第409話 正義 09

 誰もが目を疑った。

 時が止まったかのような錯覚に陥った。

 彼らの目線は、ただ一つに吸い寄せられていた。

 壇上にいるクロードの左胸。

 そこに深々と刺さった、一本のナイフ。


 そのナイフを突き刺したのは、目の前の黒髪の少女だった。


 彼女は隠し持っていたナイフを取り出し、戴冠の為にしゃがみ込んだクロードの左胸に突き刺した。

 無防備であったその身体に、用意にナイフは沈み込んだ。

 その少女の表情や顔など、誰も見ていなかった。

 視線の先は、クロードに突き刺さるナイフのみ。

 誰もが信じられなかったのだ。

 魔王クロード。

 その彼に攻撃を仕掛けた存在がいるなんて。


「……げほっ……」


 咳と共にクロードの口から赤い物が流れる。

 血だ。

 確実にクロードは傷を負っていた。

 更に左胸は心臓のある個所。

 確実に致命傷だった。


 一方、致命傷を与えた少女はその場に倒れ込んでいたのだ。

 その理由は、その場にいた誰もが理解していた。

 人を傷つけた。

 しかも他でもないクロードをだ。

 ならば『赤い液体』の効果でダメージが跳ねかえってきていることは間違いない。

 ――だからあの少女は即死したはずだ。

 誰もがそのように理解していた。


「……ぐっ……」


 と、そこで苦しそうなうめき声と共にクロードは左胸を押さえながら膝を付き、そのまま刺した倒れ込んでいた少女に重なる形で、壇上で倒れ込む。


 その際、彼は告げていた。

 目の前の彼女だけに聞こえる声で、小さく――本当に小さく呟いていた。




「……辛い思いをさせてごめんなさい。

 ――ありがとう……」




 ――その時。

 横たわる少女が微動したのに気が付いたのは、クロードだけであった。


 そして彼は歯を食いしばりながら立ち上がると、そこに倒れ込んでいた少女の腕を掴み、


「……あああああああああああああああああああああああああっ!!」


 渾身の力を込めて彼方へと投げ飛ばした。

 自分のことを刺した少女に、最大限の恨みを込めたかのように。

 この場から消え失せろと。


「……っ、はぁ……はぁ……っ……」


 息も絶え絶えにクロードは立ち上がる。

 口から血は流れ出ており、黒い服でも分かるほどに胸元に染みが広がっていく。

 傍にいた金髪碧眼の男の子も棒立ちでそれを見ているだけだ。

 いや、彼だけではない。

 誰ひとり、動けなかった。

 あまりにも衝撃な展開に、ただ見ていることしか出来なかった。

 声も発するのも躊躇われる。

 世界の時が止まった感覚は長く続いた。

 そんな中、動けるのは――動いているのは、クロードただ一人。

 彼は静寂の中、荒く息をしながら、何故かゆっくりと先程まで座っていた、一段高くなっている椅子へと向かって行った。

 一歩。

 一歩。

 ゆっくりと、進んでいく。

 左胸を刺され、致命的な傷を負ったのに。

 それでも彼は進んだ。

 そして肘掛椅子に座る。

 世界連合総長としての、いや――王としての椅子に。


 魔王として座って。

 魔王として振る舞った。


 そして――


『はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!』



 狂った、長い笑い声が聞こえた。

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