディオットを始め、その仲間の男達は何時自分達の命を刈り取りに来るかも知れないであろう強者の存在に怯え仲間割れを起こし始めていた。

 尤も、その強者である名無にその気は全くもって無い。

 現時点での名無の行動はイディオット達の殺害などではなく、傷ついた身元不明の少女の保護である。言い争う彼等には悪いが、迫りもしなければ起こりもしない身の危険に怯える姿は滑稽の一言である。


「――確かにあまり大声をだして騒ぐのは感心しないな。荷造り程度、喋らず迅速にこなした方が実に効率的だ」


 それは男達の自業自得から来る哀れな自滅、大衆酒場での出来事からずっと――正確には名無達に絡んだ瞬間から観察していた男の胸中の大半を占める感情でもあった。


「て、てめえは……」


「ああ、私の事は偶々この宿に居合わせた何処にでもいる通行人とでも思ってくれ」


「こんな二流も良いとこの宿屋にそんな上等なもん着てる奴が何処にでもいるわけねえだろうが」


 気配も無く音も無く現れた男の服装は白一色。

 頭に被るシルクハットも白、着ている燕尾服やシャツも白。手に持っているステッキからネクタイ、右眼に掛けている片眼鏡のフレームから靴までもが白。身に付けている物全てが染み一つ無い白で纏められている。その中で唯一白では無い真っ赤な髪と瞳が白一色の均衡を鮮やかに崩していた。


「現に此処に居るのだから納得するべきだ、その方が時間的にも無駄が無い。しかし、自分に取って理解出来ないことに疑問を持つことは決して無駄なことでは無い。大いに思考すべき事であり人として正しいことだ……それでも君は一つ過ちを犯してしまっている事に気づいているかな?」


「過ちだあ? いきなり現れたと思ったら何言ってやがんだ、てめえは」


「解説するならば、この場において君が犯した過ちは荷造りを止め私という存在を疑問に思うことではない――この場に私と君しか居なくなった事に疑問を持つべきだったという事だ」


「はっ? 何言って……やが、る…………」


 この部屋にはイディオットと突然の訪問者を入れて合計六人の人間が居る、居なければ成らない。しかし、白い訪問者が言う通りイディオットの眼に仲間の姿は映らなかった。


「ど、どうなってやがる……さっきまでいたじゃねえか! 俺の横に、後ろに、前にだって居たぞ! 居たじゃねえかっ!?」


 指摘された言葉に間違いは無く、この場にはイディオットと白い訪問者の姿しか無い。

 だが、イディオットの言っていることにも間違いは無い。部屋の隅、ベッドの上、備え付けのクローゼットの前……部屋のあちこちに四人の仲間達が荷造りをしていた痕跡がしっかりと残っている。

 だと言うのに、肝心の四人の姿が無い。まるで蜃気楼のように姿を消してしまったという事実がイディオットの混乱とふつふつと沸き上がる恐怖に拍車を掛けた。


「これで君が正しく疑問に気付くことが出来たので話を進めよう。君に取れる選択肢は二つ、私が君の仲間達に何をしたのか一切聞かずに私の仕事を手伝うか。それとも何をしたのか聞かずに死んで私に利用されるか、どちらが良いかね? 好きな方を選ぶと良い」


「ひぃっ!」


 理解の追いつかない交渉に、突然提示されてしまった生存選択。そして落ち着いた雰囲気を崩さないまま静かに歩み寄ってくる訪問者の姿に沸き上がっていた恐怖が一気に膨れあがり過呼吸に陥って尻餅をついてしまうイディオット。


「ふむ、受け入れられない現実にパニックを起こしているのか……仕方が無いな」


 イディオットが正常な受け答えが出来ないと判断した訪問者だったが落胆した様子は見せず、変わらず落ち着いた態度でイディオットの恐怖に染まった顔を覗き込む。


「君の意志を尊重したかったのだが無理にでも手伝ってもらう事にするとしよう」


 その紅い双眸が何の混じりけも無い銀へと変わった瞬間、声を上げる間も無くイディオットの姿が忽然と消えた。

 慌ただしかった客室はたった数分で異様な静けさに包まれ、


「これで暫くは様子見で良いだろう……さて、後は君がどう動いてくるか見物させてもらうとしよう――異世界からの旅人君」


 その言葉と共にイディオットと同じように姿を消した白の訪問者。

 残ったのは一時の主を失った客室と、この部屋に居た六人と同じ枚数の金貨だけだった。





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