傭兵の交渉

読書の趣味はないが、軍学についての本はよく読んだ。


地図も見る。

そして、推測する。


敵が襲撃を仕掛けてくるとしたら、どの辺りか。

本拠としそうな場所は、どこか。

狙われそうな施設は。

緊急時に、どこへ避難するべきか。


普段からそういうことばかり考えているからだろう、ミムスローパの街の造りも、周辺の地形も、デリフィスの頭の中に大まかではあるが入っていた。


傭兵組合本部の場所も、覚えている。

間もなく到着できるはずだ。


暴動は激しさを増している。

地響きすら感じられた。


傭兵組合本部と城とは、そこまでの距離はない。


傭兵たちがすでに参戦して本部がもぬけの殻だった時は、そのまま城がある方へ向かえばいいだろう。


暴動する者たちと、ぶつかるはずだ。


だが、ぶつかったとして、止められるのか。


暴動の勢いが増しているということは、警官隊や軍隊が押されているということだろう。


人数差が有りすぎなのだ。

軍の主力はホルン王国の国境に配置され、王都の守備隊五千の大半は、街の防壁で外からの反乱軍二万に備えている。


やがて、暴動する者たちに城は包囲されるだろう。


そして、防壁に拠る守備軍に圧力を掛ける。


防衛線は突破され、反乱軍は街になだれ込んでくる。


そこまで、デリフィスには見えた。


傭兵組合本部へ行って、なにか展望が開けるのか。


単独で反乱軍へ切り込み指揮官の首を取る、城へ忍び込みグリア・モートを殺す。

できないだろうか。


無謀ではあるが、まったく可能性がない訳ではない。


『余計なことは考えなくていい』


唐突に頭に響いた声よりも、それで立ち止まってしまったことに、デリフィスは顔をしかめた。


(……お前はいつも、俺が一人になると声を掛けてくるな、エス?)


『言われてみれば、そうかもしれないな』


(用件は?)


『このまま傭兵組合本部へ行きたまえ』


(……組合長はいるのか?)


いないかもしれない、とは思っていた。


本部に控え前線に出ない者に、荒くれの傭兵たちが従うだろうか、と。


『いや、いない』


(だったら……)


エスと会話をしながら、すでにデリフィスの足は傭兵組合本部へ向いていた。


『本部には、ハンクという者がいる。組合長よりも、彼と対話をしたまえ。君とは、相性が良いと思う』


(……相性?)


『ダネットという者を覚えているかね?』


(馬鹿にしているのか?)


デリフィスは、大陸東のザッファー王国の出身だった。


多民族国家であり、紛争が絶えない。


北はリーザイ王国と国境問題を抱え、南はラグマ王国と争っている。

戦争が多い国だった。


デリフィスは、傭兵団の中で生まれ育った。


生まれた時から傭兵だったようなものだ。


そして、同じ傭兵団に所属していたのが、ダネットである。


デリフィスよりはいくつか年上だったはずだ。


酒と尻のでかい女が好きだと公言するような男だった。


豪快で乱暴で下品なところがあり、女にはもてないが、粗野な傭兵たちには気に入られていた。


デリフィスも、嫌いだと感じたことはない。


比較的良好な関係にあったと言っていいだろう。


デリフィスが傭兵団の団長となってからも、年齢など気にせず従ってくれた。


デリフィスが団長を辞めた後、傭兵団は四散したはずだ。


ダネットとは、ズターエ王国のアスハレムで再会した。


警官を殴り飛ばすような生き方をしてきた者が、警察の制服に身を包んでいたのだ。

腹の底から笑ってしまった。


ズターエ人の血が混ざっていることは、その時に聞いた。


ダネットの制服姿を、束の間デリフィスは思い出した。


巨大な体に、スキンヘッド。

頭は、頭頂部が薄いことを他の傭兵に指摘された翌日、全部剃ったのだった。


警官よりも、マフィアの方が余程似合う。


(そのダネットがどうした?)


『ハンクは、ダネットと性格がよく似ている。だから、君と合うのではないかと思ってな』


(そういうことか……)


合うというよりも、ダネットが合わせてくれていたような気がする。


『彼は、警官を辞めたよ』


(……そうなのか?)


『同僚を、ささいなことで殴ってしまったようだ』


(……あいつは、そういう奴だ)


『今は、ザッファー王国に戻っているな』


(そうか。まあ、今それはどうでもいい)


『そうだな。傭兵組合の方は、君に任せるよ』


エスの声が途絶える。


デリフィスは、足を速めた。


やがて、傭兵組合本部に到着した。


街の小学校くらいの大きさはある。


地図によると、建物の裏にある広場はもっと大きいはずだ。

訓練にでも使用するのだろう。


近付くと、建物の入り口にいる二人組に声を掛けられた。


「誰だおめえは?」


「傭兵だ」


入ろうとすると、槍で遮られた。


「待てよ。見ねえ面だな」


「……」


傭兵も、様々だった。

街道を塞ぎ商隊を襲うような、野盗と変わらない者だっている。


この二人組も、それと大差ないだろう。


そんな連中には、礼儀など不要だった。


謙ったところで、図に乗るだけである。


槍を掴み、振り回すようにして男を床に叩き伏せた。


掴み掛かってきたもう一人も、片手で床に投げ飛ばす。


痛め付けるような投げ方はしていない。


驚いた顔の男たちを尻目に、デリフィスは中へ入っていった。


酒場のように、テーブルと椅子がいくつも並んでいる。

そして酒臭かった。


四、五十人はいるか。

全員が武装しているようだ。


デリフィスの姿に、ざわつく。

すでに武器に手を掛けている者もいる。


「なんだ、てめえはぁ!?」


誰かが聞いてきた。


無視して、声を張り上げる。


「ハンクという奴はいるか?」


「……あぁっ!?」


奥の方から、声がした。


そちらへ、デリフィスは進んだ。


遮ろうとする者はいない。

成り行きを楽しんでいるのか、にやついている者が何人かいる。


退屈を嫌い、刺激を求める者が傭兵には多い。


奥のテーブルで、ソファーに尊大に座っている大男がいた。


頬や首に古傷があり、頭部の左右を剃髪して中央部分だけを残した、いわゆるモヒカン刈りの男。


「……お前がハンクか?」


「……誰だ、お前は?」


テーブルには、空の酒瓶がいくつも転がっていた。


かなりの酒を呑んでいると思えるが、顔色などを見る限りでは酔っている様子はない。

呂律も、しっかりしている。


「デリフィス・デュラムという」


「……デリフィス……デュラム?」


ハンクらしい大男が、太い眉を片方上げる。


「……知ってる名前だな。お前、あのデリフィス・デュラムか?」


「……多分な」


かなり昔の話だが、テラントとの一騎打ちを、売れない吟遊詩人が詩にしたと聞いたことがある。


ごく一部の者、傭兵たちやラグマの軍人たちの間では、デリフィスは多少名が知られているのかもしれない。


マイナーメジャーというところか。


「ふぅん……お前がねえ……」


側頭部を掻きながら、なにか含むものがあるかのように言う。


完全に信用はしていないだろう。

どうでも良かった。


勝手に、向かいの席に座る。


「話がある」


「うちに入りたいんなら、組合長に言いな」


「最初は、お前たちの組合長と対話をする予定だった。だが、ハンクという面白い奴がいると聞いた」


「あん?」


「暴動には、参加しないのか?」


組合長に言われたのだろう、みな武装している。


いつでも戦闘に参加できる準備が整っているということだ。


ハンクは、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「さあな?」


「……」


エスは、ハンクはダネットに似ていると言った。


ダネットがこの男の立場だったら、どうするか。


組合長に暴動に参加するよう指示されても、やはり同じように乗り気にはならないだろう。


「……そうか、つまらないからな。勝ちが見えている戦いに参加しても」


デリフィスが言うと、酒瓶に伸ばしかけた手をハンクは止めた。


「だったら、国境に行けば良かっただろう? ホルン王国との戦争ならば、なかなかのスリルが味わえるはずだ」


「うるせえな、糞ったれ。ルールってもんがあるんだ」


「そうか」


組合に属している全員に、ある程度収入を得る機会を与えなければならない。


そのため、戦地に行けない者も出てくる。


理由は、そんなところだろう。


「暴動に参加すれば、大金が支払われるか?」


「なに言ってんだかわかんねえな。話がしたいなら、組合長としろって言ってんだろうが」


「俺は、暴動を止めるために動いている。お前たち傭兵組合も、止めるつもりだ」


「……」


ハンクが、ぽかんとした顔を見せる。


「おいおい、馬鹿か? お前、馬鹿か?」


喚きながら、合図を出す。

傭兵たちが、デリフィスたちのいるテーブルを囲んだ。


「そんなこと聞いちゃ、生かして帰す訳にはいかねえだろうが」


相手は、傭兵たちだ。

それぞれに腕が立つだろう。

かなり慣れている雰囲気はある。


「……一対五十か」


一人で五十人を斬れるとは思わない。


だが、包囲の一角を突破して、脱出することならできるかもしれない。


「ンな訳あるか。こいつらは、おめえを逃がさねえためにいるだけだ」


ハンクが立ち上がる。


「ついて来い。ぶっ殺してやるからよ」


「……」


いくらか驚きながら、ハンクの男臭い顔をデリフィスは見つめた。


「……一対一か?」


「決まってんだろうが」


さも当然のことであるかのように、ハンクが言う。


(……なるほど)


確かに、ダネットに似ている。

さすがに、これといった男にエスは眼をつけた。


建物の裏に連れていかれた。


ハンクが、広刃の剣を抜く。


デリフィスも、ドラウの知人が準備したという借り物の剣を抜いた。


「……本当に、一対一だな?」


「くどいな。他の奴らに手出しはさせねえ。万が一俺様に勝ったら、帰らせてやるよ」


「……そうか」


他の傭兵たちは、賭を始めていた。


大半が、ハンクに賭けているようだ。


大声を上げて、ハンクが斬り掛かってくる。


斬撃を受け止めた。

重い。そして、かなり強い。


だが、余りに直線的だった。

デリフィスにとっては、戦いやすい相手と言える。


ニ合目。

受け止め、今度は押し返した。


三合目。

剣を叩き落とす。


「拾え」


短く言うと、ハンクの顔が真っ赤になった。


額に、青筋が浮かんでいる。


雄叫びを上げて、ハンクが突っ込んでくる。


また、デリフィスは剣を叩き落とした。


外野が静まり返った。


ハンクは、呆然としている。


デリフィスは、剣を捨てた。

拳を向ける。


ハンクの眼に、闘志が戻った。

今度は、殴り掛かってくる。


デリフィスは、かわさなかった。

頬を殴られ、視界に火花が散る。


拳を固め、デリフィスは殴り返した。


よろけるハンクに、ニ発三発と拳を叩き込む。


ハンクも、殴り返してきた。


『……なにをしているのだ、君は』


呆気に取られたようなエスの声が聞こえた。


デリフィスにもよくわからない。

ただ直感的に、この男を殴ることが近道だと感じた。


なかなか根性のある男だ。

三回殴る間に、一回は殴り返してくる。


二十発ほど殴ったところで、ハンクからの反撃がこなくなった。

虚ろな眼をしている。


ハンクの体を肩より上に持ち上げ、デリフィスは地面に叩き付けた。

呻き声が響く。


動けないハンクの隣に、デリフィスは座り込んだ。


殴られたせいで、奥歯がぐらついている。


デリフィスに賭けていたらしい傭兵たちが、狂喜して叫んでいた。


「くそっ! 目茶苦茶強えじゃねえかよ……」


「お前も、強い」


「けっ!」


血が混ざった唾を、デリフィスは地面に捨てた。


「……反乱に参加する理由は、金か?」


「ったり前だろうが。俺たちは、傭兵だぜ」


傭兵は、金で動く。

常識だった。


金を払うのは、『コミュニティ』か商人組合か。


「だが、つまらんな。勝ちが見えた戦いなど、つまらない。だからお前は、ぐずぐずしていたのではないか?」


「……」


「反乱は、成功だ。ここから、王に逆転する手はない。だが、いいのか?」


「……なにがだ?」


「甘い汁を吸うのは、政権を握る者と商人組合だろう。傭兵組合は、たいして得をすることはない」


「……わかってる」


街が復興する中で、商人組合は莫大な利益を得るだろう。


グリア・モートが政権を握れば、繋がりがある宮廷魔術師たちや魔術師組合の力も増す。


傭兵組合だけが、余り大きくなれない。


戦いが終われば、傭兵としての仕事が減る。


「反乱は成功だ。王には、鎮圧することはできない。やがて、追い詰められる。客観的に見れば、誰もがそう思う」


「……」


「だが、もしも」


「……?」


「この絶望的な状況をひっくり返す者が現れたら?」


「そりゃあ……」


「とてつもない手柄だとは思わないか?」


デリフィスは、ハンクの眼を覗いた。


何度も殴られて、かえって頭がすっきりしたという眼だった。


「お前たちで、今から戦況をひっくり返してみないか?」


ハンクが、身を起こす。

鼻や口から流れる血を拭った。


「……無理だろ」


「やってみなければ、わかるものか」


「……いや、駄目だ。俺たちは傭兵だ。貴族や政府の力に比べたら、小さい。手柄は横取りされ、結局は……」


「俺を雇ったのは、ドラウ・パーターだ」


「なんだと……?」


「手柄を立てれば、必ず王に伝わる。お前たちの力で、この反乱を止めてみろ。褒美は、望むがままだぞ。一生遊んで暮らすことも、王の親衛隊として宮中ででかい顔をすることもできるようになる」


「……本当か?」


まだ、懐疑的なところがあるようだ。

当然といわれれば当然か。


「考えてもみろ。外国人の俺が、なぜドニック王国で起きた反乱を鎮めるために奔走している? この国がどうなろうとも、本来はどうでもいいのだぞ。ドラウ・パーターに雇われたからだ。そして、勝算がある」


「……」


ハンクが、黙してしばらく考える様子を見せる。

やがて、にやりと笑った。

やはり、ダネットと似ている。


「……いいだろう。すげえ面白そうだ」


ふらつきながら立ち上がり、大声で見物していた傭兵たちを呼び集める。


デリフィスが話したことを、今度はハンクが傭兵たちに語っていく。


人望はあるようだ。

傭兵たちの聞く態度で、それはわかる。


『……殴り合う必要があったのかね』


(結果を見ろ。話が早く進んでいるだろう?)


『……私には、理解できない世界だな』


(俺にも、わかってないさ)


ただ、直感に従ったまでのことだった。


その結果、傭兵たち全員を完全に敵に回す可能性もあっただろう。


ハンクの説明に、傭兵たちは聞き入っている。


どうやら、ハンクの子分のような立場の者が多いようだ。


ここから、何人が話に乗ってくるか。


三十人くらい従えば、面白いことになる。


痛む顎を摩りながら、デリフィスはそう考えていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ハンクから話を聞いた傭兵たち約五十人のうち、四十人は残ったか。

予想よりも多い。


デリフィスは行動を起こそうとしたが、ハンクに止められた。


誰かが外へ呼びに行ったのか、更に傭兵たちが集まってくる。


百人を超え、百五十人ほどになった。


デリフィスは、唖然とした。


ハンクを慕って集まったらしいのだ。


傭兵組合全体からすればほんの一部だろうが、短時間で個人が集められる人数としては、相当だろう。


こういう人気もあるのだ。


ハンクのような人間は、貴族や騎士にまず嫌われる。


普通の市民にも、敬遠されやすい。


傭兵や野盗たちの中にいてこそ、この男は輝くだろう。


ハンクは、得意気な顔をしている。


百五十人は多過ぎると、デリフィスは感じた。


三、四十人ほどで、城を囲みつつある者たち、特に商人組合に関わる者を掻き回してやろうと考えていたのである。


百人以上だと、混乱する街中では少々動きが鈍くなる。


同士討ちの可能性も跳ね上がってしまう。


四十人なら四十人の、百五十人なら百五十人の戦い方がある。


「商人組合の奴らをぶっ潰せばいいんだよな」


「……いや」


ハンクに、デリフィスは首を振った。


「俺たちは、街の外に出て反乱軍と戦う」


「んなっ……!?」


ハンクは絶句して、デリフィスの肩を乱暴に揺さ振ってきた。


「おいおい、正気かよ!? 二万はいるって聞いたぞ! たったこんだけで……」


「もちろん、まともに当たりはしない」


二万に百五十で原野戦を挑めば、瞬く間に呑み込まれてしまうだろう。


「反乱軍二万の存在がある限り、暴動は治まらん。一度鎮圧されても、半日後にはまた暴動が起きただろう?」


「勝算は、あんのか……?」


「俺は、勝つつもりだ」


「……」


ハンクはしばらくデリフィスの顔を見つめ、やがてにたりと笑った。


「いいだろ。一度乗ると決めたんだ。ここで降りたら、だせえからな」


百五十人を集めた。


「いいか、てめえら! 俺たちの相手は、街の外に陣を敷く二万だ!」


ハンクに言わせた。

よそ者のデリフィスが言うよりも、ハンクに演説させる方が効果的だろう。


傭兵たちの間でざわめきが起きる。

中傷するような言葉も聞こえた。


「確かに、無謀とも取れるかもしれんが、勝算はある! 死ぬかもしれんが、もし勝って生き残れば、地位も名誉も、金も女も望むがままだ! 俺たちの背後には、ドラウ・パーターがいる! 活躍は、必ず王の耳に入る! 命を懸ける度胸がある奴は、ついて来い!」


戸惑う者が大半だった。

及び腰になっている者もいる。


ハンク当人も戸惑っているだろうが、おくびにも出さず自信満々という表情で演説を続けた。


結局、四十人以上が去った。

残ったのは、デリフィスとハンク含め百二人だった。


下手な戦い方をすれば、この百人もいなくなるだろう。


立ち去る者が出ることも、計算のうちだった。


彼らの口から、ハンクが傭兵組合から離反し、他の傭兵を率いて反乱軍に立ち向かうことは拡がるだろう。

その噂は、後で利用できる。


「次は、どうすりゃいい?」


「馬が欲しいな。集められるだけ集めてくれ」


街の外で大軍と戦うのならば、機動力は必要だった。


二万と聞いても残った者たちだ。

肝は据わっているだろう。


馬を待つ間、地図を睨みつけ地形を頭に叩き込んだ。


集まった馬は、五十三頭。

五十三の騎兵に、四十九の歩兵である。


割合からすれば、完全に騎馬隊だった。


ハンクの案内で抜け道を通り、街を出た。


傭兵の部隊と知れば、街の防壁に拠るミムスローパの守備隊に攻撃されるかもしれない。


反乱軍二万と戦うには、必ず味方にしなければならない勢力である。


争わずに街の外に出られたのは、ありがたかった。


斥候を出しながら進む。

反乱軍は、ミムスローパの南東十キロほどの所に陣を構えていた。


斥候の報告を聞き、頭の中に拡げた地図に書き込んでいく。


陣には纏まりがなく、混乱が見られるということだった。


ドラウ・パーターの仕業だろうか。


陣立てから部隊の配置を読み、デリフィスは決断した。


「今から、夜襲を掛ける」


夜明けが迫りつつある。

明日のために、暗いうちに奇襲を仕掛ける必要がどうしてもあった。


「いや、待てよ!?」


ハンクが慌てる。


「二万だぜ! 百人で夜襲したくらいじゃ……」


「倒すことが目的でも、撹乱が目的でもない。明日のために、今、夜襲を仕掛ける必要がある」


「……なにか、作戦があるのか?」


「ある」


「……だったら、提案だ。せめて、北に回り込もう」


ハンクが、北の方角を指す。

山がそびえていた。


山からなら、奇襲は仕掛けやすい。


そして、山に逃げ込めば追撃を避けられる。


「いや、南からだ」


南には平原、というよりも雪原が拡がっている。


街道が通っており、騎馬が走れるのは斥候の報告で確認済みだった。


「それは無謀だろ……」


「山からの奇襲は、敵も警戒して備えに精鋭を置いているはずだ」


「でもなあ……」


「山は、利用しないことによって利用する」


「……?」


「山に百人が拠ったところで、山ごと包囲されて終わりだ。相手は、大軍だからな」


「そうかもしれんが……」


それに、雪山だと機動力を活かせない。


縦横に駆け回ってこそ、騎馬隊は真価を発揮する。


「俺を信じろ」


「……勝てるんだな?」


「勝てる」


敵陣の南に回り、騎兵の五十三名だけで進んだ。


指示はデリフィスが出すが、全体に行き渡らせるのはハンクである。


その方が、みな動きやすいだろう。


ほとんどの者が、ハンクに打ちのめされたことがあるようだ。


確かにハンクは強い。

デリフィスが簡単に勝てたのは、相性の良さによるものが大きい。


ハンクに勝利し、そして殺さなかったデリフィスも、ある種の敬意を払われているようだ。


北風が吹いているため、風下である。

それも、奇襲には優位に働く。


敵陣が見えてきた。

余り張り詰めたものは感じない。


領主や豪族の私兵に、農民などの混合の軍である。


長駆したばかりで、疲れているはずだ。


雪が振る寒空の下で歩哨をさせられている者は、欠伸などしていたと報告を受けている。


デリフィスは、突撃の合図を出した。

自身も、先頭で馬を駆けさせる。


篝火の間隔が広い所は、狙わなかった。

罠があると考えていいだろう。


陣へ突っ込むと、すぐに敵兵は混乱に陥った。


やはり北を警戒していたのか、弱兵ばかりである。


ハンクが、剣を振り回し暴れている。


デリフィスは、冷静に味方全員を見渡した。


ハンク以上に目立つつもりはない。


他国から来た者により勝利した、などという事実はいらない。


ドニック人がドニック政府に対して起こした反乱を、ドニック人が鎮めるために戦っている。

大事なのは、そこである。


ひとしきり暴れさせたところで、退却の指示を出すようハンクに告げた。


「なんでだ!? まだまだ行けるだろ!」


敵の混乱は、まだ治まりそうにない。


「いいから退くぞ」


攻撃を続ければ、確かに百、二百と討ち取れるかもしれない。

だが、犠牲も大きくなる。


こちらは百二人、反乱軍は二万。

一人の重さがまるで違うのだ。


そして、今大事なのは倒すことではなく、夜襲があったという事実を残すことである。


陣を脱出し、街道を南に駆けた。


追撃の部隊が出ているが、道端には雪が積み重なり狭苦しく、足場も悪い。


思うように大軍は駆けさせられないはずだ。


最後尾には、デリフィスとハンクがいる。


それで、みんないくらか安心して逃げていた。


しばらくして、追い付かれるよう敢えて速度を落とした。


追撃の部隊は、すっかり間延びしている。


合図を出した。

街道の脇に伏せていた歩兵たちが、左右から追撃の部隊に急襲を掛ける。

騎兵も、馬を返させた。


三方から、追撃の部隊を揉み上げる。

あっという間に崩れた。


逃げ惑う敵兵に構わず、悠々と傭兵たちを退かせた。


街からも敵陣からも離れた場所に、待機させる。


死傷者の数を調べる。軽微なものだった。


死者一名、重傷者二名、軽傷の者は数えない。


敵の犠牲は、百を超えているはずだ。


ただし、二万のうちの百である。


湖の水をバケツで掬ったようなものだ。


重傷の者たちを呼んだ。

戦場に立つことはできないだろう。


休ませたいところだが、そんな余裕はなかった。


戦えないなら他で役に立ってもらう。


「使者として、ミムスローパ守備隊へ伝言を頼む」


「使者、ですか……?」


「そうだ。我々は傭兵だが、傭兵組合のためではなく、国王陛下とミムスローパの防衛のために反乱軍と戦っている。緒戦は勝利した。我々は味方である。見掛けても、攻撃をしないで欲しい、と」


「……わかりました」


「頼むぞ」


「はい」


「よし、行け」


手負った者が、防壁まで無事に辿り着けるかはちょっとした賭になる。


信じてもらえるかどうかは、第二の賭だった。


五千のミムスローパ守備隊は、絶対に味方につけなければならない。


防壁に篭り二万に包囲されれば、街の内側の暴動と挟み撃ちになり、いずれ落ちる。

二万は、追い払う必要があった。


(エス、いるか?)


『なにかね?』


(街に噂を流して欲しい。傭兵組合に所属するハンクが、仲間の傭兵を引き連れて反乱軍に応戦。もし勝利すれば、褒美は望むがままだろう。そして、なかなか善戦をしている、と)


『やってみよう』


無許可ではあるが、ハンクの名前は、まあ出してもいいだろう。


傭兵組合を裏切るような真似をしたことは、立ち去った四十人により、もう噂として流れ出しているはずだ。

隠す意味はない。


そして、噂を広めることにより、ハンクが反乱軍と戦ったという事実はしっかり残る。


勝って生き残りさえすれば、反乱を望んでいなかったミムスローパの民の間では、英雄となるだろう。


そして、外国人のデリフィスよりも、ドニック人のハンクの方が、ミムスローパの英雄として受け入れられやすい。


勝てば英雄、負ければ死。

実にわかりやすいではないか。


「勝てるんだよな……?」


何度目かの確認にきたハンクに、デリフィスは頷いた。


「勝てる」


勝てる訳がない。

こちらは百で、相手は二万。

まともに戦えば、呑み込まれる。


だから、まともには戦わない。

ありとあらゆるものを利用する。


五千の守備隊、山、夜襲したという事実、噂、ハンクというドニック人。

全てを利用する。


運にも恵まれる必要があるだろう。


全ての条件が揃えば、二万を破ることも不可能ではない。

デリフィスは、そう考えていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


魔法使い八人のうち、六人がドラウに降伏した。


残るは、魔法使い二人に兵士十二人。

敵ではなかった。


降伏した者たちは、魔術師組合に帰した。


魔術師組合組合員に危害を加えないことで、組合長のカイロは安心するだろう。


魔術師組合の暴動からの撤退も、円滑に進むというものだ。


エスから現状を聞きながら、ドラウは走った。


ルーアとテラントとシーパルは、商人組合支部へ向かっている。


ティアは、ユファレートを迎えに来ているようだ。


エスが、上手く二人を合流させてくれるだろう。


エスの協力がなくても、ティアはユファレートを見つけるかもしれない。


あの二人は、互いが互いをよく理解している。


デリフィスについて聞くと、エスから微かな動揺が伝わってきた。


長い付き合いだからこそわかる、エスの動揺。


(……なにがあった?)


『……デリフィス・デュラムは、傭兵組合の者を百名ほど味方につけた』


(それは素晴らしいね)


『そして、街の外の反乱軍二万に夜襲を仕掛けた』


(……)


立ち止まり掛けてしまう。


(……彼は、頭がおかしいのかい?)


『いや。夜襲は見事に成功した。ほとんど犠牲を出すことなく、反乱軍に打撃を与えている』


(なんとまあ、すごいものだね……)


デリフィスは、まだ二十二歳とかではなかったか。


どれだけの修羅場を経験したのだろうか。


『問題は、それではない……』


(どうしたんだい?)


『すまない、ドラウ。してやられた……』


(一体、なにが……)


エスの様子がおかしい。

ただ事ではない。


『クロイツだ。クロイツにしてやられた。妙におとなしいとは思っていたが……』


(具体的になにがあったか、教えて欲しいね)


『反乱軍二万の行動が早過ぎると気になり、調査していた』


確かに早い。

ピサロス王討伐の声明を領主が出してから、まだ三日である。


すでにミムスローパ付近まで二万の大軍が来ていた。


事前に出陣の準備を入念に行っていたのだろうと、ドラウは考えていたのだが。


『……早い訳だよ。セルミグラ領とインツァロ領の軍は、反乱軍の先鋒を勤め手柄を主張するために、急いでいたのだ』


(……先鋒、だって……?)


それの意味することを悟り、ぞっとする。


『ピサロス打倒のための軍が、他の地域からもミムスローパに迫りつつある』


(……数は?)


『明日には、反乱軍二万は三万になる。明後日には五万。明々後日には十万以上に膨れ上がるだろう……』


(そんなことが……)


『その事実を、クロイツは完璧に隠蔽していた。ピサロスはもちろん、味方であるはずのグリア・モートにさえ。だから私も、事実を掴むことに時間が掛かった。まさか、八万を隠すなどと……』


(……)


十万。

守兵が五千しかいないミムスローパでは、一溜まりもない。


しかも、街中では暴動が起きているのだ。


(……逆転のための布石は打った、と言っていたね、エス)


『打った。だが、間に合わないかもしれない……』


(泣き言なんか聞きたくないと、僕は言った。なにがなんでも間に合わせるんだ)


『それだけではないのだよ……』


(まだあるのかい?)


『『ジグリード・ハウル』だ……』


旧人類の兵器、魔法エネルギーに近い力を、大砲のように放つ魔法道具である。


威力や飛距離、充填時間は種類によって様々だった。


『旧式の……旧人類の兵器に旧式というのもおかしいが、旧式で整備中の『ジグリード・ハウル』が二門、城にあるだけのはずだった』


『ジグリード・ハウル』だけではなく、大概の古代兵器はホルン王国との国境で使われている。


(……違うのかい?)


『……旧式は旧式だが、使用可能である『ジグリード・ハウル』が……』


(……)


嘆息が聞こえたような気がした。


『七十二門だ……』


(……)


愕然と、ドラウは立ち尽くしていた。


それを、宮廷魔術師に就任しているグリア・モートが見落とす訳がない。


『ジグリード・ハウル』七十二門が、グリア・モートの元に。

どういう使い方をしてくるか。


おそらく、暴動する民衆へ放つ。


暴動を止めようとする軍や警官隊も巻き込むように。


争いを避ける市民にも被害が出るように。


ピサロス王の命令という形で、ピサロス王派の誰かに罪を着せて。


市民の怒りは、止められないものとなる。

そして、外には十万の反乱軍。


『すまない……すまない、ドラウ。私は、クロイツに及ばなかった』


(泣き言は聞きたくないと、言ったはずだよ……)


唸りつつ、ドラウは城の方へ足を向けていた。


七十二門の『ジグリード・ハウル』。


止める。止めなければ。

だが、どうやって。


眼が眩むのを感じた。

胸が苦しい。

病が、体を蝕んでいる。


(グリア・モート……クロイツ……)


負けるのか。

奪われてしまうのか。


街が燃えている。

暴動は、留まることを知らないように激しさを増していた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


見慣れた友人の姿に、ティアは馬車を降りた。


ここまで運んでくれた一家に礼を言い、ユファレートの元へと急ぐ。


「ユファ!」


魔術師組合本部の近くである。

敵に襲われ、負傷などしていないだろうか。


ティアは、攻撃をされることはなかった。


暴動を煽ることを『コミュニティ』は重視しているからだろう。


暴動から離れていく者には、構っていられないというところか。


「ティア!? どうしてここに……?」


言いながらも、ユファレートは緊迫した面持ちで辺りを見回している。


「それはユファが心配で……て、どうしたの、ユファ?」


「気を付けて、ティア……。わたしから離れないで」


「えっ!?」


「敵の術中に嵌まってるみたいなの……」


「……!」


ティアは、ユファレートと背中合わせに立った。


ドラウから譲ってもらった『フラガラック』と投擲用の短剣の位置を確かめつつ、聞く。


「敵の術って……?」


ユファレートの頬を、一筋の汗が流れる。


「わたしにも、なにがなんだか……。でもね、おかしいのよ。どれだけ歩いても、またここに戻ってきちゃうのよ。きっと、空間を捩曲げられてるんだと思う」


「……う……ん、それはね……」


体から力が抜け、気怠さをティアは覚えた。


「……あたしもね、当てもなくユファを捜しにきた訳じゃないのよ。分析したら、約四割の確率で同じ所をぐるぐる回って、約四割の確率で逆方向に進むという統計結果が……」


「……なんの話?」


「ん。なんでもない」


警戒を解いて、ティアはユファレートの手を握った。


「とにかく、無事で良かったわ。ルーアたちは先に商人組合に行ってるはずだから、あたしたちも合流しよ」


「でも、ここの敵は……」


「大丈夫。きっと、もういなくなったから」


ユファレートの手を取ったまま、ずんずんと東に進む。


ユファレートを一人にしてはならない。

再確認してしまった。


『待ちたまえ』


「!?」


耳元で聞こえた声に、びくりと身を竦ませてしまう。


ユファレートにも聞こえたのか、きょろきょろしていた。


(この声って……)


「エスさんですか?」


『そうだ』


以前にも、姿なく声だけを聞いたことがある。


ユファレートは、寒気がするのか首筋を摩っていた。


『商人組合本部へは向かわず、君たちは待機していたまえ』


「……なんでですか?」


『……城に近付くことになるからだ』


「お城に? でも、えっと……グリア・モートって人はお城にいるんですよね?」


『……』


沈黙。エスは、なにか困っているのではないか、そう感じられた。


「……エスさん?」


『『ジグリード・ハウル』だ……』


観念したかのように、エスが呟く。


『『ジグリード・ハウル』が七十二門、城にある。近付くのは、非常に危険だ』


「そんな……」


呆然としてしまう。


ユファレートも、絶句していた。


『ジグリード・ハウル』。

旧人類が残した古代兵器。


現代の兵器でいえば、大砲のようなものだった。


ズターエ王国の王都アスハレムで放たれるところを、ティアは見たことがある。


あの時は、ユファレートとシーパルが二人掛かりで止めたのだった。


もし二人がいなければ、アスハレムに集まっていた各国の要人に被害が出ていただろう。


各地で戦争が起きるきっかけとなっていたかもしれない。


「あんなのが、たくさんあるなんて……」


『いや、ティア・オースター。君が知っている『ジグリード・ハウル』に比べたら、ずっと低性能の物だ』


「……低性能って、どれくらいですか?」


顔を蒼白にして聞いたのは、ユファレートだった。


『威力としては、そうだね……家を五、六軒吹き飛ばせるくらいか。射程距離は、約二千メートル。連発はできず、一発ごとの充填時間は約六時間三十分というところだ』


「……」


連発できないというだけで、充分過ぎるほど脅威だろう。


しかもそれが、七十二門あるのだ。


『私の予想では……いや、まず間違いなく、グリア・モートはピサロスの命令として、『ジグリード・ハウル』を暴動する民、軍や警察へ向けて発射させる』


そんなことになったら、ミムスローパの街は目茶苦茶になる。


市街地は破壊され、多くの市民に被害が出る。


そして、国民の怒りはピサロス王に向く。


「止めないと……!」


『今からでは、とても間に合わない』


冷徹に、エスの声が響く。


『よって、私からの提案だ。君たちもドラウもルーアたちも、『ジグリード・ハウル』の射程外で待機。『ジグリード・ハウル』が放たれた後、城へ突入し、次弾が充填される前にピサロスを保護し、グリア・モートを制圧。それがもっとも……』


「でもそれだと……」


堪らずというように、ユファレートが声を上げる。


「街の人たちが……!」


『……ユファレート・パーター。気持ちはわかるが、もう間に合わないのだ。だから……』


「わたしは、納得できません」


『……』


「間に合わないならせめて、一人でも多く避難させます」


「あたしも、手伝うからね、当然」


「……お願い、ティア」


『……愚かな』


エスが、ぽつりと呟く。


「……エスさん」


『……なにかね、ティア・オースター?』


「……いえ、なにも」


『……』


ぷつ、と音がしたような気がした。


そして、エスの声が聞こえなくなる。


どこか行ってしまったのだろうか。

ルーアたちの所かもしれない。


そして、同じ説明をして同じ提案をするのだろう。


エスは、ユファレートの気持ちがわかると言ったが、それは勘違いだ。


わかっているなら、街の人々を見殺しにするような提案は出せない。


ルーアたちはきっと、エスの提案を退け、被害を抑えるように動くはずだ。


それは、故郷のことを想うユファレートの気持ちがわかるから。


「急ごう、ユファ!」


「……うん!」


手が震えている。

それでも、ユファレートは気丈に頷いた。


震えを止めるために、ティアはユファレートの手を強く握り締めた。

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