閑話 テスト勉強 (叶・桜)

ある年の七月某日______



「よっ」

「………………」



 叶が桜の部屋に侵入した。桜は叶がやってきたにもかかわらずそちらを見向きもせずに机に向かって鉛筆を走らせていた。学期末テストが近いため、その勉強である。

 桜は本来盲目であるが最先端の技術で作られた眼鏡により無理やり視力を得ている。とはいえ両方とも0.05以下の視力しかないため紙に極限まで顔を近づけて普段から勉強をしていた。

 なお、桜のつけているビン底眼鏡一本の値段はおよそ3500万円。開発元の偉い人が叶の父親であるために友人価格で三割引にしてもらってこの値段であった。とはいえ桜の両親はそれぞれ別の会社の会長、桜はいわゆる社長令嬢であるためそこには問題はなかった。

 


「今日も頑張ってるね」

「ん……あ、来たの。いつのまに」

「ついさっきだよ」

「ごめん、ノック聞こえなかった」

「すごく熱中してたもんね、仕方ないよ」



 桜はやっと手を止め、鉛筆を置き叶の方を振り向いた。振り向きはしたが大まかにしか顔は見えていない。叶は桜の隣に座った。



「いつも言ってるけど、無理したらダメだよ」

「いや、でも私はアナタに勝ちたいの」

「えー、でもテストさ、毎回桜が勝ってるじゃん。そもそもうちの学校で学年一位だから桜に勉強で勝てる中学生なんて全国で五十人も居ないと思うよ?」

「……たーっぷり勉強してやっとね。叶はノー勉で学年三位とか五位とかじゃない。ちょっと勉強したらすぐ一位になるくせに」

「あはは……」



 桜はまた勉強に戻ろうと鉛筆を手に取った。しかしその手は叶に掴まれ、勉強再開を阻止された。桜は手を握られたことにドキドキしながらも少しムッとしてみせる。



「むぅ……なによ。遊んでる暇ないの、私」

「あんまり無理しないでよ。……たしかに俺は頭いいかもしれないけどさ、桜だって普通の人とは比べ物にならないくらいいいはずでしょ。うちの研究所で検査してそう出たじゃない。それ以上勉強したって無意味だよね?」

「うん……まあその通りだけど」

「なんでそんなに勉強したいの? 自分でもこれ以上やったって意味ないってわかってるのに」

「て、テスト前だから」



 そうとしか答えられなかった。本当の理由は桜も自分で理解していたがそれは絶対に口には出さないようにしていた。

 桜はまだ叶が自分の手を握っていることに気がつき、優しく振りほどく。



「とにかく、邪魔しないで」

「俺がストッパーにならなきゃ、勉強のしすぎて死にそうになるくせに」

「も、もう一年生の最初のテストのことはいいでしょ! ばか!」

「ふー、俺が部屋に遊びに来なきゃ今頃どーなってたか」

「そのことに関してはありがたく思ってるわよ!」

「俺がこうして毎日様子を見に来てるのも、そのためだよ。すっごく心配なんだから」

「うぅ……」



 桜は自分の顔が赤くなっていくのがわかったため、机の上に腕を組み、その中に顔を埋め込んだ。叶に悟られないようにするためだった。そんな姿勢のまま叶に向かって言い返す。



「なんでそんなに心配するの?」

「俺たち、生まれた日と生まれた病院が同じな幼馴染で親友じゃない。心配して当然だよ。テストの度にこれ言ってるけど」

「……そうね。でも親友にかまけてばかりじゃなくてさ、彼女とか作ればいいじゃない。その方が楽しいし、叶にとっても利点あると思う。こんな……ビン底眼鏡でギリギリ生活できてる目が見えない不細工相手にしてたってなにもお返しできないから」

「…………」

「しかも毎日、毎日、登下校の手伝いから校内の生活、帰ってきても私の介護ばっかり。せっかく……かにゃたは天才で顔もカッコいいのに、私の相手してるなんて勿体無いよ。そうよ」

「…………例えばさ、桜。うちのにいちゃんと翔さん、貸しとか恩とか気にして付き合い続けてる?」

「ううん……」

「でしょ?」



 叶が微笑んだ。たまたまちらりと顔を上げていた桜はそれを確認することができた。また顔が赤くなってきたので突っぷす。そして自身にかまけてばかりで人生を台無しにしているであろう親友に忠告をすることにした。



「叶の……私を面倒見てくれる理由。私の目が見えなくなる原因の時、助けられなかったからよね」

「うん」

「……当時三歳よ、常識的に考えて助ける方が無理じゃない。だから、自分のこと大事にして。私に割いてる時間を他のことに回して……可愛い人と付き合って、楽しい思いしてよ。私の介護してくれるより、私はそっちの方が嬉しい。アナタの言う通り、親友だからこそよ」

「……まあ……」

「叶のこと大好きだって言う人、沢山いる。毎日下駄箱から雪崩ができるほどラブレターだってもらってるでしょ? 不安なら一緒に彼女として良さそうな人選んであげるから、だから……っ!」



 言葉に熱を込めるあまり、桜は顔をうつ伏せるのをやめ、半分涙目で言葉を紡いでいた。いつのまにか本人の肩まで掴んでいる。

 桜は叶のことが心底大好きで、恋していて、愛していたが、自分はすでに叶の重荷になっている、これから一緒にいればもっと重くなると考えていたため、自分と一緒にいることのデメリットを言い続けていた。

 尚、これは定期的に二人の間で行われるやり取りであった。特にテストが近くなると桜の精神が不安定になるため高確率で起こるイベントである。ストレスを解き放っているとも言える。叶はこの半ばヒステリックに近い桜の嘆きに対処できる方法を知っていた。



「俺にも理由があるんだよ。ところでさ、桜」

「なにっ!」

「今日はシュークリーム買ってきたんだ、食べる?」

「……食べる」

「12個買ってきたんだけど、いつも通り10個たべるよね?」

「食べる!」

「遠慮なく食べてね」

「ありがとっ!」



 叶は机の上に持ってきていたシュークリームを大量に広げた。桜は即座に機嫌を直し、そのシュークリームの一個に手をつける。美味しそうにシュークリームを頬張る桜を、叶は嬉しそうに眺めている。



______

___

_



「うわぁ……」



 桜は目を覚ました。自分の見ていた夢の内容が、今より数ヶ月前のテスト前のある一日のことそのままだったので少し驚きながら自分の身勝手さに引いていた。隣で一緒の布団で寝ていた叶が目をこすりながら起き上がる。



「どうしたの、桜」

「あ……いやその、夢みちゃって。今からちょうど一個前のテスト週間の。テストから5日前だったかな、あの日のこと」

「あー、そんなの夢に見てたの」

「うん。いやぁ、私って身勝手だなぁって」

「えー? そうかな」

「そうだよ。どうせ叶のことだからあの日のことも完全に覚えてるんでしょ?」

「まーね」



 不安気な表情をする桜を慰めるため、叶は桜の肩を自分に抱き寄せた。桜が夢でみた日の関係のままだったらセクハラだといわれ突き飛ばされていたが、桜はそれに身を委ねる。



「思えば二ヶ月に一回のペースで私のことに構うなって怒り出してさ、優しくしてもらってる分際で。……よく私のこと好きなままでいてくれたね?」

「単純にそれ含めて全部が愛おしいからだよ」

「なにそれ、ふふふ。でもありがと。私に構ってくれてたのも私のこと好きでいてくれたからだもんね。……だーいすきっ」

「……! もう一回言って、もう一回!」

「大好きっ、えへへ」

「俺もだよ」

「えへー」



 叶は思わず桜を抱きしめる。桜も抱きしめ返した。しばらくその状態でいた二人だったが、叶がふと疑問に思ったことを質問しようと口を開いた。



「もし俺がさ、桜の言う通りに他の人と付き合ってたりしたら、当時の桜はどうしてたの?」

「たぶん納得してた。でもきっと、体壊してたんじゃないかなって思う。絶望して。ちなみに今それされると私、自分の体壊すから、物理的に。包丁とかで」

「そっかー。まあ俺が今そんなことしようものなら立派な不倫なんだけどね。法的に認められてる婚約書だってあるし。なにより、桜のことしか考えてないのに」

「えへへ、もー」

「ところでまだ夜中の三時だよ。もっかい寝よう」

「うん、このまま抱きしめてて」

「桜が夢でみた当時じゃ、こんな甘えてくること考えられないけどね」

「えへへへへ、もう結婚まで約束した彼女だもん」



 桜は叶に全身全霊をもって甘えるように体を擦り付け、横になった。叶も桜の頭を撫でながら目を瞑る。そうしてその格好のまま二人は眠りに落ちた。

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