第1-2話 守りたいもの -Sacrifice-

・5・


 デート当日。ユウトは駅前で伊紗那を待っていた。いよいよ冬馬からもらったチケットで、噂のアクアパークに行くのだ。悪友の思惑にまんまと乗ってしまった気がしなくもないが、そこは深く考えないようにした。

「……」

 昨日の御影の言葉が頭を離れなかった。そのせいか、今日は少し寝不足気味だ。


「お待たせ、ユウ。待った?」


 いつの間にかユウトの背後に伊紗那は立っていた。心配そうに上目遣いでユウトを見ている。

「おぅ。待ってなっ……ッ!?」

 振り返ったユウトは思わず息をのんだ。そこには私服姿の伊紗那。

 薄いピンクのワンピースに、黄色いカーディガン。

 決して派手ではない。だが彼女らしい落ち着いた、安心感ある雰囲気。それが彼女の魅力を最大限に引き出していた。

「……」

 言葉が出なかった。

 よく冬馬と三人で遊びに行ってるはずなのに、私服も結構見ているはずなのに。なぜだか今日は――。


「ユウ? どうしたの?」

「いや……なんでもない。ほら行こうぜ」

 ユウトは誤魔化すように手を振った。

 (見入っていたなんて言えない……な)

 たじろぐユウトの反応を見て、


「うん。……ちょっとは意識してくれてるってことだよね」


 伊紗那は小さくガッツポーズを取った。彼女が今日のために、念入りに準備をしてきたことは言うまでもない。



 アクアパークがある第三区はこの街の最南端に位置している。海に面しており水族館としてだけでなく、ショッピングモール、美術館、運動施設など様々な娯楽施設が一カ所に固まった総合テーマパークだ。

 二人は街を回るモノレールに乗り込む。


「その腕輪、最近よく付けてるね。気に入ってるの?」

「あぁ……えっと、小物を売ってる店で見つけたんだ」

 あまり腕輪は見せない方がいい。その価値を知っている人間には、魔法使いだとすぐにバレてしまうからだ。長袖の下に隠していたつもりだったが、伊紗那には見えていたようだ。

「きゃっ!!」

 電車が急に揺れ、バランスを崩す伊紗那。ユウトはそれをしっかり受け止めた。ちょうど彼女を抱きかかえる形になって。

「……ご、ごめん」

「い、いや……問題ない」

 やはり、今日の自分は何かおかしいのかもしれない。


・6・


 目的地に到着したユウトと伊紗那はチケットのおかげで待つことなくスムーズに入ることができた。さらにこのチケット、なんと持っているだけで当日に限り、全商品二十パーセントOFFというありがたい代物だった。


 二人はまずモール街を歩く。周りには壁や床など、水槽が至る所に配置されている。歩きながら、買い物しながら、まるで海の中を歩いているような幻想的な世界を楽しめるわけだ。

「きれい……。ねぇ、せっかくだし、チケットをくれた冬馬に何か買ってあげるのはどうかな?」

「そうだな。一応ここはテーマパークとショッピング街のてんこ盛りみたいなとこだし何かあるだろ。冬馬が喜びそうな物に心当たりあるのか?」

 伊紗那は少し考え込んで、そして口を開いた。

「うーん。何か形に残る物とか好きそうだよね。ああ見えて結構ロマンチストだから」

「フッフッフ。そう思ってすでに一つ選んでおいた! これを見よ!」

 そうしてユウトが取り出した物は、縞模様の触手がたくさん付いたナマコのキーホルダーだった。値札には「オオイカリナマコ」と書かれていた。気色悪いことこの上なく、どうしてこんな物が売られているのか謎だ。きっとこれが今時代の最先端を行くキモカワイイなのだろう。

「どうだ?」

「やめなさい」

「……はい」

 間髪入れずに伊紗那は言った。表情は笑っているのに、言葉は笑っていない。ユウトは思わず後ずさった。

(たまに有無を言わさぬ迫力があるんだよな……)

「でもキーホルダーはいいかも。三人でお揃いにしよ?」


 とりあえず買い物も終わらせ、今度はテーマパークを目指す。ここの一押しはどうやら巨大な観覧車らしい。有象無象のカップルたちが大行列を生み出していた。三時間待ち。

「観覧車には乗れなさそうだね」

 伊紗那は少しだけ残念そうに言った。


 ちなみに冬馬へのお土産は結局伊紗那が選び、イルカのキーホルダーとなった。三人分の買ったストラップを伊紗那に渡し、

(スマン冬馬。これが今の俺にできる精一杯だ)

 ユウトは意を決して、懐に手を突っ込んだ。


「それと、これはお前のな」


 キーホルダーとは別に買ったある物を、ユウトは伊紗那に差し出した。

「え……」

 それは水色のリボンだった。

「さっき買ったんだ。最近は特に世話になってるからな。せめてものお礼というか、なんというか……」

 言っててだんだん恥ずかしくなってきた。伊紗那は黙って手のひらのリボンを見つめた。

「……」

「いらないならいいぞ別に」

「いるっ!」

 伊紗那はガシッとユウトの手を掴んだ。そしてそれを受け取ると、えへへ、と上機嫌に髪にリボンを結び始める。

「大事にするね」

「安物だぞ?」

「いいの。だって……」

「ん?」

「フフ。なんでもない。ほら、次行こ」


「……だって、初めてくれたプレゼントだもん」


 伊紗那はユウトの手を引く。その横顔は今まで見たどの笑顔より綺麗に思えた。

 このイースト・フロートでは研究や開発に焦点を置いた街ゆえに、こういったテーマパークは今まで一切存在しなかった。どうやら近年、学生の割合が増え、彼らのニーズに応えた物を未開発地区に建設しようとする動きがあるらしい。


 ユウトと伊紗那はその後も適当にアトラクションを回った。煌びやかなARステージ、VRジェットコースター、音と光の幻想的なパレード。一通り遊園地の代名詞とも言えるものには行ったはずだ。

「はぁぁ、楽しかった」

「それは何より」

 二人はベンチで休憩している。伊紗那は日の光を一身に浴びるようにグッと背伸びをする。

「最近、帰りが遅いみたいだけど何かあったの?」

「あー、ちょっとな。ちょっと最近懐事情がキツいから、友達にバイトを紹介してもらったんだ。……悪い、いつも夕食作ってもらってるのに」

「ううん。そんなことないよ!」

 伊紗那は手をワサワサと振った。

(さすがに今は魔法のこと、言えないよなぁ)


 伊紗那はユウトの正面に立って、

「でもよかった。今日はいつものユウだね。少し前までは元気ないように見えたから」

「そうか? いつも通りだと思うけど」

「うん。いつも通りの優しいユウだね」

 不覚にもドキッとしてしまった。

(……素でこれなんだから、卑怯だよな)

 昨日の冬馬との会話を思い出すが、すぐに頭を振って伊紗那を見る。

「あ、あの!」

「ん?」

「お弁当作ってきたんだけど……あっちで食べよ?」

 そう言って伊紗那はバックからお弁当の容器を二つ取り出す。

「あ、あぁ」


 ひとまず正面の広場に向かうことにした。

 シートを広げ、伊紗那はユウトの分を置いた。

「今日は唐揚げにしてみました」

「お、手が込んでるな」

「もちろん。私が一度でも食事で手を抜いたことがあった?」

 伊紗那はえっへんと腕を組む。

「じゃさっそく」

「召し上がれ」

 ユウトは唐揚げを一つつまんで口に入れた。

「おいしい」

「フフ」

「なんだよ?」

「ううん。ユウはいっつもそればっかりだなと思って」

 伊紗那はクスクスと笑っていた。

「思ったことを言っただけだろ?」

「うん、ありがと」


・7・


「ご馳走様でした」

「はい。お粗末様でした」

 極上のランチを終え、ユウトはシートに横になった。すると広い青空が見えた。

「ユウはさ、学園を卒業したらどうするつもりなの?」

 伊紗那はユウトの横に座って、唐突に聞いてきた。

「ん? そうだな。とりあえず進学かな。推薦貰えると嬉しいんだけど……」

「最近勉強頑張ってるもんね。ユウなら大丈夫だよ」

「上にはお前や冬馬という猛者がいるんだけど……」

 そう。簡単なことではないのだ。推薦枠はたったの二人。そして現在上位二人は、冬馬と隣の伊紗那なのだから。


「大丈夫」


 それでも伊紗那は笑って言った。彼女の笑みからは一切の皮肉も嫌味もない。それはユウトにも十分わかっている。

「大学を出たらどうするの?」

 伊紗那はさらにその先を聞いてきた。

「そんな先のことなんてまだわかりっこないだろ。でも……そうだな。ずっと前に、冬馬が俺たちに自分の秘密を打ち明けたことがあっただろう?」

「えーっと、自分がエクスピア・コーポレーションの御曹司だってことだっけ?」


 冬馬はこの海上都市で最も大きな企業、エクスピア・コーポレーションの社長の一人息子なのだ。現社長は最牙一心さいがいっしん。「宗像」というのは母方の姓らしい。周りに知れると面倒だからという理由で、冬馬は今まで自分の事を一切話さなかった。


「俺はあいつの力になりたい……かな? もちろんお前の力にも」


 将来冬馬は会社を継ぎ、世の中を大きく変える人間になると思う。その支えをしたいという気持ちはあった。


「俺一人じゃ何かを成し遂げるなんてできない。でも冬馬はそれをできる力を持ってる。例えそれがあいつ自身で築いたものじゃなくても、あいつならすぐに全部ものにするはずだ。もし一緒に同じ夢を見られたら……そしたら今こうして頑張ってることにも意味があるのかなって」


「つまり、副社長ってこと?」

「さぁ、どうだろうな。よくわからないよ」

「じゃあ私は美人秘書にでもなろうかなぁ」

 伊紗那はクイッと眼鏡を上げる動作をした。

「美人って……自分で言っちゃうのか」

「……じゃあ、ユウはどう思う?」

 ちょうど寝転がったユウトの真上に、伊紗那の顔が突然覗き込んできた。

「えっ!? いや、その……」

 しばらく沈黙が流れる。



「やーやー彼女~。俺達今女いなくて寂しいんだよ~。そんなダセー男なんか放っておいて、俺たちと一緒に遊ぼうぜぇ?」



 その沈黙をぶち破ったのは、ガラの悪い三人組の男たちの声だった。

「おぉ、よく見ればかなりの上玉じゃねぇか。ククク、こいつは楽しめそうだ」

 真ん中のスキンヘッドの男が不気味に舌舐めずりして伊紗那に手を伸ばした。

「っ!!」

 咄嗟にユウトはその腕を掴んだ。驚くほど速く、そしてガッシリと。

「ん? 何だお前。痛ぇじゃねぇか。いっちょまえに彼氏面か?」

 男はユウトを睨め付けた。

「……触るな」

「あぁ?」

 眼前にいるのはいつもの優しそうな青年ではなかった。

「……ユウ」


「こいつに触るなって言ってんだ! このクソ野郎!!」


 ユウトは男の顔面に思いっきり頭突きをかます。と同時に、伊紗那の手を掴み走り出した。

「走るぞ!」

「ユウ!?」

 さすがに三人相手は分が悪い。幸いここは人が多いテーマパーク。近くの警備員に頼ればなんとかなるはずだ。

 しかし自分でもびっくりだった。こんな行動に出た事が。こういう事が今までなかったわけじゃない。だけどそういう時にはいつも傍に冬馬がいた。冬馬はいつも問題をスマートに受け流してくれる。だから自分の領分ではないと、彼に頼りきっていた。

 でもあの男が伊紗那に触れそうになった瞬間、すごく嫌な感じがした。ユウトの中で何かが切れるような感触があったのだ。


 いつもだったら――――――――


 思った以上に冬馬の言葉に感化されてしまったか?

 今、ユウトの頭の中にあるのは一つだけ。


 伊紗那を守る。


 この一つだけを完遂できればそれでいい。


 


「だっ……野郎、調子こいてんじゃねぇぞ! お前ら!!」

 後ろから男達の怒鳴り声が聞こえる。これは本気で逃げないとヤバそうだ。


・8・


 がむしゃらにしばらく走った後、ユウトは伊紗那をパーク内の女子トイレまで連れて行った。何故か今に限って警備員が見当たらなかったのだ。頃合いをみて、警備員を呼んでもらうという寸法だ。

(何だか騒がしいな……気のせいか?)

 囮として逃げ回ること数分。男達が見えなくなったタイミングで腹部に鈍い痛みを感じ始め、施設の裏に入ったところでユウトは足を止めた。

「はぁ……はぁ……、もうそろそろ撒けたろ。伊紗那と合流する――」


 


 ここはおそらく資材運搬に使われる通路だろう。電気はついておらず、奥の見通しは悪い。だが臭う。

「……何だ、この臭い?」

 生臭い、吐き気を催すような臭いがした。

 三メートルほど先を曲がった所から臭いは来ているようだ。ユウトは恐る恐る曲がり角に足を運ぶ。そこには壁を――空間そのものを裂いた跡があった。

「……ゲート」

 魔獣がこっちの世界に入り込む通り道だ。


そして――


「何だよ、これ……」


 そこにはさっきまでユウトを追いかけていた男の一人が倒れていた。いや、男だったモノが落ちていた。

 胴体はきれいに切断され、壁一面に血がびっしり付いている。

「うっ!?」

 必死に吐き気を押さえその場から一刻も早く遠ざかろうとしたその時――

「っ!!」

 突然背後からものすごい殺気を感じた。実際感じたことはないが、肌に感じた刺すような強烈な嫌悪感にユウトは思わず地を蹴って前へ転んだ。

(……魔獣!?)

 だがユウトは転ぶ最中に見た。先ほどまで自分がいた場所に黒塗りの刃が二つ……いや、違う。鋭利なハサミを。

(こいつは、魔獣じゃ……ない!?)

 背後から襲ってきたのは、長身の黒いコートを着た男だ。バイク用のヘルメットをしているので顔はわからない。

 男は黙ったまま、再び巨大なハサミでユウトに切りかかってきた。だが、


「ギィアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」


 今度は別方向から耳を劈くような金切り声が聞こえた。黒板で爪を立てるようなノイズ。何度聞いても嫌な音だ。この鳴き声には聞き覚えがある。

「おいおいおい、冗談だろ……」

 魔獣だ。ユウトの二倍以上の体躯に大きな膜のような翼。コウモリにもにたその姿は、魔獣の中でも最も厄介な飛行種だ。

 飛行種は行動範囲がとにかく広い。上空に逃げられるとなかなか倒すことができない厄介な魔獣だ。それに、今外に出られたら被害はちょっとやそっとでは済まない。

 幸い、といっていいのかわからないが、魔獣は壁の血や男たちの死体に注意を取られ、その場を動く気配はなかった。

(どうにかしてアイツの翼だけでも傷つけられれば……)

 だがユウトはその場を動けない。僅かな音でも出せば、魔獣の注意はこっちに向くだろう。魔法を使えないユウトに目の前の怪物を倒す手段はまずない。前方には飛行種、後方にはハサミを持った大男。

 背後からゆっくりと忍び寄る大男は、魔獣を視認するとしばらく無言で立ち尽くす。ヘルメットのせいで表情は読めない。


 しかし次の瞬間、ビュンっと空を切るような音がした。

 魔獣の胴が切断される。ハサミが急に伸びたのだ。十メートル以上あった間合いがまったく意味を成さず、ユウトの真横で二つの凶刃は交差した。

(……っ!?)


 ビュン。また音がした。今度はユウトの横に積んであった機材の山だ。斜めに切れ、ピラミッド状に積まれた機材は音を立てて盛大に崩れ落ちた。

(こいつ、遊んでるのか……ッ)

 相変わらず表情は見えないが、ハサミを縁に沿って指を這わせる仕草からは楽しそうな感情が伝わってくる。

 ユウトの顔には焦りの色が出始めていた。


 もう勘違いではない。この男は殺しを楽しんでいる。


 そして次のターゲットは自分だ。魔獣は邪魔だったから殺したに過ぎない。

 相手はハサミ一つ。動きはそこまで速くない。だがハサミはまるで生きているかのように波打って、その形状を変化させ続けている。

 魔法だ。どんな力なのかはわからないが、少なくともこいつは魔法を殺しの道具に使っている。それがどんなに恐ろしいことかは考えるまでもない。

 本能で襲ってくる魔獣とは違う。これは明確な殺意だ。相手は殺すためなら考え、罠を張り、使えるものを最大限に利用する。

 全身に走る恐怖をユウトは何とか吐き出さずに押し留めていた。

(……まずい、足が震えてやがる)

 ユウトは魔法が使えない。生身で魔法に対抗するのはほぼ不可能だ。逃げるしかない。

 だけど、

(どうする……。伊紗那はそろそろ俺を探してこっちまで来ている頃か? 飛行種を倒してくれたのはラッキーだが、コイツに今表に出られたら伊紗那が危ない。俺が何とかするしか……)

 逃げるなんて選択肢は最初からなかった。

 今自分に何ができるかはわからない。きっと何もできない。

 だがやらなければならない。ユウトは覚悟を決めた。

「クカカカカカ! イイィ!」

 急に、男は壊れた人形のように不気味に震えた。

 そして次の瞬間、ドッと男が突進してきた。

(……速い!?)

 ユウトは拳を握りしめる。

 両者の距離が一気に縮まる。

 ハサミがユウトの首を刈り取ろうとしたその時――


 天井の窓が割れ、何者かが間に割って入ってきた。


 そいつは自身にかかる重力を男の頭部を蹴ることで殺し、緩やかに地面に着地した。

 舞い降りたのは細身の少女だった。白いブラウスの上に黒いジャケットを羽織り、 黒くて短めのスカート。ベルト付きの黒いニーハイブーツを履いている。


 生死の境に立たされているというのに、ユウトは目の前の少女に目を奪われた。

 まさに輝くほど美しい。天井から光が差し込み、彼女の肩まで伸びた金髪の美しさをより一層際立たせている。その動作の一つ一つから上品さがにじみ出ている気さえした。


 ただ一点、を除けばだが。


「……」


 無言で少女は黒い男に左手の小型サブマシンガンを連射する。銃口を向ける動作から、相手も即座に横に回避したが、銃弾の雨は確実に迫っている。そして相手の背が壁に当たったところで、すかさず右手の銀の拳銃を発砲する。ためらいなく、まるで機械のように正確に。

 逃げ場を失い反応が少し遅れた男に向かって、弾はどんどん吸い込まれていく。

 さすがの男もこの一撃は逃げられない――はずだった。

「!?」

 一瞬だった。音もなく、男の足下から黒い何かが壁のように出現して、襲い来る銃弾を全てはじき飛ばしたのだ。

「……影?」


「それがあなたの魔法ですね」


 撃ち続ける少女は不敵に微笑むと、その視線を一瞬だけユウトに向ける。

「何をしてるんですか? 早く逃げてください。死にますよ」

「っ……」

 迷っていた。ここでこんな女の子に全てを任せ、自分だけ逃げるのかと。

 少女は続けて二発、男の足を狙う。しかし防がれる。銃弾の速度よりも影の動きが僅かに速いのだ。

 均衡状態。

 だがこの均衡はいずれ崩れる。そして追い詰められるのはきっと少女の方だ。

 いずれ少女の弾は尽きる。

 一撃でも当たりさえすれば戦況は大きく傾くはずだ。そのためにあと一つ、何かやつを追い詰めるものがあれば。

 少しの注意を引き付ける。ただそれだけで十分だ。


「いつもと違う自分になれ……か」


 親友はそんなことを自分に言った。それは決してこんな状況を想定した言葉ではないだろう。だがその言葉はユウトの原動力となる。


「もうやるって、決めたもんな!」


 このままでは何も変わらない。何よりかっこ悪すぎる。

 このままでは終われない。

 ユウトは立ち上がり、前を向く。

「今日はらしくないことばっかりだ。でも――」

「ちょっと、何を言って――」

 ユウトは落ちていた鉄パイプを握り、叫びながら大男へ向かって飛び込んだ。


「ここで逃げたらさすがにかっこ悪すぎだろ!」


 前に。ただひたすらに前に進み続ける。

 影は少女の銃弾で塞がっている。どうやらあれ以上展開できないようだ。当然意識もそちらに集中しているはず。これでもタカオ達と戦闘訓練は続けてきたのだ。素早く背後から回り込む形でユウトは鉄パイプを、男の頭部目がけて横薙ぎにフルスイングした。

(いける!)

 脳震盪で気を失わせることができればそれでいい。しかし、鉄パイプは男に直撃することはなかった。一本の巨大な刃物の影は分裂し、鞭のようにしなって鉄パイプをいとも簡単に切り刻んだのだ。同時にユウトの腕からもナイフで切ったような傷ができ、血が噴き出した。そして男は体勢を崩したユウトに回し蹴りを放つ。

「っ……がはっ!」

 肺から酸素が全て吐き出される。ぎりぎりのところで意識を保っていた。そのせいで嫌でも眼前の男がハサミを振り下ろす様子が見えた。

(あぁかっこ悪い。結局……俺は……)

 口の中から血の味がする。

 男のハサミがこちらに向かってくる。少女はこちらに向かって何か叫んでいる。


 もっと自分に力があれば。


 いつだって才能ちからが全てを支配している。人を圧倒するような天性の才能はその存在だけで人々を魅了する。

 なら考えてしまうじゃないか……。力さえあれば自分も変われるかもしれないと。


「仕方ない……えっ!?」

 少女がポケットから何かを取り出そうとしたその時、突然反対側のポケットが光り始めた。そしてその光源はポケットをすり抜け、高速でユウトを目指す。

「……ッ!?」

 次の瞬間、ユウトの頭の中に膨大な情報が入ってくるような感覚が迫った。

 それは一つの事実を示していた。


 力が目の前にある。手を伸ばせば届く。


(……ホシイ……)

 ユウトは濁流のように迫る膨大な情報をかき分け、その奥に眠る光へと躊躇いなく手を伸ばす。

 光は呼応するように左手の銀色の腕輪に同化した。そして鍍金が剥がれるように、銀の腕輪は黄金に変化する。

「ダメ!!」

 少女の叫びはユウトには聞こえない。

 朦朧とする意識の中、ユウトは漆黒の籠手を出現させる。籠手はまるで自分の体の一部のように馴染み、手の甲部分には星のように煌めく宝玉が埋め込まれていた。


 これが吉野ユウトの魔法。


 ユウトはまるでこの籠手の使い方を初めから知っているかのように、迷いなく側にいた少女を抱き寄せた。

「え? え? ちょっ……」

 ユウトはゆっくりと、籠手を少女の胸部に優しく押し当てる。すると手の甲部分の宝玉が眩く光り始めた。

 爆発した光は徐々に収束し、形を成す。十センチほどの拳銃のマガジンのような形をしたそれを、ユウトは籠手のスロットに差し込んだ。


『Eclipse』


 発せられた電子音。条件は揃った。

 左目が燃え盛る赤に染まるのは魔法発動の合図だ。

 次の瞬間、ユウトの目の前に真っ黒な十字架が姿を現す。十字架は空中で大弓へと姿を変えた。

 それを手に取ると、ユウトはまず魔力で矢を形成し、地面に突き刺した。すると周囲に存在する影の魔法が一斉に消滅してしまった。

「……行くぞハサミ野郎!!」

 気迫に押され、男は後ずさり影を繰り出してくる。

 ユウトは大弓を構え、放つ。

 矢は何重にも重なる影をもろともせずに突き進み、ついに男を貫いた。

「ギャァァァァ!!」

 断末魔の後に、殺人鬼の体は霧散した。


***


「……全く。変わらないですね。あなたは」

 ユウトは先ほどの戦いの後、まるで電池が切れたようにその場で倒れてしまった。黒い大弓もそれに連動するように消滅した。


「せっかくあなたの腕輪を偽物と取り替えておいたのに……。ズルいです。あんな行動されたら、助けないわけにはいかないじゃないですか」


 少女は倒れて気を失っているユウトを見下ろす。その表情はどこか懐かしむような感じにも見えた。

 しかし少女はすぐに気持ちを切り替える。

(死体は残らなかった。……さっきのは本体じゃないのかな?)

「……」

 少女は再び倒れているユウトに目を向け、落とした銃に手を伸ばした。

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