壊れる街
朝になり、グリアはピサロスに謁見を申し入れた。
民衆の暴動は、一晩中続いた。
城にまでも喚声が届くほどに、迫ってきている。
ピサロスは、玉座の間にいた。
さすがにここまでは、騒動は伝わってこない。
ピサロスは、独りだった。
従者さえもいない。
ピサロスが信頼する者は、一人ずつ裏で消していった。
今や城にいる政府関係者の大半が、グリアに従う者か日和見の者である。
まだ王に忠誠を誓う気骨のある者もいるが、ピサロス自身が遠ざけていた。
忠臣を守るためだろう。
ピサロスに近ければ近いだけ、グリアにとっては邪魔になるのだから。
玉座にいるピサロスに、グリアは跪いた。
「……なんの用だ、モートよ」
「陛下に、許可を頂きたいのです」
「……許可だと? 一体なんの……」
疲れきって虚ろなピサロスの眼を、グリアは見返した。
「『ジグリード・ハウル』の使用許可です」
ピサロスの瞳が揺れる。
「なんだと!?」
「暴徒はすぐそこまで迫っております。『ジグリード・ハウル』の力で一掃するしかありますまい」
「ならぬ! 民に、古代兵器を向けるなど……」
「陛下」
グリアは微笑んだ。
「私は、発射準備に取り掛からなければなりませんが、御安心ください。キオエラ殿下には、私の代わりにルインが付きます故」
「……」
放心したような表情になり、ピサロスはうなだれた。
ルインが『コミュニティ』の者であると、ピサロスは知っているだろう。
王子であるキオエラを、人質にしているも同然だった。
これまでの言葉からしても、ピサロスは死ぬ覚悟ができている。
キオエラを心配するのは、人の親だからだろう。
そして、ピサロスだけでなくキオエラまで死ぬことになれば、この国はどうなるか。
おそらく四分五裂することになり、ホルン王国からの侵攻を受ける。
占領された地に暮らす民は、悲惨な生活を送ることになる。
「……好きにせよ」
グリアは、頭を下げた。
「必ずや、暴徒どもからこの城を守ってみせます」
ピサロスの、呻きが聞こえた。
グリアは、玉座の間を出た。
早速、グリアと『コミュニティ』に従うと約束している宮廷魔術師たちに、『ジグリード・ハウル』の移動を命じた。
設置するのは、城門と城壁の上でいいだろう。
城にある七十二門の『ジグリード・ハウル』は、普通の大砲とそれほどの違いはないように見えた。
砲身は純白で、二メートルほどの長さだった。
街の一区画を消滅できるくらい強力な物になると、これが十メートルくらいにまでなる。
「モート殿!」
指示を出すグリアの元に、訪れる者がいた。
グリアと同じく、ドニック王国宮廷魔術師の証である、濃い紫のローブとマントを羽織っている。
「これはエスリナ殿。いかがなされた?」
マヅ・エスリナ。
ピサロスへの忠誠心溢れる男だった。
魔法使いらしからぬ、屈強な体をしている。
兄は将軍であり、国境で魔法兵団の指揮を執っていた。
兄弟揃ってグリアには反発している。
「『ジグリード・ハウル』を、どうするおつもりか!?」
「陛下の御命令により、これで暴動を鎮圧いたします」
「馬鹿な……! 陛下が、そのようなことを……」
「事実です。実際のところ、暴徒たちから城と陛下をお護りするには、これを使うしかないでしょう」
「貴様! 貴様のような、『コミュニティ』の薄汚れた者たちに、この国を……」
エスリナが口を動かしている間に、グリアは魔法を発動させていた。
小さな光弾が、エスリナの胸に穴を空ける。
「……!?」
「ああ、こうしましょう、エスリナ殿。陛下の御命令により、あなたが『ジグリード・ハウル』を起動させた。私は民のことを想い、仕方なくあなたを成敗した」
「きさっ……ま……」
エスリナの口から、血が溢れる。
前のめりに倒れた。
『ジグリード・ハウル』を移動させていた宮廷魔術師たちが、強張った表情でグリアを見ている。
「さあ、みなさん。作業を続けてください」
彼らを見回し、何事もなかったようにグリアはそう言った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
商人組合支部を訪れ、責任者と話をしたいと申し入れると、外でしばらく待っているように言われた。
ユファレートやドラウのような名声が、ルーアたちにはない。
ラグマの元将軍であるテラントの名前も、ここドニック王国ではたいして知られていない。
ドラウの名前を出しても、門番たちは胡散臭気な顔をするだけだった。
無理強いはできない。
少なくとも、待ちさえすれば話はできるのだ。
暴動は続いている。
響き渡る暴徒の声は、時折断末魔の叫びのようにも、獣の遠吠えのようにも聞こえた。
いくら待っても呼ばれることがないので、再度商人組合支部の前にいる門番たちに話し掛けた。
今度は、槍の穂先を向けられた。
離れた所へ移動して、ルーアは商人組合支部の建物を睨みつけた。
「はっは。すっげえムカついた。建物ごと吹っ飛ばしてやろうか」
テラントに肩を叩かれた。
「冗談だとは思うが、一応言っとく。やめとけ。あと、どうせなら本部を吹っ飛ばせ」
商人組合支部なのである。
陰で指図をしているのは、商人組合本部の方だろう。
ここで強引な手段を取っても、暴動を完全に納めることはできないかもしれない。
そして、商人たちの中には暴動に関与していない者もいるはずだ。
彼らを巻き込むような乱暴な手段は使えない。
本部は、確か遠くミムスローパの北部にあったはずだ。
ここからならば、傭兵組合本部や城の方がずっと近い。
「これからどうしますか?」
シーパルの声にも、微かな怒りが感じられた。
何時間も待たされて、この扱いなのである。
朝日が出て、大分経つ。
昼の気配が近付いていた。
「……傭兵組合の方に行くか? デリフィスが……」
『デリフィス・デュラムは、もう傭兵組合にいない』
聞こえてきた声に、不覚にも体がびくりと跳ねる。
ルーアだけでなく、テラントやシーパルにも聞こえたようだ。
二人とも、声を漏らしている。
「エス、お前はな……、まあ、いいか……」
これまでにも何度か要求したが、エスの唐突さは変わらない。
文句をつけるよりも、聞くべきことを聞くことだ。
「んで、デリフィスはなにをしているんだ?」
『デリフィス・デュラムのことは、今は気にしなくてもいい。それよりも、君たちだ』
エスが語ることの内容に、顔が引き攣っていく。
二万以外にも、八万の大軍がミムスローパに向かいつつあった。
それだけでなく、七十二門の『ジグリード・ハウル』が、城にあると言う。
『グリア・モートは、『ジグリード・ハウル』の発射準備を進めている。暴徒たちや市街地に照準を合わせてね』
「……止められないか?」
『無理だ。時間が足りない。ここも危険だ。すぐに避難したまえ』
「……このこと、ユファレートには?」
『……伝えた』
「それで?」
『……』
沈黙するエスに、ルーアは溜息をついた。
「市民を避難させないとな」
「そうですね。急ぎましょう」
テラントとシーパルが続けて口にする。
『なぜ……?』
「ユファレートは、助けるって言わなかったか?」
ルーアが聞くと、またエスは押し黙った。
「よし、行こう」
テラントとシーパルが頷く。
エスが言いたいこともわかる。
『ジグリード・ハウル』は低性能で、連発できない物だという。
安全圏で炸裂するところを眺め、その後城に突入して次弾が放たれる前に制圧、グリア・モートを倒せと言いたいのだろう。
だがそれだと、街の人々はどうなる。
べつに、自分のことを聖人君子だと思ったことはない。
それは、テラントやシーパルも同じだろう。
他人の身よりも、自分の身を優先する。
しかし、巻き込まれようとしている警官たちや軍人たちには、ただ王を信じ、ただ国への忠誠で戦っている者もいるはずだ。
そして、暴徒と化した市民たち。
ありもしない圧政を擦り込まされ、信じ、武器を手に押しかけている。
傷付くことがあれば、それは自業自得かもしれない。
無知は罪かもしれない。
それでも、虐殺されるのは違うような気がする。
三人で、城がある方向へ走った。
エスの声は、もう聞こえない。
警官隊や軍隊と、暴徒たちがぶつかっていた。
殴り合い、殺し合っている。
頭から血を垂れ流しながら、叫んでいる者がいる。
すでに死んでいる者たちがいる。
血の臭いに興奮している者がいる。
ビルの屋上から、いくつかの火炎瓶が警官隊へ投げ落とされた。
警官たちが、火に包まれた。
魔法兵団なのか、軍隊から光線が放たれる。
ビルの上層部が貫かれ、崩れ落ちる。
争いは、留まることを知らない。
ルーアたちは、叫んだ。
古代兵器で狙われていること。
ここは危険だということ。
避難するように、と。
声が届かない。
意味のない叫びや悲鳴に、掻き消される。
テラントが、ルーアの背後で手を振った。
暴徒が投げたおそらくは石を、払い落としてくれたらしい。
たまたま飛んできたのか、狙われたのか。
逃げるようにと、叫び続けた。
肩を掴まれた。
濃い髭をした男である。
暴動する市民たちの一部を指揮する立場なのか、武器を手にした何人かが背後に従っていた。
「君! 古代兵器が起動しようとしているというのは、本当かね!?」
聞こえている者がいた。
これで、何人かは逃がすことができる。
「本当です! ここは危険なんです! 早く避難を……」
突然、男が血を吹いた。
首筋に、短剣が刺さっている。
「ルーア!」
シーパルに、腕を引っ張られる。
視界を遮るように、魔力障壁が発生した。
その向こうで、火球が炸裂するのがわかる。
シーパルのお陰でルーアは無傷だったが、防御魔法の範囲に入れなかった者たちは。
魔力障壁の魔法が解除される。
人が焦げた臭いに、ルーアは歯を軋ませた。
「てめえら……!」
背の高い、『コミュニティ』の構成員の一人であるジャミンが、雑踏の中からこちらを眺めていた。
その前にいる者は、明らかに生者とは違う土色の肌をしていた。
『コミュニティ』の兵士。
左手に短剣を持っている。
投擲してきたのは、この兵士だろう。
暴動が鎮まらないよう、混乱が更に増すよう、争いの場に潜り込み暗躍していたか。
「おい……」
テラントは、別方向を見ていた。
兵士二人の背後に、眼が細く肌の白い中年の小男がいた。
「ヨーゼフ……魔術師組合にいた男です」
事情を知らないルーアのために、シーパルは言ってくれたのだろう。
暴徒たちを避けるようにしながら、少しずつジャミンとヨーゼフ、そして兵士たちが近付いてくる。
「ユファレートは、どうしたのですか!?」
「それは、こちらが聞きたいよ」
シーパルが聞く。
肩越しに見るヨーゼフは片眼を細めていた。
困った、という意思表示らしい。
「部下を追跡させたのだが、あっさりと撒かれてしまった」
「……」
なにか違う気もする。
撒かれたというよりも、きっと見失っただけなのだ。
一人で外を歩くユファレートは、どこに行くのか見当がつかない。
話している間も、互いに牽制し合っている。
ルーアは、ジャミンを警戒していた。
ルーアとは背中合わせに立ったテラントとシーパルは、ヨーゼフに意識を向けている。
ルーアは、わずかに重心を後方に傾けた。
それだけで、テラントは意思を感じ取ってくれた。
エスのように、思考を読み取る能力でも持っているのではないか。
テラントと二人、同時に体を半回転させる。
つまり、ルーアはヨーゼフと、テラントはジャミンと正対したことになる。
互いの相手を入れ換えたのだ。
ジャミンやヨーゼフにとっては、簡単なフェイントになる。
ルーアは、ヨーゼフに突進した。
邪魔しようとする兵士を、剣で薙ぎ倒す。
なんとなく、胸が悪くなるのを感じた。
人を、というよりも兵士を斬るのは久しぶりである。
あの日以来か。
ダンテ・タクトロスを殺した日。
ティアのことを嗤われた日。
あの時の吐き気と怒りを思い出し掛けて、ルーアは内心舌打ちしていた。
戦闘中に、余計なことを。
ヨーゼフともう一人の兵士は後退して、暴徒の中に紛れていく。
ルーアは、前進の勢いを緩めた。
無理に追撃するつもりはない。
市民が周りに大勢いる。
戦いに向く環境ではなかった。
ヨーゼフが逃げるのなら、先にジャミンの方を叩いてもいい。
「ルーン・バインド!」
シーパルの声。
魔力で編んだ縄で、対象を搦め捕る魔法である。
周りの人々を巻き込むため、派手な攻撃魔法は使いづらい。
その代わりではないが、人波が邪魔で敵も魔法をかわしにくいはずだ。
暴徒を盾にしていた兵士に、魔力の縄が巻き付く。
アレンジしてあるのか、縄はシーパルの手元に繋がっていた。
暴徒を飛び越し、兵士の体だけがシーパルの方へ引きずられる。
なんとか兵士は抵抗を試みるが、テラントに胴体を斬り裂かれ、シーパルの放った小さな光弾に額を撃ち抜かれていた。
テラントは、そのままジャミンへと向かう。
ジャミンが、腰の剣を抜いた。
長い腕を振り回し、斬り掛かる。
テラントは、後退した。
実力に押されているのではない。
ジャミンは、周囲の者を傷付けることも構わず剣を振っている。
近くにいた暴徒たちから、血飛沫が上がる。
テラントとしては、市民に怪我をさせたくないだろう。
剣を思うように振れていない。
テラントは、大きく背後に跳躍した。
その耳元を掠めるように、シーパルが放った小さな光弾がジャミンへ向かう。
魔力障壁であっさり防ぐジャミン。
またテラントが、ジャミンに斬り掛かる。
テラントとシーパルの戦い振りを見ることができたのは、そこまでだった。
軟らかい物を床に叩き付けたような、余り聞き慣れない音をルーアは聞いていた。
視界が陰る。
反射的に後ろに跳んだ。
なにかが降ってくる。
ルーアがいた所に着地したのは、ヨーゼフだった。
左右それぞれの膝から、なにかが二本ずつ生えている。
人の足ほどに巨大化した、昆虫の足のように見えた。
六本の足で体を支えている。
「『悪魔憑き』かよ……」
ヨーゼフが、眼を細めにたりと笑う。
跳ねた。
人間では有り得ない跳躍力で、市民たちを蹴りながらルーアの周囲を跳ね回っている。
「……まるで、蚤だな」
ルーアは、テラントやシーパル、ジャミンや兵士が見えるように体の向きを変えた。
どこから襲ってくるかわからない以上、ヨーゼフに対してはどちらを向いても同じである。
傷付けたのはテラントかシーパルか、ジャミンは左足の大腿部から出血をしていた。
当然か。
激しく争っているため、ルーアたちから暴徒は距離を取り始めていた。
市民を盾にすることができなくなった状態で、いつまでもテラントとシーパルの攻撃を捌けるはずがない。
跳ね回る音。
ヨーゼフ。右斜め後ろか。
剣を向ける。
捉えたかに思えたが、斬れない。
『悪魔』の足が、ルーアの剣を止めている。
なかなかの硬度だった。
「フレン・フィールド!」
力場を拡げて、ヨーゼフを叩き落とそうとした。
蝿叩きを振っている気分である。
ヨーゼフが消えた。
瞬間移動の魔法か。
跳ね回り、魔法も利用して移動する。
さすがに厄介だった。
だが、眼が慣れつつある。
ルーアは、背後を向いた。
兵士が突き出した剣を払い、返した刃をその首筋に叩き込む。
また、音を聞いた。
今度は、頭上からのヨーゼフの攻撃。
掌を向けると、ヨーゼフの魔力の波動を感じた。
これは飛行の魔法か。
ルーアの死角に回り込む。
『悪魔』の足が、頭を目掛けて振られているのを感じた。
体を捩りつつ、ルーアも剣を振る。
交錯した。
ヨーゼフの足は首を傾けたルーアの頬を掠めかけ、ルーアの剣はヨーゼフの顔面を深く裂いていた。
のた打つヨーゼフ。
鼻から左眼の辺りまで、ざっくりと裂けていた。
「ばーか。『悪魔』で強化したとはいえ、元は魔法使いだろ、てめえ」
接近戦を仕掛けてくるとは、舐められたものである。
斬ってくれと言っているようなものではないか。
無理な体勢で剣を振ったため、ルーアは地面に倒れていた。
受け身を取ったため怪我はないが、追撃もできない。
代わりに、テラントがとどめを刺そうと向かっていた。
ジャミンは、人込みの中に逃げ込んだらしい。
これだけ人々が多いと、テラントもシーパルも実力は発揮できない。
逃げられるのも仕方なかった。
なんとか跳ねてテラントの剣をかわすヨーゼフ。
宙に浮いたところでシーパルが容赦なく光線を放ったが、それは魔力障壁で遮られていた。
ヨーゼフも、人込みの中に消えていった。
「フラッシュ!」
光が弾けた。
ユファレートの声である。
近くまで来ていたのだろう。
ルーアやシーパルの魔力の波動を辿って、ここまで来たのか。
閃光の魔法が使われたのは、ヨーゼフが去った先ではなかった。
眼潰しを喰らったか、他の者よりも頭二つ三つ分背の高いジャミンが、眼を押さえているのが窺えた。
人々の間から、ティアが斬り掛かるのが見える。
なんとかジャミンは受け止めているようだ。
苦戦するジャミンの体を、ルーアたちの頭上を飛び越えたヨーゼフが掴む。
そのまま、城の方へ跳ねていった。
魔法で狙撃はできない。
他の者が邪魔過ぎる。
「オースター! ユファレート!」
二人を呼んだ。
「状況は、わかるな?」
余程急いでここまで来たのか、二人とも息を弾ませていた。
こくこくと頷く。
「早く、みんなを避難させるぞ」
「……逃げるぞ!」
テラントが吠える。
指差しているのは、橋の向こう、開いた門。
そして並んでいる、『ジグリード・ハウル』。
城壁の上にも、『ジグリード・ハウル』は置かれていた。
砲身は、暴動する民たちに向いている。
「……!」
兵士たちが少なかったのは、手駒の損耗を減らすためか。
ヨーゼフやジャミンが城の方へ逃げたのは、周囲が堀で囲まれているから。
そこは安全圏。
『ジグリード・ハウル』の力は、堀の下までは届かないだろう。
『ジグリード・ハウル』の砲身の先で、光が輝く。
熱を発し、歪んで見えた。
『ジグリード・ハウル』だけでなく、景色が、城全体が。
そして、『ジグリード・ハウル』が一斉に放たれた。
光。眼を開いてはいられないほどの。
咄嗟に手を伸ばし、誰かの手を掴んだ。
魔力障壁を展開する。
他にも、誰かの魔力を感じた。
きっとシーパルやユファレートだ。
光。熱。
衝撃が体を叩く。
崩壊の音。
地面を転がる。
誰かの手は、放さなかった。
立ち上がる。
眼が見えない。
耳も聞こえない。
逃げなければ。
城の中に待機していた部隊が、出撃しただろう。
生き延びた暴徒たちは、捕らえられるか殺されるかしていくはずだ。
そして、軍隊はルーアたちと暴徒の区別がつかないはず。
見えない。聞こえない。
それでも、走った。
城からは遠ざかる方向だと信じて。
誰かの手は、握ったままだ。
なにかに躓き、転んだ。
立ち上がり、再び走り、すぐになにかにぶつかった。
手は、放さない。
走った。
時には這うようにして、進んだ。
もがく。呻いた。
額に、手を当てられる。
ルーアは、眼を開いた。
意識を失っていたらしい。
霞む視界。
泣きそうな顔で、ルーアを見下ろしている。
「ティ……」
呟きかけると、ティアは自分の唇に人差し指を当てた。
静かに、ということだろう。
ティアの膝を枕に、横になっていた。
手は、まだ掴んだままである。
ルーアは、なんとか身を起こした。
鼓膜は破れていなさそうだが、耳鳴りが酷い。
脳を掻き混ぜられたのではないかと思うくらい、頭が痛む。
傾いた建物の陰、路地裏に隠れていた。
這い出て、様子を窺う。
言葉を失った。
薙ぎ倒されている無数の建物。
上空からだときっと、倒れた建造物が城を中心に放射状に拡がって見えただろう。
路面は燃えていた。
そこに、いくつも人間のようなものが転がっている。
城の周りは、随分とすっきりしてしまった。
何人が死んだのか、考えたくもない。
『ジグリード・ハウル』起動後に出撃した部隊だろう、生き残りを狩っていた。
背後から、雄叫びが聞こえた。
城へ向かう、市民たち。
女や子供、老人もいる。
武器がなく、石を握り締めている者もいた。
素手の者もいる。
ピサロスへの、怨嗟の声を上げながら。
近くに、男がいた。
泣いている。
右耳が無く、顔の半分は血で染まっていた。
背中は大きく削り取られている。
致命傷だった。
その腕で抱きしめているのは、女だった。
体の半分ほどは、無くなっている。
もう、息はない。
「なんでだよ!? ピサロス!」
血を吐きながら、泣いている。
「俺たちは……なにも……!」
「……エス」
『……なにかね?』
冷静な、声。
エスの言う通り、『ジグリード・ハウル』の範囲外で待機しておくべきだったのだろうか。
だが、『ジグリード・ハウル』が起動したらこうなると、わかっていた。
安全圏で眺めているなど、できる訳がない。
ルーアたちが避難を呼び掛けたことで、きっと何人かは逃げ延びたはずだ。
そう信じたい。
ティアが、ルーアの着る服の裾を掴んでいる。
顔を伏せていた。
「他の連中は、無事か?」
『ユファレート・パーターは、長距離転移で範囲外に逃れた』
周囲の者も転移させるアレンジした長距離転移は、使う余裕がなかっただろう。
『シーパル・ヨゥロとテラント・エセンツは、行動を共にしている。二人とも無事だ』
シーパルは、ヨゥロ族の技能なのか、視界の外の出来事が視えたりするらしい。
テラントは、勘が良い。
二人とも、見えないなら見えないなりにごまかしが利くのだろう。
『ドラウ・パーターは、元々範囲外にいた。彼は、とても疲れている』
それは、病の影響ではないか。
聞かなかった。
側に、ティアがいる。
ドラウの病のことは、知らないはずだ。
「……デリフィスは?」
『彼は、街の外で二万五千を超えた反乱軍と戦っている。数百の傭兵を指揮してな』
「……」
一体どうやったら、二桁違う人数差をごまかし、敵を喰い止められるのか。
「……デリフィスは、動かせないな」
『ああ。そんな真似、デリフィス・デュラム以外の人間には不可能だ。一万以上の指揮ならばテラント・エセンツの方が上だが、一万以下の……』
「その辺の話は、いい」
息が荒れている。
疲労のためではない。
視界が、はっきりとしたものになってきた。
変わり果てた街並みが、よく見える。
耳鳴りが、治まりつつある。
天を衝くような市民の叫びが、よく聞こえる。
「デリフィスは、いい。聞かせると、集中を乱すことになりそうだからな」
これから先、どうするか。
決まっている。
「俺の言葉、みんなに伝えてもらえないか?」
『……いいだろう』
「俺は、これからグリア・モートを殺しに行く。みんな、付き合ってくれ」
細かい作戦はない。
市民たちを、軍隊は止めきれないだろう。
城へ、民衆がなだれ込むことになる。
それに便乗し、突っ込む。
狙うは、ただ一つ。
グリア・モートの、首だけだった。
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