第3話 キャピタリズム

 翌日、吐き気とともに目を覚ます。頭の中で鐘が鳴るたびに激痛が走る。

 突如、吐き気の波がくる。

「うおぉぉぉぉ」

 急いで布団から飛び出し階段を降り、トイレへと駆け込む。間一髪、床を汚すことはなかった。

 水を流し、息を継いで呼吸を整える。ぼんやりする頭を左右に振って血を巡らせる。たしか昨日は……

「お目覚めですか、爽平さん」

 厨房から割烹着姿のヒメが顔を出す。

「ああ、昨日の夜って結局どうなったっけ?」

 周りを見回すが2人の姿は見えない。

「奥の居間でお休みですよ。爽平さんが2人をおぶって運んだの、忘れたんですか?」

 ……うん、忘れた。確認しようと居間へ向かう。

 そこには布団の上で大の字に眠る2人の男女の姿があった。シワだらけの服もそのまま、いびきまでかいている。男女が一つの部屋で互いを意識することなく眠りに耽る。――これは健全、と言えるのだろうか。

 水を飲もうと厨房の蛇口に向かう。

「爽平さん、昨日の夜私に言ったこと覚えていますか?」

「え」

 何か言ったのか?覚えていない。必死に思い出そうと努めるが、なにも記憶にない。そんな様子を察したのか、またヒメは笑う。

「ふふ、なんでもないですよ。あ、急がないと講義に遅れちゃいますよ?」



     *



「信じらんない!」

 大学のキャンパスを3人で歩きながら、真ん中のハナが憤る。

「まぁまぁ、昨日は3人とも同じくらい酔っ払ってたし気にすることないじゃん」

 結城がすかさずフォローする。が、気にせず俺は言う。

「そうは言ってもだな、お前ら2人を居間まで運んだのは俺だぞ」

「それなのよ。よりにもよって爽平なんかに借りを作るなんて。しかもまったく覚えてないだなんて」

 まぁ俺も覚えていないがな。しかし手柄はきちんと主張しなければ。

「さて、これからどうする?」

 これ以上は不毛だと悟ったのか、結城が問う。

「俺は総務課に行ってみるよ」

「なんでよ?」

「そろそろ消防から連絡があるはずなんだ……」

「火災の原因ね!」

 ハナが声をあげる。肝心な部分をかっさらわれて少々イラっとしたが、まぁいいだろう。

「それと、昨日寮を見回ってみてハナが気がついた点をいろいろ質問してみるよ」

 今まであの火災を寮の内部で自己解決できるかと思っていたが、それは難しい。となれば調査の範囲を大学内に拡大するまでだ。

「それなら私も一緒に行くわ」

「なんでだ」

「あんただけ行っても総務課は絶対話なんか聞かないわ。今の所あんたは大学の恥さらしだもの」

 容赦ない言葉が俺に突き刺さる。ハナめ、仕返しのつもりか。

「だから自治会の私が間に入るべきね。大学の職員が学生代表の自治会員を足蹴にはできないはずよ。今日の講義は4限で終わるからその後落合いましょ」

「……わかった」

 相変わらず、と言うのかハナはこの世の道理を弁えていた。昨日の夜の醜態はどこへやら、だ。

「で、結城くんはどうするの?」

「俺は投資部の先輩に情報を当たってみるよ。ちょっと気になるからな」

「あの事件にイデオロギーないし経済的側面がある、ってやつか」

「ああ。無駄骨になるかもしれんが、調べてみる価値もあるさ」

 そこで結城は膝をポンと叩く。

「そうだ、爽平も投資部に顔を出さないか?」

「なぜ?」

「新歓祭に行ってないんだろ?大学といえば課外活動だ。いくつか見て回った方がいいと思うんだ」

 結城のおせっかいは相変わらず、ということか。今日総務課から退学処分を突きつけられるかもしれないというのに。

「俺は投資云々については興味がないね。そんな金稼ぎよりも文学に浸ってる方がよほどマシだ。つまり……」

 

「よし、決定な。2限が終わったら学生会館の部室に顔を出せよ」

 拒否だ、と続けようとしたのも束の間、結城は一言そう言い置き、返事も待たずどこかへ走り去る。辞退の言葉も届かぬほどに。

「さすが幼馴染ね、あんたの扱い方に慣れてる」

 ハナは肩をすくめ、俺はがっくりと肩を下ろした。



     *



「お、来たな」

 投資部部室の扉の先で、結城は5人ほどの輪の中で何やら議論をしているようだった。入り口で佇む俺を見つけ、駆け寄る。

「象牙の塔を気取りつつも、やっぱり花の大学生活に心惹かれていたんだな」

 癪にさわる言い方だった。そして的を得ていた。しかしこういったやりとりは中学から繰り返してきてる。今更声に出して反論する気も起きない。

「君が幸田爽平君か、ようこそ投資部へ。歓迎するよ」

 そう言って輪の中から立ち上がったのは、スーツに身を包んだ男だった。人が良さそうな顔立ちに、学生とはちょっと異なった雰囲気を帯びている。

「僕は相模亮太。スーツを着てるのは僕が社会人だからさ。今は常陽銀行の行員3年目」 

 こちらが質問する前に、自発的に答える。社会人だからだろうか、会話に無駄がない。

「普通の活動は夕方からなんだけど、お昼休憩を利用してOBの先輩方が様子を見に来てくれるんだ。今日は他に相田先輩も来てくださってる」

 結城が補足する。輪の中から同じくスーツに身を包んだ男が手を挙げる。

「彼とは同期でね。ここでも銀行でも『アイアイコンビ』なんて言われてるんだ。それで、今日は何を聞きに来たんだい?オススメの株式銘柄とか?」

 冗談めかしながら、相模先輩は俺の顔を覗き込む。

「いや、まだ投資部が一体どんな団体かもよく知らないので」

 ただ投資をする、という訳ではあるまい。

「なるほど、では一から説明しよう」

 相模先輩は大股に人の輪から抜け、俺の横に立つ。

「我々投資部はその名の通り、投資を研究する団体だ。その過程で実際に株式投資や為替取引なんかも行う。実際にそれで儲ける奴もいる。だがもちろん、それはオマケに過ぎない」

 言葉を区切り、視線を上方に向ける。

「我々の活動の本質は、この資本主義社会の中に真理を見出すことだ。君が今目にしている世界は、自然のなせる業か。例えば誰かが単なる思いつきで、あの場所にプルタブの募集箱を置いたかのように」 

 相模先輩は部室の北側に据えられた窓を指差す。正門からこちら側の学部棟群まで伸びるやたら長い通路のほぼ中間地点に、長方形の箱が見える。ゴミ箱だと見間違わなかったのは、箱の横に立てられた『みんなで車椅子をプレゼントしよう!プルタブの回収にご協力ください』と書かれた看板があったからだ。何のゆかりもない場所に佇む回収箱は、明らかに異様だった。

「それとも、誰かが経済原則を操り綿密な予測と計算の下、あの場所に置いたのか。幸田君、分かるかね?」

 いきなり問いを投げかけられる。

「いや、分かりません」

 つい即答してしまう。

 相模先輩は落胆したそぶりも見せず、同じ口調で話を始める。

「人の流れは資本の流れ。その資本を最大限に活用するための活動も、投資を考える上で重要だ。

 あの回収箱がなぜ正門脇の自動販売機の横ではなく、そこから数十メートル離れた場所に置かれているのか。結城君、答えられるかな?」

 相模先輩の視線が結城に向く。しかし当の本人は臆する様子もなく、それに答える。

「それは資本効率を上げるためです。そしてプルタブがペットボトルではなくアルミ缶に付いているからです」

 何を言っているのかさっぱり分からなかった。が、結城は淡々と続ける。

「缶飲料はペットボトルとは異なり、一度栓を開けたら閉めることはできません。つまり持ち運びが不便で、ほとんどの人が栓を開けてから、比較的短時間のうちに飲み干します。また、プルタブを外してから缶を口にするのは危険です。それと同時に、人の流れも加味できます。回収箱が置かれているのは正門と学部棟をつなぐ、最も人通りの多い通路です」

 結城は一旦言葉を切り、俺に横目を向ける。

「よって正門脇の自販機で缶飲料を買い、飲みながら学部棟まで歩く。その途中、ちょうど飲みきったところにあるのがあの回収箱です」

 なるほど、そういうことか。周囲から、結城に向けて拍手が起こる。

「加えて言うなら、ゴミ箱と一緒に置かれていないのは、プルタブがついたまま捨てられるのを抑制するためだ。移動の途中にある回収箱にプルタブを入れ、目的地近くの自販機ないし学部棟内のゴミ箱で缶本体を処分する」

 拍手が鳴る中、相模先輩が、結城の論を相補する。

 が、ここで一つ疑問に思う。

「ちょっと待て、何も歩きながら飲まなくたって、講義室で飲めばいいだろ」

 拍手が鳴り止む。

 見事盲点を突いた!と思ったのだが、周りの目はいささか冷たい。

「幸田君、学内規則にはきちんと目を通しておきなよ。講義室での飲食は禁止されている。講義の合間の少ない時間に、歩きながら飲む学生は多い」

 相模先輩がシニカルな笑みを見せる。盲点だったのは俺自身のようだ。何せ入学して日も浅いのだ。が、それは結城も同じだったか。

「だから正門と学部棟の中間地点にあるんだ。どちらから飲み始めてもいいようにな」

 結城のしたり顔をあえて無視する。誰にでも間違いはあるものだ。


「しかし、見ない間に随分キャンパスの雰囲気も変わったなぁ」

 相模先輩が助け舟を出す。

「どういうことですか?」

 ありがたい。遠慮なくその船に乗り込むことにする。

「随分狭くなったように思う。これはあれだろう、敷地面積向上……とかいうやつだ」

「確か大学の入学者数がここ10年で倍増したとかで、講義室が足りなくなって今新しい学舎をどんどん建てているんですよ」 

 結城が補足する。その話は聞いたことがある。今の代の学長が推し進める改革で、『学生数倍増計画』というやつだ。

「学部も前よりだいぶ増えた。なんだよ、あの『情報サイエンス学部』ってのは。見るからに頭が悪そうだ。そんな金があるんなら新入生だけじゃなく在学生への支援にも振り向けるべきだろう。何が『財政緊縮』だ」

 相模先輩が憎々しげに呟く。

「先輩、そのおかげで今や学生数は県内最大ですよ。学舎がひしめき合うのも仕方のないことです」

 結城は滔滔と言い切る。こんな言い方をしつつも今まで組織において波風を立ててこなかったのは、こいつの才能なのかもしれない。

「まぁそうだな。さて、頭の体操はここまでにして、我々の実績を見せよう」

 相模先輩は勢い良く言い放ち、相田先輩に視線を送る。

「まだ学生だった頃、俺と相田の2人で作ったこの地域の企業で構成された投資ポートフォリオだ」

 今度は相田先輩が立ち上がり、戸棚からA4用紙を取り出す。企業名や数字がびっしりと記載されている。

「ポートフォリオ?」

「金融資産の一覧表だな。当時ここに載っている企業の株式を買えば、その後10年間で年利5%を得ることができる」

「すごいじゃないですか!5%っていうと、100万あれば翌年には5万円の利益を得られるってことですね」 

 以前に我が家の定期預金通帳を覗いたことがあったが、その時の金利は1%もなかったはずだ。

「ま、大学を卒業してから株式は全部精算してしまったんだがな」

「え、なぜですか?」 

 相模先輩が横から溜め息交じりの声をかける。

「言ったろ、俺たちは銀行員だ」

「……」

 これで説明は終わりなのだろうか。全く理解できない。

「爽平、お前がこれほど経済、いや、社会常識に疎いとは思わなかったぞ」

 今度は結城から落胆の声が漏れる。うるさい。

「いいかい爽平、銀行員みたいな金のやり取りを多くする職業ではな。株取引に大きな問題が絡むんだ」

 溜めるな。早く言え。

「インサイダー取引だよ」

 不穏な単語が飛び出す。

「それは犯罪だろう。企業の情報を悪用して金を稼ぐっていう……」

「ああ、そうさ。もちろん、アイアイ先輩たちはそんな事しない。だが毎日多くの情報に触れる銀行員だ。偶然、投資銘柄の情報を得る機会だってあるだろう。それで利益を得たりでもしたら……」

「犯罪者か」

 しばしばニュースを騒がせるその言葉に、現実味が増す。銀行員に限らず、社会に出ていればいつでも遭遇する可能性がある。

「まぁ、別に禁止されてはいないんだけどな。推奨されてないってだけだ」

 相田先輩が軽く補足する。 

 ここで、ふと疑問が浮かぶ。ちょうど良い機会だ、聞いてみよう。

「でもなんでインサイダーだって分かるんですか?黙っていればバレないはずじゃ……まさか、証券会社が行員や会社員の運用を監視してるとか」

 相模先輩が声を上げて笑う。

「まさか、そんなわけないだろう。よし、説明しよう。インサイダーを監視するのは金融庁の証券取引等監視委員会てトコだ」

 長ったらしい単語が飛び出す。

「そして彼らはすべての取引を機械にかけ、不審な値動きがないかチェックしている。何も取引していない奴が、ある日いきなり数百万を一つの銘柄につぎ込み直後に利益を上げる、とかな」

「でもそれじゃあ偶然、というケースも考えられるんじゃないですか?」

「そう、だから監視委員会が動くのは、そのような《幸運》が何回も起きた時だ。そこで初めてインサイダー取引を疑い始める」

 そこで相模先輩は口に笑みを浮かべる。

「だから幸田君、もし君がインサイダー取引をしようと思ったら、借金してでも一度に大きな取引で済ませるのが賢明だよ。それなら《幸運》のままでいられる」 

「とんでもない!」 

 冗談なのだろうが、笑いながら言うセリフではない。

 

 まんじりと傍観していた相田先輩が、口を開く。

「それに、3年目に精算しといて良かったこともある」

「良かったこと?」

「4ヶ月前の事件さ」

 途端に、部室の空気が重くなる。全員の間で、何かを察したような空気が流れる。

 ああ、なるほど……

「あの事件は別に日経平均に影響を与えたわけでもなかった。ただ、この地域には深い影を落とした。行政や教育機関とつながりのある企業はどこも値を下げた。X社なんかその典型だな」

「X社?」

 初めて聞く名だ。この地域では有名なのだろうか。

「主に教育機関向けに商売をしている商社だ。まぁ、この県では一、二を争うほどの大企業だな。当然、ここ満城大学ともつながりが深い。だからしばらくは安泰だと思ってポートフォリオにも組み込んだんだがな」

 なるほど、もし3年前に精算していなければ4ヶ月前に大損害を被っていたわけだ。 

「何がムカついたかって、それをバラしたのがこの大学の職員だってことだ」

 突然、相模先輩が大きく声を上げる。それは初耳だ、と思ったが、鋭い指摘が相田先輩から飛ぶ。

「それはあくまで噂だ。確か、総務課の職員だったような。名前は……なんだっけな」

「とにかくそいつは前々から俺たち学生を目の敵にしてたんだ。その後の一件だって、そいつの差し金だって噂だ。あの野郎、今度何かあったら絶対一泡吹かせてやる」

 明確さを得ない会話に、相槌を打つしかない。一体何の話だろうか、結城と顔を見合わせる。1ヶ月前まで高校生だった俺たちに、大学の情報はあまり外には回ってこないのだ。

「ま、その話は置いておこう」

 俺たちの困惑顔に気が付いたのか、相田先輩は会話を打ち切る。そのまま相模先輩が俺の背に回る。肩に手を置き、小さな声で呟く。

「これだけは覚えておけよ。投資の基本は自己責任。利益を得ようと思ったら、それ相応のリスクを負わなければならない。そしてここの大学職員はクズばかりだ」

 



    *

 


 投資部を後にして、俺は4限に出席する。 

 といっても今週はどの授業も概要説明のみなので午後3時にはハナと落ち合うことができた。

「総務課の方にはあらかじめアポイントを取ってあるわ。予定よりちょっと早いけど行きましょうか」

 さすが、用意のいいことで。

 総務課があるのは正門から右手にある事務局棟だ。出入りする人間のほとんどがスーツ姿で、学生は俺達だけだった。 

 ハナが受付に用件を伝えると、すぐに奥の応接室へ通された。おそらく、一般的な学生ではこのような対応はされないだろう。

 予定より早く着いたのでしばらくここで待つものかと思ったが、ソファに座って10分ほどで職員が部屋に入ってきた。俺とハナが立ち上がる。

「こんにちは、総務部総務課の柳田です。どうも」

 こっちも挨拶しようとしたが、その前に隣から質問が飛ぶ。

「あの、私は総務部の施設課の方にアポイントメントを取ったはずですが……」

「ああ、それね。確かにその通りですが話の内容からすると内容がこちらの管轄に寄るかと思いまして。なにか不都合でしたか?」

「いえ、なら問題はありません。大丈夫です」

 ハナはあっさり身を引く。

「まぁ私も2年前までは施設課にいましたからね。安心してください」

 柳田はそう言って腰を下ろす。あの諮問会と先ほどのアイアイ先輩との会話での印象が強いのか大学職員にあまり良いイメージを持っていなかったのだが、目の前の柳田という職員は学生に対しても物腰が柔らかい印象を受けた。手早く自己紹介をし、ソファに腰をおろす。

「さて、さっそくですが用件に入りましょうか」

「はい。つい4日前に起きた男子寮の火災に関係するお話なのですが……」

「あぁ、でしょうねぇ。なんてったって隣にその張本人がいますから、分かりますよ、ええ」

 柳田は口元に笑みを浮かべたまま、侮蔑の目だけを俺に向ける。なるほど、物腰が柔らかいのは自治会のハナに対してだけか。 

「ええ、その事件について、いくつか疑問点がありまして」

「ほほう」

 柳田は腕組みをしたまま背もたれに身を預ける。

「まず第一に出火時の状況ですが、大学側は出火の原因を煙草の火の不始末によるものと決め……いえ、仮定しました。ですが当該学生は煙草を吸う習慣はありませんし、部屋にあった煙草も隣人からもらい受けたものです。これに関しては私と、それから中学時代からの付き合いがある人が認めています。それに煙草が原因と言いますがそれだけであれほどの延焼が起きるとは到底思えません」

 柳田は黙っている。続けろ、ということなのか。しかしハナのやつ、こんな初歩的な事を聞いてどうするつもりだ。俺は散々この事を弁明したが事態は後ろに転ぶだけだったぞ。

「第二に、かねてより男子寮は老朽化が問題視されていましたね。にもかかわらず、施設課はこれといって対応策を用意していませんでした。立入検査もする事なく、鍵すらも施設課では扱っていないとお聞きします」

 なぜそんな事まで知っているのか、と思ったがすぐに思い当たる。あの会長にいろいろ聞いたんだろう。お得意の猫被りで。

「第三に、火災発生時、当該学生は男子寮の中庭にいました。出前の配達ミスでその対応をしていたためです。つまり、部屋は無人だったんです」

「ほう、それがどうし……」

「つまり、あの火災は当該学生以外にも起こし得た、という事です」

「なるほどね。言いたい事はそれで全部だね。うんうん……」 

 ずいぶん思い切った仮説だ。だが柳田は臆する様子もなくぶつぶつつぶやきながら顎をさする。熟考しているのだろうか。しばらくして、口を開いた。

「まず出火の原因について、実は今さっき消防の方から正式に報告が上がってきたんですよ」

 思わず声がこぼれそうになる。が、押しとどめる。

「それで原因が判明したよ。微小火源火災――煙草の火によるものと断定された」

「ええっ!」

 今度こそは声をあげた。

「隣室の学生による聴取と部屋の内部の実況見分で判定要素は十分揃った。疑いようもない」

「そんな……」

「それだけじゃない。確かに煙草の火だけであそこまで火が回るがとは消防も見なかった。あの火災にはもう一つの不運が重なっていたんだよ」

 ここで柳田は言葉を区切り、俺の目を見据える。

「酒だよ。君の部屋からアルコール、そして割れたウィスキーの瓶が見つかった。酒をこぼした上に煙草の不始末とはまったく……」   

「ちょっと待ってください!」

 思わず立ち上がる。そんな、まさか。

「お酒なんて、あの部屋にはなかったはずです!」

「消防が言うんだからあったんでしょう。ま、アルコールの持込に関しては別に禁止されていませんしあなたが飲酒した証拠はありませんから問題にはしませんが。ただただ不運ですねぇ」

「そんな……」 

 俺の悲痛な声を無視して、柳田は話を続ける。

「残りの質問について、ハナさんの言わんとする事は大体分かります。あなたは、原因はともかく、あの火災事態が、施設の老朽化が招いた可能性があると指摘したいわけだ。そしてさもなくば第3者による犯行であるとも」

「……はい」

 先ほどの事実が尾を引いているのか、ハナの返答には覇気がなかった。が、柳田の発した声はあまりにも衝撃的だった。

「ふざけるんじゃない!」

 今までの口調から打って変わって、怒気を含んだ鋭い声が柳田の口から飛び出す。

「老朽化をそのままにした?ふざけんのも大概にしろ!

 どうせその話も自治会長の狸に吹き込まれたんだろ。マスターキーを扱っていなかっただ?取り上げたのはお前ら自治会だろ!」

 あまりの勢いに2人揃って声が出なかった。

「散々学生の権利だとか体制側の横暴だとか捲し立てた挙句、いざ問題が起こってみれば大学側のせいか!?良い気なもんだねまったく!」 

 なおも黙る2人。座高が少し縮むのを感じる。

「第3者の犯行?手前の責任から逃れたいからって話をでっち上げんな!マンガじゃねぇんだぞ。もしそう思ってるんなら自分達で証拠でもなんでもでっちあげて犯人とやらに言って見やがれ。お前らが想像できるようなチンケな事で寮に火なんか付けるかよ!」

 いつの間にか、俺の右肩とハナの左肩がピタリとくっついており、しかも同じリズムで小刻みに震えていた。

 そんな俺たちに柳田はさらに詰め寄る。

「お前ら学生どもがバカやるからいつもこっちが苦労すんだ。あの事件みたいにな。3年前から何も変わっちゃいねぇ!お、そういえばどっちも貧乏人の奴らが主要メンバーだったな。まったく、貧乏人はロクな奴がいねえよ。何事も満足に運べやしねぇ」

 話が脱線しすぎだ。一体何のことを言っているのか分からない。この男は今理性を無くして月光の只中にいる。

 そこまで捲し立てて、柳田は一言。

「で、他に話あんのか?」

 首を振るのがやっとだった。そのまま柳田は応接間を出て行き、勢いよく扉が閉まった音に、再度俺たちはびくつく。足の震えが止まるのを待って総務課を後にしたのはそれから20分後だった。



      * 



「どうしたんだよ、2人してそんなくっついて。お前らそんな仲良かったか?」

 普段真面目な結城も、今回ばかりは能天気な奴に見えてしまう。

「その様子じゃ成果はイマイチってとこだな。よし、じゃあ俺の話を聞いてもらおうか!」

 わずかに希望が湧く。

「何か分かったのか?俺を退学から守る術が!」 

「いや、そういうわけじゃない」

 なんだこいつ。

「ただモチベーションを高めるかもしれないな。昨日も話したがこの大学は今危機的状況にある。投資部で今年度の予算案や年次報告書を調べたが、悪ければ数年で破産するかもしれない」

「お前、モチベーションの意味を間違って覚えてる」

 しかもその疑惑はここの学生全員が少なからず抱いているものだ。あの事件以降、この大学は世間から白い目で見られている。

「まぁ待て、聞けよ。そんな中でも大学は大学なりに色々動いてるんだ。これを見ろ」

 結城は1枚の紙を机に広げる。そこには3Dで描かれた4、5階建ての大きなモダンな建物の絵が載っていた。

「企業会館だ。まだ企画段階ではあるがな」

「企業会館?何よそれ」

「この地域を基盤とした企業が金を出し合って1つの集会場を建てるんだ。そこで産学連携、地域活性化を狙う、って算段だ。この企画だと他に行政やNPOも加わるようだ」

「それが一体なんだってんだ…」

 意図がまったく伝わらないのが残念なのか、結城は溜息をつく。

「この会館は、金とヒトを呼び込むハコモノだってことだよ。単純に土地の利用料が入ってくるだけじゃない。地域経済の活性化にも繋がれば自治体から金が入ってくる。さらにいくつかシンクタンクまで設立して今後数年分の研究費を出してくれる企業まであるらしい。まだ参加企業は未発表だがな」

 なるほど。この大学の現状からすれば願ったり叶ったりなのだろう。

「そして、あのX社が参加するかも、って噂だ」

 数時間前に聞いた企業名が出てきた事に、少々驚く。 

「でも企業がお金を出して会館を立てても、彼らの利益にはなるのかしら?」

「そこは投資的視点を持たないと。今言ったシンクタンクも、条件がある。研究成果をきちんと企業に還元しなければならない。また、定期的に公開講座を開くことで早期のうちに学生の興味を企業に縛り付けておける。リクルートにも便利だから学生の就職率も上がる。双子のメリットってわけだ」

「それなら問題ない、というよりずいぶん好ましい話よね」

「ああ、地に堕ちた満大のブランドが再び蘇るチャンスだ。これが現実になれば俺たちの身も安泰かもしれない」 

 結城は頭の後ろで手を組み、空を見上げる。確かにこれはいいニュースだ。もう一度会館の絵が描かれた紙を見る。よく見ると下の方にキャンパス全体の見取り図がある。かつての『男子寮の利用と規約』でも同じようなのを見たのを覚えている。それはさておき、希望の企業会館はどこにあるのだろう――。

 その時、あることに気がついた。

「なぁ、企業会館の建設予定地なんだが」

 結城とハナがこちらに視線を向ける。

「これ、男子寮のある場所に建てるつもりだぞ」 

「なに?」

 三人で企画書をよく見る。

「本当だ。がっつり男子寮の上に被っちゃってるわね、これ」

 『企業会館』と名の付いた長方形の枠線は、工学部棟の横――男子寮があるべき場所に印字されていた。

「大学側はどういうつもりなんだ?」

「おそらく、もう他に場所が無いんだ。さっき相模先輩も言ってただろ、学部棟の建設ラッシュでこのキャンパスは今手狭だ」

「だからって男子寮の場所に立てるなんて……」

 ハナは愕然とした表情を浮かべる。 

 ここでふと尋ねてみる。 

「この企画を立てたのは誰なんだ?」

「ええと……」

 結城が資料を繰る。

「総務課の柳田って人だね」

「「柳田!」」 

 ハナと声が被る。まさかそんな偶然があるだろうか。 



      *



「総務課の柳田、どうも引っかかるわね」

「同感だ」

 陽も暮れたので、俺たちはまた定食屋に集まっていた。どうもこの場所は既に3人の間で「いつもの場所」として認知されていた。

 俺とハナの言に、結城はいまだ漫然としているようだった。思案顔でヒメ特製のハヤシライスをスプーンでつつく。

「いくら柳田とやらが怪しくってもそいつが火をつけるか?」

 もっともだ。先ほどの激昂した様子は衝撃的だったが、何も考えなしに凶行に及ぶようには見えない。

「そうなのよね、第一大人が寮に入ったら目立つし、それにまず鍵が管理人しか持っていないってのもあるし」

「柳田が犯人でないとしても、あの10分間に鍵を開けて入れる人間は誰もいない、ってことか」

 ここでまた暗礁に乗り上げたか。沈黙が3人の間を覆う。 

 ふと、隣でヒメがコップに水を継ぎ足しながら言う。

「そういえばハナさんって一人暮らしなんですよね?」

「そ、そうだけど、それがどうかしたの?」

 ハナは持っている水差しを胸の前で両手に抱える。心なしかテンションが高く見える。 

「私、一人暮らしに憧れているんです!普段どういう生活をしてるのか教えてもらってもいいですか?」

「へぇ、意外だね。ヒメさんが一人暮らしだなんて言うとは」

 犯人探しから、一気に話が飛ぶ。が、結城には同感だ。

「ヒメ、俺が来る前は一人暮らしみたいなもんだっただろ。なのに興味があるのか?」

「はい。でも別に一人で暮らしたい、という訳ではありません。むしろ一人っきりだと心細くてやっていけないと思います。私が興味あるのはですね、自分で自らの生活の基盤を整える、という点についてです」

「あぁ、なるほど。確かに私もここに引越して来る前はそんなこと思ってたりしたわね」

 考えてみればここにいる4人の中で完全な一人暮らしをしているのはハナだけだった。俺とヒメは一つ屋根の下(決してやらしい意味ではない)、結城は親戚のおじさん夫妻の家に世話になっている。ハナだけがマンションで単身生活を送っているのだ。

「それで、実際に暮らしてみてどうでしたか?」

 ヒメは大きな瞳をキラキラ輝かせる。だが対するハナの目には艱苦の色が浮かんでいた。

「すっっっっっごい大変よ。男子なんかと違って女子はその何倍も大変なんだから!更に言うと美人はさらにその数倍大変ね」

 おいおい、とツッコミを入れたかったが、黙る。

「なぜなら防犯にすんごい気を遣わなくちゃいけないの。爽平みたくモテない男は何をするか解らないからね」

「おい」

 今度こそ声を上げるが、無視される。

「私だって今の部屋に入居する前に部屋の鍵も交換したわ。前の住人がどんな奴かも分からないもの」

「へー、そうなんですか。やっぱり防犯にも目を向けないといけないんですね」

「……」  

 ちょっと待て。

「確かに、最近は都会に限らず物騒になってるからな。いくら田舎の大学町でも警戒は怠らないほうがいいかもな」

「あとは洗濯物ね。2階じゃない限り外に干すのも好ましくないわ。下着なんてのは以ての外」

「おい!」

 2度呼んでやっと周りが気付く。

「なによ、あんたの名前を出したのはほんの冗談よ。危険は身近に潜んでるとも言うし……」

「そのことじゃない」

「じゃあなによ」

 もったいぶるな、とでも言うような目を向けてくるハナ。お前が気が付かなかったんだろうが。

「俺の部屋、入れる奴が一人いる」

「ええ!?」

 3人が身を乗り出す。

「どういうことだ、爽平」

 まったくこいつら、自分たちの会話に気が付いていないのか。

「俺の部屋は寮だ。ってことは俺が入居する前も誰かが住んでいたはずだ。自分で鍵を開けて、鍵を閉める」

 ここまで言うと流石に分かったようだ。最初から、もう少し範囲を広めて考えるべきだった。

「前の住人!それなら誰にも知られずに鍵をコピーできる!」

「なるほどな」

「ハナ、過去の寮の入居者について……」

「任せて。自治会で調べられるわ」

 そう言うなりハナはジャケットを引っ掴み外へ出て行く。その姿が闇に消えるまでものの10秒もかからなかった。

「まさか、今から自治会に戻るのか?」

「そんな驚くことでもないさ。ハナさんは1年だからまだだが、2年生以降になると日をまたいで仕事してるぞ、あいつら」

「粋狂なこって……」

「ハナさん……」

 定食屋にはお茶を飲む男2人と話の腰を折られて遺憾とでも言いたげなヒメだけが残された。

  

 店に備え付けられた黒電話が鳴ったのはそれから30分ほどたってからだった。

「はい、あ、ハナさんですね。……わかりました。お二人に伝えておきますね」

 電話を置いたヒメがこちらに向き直る。

「お二人とも、今すぐ来てくださいとのことです」

「今から?」

 調べがついたのなら電話口でもいいだろうに。今から大学に行ってどうなるのか。しかしハナのことだ。きちんと考えての行動だろう。

 俺も上着を羽織り結城とともに外へ出る。が、その前に振り返る。

「帰りが遅くなるかもしれないから別に起きてなくてもいいからな」

「……わかりました」

 ヒメは軽く頭を下げ、厨房の奥へと消えた。




      *



 正門に寄りかかりながら、ハナは手を口の前で丸めていた。まだ4月になったばかりで、日が暮れるとまだまだ寒かった。

「で、分かったのか?前の住人」

 ハナは無言のままA4の紙を手渡す。どうやら名簿のようで、名前が書き連ねられていた。その中の一つが、赤い丸で囲まれていた。

 『理学部1年 安西歩』

「これが前の住人か。で、俺たちをここまで呼んでどうするんだ?ここで朝まで安西が登校するのを待つのか?」

 呆れたかのように首を振るハナ。

「ちなみに、その名簿は5年前のもの。彼なら今は学部を卒業してそのまま大学院に進んで応用化学を専攻しているわ。そして、院生が使う理学部D棟はあそこよ」

 そう言ってハナが指差す建物には、夜の8時にもかかわらずほとんどの窓から煌々と光が溢れていた。

「これまた粋狂なことで……」

「あんたも見習いなさいよ」

 

 『応用化学 研究員室3』と書かれた部屋は建物の4階にあった。ドアをノックすると、しばらくして「おまたせ」の言葉とともに中から痩せ気味の男が出てきた。3人の学生のいきなりな訪問に戸惑ったようで、二の句が継げずにいた。

「突然の訪問失礼いたします。安西さんはご在室でいらっしゃいますか?」

「はぁ、安西は僕だけど……」

 気弱そうな声で男は答える。こいつか。

「いきなり訪問して大変申し訳ございません。私、法学部1年のハナと申します。後ろに控えているのも同じ1年生です。少々お聞きしたいことがあるのですが、今よろしいでしょうか?」

 出た、お得意の猫被り、いや、これは単なる社交儀礼か。

「ああ、まぁ今ちょうど実験の仕込みが終わったところだからね。いいよ、どうぞ」 

 そう言って安西は俺たちを研究室へ招き入れる。白を基調とした壁や床に、机や実験器具が所狭しと並べられていた。椅子やパソコンがいくつも並んでいるが、部屋には他に誰もいないようだった。安西は俺たちを4人掛けのソファに座らせ、自分は対面するように椅子に座る。

「それで、話って何かな?」

「四日前に起きた寮の火災についてです」

 一瞬、安西の眉がぴくりと動く。

「それがどうしたのかな?確かあの事件は入居した1年生の煙草が原因なんだろ?」

「ええ、ただ事実確認がしたいんです。その1年生が火災を起こしたという決定的な証拠がまだ無くて。安西さんはその部屋の元住人だと判明したので、何か伺えるかな、と」

 今度は安西の顔全体が強張る。

「どこでそれを知ったのかな?」

「ああ、言い忘れていました。私、自治会に所属していますので、そこで調べ物をしていたら過去の寮名簿がありました」

「……なるほどね」

 そう言って安西は腕を組む。

「で、具体的に何を聞きたいのかな。僕はもう既に男子寮を引き払っているからね。何か期待に添えるような事は無いと……」

「あんたが何かやったんじゃないか?」

「はい?」

 やにわに結城が口を挟む。確かにまどろっこしいやり取りだったが、ストレートに言いすぎだ。それに俺に関わる問題だ。いなせな気質を隠し持つ結城には耐えられなかったか。

「容疑者の1年は煙草なんか吸わない。誰かが部屋に火をつけたんだ。鍵がかかった部屋にな。それが出来るのは前の住人だったあんたしかいないんだよ」

 

 さてどう出るか……。が、予想とは異なり安西は大仰に頷くだけだった。

「あまり論理的ではない推理はまず置いておこう。寮に火をつけて、僕になんのメリットがあるのかな?」

「それは……」

 結城が返答に詰まる。

 まだ十分な証拠も得ずここに来たのは無策だったか。

「ふん、だろうな。分かるはずもない。あんなオンボロの寮が消失したところで誰も気にも留めないだろう。僕に至ってはすでにあの寮とは無関係だ。奨学金を獲得して今やマンションで暮らしている」

「でもあなた以外にあの部屋に入れるのは……」

「僕は火災が起きた時、ずっとここに居たよ。アリバイは他の院生や教授が証明してくれる」

「じゃあ誰かがあんたの鍵の複製を作って……」

「それも不可能だ。あの部屋のドアノブは僕が部屋を引き払う時に泥棒に遭ってね、例の火事を起こした学生が入居する時には新品の鍵になっていたはずだ」

「泥棒?」

「ああ、僕が新しい物件の契約を決めている時に無理やりドアノブをこじ開けられてね。まぁ大したものは盗まれていなかったけど」

「そんな……」

 また振り出し、か。

「さあ、もう話は済んだろう。帰ってくれないか。理系は文系と違って忙しいんだ。中途半端な探偵ごっこに興じるほど暇を持て余してはいないんだよ。俺を疑ってるんならクソッタレの総務課なりにでも泣きついてみるんだな!」

 

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