第285話 平和 06

(……っ!)


 クロードは少年の言葉に衝撃を受けた。

 きっとそんなに深く考えてはいない、ただ感じたことを口にしたような浅い意見ではあるだろう。

 だが、先の女性の誘導といい、そこから導き出された答えといい、自分にとっては考えもしない、盲点であった。

 クロードは平和になる方法を訊ねた。

 幼い少年には何を議論しているのか分からなかった。

 だから女性は噛み砕いて『世界中で戦闘を無くす方法』と定義を変えた。

 その意訳に対し、少年は告げた。


 人の痛みを自分も受ければ戦闘は無くなる、と。


 思わずクロードは告げた少年の名に視線を向ける。

『ジョン・スミス』 

 偽名にも思える名前だが、クロードの能力によって表示させられているのでこれは本名であることは間違いない。出身国は、クロードの知識に無い国であったので恐らくは小国なのであろう。


「ジョン君、素晴らしい意見だ。ありがとう」

「え? え? 意見?」


 少年は首を傾げる。自分が何故褒められたのか分かっていない様子である。


「誰だって痛いのは嫌だ。でもそれを相手に与えてしまうのは、きっとその痛みがどれだけ痛いのかを理解していないからだ。……俺もそうだった」


 先のアドアニアでの戦で、クロードは負傷した。

 久々の負傷で、重傷だった。

 ずっと無敵だった。

 痛みを知らなかった。

 故に少年の言葉は、クロードに突き刺さった。


「だから君の意見をベースにこれから議論しよう。――ミューズ」

「了解っす!」


 ミューズが嬉しそうに発しながら、自分達の背後にあるスクリーン上にアドアニア公用語を映す。


 平和になる方法

 アイディア

 ・与えた痛みを自分にフィードバックする


「つまりこういうことっすね?」

「その通りだ。分かりやすい。流石ミューズだな。――さて、これから議論しよう」


 立ち上がり、クロードはスクリーン上の言葉を指差す。


「俺はこの意見、とてもいいと思う。もし何か不都合があるのであれば今の内に発言してほしい。ちょっとした疑問でもいい。ないならこのまま実行しようと思うが――」

「……いやいや、ちょっと待てよ」


 そう口に出したのは、先刻にクロードに死ねといった男性――ウォルブスであった。


「出来るか出来ないかはこの際置いておいてだが……人に与える痛みをそのまま自分に反射するってことが世界平和になるってことなんだろ? それって『一切の暴力を禁じる』っていうのと同じことだろ?」

「そういうことにもなるな。それが悪いことなのか?」

「いや、そうじゃなくて……その……時として、暴力も必要じゃないかと……」

「はあ? 何言っているのさ!?」


 先程、少年の横にいた褐色の女性が、憤慨した様子でテーブルを叩く。


「どこのどういう場面で暴力が必要だっていう時があるのさ!?」

「別に完全なる暴力という訳ではなくて、その……子供へのしつけ的な意味でのだ。俺も悪いことをした時は親父に殴られて、身体で覚えたもんだからな」

「そんな自分で我慢出来ない痛みを子供に与えるのかい!? それこそが呆れるわ。殴った方が痛いとか言う人がいるけれど、本当に口だけなのね。母親としてお腹を痛めているこちらと違って、男はだらしないねえ」


 彼女の言葉に、母親であろう年齢に達している女性一同が頷く。

 一方で大人の男性達は謂われもない非難によりいたたまれない気持ちになり、その原因となった男性に睨みを飛ばす。


「……ミューズもそこで頷くんだな」

「そりゃ女性として当然……」


 ミューズは胸を張って首肯していたが、途中でハッと表情を変える。


「……まさかクロード、その……勘違いしていないっすよね!?」

「おめでとう」

「いやいやいや! まだしていないっすから! 今はそんな暇ないんすよ! 頭の中を読み取ってくださいっす! あたしは清廉潔白なんす!」

「ん? 『まだ』ってさっき言ったよな? ということは――『これから』があるってことか」

「あああああ……」


 墓穴を掘ったミューズが頭を抱えているのが分かる視界の中で、カズマが額を押さえて首を横に振るのと、ライトウが訳が判らないと言った様子で首を傾げるのがクロードには見えた。

 そんなちょっとしたやり取りがあった中でも、諍いの原因となった男性――ウォルブスは言い訳のように次の言葉を絞り出していた。


「こ……こういうような感じ……あ、いや、そうではないけれど、でも『言葉の暴力』って言葉があるくらいじゃないか! それに対抗するのは言葉じゃないん暴力だって必要だと思うぞ!」

「……そちらの暴力も同じようにすれば良いのではないのかな?」


 そう告げたのは白髪の目立つ老紳士。ずっと口を閉ざして、寝ているのかと思える程に反応が無かった人物であったが、きちんと話を聞いていたようだ。

「ウォルブス氏が言った様に、言葉だって『暴力』になり得る。だったらその暴力だって同じように痛みを受ければよいだろう」

「でもさー」とピアスを付けた未成年と思われる少年が軽く手を上げ「その人を庇う訳じゃないけどさー、そういう相手が勝手に思ったことすらいちいちダメージとしてこっちに来るのって何か違わない? こっちがそういうつもりで言っていないのにさあ」

「それ自身がいじめの温床なのでしょう?」と、三つ編みにした黒髪を揺らす眼鏡をかけた高校生くらいの少女が告げる。「言った本人はそういうつもりはなかった、と言い逃れている。それこそ、被害者がどれだけ嫌だと感じていたのか知らない、いじめっ子の理論よ。そういう人物こそ痛みを知った方がいいと思うわ」

「んー、成程。そうすることで徐々に嫌なことが分かって言動も変わっていく、か……だったらそれは有りだな」

「それでも何でもかんでもってのは良くないのではないかな?」と別の淑女が手を上げる。「世の中、被害妄想ということで本当に悪意も、そのような捉え方をしていなくても痛みを振り撒く人だっていると思うよ。だからある程度軽減しないとその人の完成次第で痛みが異なってくるからきついのでは?」

「いやいやそれこそ本末転倒でしょう」と背広を着た中年が首を横に振る。「同じ痛みを共有するからこその抑止力なのに、軽減しては、この程度、ってことで抑止力にはならないと思いますよ」

「というかちょっといいでしょうか?」と肌の白い痩せた女性が手を上げる。「そもそも今は人間相手の話だけで、そうなった場合は動物や植物達にも悪意が向けられるのではないのでしょうか? そうすれば人間以外が悪意に晒されて、暴力のはけ口になってしまいます」

「おお、それは想定されるね。だったら動物も対象に入れようよ」と中学生くらいの男の子。

「いや、だったら動物も植物も食べられなくなるって。人間、他の動物を少なからず殺してその肉を食べているんだからさ。そうなれば肉を調達する人がその度に死ぬほどのダメージを受けちゃうことになっちゃうよ」

「だったら制限する? 家畜限定とか?」と言ってにししと笑う少女。

「その制限方法を悪用する人もいるんじゃないのかしら? 家畜に暴力を振るうという手段を取る人が」とキャリアウーマン風の女性が深刻そうに顎に手を当てる。

「ならば資格制度にすべきではないか? きちんと発行する者も管理して、その人物のみが生き物を処することを許可する、とか。……おお、こうすればボクシングなどの格闘技やケンドーやジュウドーなどの武道も出来るのではないか?」と長い髪を後ろで括った青年が手を叩く。

「そもそもそれっているの? 人間の暴力性が失った状態で存在する意味ってのはあるのかしら?」と帽子を被った貴婦人が頬に手を寄せる。

「いやいや、文化は継承されるべきだと思いますよ。だから一概に規制するってのもどうかと。若い者としてもそう思いますよ」と爽やかな青年が笑みを見せる。

「それならばお互いに誓約書を取り交わして、というのはどうだ? 約束があれば自己責任ってことになるだろうよ」と鉢巻を頭に巻いた青年が頷く。

「でも動物さんとどうやって約束するのー?」と小さい女の子が疑問を呈す。

「そうだね。ならば動物さんは対象外にして……だけどどのように管理するかってことが問題ですね」

「やはり管理者が必要ではないのか?」

「そもそも被虐思考の持ち主にはどうやったら――」

「痛みを与える方がダメージが大きくなる仕様ってのは――」



 ――進む。

 議論が進む。


 ある人が出した意見に、別の人が意見をする。

 活発に話が進む。

 進んだり。

 戻ったり。

 ずれたり。

 それでも少しずつ。

 少しずつ。

 前に進む。

 不毛な議論ではない。

 みんなが意見を出す。

 考える。

 正しい道を探る。


 多くの人種。

 多くの年齢層。


 そんな彼らが、一つのテーマについて議論を交わす。


 この様相が見たかった。

 この様相が欲しかった。


「……………………よし」


 そう小さくクロードが呟いた言葉は、周囲の喧騒に消されて届かなかった。



 誰の耳にも、届かなかった。

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