3

「♪~♪~」


 翌日。俺は意気揚々と鼻歌を歌いながら校舎の中を歩いていた。気分がいい。昨晩は何故かあの夢を見なかった。別に見たかったわけではないけれど、普段見ていたものを見なくなると不思議に思うことはあった。でもおかげで今朝の目覚めは最高に良かったし、もう慣れたとはいえあの夢にはうんざりはしていたから好都合だ。もう二度とあの夢が現れないようにと心から祈っている。


「♪~♪~」


 今日は夏休み初日。初日に目覚めがよくてさらに朝から西条先輩とお話ができる。絶好調なスタートだ。とても気分がいい。


 ――おっと、そろそろ調理実習室に着きそうだ。気持ちを正そう。西条先輩にはクールに。できるだけクールに接するんだ。俺の好意に気付かないように。あの人は色んなことを必要以上に気にしてしまう人だからな。余計なことを考えさせるわけにはいかない。


 俺は一息ついて、扉に手を掛けた。

 そして、扉を開ける。


 ガラッ、と。


「ひぇっ⁉」


 西条先輩は椅子に座っていた。けれど西条先輩は扉を開ける音に驚いたのか肩をびくっと上下させてその反動で椅子から転げ落ちた。


「……先輩、おはようございます」


 俺は淡々とした調子でそう言った。こんな時どうすればいいのかわからない。俺が何かしただろうか。普通に扉を開けただけだと思うんだけれど。


「あいたたた……おはよう鑑君」


 先輩は腰に手を当てながら立ち上がった。何にそれだけ驚いたというのだろうか。


「なんか、すみません。もっと丁寧に開けるべきでした」


「いやいや、鑑君は悪くないよ。私がちょっと驚いただけ。―—本当に来てくれると思ってなかったから」


「はい? 約束したじゃないですか。八時半にここに集合って」


「それは、そうなんだけれど……」


 西条先輩はパンパンと軽く衣服をはたいた。どうも西条先輩の様子がおかしい。何かあったのだろうか。


「じゃ、じゃあ早速昨日のカレー、食べちゃおっか」


 西条先輩はそう言って準備室へと消えていった。様子はおかしいけれど、西条先輩から何かを言ってこないことを考えると、俺がわざわざ口を出すことのないような気がする。


「鑑君は座っててー」


 準備室の方から先輩の声がする。俺はそれに従って手近な椅子に座った。そこで時計を見てみると、時間は八時二十分程だった。どうも俺は早めに来ていたらしい。西条先輩の方が早かったけれども。


「んしょ、んしょ」


 西条先輩が寸胴を抱えながら現れた。俺は立ち上がろうとしたけれど、止めた。またどうせ座っていてくれと言われるだろう。ここは西条先輩に任せておくか。


「さあ、じゃあ温めちゃうよっ!」


 寸胴をコンロの上に置いた西条先輩は元気よくそう言った。……やはり先程の西条先輩の様子は気にするほどのことではなかったらしい。

 西条先輩は鼻歌を歌いながらコンロに火をつけた。


 ――ああ、やっぱり今日は夏休み最高のスタートだ。俺はそう思って目を閉じた。今まで見てきたあの地獄のような夢はこの時のためにあったと言われれば少しは報われるというものだ。 


 だからとりあえず、今は。

 今はこの時を楽しもう――


 俺は目を開いた。その時に見た光景は、俺にはとても眩しく見えた。




 それから暫くは俺と西条先輩でカレーを食べながら他愛のない話をしていた。四時間は経っただろうか。結構な量が残っていたはずのカレーはなくなっていた。


「なんだかんだでなくなっちゃいましたね」


「そうだねー。……じゃあもう片付けちゃおっか」


「そうですね」


 俺と西条先輩は立ち上がった。


「先輩は座っててください」


「えーっ、私も片付けるよー」


「先輩にはカレーを作ってもらいましたし、昨日洗い物するって約束しましたからね」


「えーっ、いいの?」


「任せてください」


「……じゃあお言葉に甘えようかなっ」


 先輩はそう言って微笑むとテーブルの上の食器を重ねてそれを俺に差し出した。

「俺の華麗な洗浄スキルを見せてやりますよ」


 俺はそれを受け取ると台所に向かった。昨日から水が張ってあるシンクがあったはずだ―—あった、これだ。俺はそこに食器を沈めた。その後、寸胴も台所へ持っていった。


「じゃあ洗いますか」


 俺は台所にあった洗剤とスポンジを手の届く場所に置き、蛇口から水を流して皿洗いを始めた。


「なんかごめんね。いつもいつも鑑君にはしてもらってばっかりで」


 皿洗いを続けていると、西条先輩がそう言った。


「いいですよ。むしろ俺が感謝しています。いつも先輩に声をかけてもらえて、本当に嬉しいですよ。これくらいさせてください」


「……本当にごめんね。本当に、ごめん」


 急に西条先輩の語調がか弱くなった。どうも先輩は結構気に病んでいたらしい。


「そんなに気にしないでください。俺が好きでやっていることですから」


「これで、最後にするから。これで最後にするから、許してね……」


 どうしたのだろうか。普段は元気のいい先輩が急にこんなにしおらしくなるなんて。


「そんなことを言わないでください。気にしてません、俺は気にしてませんから。だから、そんなに気に病むことはないですよ」


「……」


「……西条先輩?」


「ごめんね、ごめんね、鑑君。許して、許して。これで最後にするから、これで最後にするから




 ———これで、最期にするから」




 突如。


 突如、俺の後頭部が何者かに掴まれ、水が張ったシンクの中に頭を押しつけられた。


「⁉」


 突然の出来事に俺は持っていた皿とスポンジを落としてしまう。いや、それどころじゃない。息ができない。水が俺の口から鼻から浸食していく。俺は抵抗してもがくが俺の頭を押さえつけている手はとても力強く、振りほどくことができない。


「っ! っ!」


 苦しい。苦しい。水が俺の呼吸を遮っていく。俺は必死にもがくけれども頭を押さえつける手には敵いそうにない。俺の意識はだんだん希薄になり、すぐにでもどこかに飛んでしまいそうになる。何が、何が起きているんだ。何で俺がこんな目に――


 すると急に、俺を押さえつけていた力はなくなった。俺は抵抗していた勢いで頭を上げる。ざばあ、と大きな音を上げて俺はシンクから顔を出した。


「……はっ! がっ! げほっげほっ!」


 咳込み、荒々しく呼吸をしながら俺はゆっくりと振り返った。一体、何があったんだ。一体誰が俺を――

 と、振り返ったところで、俺は見た。



 早見透華が、いた。




 首のない人間の胸倉を掴んで掲げている早見透華が、そこにいた。




「……鑑君。邪魔者を、消しに来たわ」


 早見がこちらを見る。鋭くて、冷たい視線。途端に俺は金縛りにでもあったかのように動けなくなった。


「っ……」


 早見が右手で掴んでいる人間の首元からは溢れるように大量の血が流れていた。そして血は人間の体を伝って滴り落ち、ぼたぼたと小さく喚きながら床を赤色に浸食していった。強烈な鉄の臭いがすぐに俺の鼻孔を満たす。早見も血しぶきの所為でか血まみれで、全身が赤色に染まっていた。早見の左手には血塗られた例の長い刀身の刀が握られている。


 そこまで理解した時、


 こつん、と。


 たじろぐ俺の足のつま先に何かが当たった。俺は恐る恐る視線を下す。

 俺の目に映ったのは、




 俺の目に映ったのは、今早見が胸倉を掴んでいる人間の首でありそれは俺がとてもよく知る先輩の――




「うわぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁあぁあぁあぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあああぁあぁあああぁああぁあああぁああぁあああぁぁぁああぁあああぁああぁ‼」


 俺は走り出した。体が勝手に動き出していた。俺は調理実習室の扉を勢いよく開け、飛び出すように出ていった。


 なんだ、なんだ、なんだ⁉

 何が、何が起きているんだ⁉


 廊下を走る。姿勢を崩して転びそうになっても強引に。靴が脱げてもお構いなく。ただ無我夢中に俺は走った。


 先輩が! 先輩が! 早見が! 早見が! 先輩を⁉ なんで! どうして!


 頭の中がぐちゃぐちゃになりながらも俺は走っていた。階段を駆け下り、俺はただ校門を目指して走っていた。



《溺死の司者、西条柚野。

出血多量死を司る者により、出血多量死――》



 そんなアナウンスがどこからか聞こえ、頭の中に響いた。でも今の俺にはそのアナウンスを聴いていられる程の余裕はない。

 とりあえず逃げないと。それが無駄な行為かはわからないけれど、俺はとにかく走った。状況を考える余裕はない。考えたくもない。


 校門を出ると、俺はとっさに右に曲がって走った。本能的に俺は右を選んでいた。


「うわっ!」


 曲がるとすぐに俺の左肩が何者かにぶつかった。ぶつかった所為で俺は勢いよく前に転倒する。俺はザラザラのコンクリートの上を滑るように転び、顔面を地面に叩きつけた。


「んっ……っはー、いってえ……」


 派手に転び、擦り切れた痛みを感じながらも俺は立ち上がろうとする。しかし、上手くバランスが取れずよろめいて、俺はガードレールにもたれるようにぶつかりそのままずるずると尻もちをついた。


「おいおい。なんだあ突然。危ねえじゃねえか。気を付けろこのやろう」


 俺と肩をぶつけた何者かは振り向き、俺を見下ろしながらそう言った。ガタイがよく、髪を後ろに纏め上げた目つきの鋭い男だった。


「……っはー、はー、す、すみません。ちょっと急いでいて」


 息を乱しながら俺はそう言った。くそ、こんなことをしている場合じゃないのに。


 しかし男は俺の様子が面白いのかくすくすと笑い始めた。

 そして、悪意のある笑みを浮かべながら、言う。


「そうかい、でもちゃんと前を見るべきだな。

 俺に触れると――火傷じゃ済まねえぜ」


 男にそう言われて、気付いた。さっきから辺りが焦げ臭い。炭火で魚を焼いているあの臭いよりも強烈で、えぐみのある――

 と、そこで俺はさらに気付いた。



 俺の左腕が――なかった。



 腕のパーツが引っこ抜けたソフトビニール人形かのように、俺の肩から先が存在していなかった。肩からはぷすぷすと小さく煙が上がっていて、服も肌も真っ黒に変色していた。焼け焦げている。臭いの原因はこれのようで、顔を向けた瞬間にむせ返りそうな程の異臭が俺を襲っ


「ああああああああああああああ⁉」


 そしてようやく、俺は絶叫した。熱い、痛い。これまで経験したことのないような激痛が俺の左肩から走ってきた。


「痛覚が鈍感になってんのかどうかは知らねえが、気付くのに時間がかかったな。しっかしこれでもう終わりか。デモンストレーションよりも呆気なかったな」


 男がぶつぶつ何かを言っているがそんな言葉は俺には届かない。俺は右手で左腕があった箇所を押さえつけながら痛みに歯を食いしばっていた。


「うう……」


「おっと、悪ぃな。すぐに楽にしてやるよ。一瞬で終わらせてやるから静かにしてな」


 男がこちらに近づいてくる。男の右手には青白い炎が纏わりつくように燃え盛っていた。めらめらと。ぱちぱちと。炎は男の右手をグローブのように包み込んでいく。


「ぐっ……」


 男がその右手を俺の方に向ける。頭を鷲掴みにするように広げられたその手には青々と燃える炎が――駄目だ。殺される。何故だかは分からないけれど、それだけはすぐに理解した。


「―—燃えろ」


 男はそう言った。そして、男の右手から炎が噴出し――その瞬間。


 男の体が跳ねた。


「⁉」


 男の背後からバイクが現れ、男を撥ね飛ばしていた。男は撥ねられた勢いで壁に叩きつけられ、地面に突っ伏す。男の手から噴出した炎は俺の頬を掠めてそのまま通り過ぎていった。

 そしてバイクは男を撥ねた後、タイヤから火花を散らしながら滑るように停車する。


「大丈夫⁉」


 フルフェイスのヘルメットを被ったライダースーツの運転者は左手でシールドを上にあげ、俺にそう言った。顔はよく見えないからわからないけれど声から察するに女性だろう。


「だ、大丈夫ではないけれど……」


「鑑君! 助けに来たよ! 今すぐ後ろに乗って!」


 女性は俺の言葉を遮るようにそう言う。かなり急いでいる様子だった。俺も慌てて立ち上がろうとするが、またもバランスを崩して倒れてしまう。


「くそ、左腕がないとバランスがうまく……」


「もう!」


 女性は痺れを切らしたのかバイクから降り、こちらに向かってきた。

 女性は俺に左手を伸ばす。


「時間がないの! 早く立って!」


「で、でも腕が」


「腕ならあるでしょ⁉ ほら早く!」


「……え?」


 女性にそう言われて俺は左肩を見た。左腕が、あった。先程まで焼け爛れて黒ずんでいた肌は綺麗な肌色に戻っていた。しかし服は先程と変わりなく焼け焦げたままだった。腕だけが、再生していた。まるで何事もなかったのかのように。初めから服だけが燃え落ちたかのように。俺の左腕はさも当然のように――在った。


「うわああああああ⁉」


「叫んでいる場合じゃないよ! 早く乗って!」


 女性は俺の左手を強引に引いて俺を立ち上がらせた。痛い。どうやら神経もしっかり元に戻っているようだ。


「てめえ……っ! 逃がすかァ!」


 撥ねられた男が上体を起こしながらそう叫ぶ。どうやらまだ意識があるらしい。男は再び右手に炎を集中させ、それを発射しようとした。

 だがその瞬間、男の眉間に風穴が開いた。炎は霧散し男は力なく再び地面に倒れる。


「……っ」


 俺は横を見る。女性が右手に銃を持っていた。この女性が男を撃ちぬいたらしい。

 女性は何事もなかったかのように銃を腰のホルダーに直し、倒れたバイクを起こして跨った。


「早く、乗って」


「……でも、今、人が、」


「私じゃあいつは殺せない。暫くしたらまた動き出す。だから、早く」


「殺せない? でも今確かに死んで――」


「早く! あの男の様になりたいの⁉」


「ひぃい⁉」


 俺はすぐさま女性の後ろ、バイクのタンデムシートに座った。何がどうなっているのかさっぱりわからないけれど、ここは女性の言うとおりにしていた方がよさそうだ。


「しっかり掴まってね――落ちるよ」


 女性はヘルメットのシールドを下ろし、バイクのハンドルを握った。


「落ち……? ぃいいいいいいいいいいい⁉」


 そして俺が女性の腰に手を回した瞬間、バイクは爆音をあげて急発進した。反動で俺の体は大きく仰け反り、危うくバイクから落ちそうになる。


「速い……っ! 速いって!」


 ヘルメットをしていないこともあるのだろうけれど、バイクの風を切る音が俺の鼓膜を常に強烈に刺激していた。ばばばばばという風の音。まるで耳元に扇風機が置かれているような、そんな感覚。


「……」


 風の音で俺の声が聞こえていないのか、女性は真っ直ぐ前を見たまま運転を続けている。


(本当、なんでこんなことになっているんだ……)


 俺は必死に女性にしがみつきながらそう考えていた。朝までは、朝までは普通の日常だった筈なのに。普段よりも気分の良い一日が始まろうとしていたのに、何で、何で。

 西条先輩――


「……うっ」


 自分の内側から何かが込み上げてくる。とても気持ちの悪い、何か。俺はその何かを我慢するのに必死だった。やめろ、吐くな。あれは――西条先輩なんだ。あれは、あれは、あれは――ッ


「――まずい。もう轢死に見つかった」


 女性は突然、そんなことを言った。……え? 歴史? 歴史がなんだって?


「鑑君、ちょっと後ろ見てくれる?」


「……え?」


 俺はしっかりと掴んでいた手を若干緩め、上体を持ちあげておそるおそる後ろを見る。

 後ろでトラックが走っていた。



 ――後ろで、二車線分の横幅はあろう巨大なトラックが、走っていた。



「⁉⁉⁉⁉⁉⁉」


 なんだ、あれは。初めて見たぞあんなトラック。規格外なんてものじゃない。どう見てもあの大きさはおかしい――あのトラックは、なんだ?


「追われている」


 女性は端的にそう言った。


「追われている。轢死の司者はどうもバイクもろとも私達を轢き殺すつもりだね。あんな大きさのものを出してくるなんて相当頭のイカレた奴に違いない」


「れ、歴史の死者⁉ ど、どうするんだ⁉」


「逃げる」


「逃げる、ってどうやって⁉」


「ひとまず――こうやって」


 バイクは大きく傾き、大通りから民家に挟まれた一車線の路地へと急カーブする。


「⁉⁉⁉」


 急カーブの圧力で意識が吹っ飛びそうになったけれど、女性にしっかりしがみついていたおかげかなんとか耐えた。大丈夫、俺はまだ生きてる。


「……あれだけの大きさだったらこの幅の道路は通れないはず。こうやって狭い路地をくねくね移動すれば撒ける筈だよ」


「な、なるほど、確かにこれだったら逃げ切れ――」


 と、俺が言っている最中だった。

 轟音が響いた。そしてそれから続く断続的な破壊音。地震が起きて建物が倒壊していくような、とてつもなく大きな音だった。それが俺の後方から聞こえる。


「……っ」


 俺は再び振り返った。

 そして、目を疑う。


 トラックは民家を削るかのように押し潰しながら走っていた。


「な、なんだこれ――」


「……なるほど。建物さえも『轢く』のね――これはちょっとやばいかな」


「ちょっとってレベルじゃないぞこれ⁉ 大丈夫なのか⁉」


「大丈夫――じゃない。轢死なら乗り物の速度補正も大きくかかってくるだろうし、建物の抵抗があってもすぐに追いつかれる」


「じゃあどうすれば⁉」


「なんとかしてもらうしかないね――例えば目の前の司者とかに」


「⁉」


 俺は前方を覗き込むように確認する。バイクの進行方向真っ直ぐ、道の真ん中に一人の人間が立っていた。そして、その人間は筒状の何かを担いでいて――って、あれはロケットランチャーなんじゃないか⁉


「しっかり掴まって!」


 女性はそう言った。俺はまた女性の背中にへばりつくようにしがみつく。くそ、さっきからこんなのばっかりだ。もう二度とバイクになんか乗るもんか。


「おりゃああああああああ‼」


 バイクは再び大きく傾いて急カーブした。一車線の路地からさらに狭い道へ。そして、路地を曲がるバイクの上すれすれをロケットランチャーの弾が通過する。弾は直線軌道を描き、トラックへと突っ込んだ。爆発音が響き、金属片が飛び散って床に落ちる音が聞こえる。



《轢死の司者、東堂善信。

即死を司る者により、即死――》



 どこからかそんなアナウンスが聞こえた。でも、やはり今の俺にそんなものを聴いている余裕はなく、俺はただ声を押し殺して女性の背中にしがみついていた。


「……よし、轢死は死んだ。これで逃げ切れるかも。もう大丈夫だよ鑑君。即死なら私でも撒けるから安心して」


「……」


「――鑑君?」


「……お、」


「お?」


「お、お前はっ! 俺を殺す気か⁉」


「そんなまさか」


「何回意識が飛びそうになったことか! 本当に死ぬかと思ったんだぞ⁉」


「意識くらいでまだよかったじゃん。鑑君が暴れてバランスを乱していたら――意識じゃなくて首が飛んでいたかも」


「ひぃっ!」


「――でも、中々スリルあったでしょ?」


「いらない! スリルいらないから! スリルじゃなくて安心をくれ‼」


「そのうちあげるよ――そのうちね」


「今すぐくれないのかよ!」


「とにかくまあ、走るよ。暫く隠れられる場所を用意してあるから。話はそこでしよう」


 ぶん、と。バイクはスピードを上げる。


「むがっ⁉」


「ふふふ」


 女性は小さく笑った。この、このやろう。バイクを降りたら、降りたら絶対に文句を言ってやる……。

 俺は情けなく女性にしがみつきながらもそんなことを考えていた。


 ――それ以上に考えなければいけないことを忘れて。


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