第1-1話 理想の自分 -make for ...-

・1・


「……ウ……」


 声が聞こえた。


 声の主が誰なのかは分かっている。

 今、吉野ユウトが寝ている場所はおそらく自分の部屋ではなく居間だ。昨日は遅くまで難解な教科書とにらめっこして、作り置きの夕食を済ませた後、そのまま寝てしまった。そんなところだろう。

 そしてこの部屋に住んでいるのは自分だけ。となると、ユウト自身を除いてこの部屋に入れる人間はかなり限られてくる。

 鼻腔をくすぐるいい匂いがした。朝の匂いに誘われて、ゆっくりと目を開けると、そこには日常があった。


「おはよう。ユウ」

「……おはよう、伊紗那」


 透き通るような声で笑顔を向ける彼女は、ユウトが目を覚ましたことを確認すると、昨晩そのまま置きっぱなしだった夕食の後片付けをせっせと開始した。

 別に家族というわけでもないのに、彼女はよくやってくれている。だから正直、申し訳ない気持ちがあった。

「わるい伊紗那。いつもご飯作ってもらって。片付けくらい俺がやるよ」

「お粗末様でした。いいの。私が好きでやってることだから」

 祝伊紗那ほうりいさな。ユウトのクラスメイトだ。

 その綺麗な顔立ち、濡羽色の髪に細身で華奢な体、儚げな雰囲気からは、近頃どうしても女性を意識してしまう。大和撫子という言葉がとても似合う女の子だ。もう彼女とは四年ほどの付き合いになる。


 調理台に立つ彼女は長い髪を後ろで束ね、主婦顔負けの器用さでテキパキと洗い物を右から左へ並べていく。

「もし悪いと思うなら、ちゃんと責任とってね?」

「何の?」

「ユウが悪いんだよ? いつも私の料理を残さず全部食べてくれるから、また作りたくなっちゃう。……だからその……ちゃんと責任とって」

 伊紗那は上目使いでそう言った。ユウトは呆気にとられ、そして息を呑んだ。

「責任って……そういう――」

「ふふ。冗談だよ。こうするのが私は楽しいからいいの。それともユウは私の楽しみを取り上げる気?」

 そう言われると、もうお手上げだ。ユウトは小さく息を吐いた。

「……わかったよ。これからもよろしくお願いします」

「わかればよろしい」



 今年から部屋が隣同士ということもあって、伊紗那はユウトの部屋に来て、毎日朝夕の食事を作ってくれている。今朝は渡している合鍵を使って入ってきたのだろう。最初は悪いので断ったが、二人のほうが楽だとか、節約できるだとか、半ば強引に押し切られてしまった。だからその日からユウトも早起きして、率先して手伝いをするようになった。それが巡り巡って自分の生活習慣改善になるのだから、彼女には本当に頭が上がらない。

 しかし、今日は珍しく完全に寝落ちしてしまった。


 テレビの電源を入れると、いきなり連続殺人というテロップが流れる。その後も犯行の手口や凶器など様々な憶測が飛び交ったが、朝から見たくはなかったので、ユウトはチャンネルを変えた。

 健全な高校生の朝は天気予報と、今週の運勢を見てからスタートするべきだ。


『今週の運勢~。一位の獅子座のあなた。この一週間、あなたはかわいい兎ちゃん。いろんな人に狙われちゃうかも♪ ワクワク♪ 恋の予感が止まらない! 幼女からヤンデレ、はたまたどうせ――ゲフンゲフン。とにかくいろんな人と関わることになるでしょう! ラッキーカラーは金色デース!』


(……何だこのふざけた占い番組)

 ちなみに、ユウトはしし座だ。


「昨日も遅くまで勉強してたの?」

「ん……あぁ。もうすぐテストだからな」

 テスト勉強。学生である以上、これだけは避けて通ることはできない。

「お疲れさま。あまり無理しないようにね?」

 伊紗那は労いの言葉をかける。すでに彼女の朝の仕事は完了していた。

「もう学園に行く時間だよ。ごめんね。朝ご飯サンドイッチくらいしかできなくて」

 伊紗那は申し訳なさそうにラップで包んだサンドイッチを差し出した。

「なんでお前が謝るんだよ」

 伊紗那はクスッと笑った。本当に、彼女が隣に引っ越してきて、我が家の食事はささやかな進化を遂げている。十分だった。

「うっし、じゃあ学園に行くか」


・2・


 ここは海上都市イースト・フロート。東京すぐ横の海上に浮かぶ巨大な人工島である。


 総面積はおよそ二百平方キロメートル。総人口は百万人。国際的には日本の領土ということになっているが、実際は完全に独立した一つの国家と言っても過言ではない。

 それを可能としているのは、この街が超弩級の最先端科学都市だからだ。この街は世界中の研究者やそれを目指す学生、多数の研究機関でひしめき合っている。流通する資金、人、物資そのすべてが大国のそれと同格なのだ。

 そんな科学の街の象徴とされているのが、都市の中心部にある『モーメント』と呼ばれる装置だ。これ一つで都市全てを賄っても余るほどのエネルギーを無尽蔵に生み出すことができるという。いわゆる永久機関である。小型化、量産が困難など数々の問題があるが、これらを解決することができれば、人類のエネルギー問題は解決するとまで言われている。

 全十区に分けられたこの都市は、中央に都市最大の企業ビル『モノリス』が建ち、近辺には数多くの研究機関、学校などが存在する。


 吉野ユウトはそんな街に住むごく普通の高校生だ。


 とりわけ頭が良いわけではない。何か専門的な知識を持っているわけでもない。ごくごく普通の高校生。

 ユウトは今、伊紗那と二人で学園へと続く道を歩いていた。

 そんな道中、伊紗那はそぉーっとユウトの横に並び、自信なさそうに俯きながらポツポツと何やら呟く。

「あの……ユウ……? 今度の日曜だけど、もし良かったら――」


「おーいユウト! 伊紗那!」


 伊紗那が何か言いかけたところで、背後から二人を呼ぶ声が聞こえてきた。

「冬馬。おはよ」

「……おはよう冬馬」

 伊紗那は少しだけ不機嫌そうに返事をした。


 宗像冬馬むなかたとうま。彼もまたユウトと同じクラスメイトだ。すらっとした長身に後ろで束ねた長髪。着崩した制服は一見不良のようなイメージだが、どこか飄々としていて不思議と悪い印象はない。その容姿で男子からは少し敬遠されがちだが、ルックスがいいので女子には人気がある。しかし本人は全く興味が無い様子。冬馬に彼女が出来たなんて噂を今まで一度だって聞いたことはなかった。彼も初めて出会ったのは、伊紗那とほぼ同じ時期だった。


 ユウトは、伊紗那、冬馬の二人とこの街で出会い、親友になった。お互いに何か共通点があるわけでもなければ、ドラマチックな出会いがあったわけでもない。ただ気が付くと一緒にいる。そんな関係だ。

 今ではユウトにとって、二人はとても大切な存在になっていた。


「伊紗那、さっき何か言ったか?」

「いやいやなんでもないよっ! こっちの話。はぁ……」

 伊紗那の表情を見て、何かを察した冬馬が唐突に話題を振る。


「あ~そうだ。こないだうちに来た客からもらったんだけど……これ、二人にやるよ」


 そう言って冬馬は二人にチケットを渡す。

「新設。アクアパーク特別招待券? なんだこれ?」

「最近三区にできたテーマパークさ。この都市には珍しいよな、こんな娯楽施設。開園から一週間、すでにカップルの巣窟と化してる」

「っ!?」

 黙りこくった伊紗那の顔は赤く染まっていた。それに気付かずユウトもしばらく考えてこう答える。

「気持ちは嬉しいけど、俺あんまりこういうとこ行かないんだよなぁ。それに一人じゃ――」


「……行こう?」


 伊紗那は下を向きながら、スッとユウトの裾を引いた。

 ユウトはしばらく言葉を失い、そして頭を掻きながら、

「……わかったよ」

 と観念したように了承した。

「でも本当にいいのか冬馬?」

「いいって。俺別に彼女とかいないし」

「うるせぇイケメン野郎!」

「まぁまぁ。ここに我らがお姫様がいるじゃあないか。最近世話になってるんだろ? たまには二人でデートしてきな」

「デート……」

 ボッとすでに赤い頬をさらに赤らめ俯く伊紗那。

「どうしてそうなる。いや、まぁ……そうなるのか。冬馬は一緒に行かないのか?」

「俺は次の休日用事があって行けないんだ。悪いな」

 そう言うと冬馬は伊紗那に近づき耳元で小さく囁いた。

「ごめんな。なんかタイミング悪かったみたいだ。これで許してくれ」

「ううん。気を遣わせてごめん。でも……ありがと」


・3・


「それで、次の日曜にデートねぇ……」

「デートじゃない。一緒に遊んで、一緒に買い物するだけだ」

「……世間様ではそれをデートって言うんだよ」


 ここは街の中心街から離れた場所。通称「はみだし」と呼ばれる区画だ。文字通り夜になっても輝きを失わない中心街とは違い、ここには活気がない。そんな場所に少し前から、ユウトが通っているとあるお店がある。


 バー・シャングリラ。


 ユウトのバイト先でもある。そこにはいつも三人の人間がいる。隣で喋っている少年の名は皆城かいじょうタカオ。店の中心的存在だ。


「でも、まぁあれだな……刹那ちゃんが知ったらお前、殺されるぞ?」

「え、なんで!?」

 タカオの言葉にユウトはギョッとした。が、すぐに横から声が入る。

「タカオ。あんまり口が軽いとアンタも同罪だよ?」

「なぁミズキ。俺らも一緒に行かないか? 遠くからユウトを見守ろうぜ」

 タカオは小さく耳打ちする。

「嫌。動機が不純すぎる。もっとマシな口説き文句を考えてから出直してこい」

 カウンターでコーヒーを入れているウェイトレス姿の少女、賽鐘さいがねミズキはやたら鋭い眼力で冷たく言い放つ。

「……ミズキ。それちょっとひどくない? 俺だって青春に生きる男なんだよ? 女の子誘うのだって勇気いるんだよ? なぁガイ~」

 同じくカウンターでグラスを磨いていたガイは、何も言わずタカオの肩に手を置く。

「……」

 タカオはがっくしと肩を落とした。


 タカオとミズキはユウトと同い年だ。長身で無口なガイは定かではないが、二つ三つ年上だったはずだ。タカオとミズキにとって、親友であり保護者のような立場にある。


 しかし二人とも学園に通っていない。


 一見華やかに見えるこの街でも、なんらかの理由で学生を止めた人間は存在する。お金、人付き合い、学力レベル。理由は様々だが、そういった人間は、落ちこぼれの烙印を押され、この街では肩身の狭い生活を余儀なくされる。


 そんな彼らとユウトの共通点は、全員が左手に付けている銀色の腕輪だ。


 これは『ルーンの腕輪』という。

 この腕輪は、信じられないことに、装着者に超常の力をもたらす。



 いわゆる。ユウトたちは『魔法使い』なのだ。



 腕輪はある日突然、差出人不明の小包で送られてきた。そして腕輪を持つ者の運命故か、ユウトは怪物に遭遇し、命からがら逃げ回っているところを偶然彼らに助けてもらったのだ。


 魔獣。最近になって姿を現した怪物だ。ヤツらは「空間の裂け目」を通って突然現れる。

 裂け目がいつどこで現れ、どこに繋がっているのかはわからない。ただ、今のところ一度の出現で現れる数はそう多くない。

 これまで彼らは協力して、魔獣と戦ってきた。魔法だけが唯一魔獣と対抗できる力なのだ。

 タカオ達三人の他にも、十数名の仲間がいる。仕事や街のパトロールなどで今はここにいないが、有事の際はすぐに駆けつける。

 彼らも学園には通っていない。代わりに労働をすることでこの街で生きることを許されている。そんな彼らをまとめあげ、魔法を使える者を中心に、街を魔獣の脅威から守る自警団を作ったのがタカオだった。

 いつしかみんな、この店を拠り所にしていた。

 別に報酬が出るわけではない。誰に感謝されるわけでもない。それでも彼らは行動する。


 コンッとカップを置く音がした。香ばしい香りも遅れてやってくる。

「楽しんでくるといい。時には休息も大切だ」

 ガイがコーヒーをユウトに出して言った。


「でも、最近変な事件が増えてる。たぶん魔獣だと思うから用心しろよユウト。使


 そう。タカオの言うとおり、ユウトだけは未だ魔法が使えない。どんなに頑張っても腕輪の力が発動しないのだ。

 ユウトは早く魔法が使えるようになりたかった。だからユウトはここにいる。日常から離れた非日常。ここでなら何かが変わるかもしれない。変えれるかもしれないと、そう思ったから。

 別に魔法で好き勝手したいわけではない。


 ただ胸を張れる自分が欲しかった。


 ユウトの心には静かな焦りがあった。変わらない自分に。平凡どまりである自分に。

 伊紗那は学年で常に一位二位を争う才女で、その容姿も相まって学内でもトップクラスの人気を誇っている。人当たりが良く人望も厚い。学園内では常に多くの人間に囲まれている。人気のある男子から幾度となく告白もされているらしい。全て断っているみたいだが……。

 冬馬もああ見えて学問・運動、何でもこなす完璧人間だ。あまり自分のことを話さないし、周囲に誤解されがちなところもあるが、ユウトや伊紗那にはとても友愛を注いでくれる。

 そんな二人と一緒にいるからこそ、ユウトは常に考えてしまう。

 では自分には一体何があるのか? 自分は二人にとって何なのか?

 そして気付いてしまうのだ。自分は何もできないのだと。

 この話は以前一度だけ冬馬にしたことがある。その時冬馬は、


「釣り合う釣り合わないじゃない。人間はお前が思ってるほどそんな損得感情だけじゃ動かねぇよ。大事なのはお前がどうしたいかだ。お前の良いところは俺たちが知ってる。たまにはそのウジウジ捨てて、いつもと違う自分になってみな。ガツンとやってみろ。ガツンと!」


 そう言って冬馬は笑ってくれた。

 冬馬とユウトが冗談を交わし、伊紗那が穏やかな笑みでそれを眺める。

 それが彼らの日常。ユウトにとっての幸せそのものだ。


 だがそれだけではダメなのだ。


 一生の友達という言葉がある。まさにユウトにとって、二人との関係はそれに足るものだ。

 しかし往々にして友達というものは移り変わっていく。人は自分にとって必要なものを取捨選択していく生き物だ。どんなに仲のいい友達であろうと、遠く離れてしまえば会話も減る。触れることのできない者と、目の前にいる新たな者。どちらと多く関わるかなんて想像に難くない。徐々に記憶は上書きされていく。


 幼稚園の頃の友達を何人覚えているだろうか?

 小学生の頃の友達と何人繋がっているだろうか?


 真の意味で対等でなければならない。誰にも劣らないにならなければならない。


 このままでは二人にいつか置いて行かれるかもしれない。そんなのは嫌だ。


 彼らにとっての唯一になりたい。

 他の誰でもない、吉野ユウトという存在に。


 だからユウトはどうしても欲しかった。

 二人が持っていないものが。

 二人の役に立てるものが。


 そうすればきっと――


・4・


「明日かぁ。今日は早めに済ませて帰ろう」

 土曜日だというのにユウトは学園に来ていた。理由は図書委員の仕事だ。

 二週間に一回くらいで受け付けの仕事をすることになっている。休みの日でも図書館には学生が自然と集うのだ。ユウト自身も、静かに勉強できるこの場所はなかなか重宝していた。加えて少しだが給料もでるのだから文句のつけようがない。


 忙しいのはお昼過ぎまでで、三時を過ぎるころには人はほとんどいなくなる。仕事は四時までだが、その後に一日の報告書と掃除をしていたらあっという間に夕方を迎えてしまう。だから今日は早めに帰り支度をしておけば、いつもより早く帰れるはずだ。


 一通りの仕事を終え、時間が来るまで受付に座っていると、ユウトの横に誰かが座った。


「鳶谷。何で?」

「……No。私のことは御影と呼んでくださいと言ったでしょう。もう一年もの付き合いですよ? そろそろ友好的な関係にシフトしてもいいのではないでしょうか?」

 ユウトは人差し指で口を塞がれる。

「えっと……御影、さん」

「……は?」

 露骨に嫌そうな顔をされた。

「おい!」


 鳶谷御影とびやみかげ。小柄で白衣を着た少女だ。髪で片目が隠れていて、物静かさも相まってミステリアスな印象を受ける。同じ学年の生徒だが、クラスも違うし、接点といえば図書委員の仕事の時だけなのだが。

「今日はお前の当番じゃないだろう?」

「……Yes。ですがいつも馬鹿みたいに真面目に仕事をしているあなたが、今日は何故か上の空でしたので、その理由でも聞いてやろうかと思いまして」

「あははは……そんなに顔に出てた?」


「……Yes。まるで、俺、明日伊紗那とデート行くんだぜヒャッホイと言わんばかりの惚け顔でした」


「ブッ……!?」

 いくら何でもピンポイント過ぎる。

「あのー、鳶谷さんや。もしかして知ってるの?」

 御影はゆっくりとユウトに顔を向ける。その表情には寸分たりとも変化がない。まるで彫刻のようだ。

 しかし、その人並みの熱を帯びた唇は滑らかに動いた。

「……Yes。祝さんに相談されましたので。えらく遠まわしではありましたが。それが何か?」

「知ってんじゃねえか!」

「静かにしてください。ここは図書館ですよリア充剥ぎますよ?」

「……皮を剥ぐって意味じゃないよね?」

「……安心してください。私、剥製作りは得意ですから。痛みはありません。一瞬です」

「……」

 彼女とはよくよく縁があるのだが、いまいち掴み所がわからない。そんな彼女だが、こう見えて生物医学にかなり精通している。学生の身でありながら、すでに研究所に配属されているエリート中のエリートだ。学園でもたまに机ではなく、教卓に立っていることさえある。

 この学園都市ではそういう特別な学生も存在するのだ。いわゆるこの海上都市の根幹に関わる天才たち。彼女はその一人だ。


「……もう演劇部には戻らないのですか?」

「ん? あぁ、今は他にやらなきゃいけないことがあるんだよ。そのうち部には顔出そうとは思ってる」

 ユウトと御影は一時期演劇部でも一緒だったことがある。彼女は主にシナリオ組に属していた。

「……そうですか。残念です。私はあなたの演技、割と好きでしたので」


 役を演じるのは得意だった。初めからその人間がどんな才を持ち、どう生き、どう感じるのか全てが台本に書かれていたから。アドリブは全然ダメだったが、いざ確定した役を演じれば、頭から指先までその役に入り込むことは不思議とユウトにとってそんなに難しいことではなかった。


「なんか意外だな」

 御影と初めて話をしたのは、今の図書委員の役職に就いてからだ。

「……No。気のせいです」

 鋭い目つきで睨まれた。

「……ハハハ」


「……それにしても意外ですね。あなたが彼女とのデートを了承するなんて。


「どういう意味だ? よく冬馬たちと出かけてるぞ?」

「……No。わからないならいいです」

「?」

 その言葉にどんな意味があったのかわからない。いや、わかろうとしていなかっただけかもしれない。

「そっか。俺はもう帰るよ。またな」

 ユウトは無意識に、逃げるようにその場を離れようとした。

「……一つ、私からアドバイスをさしあげましょう。今後、彼女と付き合っていく上でお役に立つと思います」

 御影はゆっくりと呟く。


「……笑顔です」


 にぃっと御影は自分の無表情な顔の口の両端を指で釣り上げ、笑顔を見せる。

「そんなに心配しなくてもいつも通りやるさ」

「……No。私は彼女のために言ってるんです」

 御影の指はすでに顔から離され、その瞳はこっちを真っすぐ見ている。

「だって――」



 ピキッ。自分の中の何かがひび割れた音がした。

 油が切れたロボットのように動きがぎこちない。

 人間としての機能を幾つか失ったような感覚。

 自分がいったいどんな顔をしているかわからないほどに。決定的に。


「……だから笑顔です。どんな顔を向ければいいのかわからないのなら、とりあえず笑顔でいればいいんです。ほら、にぃ〜〜〜」

「ふご、……やめ、御影……」

 御影の十本の指がユウトの顔面に張り付いた。

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