第2話 覚醒

 終わりを知らせるチャイムが鳴り、教室全体が一気に騒がしくなった。

 帰り支度を始める真面目そうな男子。ひとりの席に集まっておしゃべりに花を咲かせる数人の女子生徒。黒板に寄って行ってホームルーム中に書かれた文字を消し始める日直の二人。

 それぞれがそれぞれで放課後を楽しんでいる中、微動だにせず机にうつ伏せている男子がひとり。――窓際の最後尾、左手から西日が差し込む席に座る彼は、自分の腕を枕にして穏やかな寝息を立てている。

 ざわめき騒がしい教室内で、彼の周囲だけが異質なほど静かだった。誰も彼のそばに近づこうとせず、誰も彼を起こそうとしない。真っ黒な髪を夕日にきらめかせて、彼は未だすやすやと眠る。

 と、そこにひとりの男子がクラスの出入り口からひょこりと顔を出した。染められ傷んだ金髪を揺らし、その人は手近にいた女子に声をかける。


「よっ。なあ君尋キミヒロは?」

「……小暮こぐれさん。彼なら、あそこに」


 女子が指差したほうに目をむければ、未だすやすやと寝ている男子――君尋キミヒロの姿。

 金髪の彼はそれを認めると、女子に一言お礼を口にし、教室に入る。他クラスの人物が入ってきたためか、周囲の視線が一瞬金髪の彼に集まるが、その人を認めるとすぐに視線は散っていった。どうやら彼がここにくるのはよくあることらしい。

 迷いない足取りで君尋キミヒロの元まで行くと、ブレザー越しに彼の肩を掴み揺らす。すると君尋キミヒロは小さくうなり声をあげ、眉間にシワを寄せた。


「ほら、君尋キミヒロってば。起きろよ。帰ろうぜー、授業もとっくに終わったしさー。起きろってばー」

「ん、んー……」


 ようやく顔を上げた君尋は、未だ寝ぼけまなこ。小さな声で「ユウ……?」と、金髪の彼の名をつぶやき、西日を受け眩しそうにぐっと眉間にシワを寄せる。


「そーですよ、小暮こぐれユウくんが起こしにきたんですよ。ほら、とっとと帰ろうぜ」


 もう一度寝直そうとする君尋キミヒロの肩を、しつこいほどにユウが揺らす。

 そこでようやっと、君尋キミヒロの目が覚めてきたらしい。小さくあくびをもらした彼は、黒板の上にかかっている時計を睨み、真っ赤に燃え盛る空を睨んだ。それから目の前で揺れる、ユウの青地に金の刺繡が入ったネクタイをわし掴んで身体を起こす。「ぐえっ」と、ユウが声を上げた。


「……カエルみたい」

「首、首しまってんだっつの!」


 未だネクタイを掴む君尋キミヒロの手を数度叩けば、あっさりと離される。ユウは数度大きく呼吸をしたのち、わざとらしく咳き込んでみせる。が、君尋キミヒロはさして気にしていないようだった。

 君尋キミヒロは鋭い目つきをより一層研ぎ澄まして、周囲をぐるりと見回す。

 ――一瞬、教室のざわめきが静かになった。

 かと思えば、またなにごともなかったように生徒たちは会話を再開する。君尋はほんの少しだけ困ったようにまゆを寄せたが、それすらも彼の鋭い目つきに拍車をかけ威圧感を増すだけだった。


「ほんっとキミちゃんてば、損な顔立ちしてんのね。入学して一ヶ月経つっしょ。ダチくらいできないもんなの?」

「できないもんみたいだな。ご覧のとおりだよ」

「なるほど。爆睡しても起こしてもらえないとか、そーとーね、それ」


 ふわふわと柔らかそうな金髪を揺らし、着崩した制服の胸元を掴みながら、ユウはわざとらしく「およよー」と泣いてみせる。対する君尋キミヒロは我関せずの態度を貫き、帰り支度を始めた。

 机の中から筆記具や教科書類を抜き出してかばんの中に詰め込みながら、不意に「夢を見たんだ」と、君尋キミヒロがこぼす。ユウは顔を覆っていた手をどけて、口を閉じ、静かに続きをうながす。


「ずっとって繰り返してる夢」

「なにそれ、どっか怪我でもしたの」

「……さあ。分からないけど」

「ふぅん、変な夢見たのね」


 それきり二人は口を閉ざした。

 教室に残っている生徒ももうだいぶ減っていて、放課後特有のざわめきも少なくなっている。それでもどこかのクラスにはまだ人がいるようで、遠くから誰かの笑い声が響いてきた。

 すべての中身を移し終え、君尋キミヒロがかばんのチャックを閉めた瞬間。ユウがさっとかばんを奪い去り、教室の扉前まで行ってしまう。


「あ、おい!」呼び止める勢いそのまま、君尋キミヒロは立ち上がる。椅子ががたがたと派手な音を立てた。「返せよ荷物!」

君尋キミヒロのバッグ、討ち取ったり〜」

「かばんは生きてないだろ、討ち取ったってなんだ!」


 ユウはそのまま上機嫌に「討ち取った、討ち取った〜」と繰り返しながら、教室から出て行ってしまう。

 驚きが未だ抜け切らない君尋キミヒロはひとつため息をついて、乱してしまった机と椅子を整え直してから、教室を出る。

 廊下にはまだ幾人いくにんかの生徒が残っており、おしゃべりに夢中になっているようだ。君尋キミヒロが姿を表した瞬間、周囲はまた、口を閉じる。それから、なんでもないことのようにまた会話を再開するのだ。


「…………」


 なんとも言えない気持ちになり、君尋キミヒロはそっと眉間にまゆを寄せる。

 君尋キミヒロの見目は彼の性格と相反するように鋭く、威圧的だった。常に誰かを睨んでいるかのようにきつく釣り上がり、むっつりと閉じられた口のせいで機嫌が悪そうに見えてしまう。更に君尋キミヒロは口数が多いほうではないため、高校に入学して一ヶ月経った今でもクラスに馴染めないでいた。終いには「殺傷事件を起こしたことがある」だの、「となり町の学校に殴りこみをして上級生をにしてきた」だのと、ありもしない噂を流される始末。誤解を解こうと話しかければ怯え逃げられてしまうし、黙っていると噂は加速する。

 石槻いしづき君尋キミヒロは、そんな環境に身を置いている。解決方法は、未だ分からないままだ。

 出てきそうになったため息を飲み込んでから、ぐるりと周囲を見回しユウを探す。

 少し離れたところの、黄色い塗料が塗られた階段そばにある柱の影から、たんぽぽのような金髪がふわふわと覗いているのを見つけた。


「おいユウ


 凄みを利かせて呼びかけると、廊下で楽しそうにしていた女子生徒らが逃げるように自分の教室へ引っ込んでいった。それを見た君尋キミヒロはほんのりと視線を下げるが、すぐに階段にむかって歩を進めながらもう一度「ユウ」と呼びかける。

 と、柱の影からひょこっとユウが顔を出した。にーっと口角を上げて、いたずらっ子と形容するのがふさわしい笑みを浮かべる。


「俺のかばん返せよ」

「えー、どーしよっか〜な〜ぁ」


 彼はそのまま二人分の荷物を背負い直すと、君尋キミヒロにくるりと背をむけて、階段を駆け下りていく。


「捕まえてみやがれってんだー!」


 声はどんどん降りていく。途中、先生が「走るな小暮こぐれ!」と怒鳴る声や、誰かが驚いたような声を上げているのが聞こえた。

 ひとり残された君尋キミヒロは小さくため息をつき、ゆっくり一歩一歩階段を降りていく。

 校門付近でにやにや笑いながら待っているであろう友人になんと文句を言ってやろうかと思考を巡らしながら、君尋キミヒロは校舎をあとにした。

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