第997話 契約の裏

「貴方、まさか……」

「氷属性の攻撃をするだけ、それがお前の対処方だよな。メフィストファレス」



 ヘレルの構えた剣には冷気がこもっていた。痛みで転がっていたメフィストファレスは思い出したように自身に回復魔法をかけ、身嗜みを整えながら立ち上がる。



「……なるほど、仲間として過ごした時間が長すぎてバレてしまいましたか」

「出会った当初は風魔法が弱点だと思っていたけどな」

「俺の弱点がなぜ氷、いえ、凍らせることかわかります?」

「単純に相性の問題だろう」

「まあ科学を認識していないとわかりませんよね」



 メフィストファレスは再び余裕を持った表情を浮かべ始める。弱点がバレたからといって特に大きな問題はないかのように。ヘレルは察した。



「出会った時からお前は何を考えてるか腹の内が読めないやつだったよ」

「ええ、よく言われます」

「まだ……なんかあるのか。強制契約か?」



 メフィストファレスはゆっくりと首を振り、口角を吊り上げた。ヘレルは本人の足元を漂う煙がこの部屋の入り口から別の場所へ伸びているのに気がついた。



「一体何をする気なんだ」

「そういえば、どうやったかはわかりませんが、見事、我々の管理していた死体を持ち出してエル様の御復活に成功されたそうではないですか」

「それが……?」

「いくら脳みそが足りなくて単純で、姫様を生き返らせるためだけに人間を裏切った貴方でも……この状況でこの話を持ち出す意味くらい察せないですか? 俺の煙、どこに向かっていると思います?」



 勇者ヘレルは青ざめた。そして周囲が凍てつくほどの氷の斬撃魔法を剣に纏わせ、メフィストファレスにむかって突っ込んだ。しかしメフィストファレスはそれを冷静に鎌で受け、煙で作った拳の形状をした塊でヘレルの顔面を殴る。



「ぐうっ……!」

「常に冷静でいることが戦いにおいての基本。過去に貴方自身が部下の悪魔に対して放った言葉です。しかしまぁ……近くに守るものがあるというのは実に不便ですね。国王様達の方ばかり守ろうとするから」

「はぁ……はぁ……お前と違う……からな……! 俺はもう勇者として大切なものを自分の力で守ると決めたんだ!」

「俺にだって命に代えても守りたいものくらいありますよ。アナズムにはありませんけど……ね」



 メフィストファレスは大量の煙の塊を作り出し、ヘレルにむかって次々と飛ばす。ヘレルはそれを一つ一つ高速で斬り落としながらメフィストファレスに近づいていく。その眼は殺気がこもっていた。



「おー、こわいこわい」

「くらえ。氷帝の剣気! 剣神奥義、突!」

「ぐぁ……ああ!」



 ヘレルの攻撃を鎌で防ごうとしたが、鎌自体が破壊されてしまいメフィストファレスの腹に深々と剣が突き刺さる。傷口と、口元から大量の血を吹き出した。



「これで終わりだ」

「……俺の……手の届く距離にわざわざ……どうもありがとうございます……」

「強制契約か? だがお前の手の内なぞお見通しだ。やられたフリをして一番の大技を使おうとすることぐらいな」」



 刺された部分からメフィストファレスは広がるように凍ってゆく。



「お……おや……貴方、こんなスキル持っていましたっけ?」

「作ったんだよ、お前の愛鎌を参考にイメージして。大悪魔として働いていた時代にな」



 背中から腕のように形取られた煙が伸びてきており、それは一枚の紙を握りこんでいた。しかしそれがヘレルの額に届く前に、メフィストファレスはほぼ全身が凍り付いてしまう。あと一言何か喋れる時間しか残っていなかった。



「辞世の句を聞いてやる」

「……何事も……油断はしないように……」

「それは俺へのアドバイスか?」

「ええ……ぇ」



 顔面も全て凍った。人の形をしているのにふわふわとした感覚を受ける不思議な氷像が一体出来上がる。



「……もう聞こえないと思うが、悪魔神に仕えていた時からもしもお前と戦うようなことがあった時のために準備しておいたんだ。エルが生き返ったら悪魔共も裏切るつもりでいたから」

「お、おお! ……倒したのか……!」



 国王達から感嘆の声が漏れる。ヘレルは少し照れた様子を見せたがすぐにハッとして部屋の戸に手をかけた。



「すいません、ファフニールを助けにいく前に一回エルの様子を……!」

「あ……あ、見てきなさいヘレル……」



 国王から許しをもらったヘレルは凍った煙の線を辿り、エルの元へ。煙だった氷は彼女がいる部屋の前で途切れていた。

 


「エル、大丈夫……?」

「ヘ……ヘレル……て、敵は……」

「体が怠いだろう、まだ凶悪な敵を二人倒せていないんだ。三人のうち一人は今倒したよ」

「そ、そう……! 良かっ……!?」



 エルはヘレルの後ろを見て絶句した。

 ヘレルは自分の背後から感じるよく知った魔力に、嫌な汗を流す。ゆっくり、ゆっくりと後ろを振り向いた。



「まあ俺、分身できるんですけどねぇ」

「……!」

「はい、お疲れ様でした。強制契約ですよっ!」



 メフィストファレスは振り向いたヘレルの額に契約書を貼り、そこに契約内容を書き込み始める。



「えーっと、貴方にしてもらうことは我々の操り人形になること……あとで別の方にこの権利を壌土できるようにしておかなければいけませんね。そして代償は仲間であるとガイルさんがひどい目にあう……具体的には、呼吸もできなくなるほどの弱体化魔法効果を永続的に受け続ける……で、いいですかね」

「ヘレル……へ、ヘレル……!」



 エル姫は手を伸ばしてヘレルをつかもうとするが、明らかに届く距離ではなかった。ヘレルの目は虚になり、やがて閉じ切ってしまう。力が抜けたように崩れ落ちるヘレルの体をメフィストファレスは丁寧にかつぎ込み、エル姫に笑いかけた。



「おっとそろそろガイルさんも契約が逆効果に働いて大幅に強化されている頃ですかね。あのドラゴンとも決着付いてるでしょう。エル姫、ご安心ください。彼自身には酷いことはしませんし、貴方にも今は何も致しませんので。……では」

「ま……まって……!」



 メフィストファレスはエル姫のいた部屋から出て行った。


 

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