猫の目の様な三日月の夜に

ひろかわ よう

第1話 突然の電話

「誰の爪?誰の爪??」

風呂上がりに足の爪を切っている八紘に茉莉が彼の背中越しに顔を出してきた。

「茉莉!爪切ってるのにあぶないだろう。」

「誰の爪?誰の爪?」

「なんの呪文だぁ?」

「おばあちゃんが夜爪切ると親の死に目に会えないっていってた。」

「いや、オレ親いないし。」

「お父さんいるじゃん。」

八紘は手の爪も切り始めた。


「やらせて」

茉莉は八紘の細くて長い指先を彼女の手で包み込むと丁寧に爪の手入れを始めた。

美容師の学校に通っている茉莉は八紘の眉毛を整えたりフェイシャルしたりと八紘の男前に拍車をかけてあげてるのと豪語している。

八紘は茉莉に手入れをしてもらうのは嫌いじゃない。



手入れをうけながら八紘は聞いた。

「誰の爪?って聞かれたらなんて答えるの??」

茉莉は右手の手入れを終わり、左手に変えながら「猫の爪。猫の爪。」とこたえた。


「誰の爪?誰の爪?」茉莉は笑いながら八紘にきいた。

「猫の爪。犬の爪。かばの爪。カピバラの爪。とにかくオレの爪じゃなきゃいいんだろ?」

「詳しくはWebで。」

茉莉は右手の人差し指を立てながら、CMのように満面の笑みを浮かべて言った。



テーブルの上の携帯が震えながら動く。

「八紘。」

茉莉が渡してくれた携帯の画面には

八紘の叔父の名前が。


「八紘、親父さん亡くなったらしい。」

八紘には一瞬誰のことか解らなかった。

「お前の父親だよ。今から迎えに行くからとりあえずスーツ着ておけ。ネクタイは派手じゃないやつな。」

電話は切れた。

叔父はいつもそうだ。用件をいうと勝手に切ってしまう。

「どうしたの?」

茉莉は心配そうに顔を覗き込んできた。

訳を話すと、茉莉はスーツを用意したり、髪の毛を乾かしたりしてくれて、15分くらいで部屋のチャイムがなった。


「私も帰るね。」

茉莉は歩いて帰るといったが、叔父が危ないから送っていくと言って、茉莉の家に寄ってから出掛けることになった。


茉莉を降ろした後、叔父はちょっと不機嫌そうに言った。

「あんまり遅くまで未成年を家に置いとくもんじゃないぞ。」

叔父には茉莉と同じ年の娘がいる。

それを思うと父親ってそんなもんなのだろうとは思う。

茉莉には父親はいないが。祖母と暮らしていたがその祖母も茉莉が高校生の時に死んでしまった。

母親は行方知れずのままだ。

茉莉は祖母の遺した家に一人で住んでいた。

叔父にはそこまで話してはいない。

八紘が黙っていると亡くなった父親の話をし出した。

叔父は八紘の父親の弟だ。


八紘が小学生の時に母親が病気で亡くなり、しばらくは父親と2人で暮らしていたが、7年前、彼が高校生になる頃に再婚した。

八紘は寮のある男子校に入学し、そのまま大学に進学し、一人暮らしを始めた。

実家にはこの7年間帰っていない。

それでも父親とは外であって食事をする事もあったが、半年以上あっていないかもしれない。





「仕事中に倒れてそのまま意識が無くなって、病院についた時にはもうダメだったらしいぞ。」

叔父の言葉には応えず、黙っていた。


「おまえ、実家にはあまり帰ってなかったのか?」

「あまりというか全然。」

「全くなにやってんだ?兄さんが再婚したのがそんなに嫌だったのか?」

 

嫌だった。

そんな子供みたいな理由だったかは定かではない。

再婚相手はとてもいい人だったと思う。

ただ、お母さんとすぐに呼べるほど、八紘は子供ではなかったし大人でもなかった。

そのうち、父親と再婚相手に子供が出来たので、完全に帰る場所を失ってしまった気になったのは確かだ。

年の離れた弟を受け入れることもなく、そのうち父親はいなくなった気になっていた。


死んだんだ。

そう思うと少しぞっとした。

どんな顔だったかよく思い出せない。


「八紘?」

叔父の声がした。

しばらく考え込んでいて、無口になっていたらしい。

「ごめん。ぼーっとしてた。」

「親戚の人達来てると思うから、ちゃんと挨拶くらいしろよ。早衣子さんにもな。」

早衣子は八紘の父の再婚相手だ。

「わかった。」


道のあちこちには既に案内の看板が立っていた。

もう夜も遅いというのに、その家には提灯が灯り家中の電気が付いていた。

7年ぶりの実家だ。


ふと母親が亡くなった時の事を思い出した。

八紘は母親の死に目に会えていない。

母親が入院していた時、父親はすぐによくなるからと言っていた。

八紘は信じていた。すぐによくなって帰ってくると思っていた。

治らない病気だったのならもっと会いに行ったのに。

治らない病気だったのならもっと優しく出来たのに。

治らない病気だったのなら教えてくれたら良かったのに。

八紘は父親に裏切られたと思っていた。

だから父親との距離を置くようになり、父親が再婚すると聞いて、家族を辞めようと思った。

それが真実かとしれない。

嫌いではなかった。

小さい頃は一人っ子だったから、よく遊んで貰った。父親が好きだったし、カッコいいと思っていた。


「八紘、降りて。」

叔父は車を隣接する空き地に停めた。


「ほら、行くぞ。」

叔父に促されて、八紘はそっとついていった。

玄関を入ると、既に来ていた親戚が、おやっという顔つきで頭を下げたので、八紘も頭を下げて挨拶をした。

叔父は親戚の人と少し話をしていたが、声を聞きつけたらしい女性が奥の方から出てきた。

早衣子だった。

父親よりもひとまわりくらい若い彼女は、かなり疲れていて、昔あった時のイメージとはかけ離れていた。

「八紘。」叔父はぼーっとしている八紘に声をかけた。

「お久しぶりです。この度は…。」

ご愁傷さまです。

といいかけたが、早衣子はそれをいわせたくないのか畳み掛けるように

「顔を見てあげて。」と奥の座敷へと二人を連れ立った。

仏壇の前には白い絹の布団が敷かれていた。

顔には白い布がかけられている。

部屋には線香の香りが焚き込められていた。


叔父に続いて、八紘も焼香した。

叔父は少し唇が震えている。

兄弟仲はよかったはずだ。


「みるか?」叔父の問いに頷いた。


血の気のない顔をしていたが、眠っているみたいで死んでいるのが嘘みたいに思えた。


「パパ、寝てるんだよ。なかなか起きないの。」

八紘はドキッとした。いつの間にか側に男の子がいて、父親の顔を覗き込んでいた。

「カズ!」

早衣子はその子を叱った。

「触っちゃだめよ。」

叱られて、彼は沈み込んだ。

布団の側に小さくなって座った。


「早衣子さん。お願い致します。」

親戚のおばさんに呼ばれた早衣子は

「八紘くん。カズタカを見ててくれないかしら。」

といって台所にいってしまった。


カズタカと呼ばれた少年はきっと八紘の弟だろう。

叔父はカズタカと面識があるらしく、カズタカは叔父に話しかけていた。

彼は父親の死をうけとめているんだろうか。

八紘はカズタカに聞いてみた。

「カズタカくんはお父さんのことが好き?」

 意地悪な質問だったろうか。既に言葉はカズタカの耳に入っていた。

「うん。パパのこと、嫌いな人いる?」

カズタカはいいことを思いついた様な顔になった。

「お兄ちゃん、ちょっと待ってて。」

八紘のことを本当の兄だと理解しているわけではなさそうだった。

カズタカは走っていくとしばらくして赤い車を持ってきた。

「これ、パパが大切にしてたの。僕も大切にするからってパパにもらったの。」

赤い車。

八紘は驚いた。

八紘が幼稚園の時に買ってもらったオモチャの車。ポルシェカマロ。

裏には名前が書いてある。

てらさわ やひろ。



「お兄ちゃんも車好き?」

八紘は答えられなかった。

涙が出て来そうなのをガマンするのに精一杯たったから。

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