神話、あるいはたちの悪い噂話

@w2c

アルクアラウンド/「巡礼者」篇①

 ある日から、神さまは実在するとすべての人々は信じるようになった。

 どんな国も、どんな地域でも、どんな人種でも、いつの間にか人々の中に「神様は必ずいる」という、確信めいたものが生まれるようになった。そしてそれを裏付けるように、世の中で「奇蹟」が起こるようになる。余命を宣告された人が何人も助かったり、戦争が突如として終わったり。そんな具合だ。これで、人々はますます神さまを信じ、その到来を期待した。

 それが100年程前の話である。まだ人々は神さまを信じ続けている。

 しかし、まだ神は現れてはいない。


「神様なんて本当にいるのかね」と、道端のカエルが尋ねてきた。ちょうど雨上がりで、濡れた体に昼下がりの陽光が照っている。

「いるさ」と、僕は言う。「少なくともみんないるって信じてる」

「そこがよくわからないんだよ。っていうのが、俺たちにはわからない」

「どうして?」

「そんな余裕がないからだよ」と言って、カエルは深いため息をついた(ような気がする)。「そんなこと信じていてもハエは取れないし、信じるだけじゃヘビに食われる。友達のカタツムリだってそういってる」

 なあ、とカエルは隣にいたカタツムリに水を向ける。カタツムリはゆっくりと、静かにうなずいた。彼は寡黙なたちらしい。

「つまるところ、信じるってのは余裕のあるやつがやることなんだ。ヒトみたいにね。のんきなもんだよ、まったく」

「耳が痛いね」僕はちょっと苦笑い気味になって言う。「じゃあ君たちは、神さまを全然信じていない?」

「そりゃあね。君らには「余裕」があるが、俺たちにはない。おまけに「確信」もね。これも理解できんよ。っていうのは、一部のヒトにはあり得たかもしれないけど、全ヒト同時とは―」

「だからみんな信じるのさ。人ってそういうのに弱いんだ」

「なるほど」カエルは唸る。「みんなが同時に信じたから信じてしまうのか」

「それに、根拠がないわけでもない」

「それは興味深いね」カエルは身を乗り出して言う。「誰に聞いても「わからない」としか言わないんだ。―それで、どんな?」

「それは―」

 言いかけたところで、また雨がぽつりと降ってきて、やがて本降りになる。まだ空は青い。天気雨だろうけど、せわしない天気だ。

「やあ、これはひどいな」僕は天を仰ぎながら言う。「話の途中ですまないけど、これで失礼するよ」

「まあいいよ」カエルは言う。「俺は降ってくれたほうが嬉しいが、君らは長く浴びてしまうと風邪とやらになってしまうんだろ?しょうがないさ」

「またくるよ」

「ああ、そうしてくれ。久々にヒトと話せて楽しかった。俺たちと話せるヒトなんて、そんなにいないからな」

それじゃあ、と言って僕は駆け出す。傘はあいにくと持っていない。目的の街に急がなければ。


「親切なカエルさんだったわね」姉さんが言う。いつもの、おっとりとしているけれど芯のある口調だ。

「そうだね、あんなに興味を持って話してくれるとこっちもうれしくなる」

 僕は息を切らしながらそう言った。

「本当ねえ。みんなそうだといいのだけれど。人もね」姉さんは言う。

「いろいろあるんだよ。神さまは信じれても、奇蹟を妬むやつはたくさんいる。おかしい話だけど」

「―ねえ、コウ。あの街にはいるかしら」姉さんは言う。その言葉はどこか寂しげにも聞こえた。

「いるさ」と、僕は努めて明るく言う。「少なくとも僕は信じてる」








神さまの実在が感じられるようになってから、都市や国のありようもずいぶんと変化するようになった。簡単に言えば、より「神さまが近く感じられる場所」へと人が集まるようになったのである。それは国によってさまざまであったが、あるところでは山の上であったり、または地中深くに国を作ってみたり、海中に都市を沈めてみたり。ひとまず、それまでの都市や国の在り方としてはあまり考えられてこなかったような形が生まれるようになった。地域差はあるものの、とにかくその風土で考えられている「神に近しい場所」へと人が集まることが共通している。

 日本では元々首都であった東京というところから、東と西の二つの地点に都市機能が移された。西の都市は出雲。そこは古来から八百万やおよろずの神様たちが集まる場所であるといわれていたため、すぐに人の流入が始まったという。今では一大都市が形成され、その中心に出雲大社をしつらえている。僕は行ったことがないからわからないが、もともとあった神々の説話によった形になるのだから、まあ自然なのだろう。

 一方東の都市は、当時の東北地方と呼ばれる場所の山岳地帯に作られた。かねてから民間信仰の厚い地方であったから、神さまを確信した東の人たちは東北の山岳地帯に新たな街を作り、そこで暮らすことで神さまを待つこととした。あとは多分、山という場所の神秘性も大きかったのだろう。自然と神を一体視していた日本人が、より自然と近くなりたがったのではないか、というのが通説だ。

 その街の名前は遠野宮と名付けられた。そして、今僕たちが目指している場所でもある。



「もう少しでつくはずなのだけれど」と、僕は言う。「なかなかどうして、街は見えてこないね」

 雨に降られて、追い立てられるように走った後、僕たちは道なりに進んだ先にあった森の中へと入っていた。森とはいえ道は舗装されているし、危険な動物も見当たらない。途中で地図も確認して、遠野宮へと至る途中に森林地帯が記されていたから、間違いはないはずなのだけれど―。

「そうねえ、どうしてかしらね」と、姉さんは返す。「多分、道なりに進んでないからじゃないかしら」

 それを聞いて僕は眉をひそめる。実は、進む中で分かれ道になっている箇所がいくつかあって、動物や虫に聞いたりして進んでいるのだが、どういうわけだか進むほどにけもの道になってきている。

「そんなことないさ。途中であったキツネやウサギに、「この道のほうがいい」って教えてもらったじゃないか」と、僕は精いっぱいの弁護をしてみる。

「ええ、でね。動物たちに道を聞いたら、それは彼らが進みやすい道を教えてくれるのが普通じゃないかしら。ヒトが進みやすいかどうかは、あまり考えてなかったのかも」

 姉さんはにこりと笑ってそう言った。僕はちょっぴりムッとする。

「わかってたなら、最初から言ってくれればいいのに」

「言う暇がなかったのよ。誰かさんがどんどん先に進んでしまうものだから」姉さんは穏やかに言う。「まあこれは教訓ね。いくら動物と話すことができても、どうしたって種族は違うのだから、こんな森の中では思い違いもありうるっていうこと。信じすぎるのも禁物よ」

「肝に銘じておくよ」僕は肩をすくめて言う。「でも、けもの道だろうが何だろうが、ヒトが進みづらいだけで目的地にはつけるはずさ。とにかく先を急ごう」

 道は道だからね、とつぶやいてから再び進み始めた。姉さんが後ろで「意地っ張りね」と言うのが聞こえた気がしたが、無視した。

 森の中は静かで、澄んだ空気が流れていた。よく耳を澄ませば川のせせらぎが聞こえてくるし、時折木の間を吹き抜ける風が気持ちいい。これが普通の道ならもっといいのだろうけれど、そこは、まあ。

 僕はちらと腕時計を見る。時刻は16時を回ったところ。季節は夏だから暗くなるまではもう少し時間があるけれど、夕刻まで森の中をうろつくのはさすがにあまり利口とはいえない。今は、このけもの道を頼りにするしかない。

 僕たちは森の中を懸命に歩いた。そんなに大きい森ではないはずだ。今日の夜までには宿場にたどり着けるだろう。



 と、思っていたが。

「野宿かもね、これは」

 と姉さんは容赦なく言った。時計を見る。時計の針はとっくに19時を回っていた。

 あたりは暗くなり、どこからかフクロウの鳴く声も聞こえる。夕方には爽やかだった風も、今や気味悪く肌寒いものでしかない。

「―まだ着かないのか」と言って、僕は立ち止まる。所々で休みはしたけれど、ほとんど3時間は歩きっぱなしだった。足が棒になるということをとてもよく実感していた。

「うーん、これは教えてくれた動物たちを疑うべきかもしれないわね」姉さんは言う。「コウも言ったけれど、いくらけもの道とはいっても道には違いないのだから、森を抜けられないってことはないはずよ。それか、抜けられるっていうのは茂みからだったとか」

「もう、いろいろ考えても仕方ないよ姉さん」と僕は言う。たぶん、ひどくうなだれながら。「疑ったってきりがない。とりあえずわかるのは、この森を抜けられなかったっていう事実だけだ。やれやれ、今日には街に着けるかと思ったのに」

「そんなに落ち込まないの」と、姉さんはなだめるように言う。「ひとまず一旦落ち着きましょうよ。もうすっかり暗くなってきたからさらに進むのは危険だし、ちょうどここは開けているから、休むならいい場所じゃないかしら。あかりだって、この「消えない火」があればなんとでも―」

 姉さんはそこまで言って、口をつぐんだ。あたりを見回し始める。僕も、なんとなく見回してみたが、何も見当たらない。

 すると近くの茂みから、ガサリと音がした。

「―やあ、お若いの。こんなところでどうされたのかな?」

 見れば、背の小さな男性がたっていた。髪は白く、それなりの歳を重ねたことを示すしわが顔いっぱいに広がっている。農夫のような姿をしていて、背には籠をしょっている。その小さな老人は、顔に温和な笑みを浮かべながら言う。

「そのいでたちは、「巡礼者」ですかな?」

「ええ、その通りです」と、僕は言う。「旧都から来まして」

 「巡礼者」は、自分の住まう地から遠野宮または出雲まで歩いていく者を指す。白い法被を着て唐笠を持つということが通例で、大昔の四国地方というところにあった文化が元らしい。偉い人に言わせれば「神仏習合も甚だしい」んだそうだが、とりあえずまさに今の僕たちだ。

「いやあ、お若いのに大したもんだ」と、感慨深げに彼は言う。「近頃、めっきり減ってしまいましたからなあ。昔、歩いて遠野宮まで行くということが神聖視されていたころにはそのような「巡礼者」も多くいたもんだが、今じゃなんて機械も発明されたそうで。いやはや、進歩しているのやら、なにやら」

 ほっほ、といった調子で老人は笑う。別にひげが伸びているわけではないのだけれど、なんとなくよく蓄えられた白いひげをさすっているような感じがした。

「しかしそんな方が、どうしてこんなところに?ここは森の深い場所。普通であれば、こんなところには出られないでしょうに」

「それがちょっと言いにくいのですけれど」と、少し恥ずかしそうに僕は言う。「どうやら道に迷ってしまったみたいで」

「や、それは大変でしたな」と、老人は言う。「確かにこの森は入り組んでおります。舗装されている道なりに進んでいけば抜けるようにはなっておりますが、何かの間違いでけもの道にはいってしまわれる方も多い。森の動物たちはよく利用するようですが、抜ける道が狭く人が入ればたちどころに袋小路となってしまいます。やはり、そのようなくちで?」

「ええまあ、そんなところで」

 僕は苦笑いしながら言った。姉さんの言うことは正しかったわけだ。少なくとも、自ら進んでけもの道に入ったなんて言えない。

「それはご苦労なことでした。もうあたりも暗い。いかがでしょう、近くに儂の家があるのですが、そちらで一夜を明かされては」

 老人は言う。姉さんが耳打ちする。

「ここはご厚意に甘えましょう。家に泊まれるなら、それに越したことはないわ。

 僕はこくりとうなづいて、老人の提案を受け入れることにした。





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