半日後

十七人。

兵士たちは、シーパルを取り囲むように拡がっていく。


魔法使いたちは、一塊になったままシーパルを見据え、動かない。

警戒されているようだ。


歩くこともできない者が、たった一人で十七人を迎え撃つ。


取って置きの策でもあるのではないかと、思っているのだろう。


策も罠も、なにもない。

全力を振り絞る。

ただ、それだけだった。


戦闘の緊張感が、体を打つ。

汗が滲み、寒気が体温を奪っていく。


蓄えた三時間分の体力が、削られていく。

持久戦は、望まない。


包囲する兵士たちが、前進した。

反射的に、手を上げかける。


待っていたとばかりに、魔法使いたちが火球を生み出す。


渦巻く破壊の魔力。

向かってくる四発の火球。


一発だけ、極端に威力が高いものがある。


ドリ・クリューツだろう。

一発だけではなく、立て続けに火球を放っている。


「ルーン・シールド!」


魔力障壁を展開させた。

火球が着弾し、爆炎が視界を埋める。

兵士たちも、近付けないようだ。


(よしっ……!)


炎は、シーパルまで届かない。


防御魔法には、自信がある。

そして、いつもの何倍も魔力を消費して、強化している。

ドリ・クリューツの真似だった。


初撃は防ぎきった。

蓄えた魔力が、体内から失われていく。


とてつもない負担が、体に掛かる。


こんな戦い方、普段なら絶対にしない。


果たして、何分持つか。

せめて五分、とシーパルは思っていた。


翳した手の先で、火球が膨張していく。


「ヴァル・エクスプロード!」


大火球を、ドリ・クリューツたち四人を狙って放つ。


魔力を何倍も消費させた、全力の一撃。


破裂した大火球に、視界も足下も全てが揺れる。


魔法使いたちが、四重に魔力障壁を展開させていた。


破れないか。

周囲の兵士たちが何人か巻き込まれているが、魔法使いたちには届いていない。


今の一撃で決めたかった。

シーパルがなにをしているか、彼らは気付いただろう。


矢が飛んでくる。

勢いはない。

防御も回避もしなかった。


魔力を無駄にはできない。

この足では、よけると転ぶ。


矢は体に命中したが、防寒着を貫くことはなかった。


石をぶつけられた程度の衝撃があっただけだ。


「バルムス・ウィンド!」


暴風が吹き荒れ、矢を払い兵士の体を舞い上げていく。


別方向からも、兵士たちの一団が向かってきた。


「ギルズ・ダークネス!」


回避など許さない。

シーパルの魔力を大量に喰らった闇が、一団の中央に転移し、たゆたい拡がる。

触れた者の肉体が崩れていく。


ドリ・クリューツたちは、仕掛けてこない。


いつまでも魔力が持つ訳ない。

当然、持久戦に持ち込もうとするだろう。


空が見えた。

後ろに倒れ込みそうになっていた。


短槍の柄を突き立て、転倒を拒む。


早くも限界にきている。

まだ、一分も経っていない。


「ディグボルト・ストルファー!」


雷の嵐が、兵士たちを撃ち、木々を焼き、魔法使いたちを襲う。


魔力障壁。破れない。


敵も必死だ。


あと一撃。

それで魔力障壁を破れる。


だが、叩き込めないか。

叩き込むだけの力が残っていないか。


魔法使いが、三人になっていた。


すぐ背後。瞬間移動。

ドリ・クリューツではない。

顔に傷ができている魔法使い。

瞬間移動を使えたのか。


不意を衝いたつもりだろうが、使用した当人も眼の焦点が合っていない。

術者に負担が掛かる魔法である。


そして、もっと離れた場所に転移するべきだった。


それだけの制御力がないということか。


身を投げ出すようにして、シーパルは短槍を突き出していた。

穂先が喉に刺さり、貫き通す。


前のめりに倒れる。

冷たい地面。


足音。

霜が踏み潰される音。


頭を踏み付けられる。


「……手こずらせてくれたな」


馬鹿がいた。

これで、また一人道連れにできる。


敵を捜す必要はない。

わざわざ踏み付けにして、居場所を教えてくれているのだ。


残された、最後の体力。

それで腕を動かし、敵の足首を掴む。


残された、最後の魔力。

最後の一滴。


「バン・フレイム……」


炎の鞭が、魔法使いの全身を搦め捕り、シーパルの手ごと焼いていく。

断末魔の叫び。


「シャルル!? この馬鹿がっ……!」


愚かな仲間に、魔法使いが毒づく。

ドリ・クリューツか、他の者か。


腹を、蹴り上げられた。


兵士たちは、全滅したようだ。

あと、たった二人。


正真正銘、魔力も体力も尽きた。


指一本動かすこともできない。


「死ね」


「まあ待て、サミー。こいつは、オースター孤児院の前で八つ裂きにする。それで奴らは、希望が潰えたことを知るのさ」


襟首を掴まれる。


力を使い果たした。

もう、なにもできない。


シーパルは、ただ引き摺られていった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


声がして、リンダは身を起こした。


「聞こえないのか、リンダ・オースター!? 出てこい!」


なんとか足を動かし、窓枠にしがみつく。


同じ顔の魔法使いふうの男が二人。


足下には、ぐったりと動かないシーパル。


同じく窓枠にしがみついたティアが、へたりと座り込む。


ユファレートは、杖を付いて立ち上がろうとしていた。


テラントは、寝台から起き上がるのがやっとのようだ。


あと二人。

そのたった二人を倒す力が、戦う力が、誰にもない。


シーパルは、まだ死んではいないようだ。


死ぬまでは、預けろと言われた。

もう、死んだようなものだろう。

申し出を、了承した覚えもない。


息子たちが外に出るが、魔法使いの一人が手を振ると、風が巻き起こり地に叩き伏せられた。


魔法使いたちが、またリンダを呼ぶ。


リンダは、窓枠を離れた。

廊下に出るため、外へ出るため、居間の扉の方へと足を向ける。


パナが、青冷めた顔をしている。

シュアやミンミが、止めようとする。


肩を押して、道を開けさせた。

もうどうしようもないことは、わかっているだろう。


廊下に出ると、幼い子供たちが駆け寄ってきた。

泣いている子供が多い。

幼いなりに、事態を察したのだろう。


「大丈夫だ。母さんはね、世界一強いんだ。あんな奴ら、屁でもない」


リンダは笑った。


子供たちには、触れないようにした。


人が死ぬ、人を殺すということの意味を、まだわかっていない子供も多い。


リンダの手は、人を殺し慣れ過ぎている。


触れることで、汚してしまうような気がした。


人を殺すことなど、一生知らなくていい。


それについてだけは、生涯無垢であって欲しい。


葛藤した時期がある。

まだ、小娘といっていいくらいの頃だ。


誰かを守るためとはいえ、敵を傷付けていいのか。

殺していいのか。


鍛えた自分の技を、試してみたいだけではないのか。


誰かを守りたいという感情は、自惚れではないのか。


その誰かを、自分よりも弱い存在として、下に見ていないか。


齢を重ねてから振り返れば、くだらない葛藤だったと思う。


争いは、必ずある。

守りたい人々を守るのに、理由はいらない。


自分の子供たちを、ただ守りたいのだ。


幼い子供たちをシュアに任せ、廊下を歩いた。


長年暮らした我が家。

この家も、リンダは守り続けてきた。


外に出ると、息子たちが顔を上げた。

動ける者はいないようだ。


冬の冷たい空気。

門を潜り、庭を出る。


魔法使い二人が、待ち構えていた。


足下には、動かないシーパル。

他人の家族のために、戦い続けてくれた。


ティアの仲間たちには、いくら感謝してもし足りない。


「『地図』の真の力を使用するための、鍵となる語句……知っているな?」


言葉を発したのは、表情に自信を漲らせた方だ。


もう一人は、半歩下がった位置から、慎重な面持ちでリンダを観察している。


「知らないね」


「……話せば、ガキどもを見逃してやってもいい」


それは甘美な誘惑。

だが、リンダは鼻を鳴らした。


「知らないね」


『コミュニティ』と、戦い続けてきた。


それこそ、生涯を懸けて戦い続けてきた。


甘言を信じるほど、うぶではない。


「ガキどもの命が、惜しくはないのか?」


「そんなことを言われても、知らないものは知らないから、どうしようもないね」


縋り付いてみたい。

その言葉に。


だが、ドラウ・パーターはリンダを信じて、鍵となる語句を教えてくれた。


友情があると思っている。

彼を裏切ることも、できない。


魔法使いの周囲に、何百発もの光弾が浮かぶ。


リンダは、足を前に出した。

走る力は、残っていない。


戦う力も、残っていない。

まともに歩く力さえも、残っていない。

それでも、足を前に出した。


光弾が、体に着弾していく。

ドラウ・パーターから貰ったボディスーツは、多少の魔法は弾く。


光弾が、体を貫くことはなかった。


肉と骨が軋む。

それでも、リンダは前に進んだ。


光弾が、次々と体に突き刺さっていく。


もがいてももがいても、押し返されてしまう。

届かない。


力が欲しい。

この二人を倒せるだけの力が。

子供たちを守れるだけの力が。

他には、なにもいらない。


光弾が体を叩いていく。

意識が遠退く。


倒れたくなかった。

倒れたら、全部終わってしまう。


「もういいだろう、サミー?」


魔法使いの一人が、掌を上空に翳した。


「この女は、口を割らないだろう。もういいじゃないか。鍵となる語句を知らなくても、クロイツならいずれ解析する。手間が掛かるというだけの問題だ」


光弾が消失し、代わりに火球が生まれる。


「慈悲だ。せめて、貴様もガキどもも家も、まとめて消し飛ばしてやろう」


火球が膨れ上がっていく。

空気が焦げ付く。


(ストラーム……ドラウ……)


彼らは、いない。

遠い異国の地に、その身はある。


(あたしは……守ることができなかった……)


余りにも、無力すぎて。


魔法使いの哄笑。

膨張する火球。


一条の、弱々しいまでに細い一条の光線が、火球を貫いた。


巨大な力ほど、安定しない。

制御が困難になる。


火球が揺れる。

暴発寸前。


魔法使いが、慌てて上空に火球を放った。


制御を離れた大火球が、破裂して天を焦がす。


爆発に木々がしなり傾く。

孤児院の窓ガラスが割れていく。


含み笑いのようなものが聞こえた。


地面に寝転がっている、シーパルだった。


「……なんだ……生きてたんですか……」


光線が放たれた先、血が染み込んだ黒いジャケットを着た男がいた。


そのジャケットの意味を、リンダは知っていた。


何年か前、孤児院に来た彼は、それを着ている姿を見せてくれた。


リーザイ王国特殊部隊『バーダ』を象徴するジャケット。


いつ、この国に来たのだろう。


「ストラーム……」


「眼科行け」


ゆっくりとした足取り。

多分、ゆっくりとしか歩けないのだ。


「ったく……どこをどう見たら、俺とあの老人マッチョを見間違えられるんだ……。全部終わったら、病院行けよ。ガキどもの顔が、見えなくなる前によ」


まったくだ。

なぜ見間違えたのだろう。


ストラームとは、似ても似つかない。


赤い髪。ザイアムのように、長く長く伸ばしている。


ストラームの巨躯と比べたら、余りにも小柄な体。


華奢といってもいい。


防寒着は、どこかに脱ぎ捨てたのだろうか。

動きの邪魔にはなる。


「あんたみたいに、子供のために体張る親を見ると、なんかほっとするよ……。無理して戻ってきた甲斐があるってもんだ……」


疲れきった表情。

傷付いた体。


死んだと聞かされていたが。


ストラームの弟子が、戻ってきた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


割れたガラスの破片が掌に喰い込むのも構わず、ティアは窓枠にしがみついていた。


呆然としていた魔法使い二人が、慌てて飛び退く。


すぐ側に、デリフィスがいたからである。


いつものデリフィスならとっくに敵を両断していそうなものだが、魔法使いたちをまるっきり無視して、彼はシーパルを抱え上げた。


魔法使いたちに背中を向け、悠然とリンダの元へ向かう。


彼らなど、まるで眼中にないという様子だった。


魔法使いの一人は青冷め、リンダをいたぶっていた魔法使いは、恥辱からか顔を真っ赤にしている。


もう一人、リンダの元に向かう者がいる。


「生きてたよ……ティア……!」


隣に来ていたユファレートが、ティアを揺さ振る。


「ねえ! 生きてたよ! ルーア、生きてた!」


「うん……生きてた……」


呆然と、ティアは呟いた。


だらし無く伸ばした、長い赤毛。

黒いジャケット。


剣が貫いたのではなかったか。

なぜ、生きているのだろう。


あれは、半日前のことだった。

もう、随分前の出来事であるような気がする。


長い長い半日。

半日、待たされたけど。

戻ってきた。


一緒に戦いたいと思ったが、窓から離れることができなかった。


体が動かない。

ルーアと比べたら、ずっと軽い傷であるはずなのに。


隣に並んでも、彼らの邪魔になるだけだろう。


なにか声を掛けたかった。

彼らの、力になる言葉を。

喉が掠れて、上手く声も出せない。


なにもできない。

彼らは、ティアの家族のために戦ってくれるのに。

彼らのために、なにもできない。


ティアは、ただ祈った。

神にではない。


一年近くも、彼らと旅をした。

見てきたのだ。


彼らの修練を、知っている。

彼らの死闘を、知っている。


確かに信じられるものが、希望が、ここにある。


◇◆◇◆◇◆◇◆


魔法使い二人は、同じ顔をしていた。


体格も、デリフィスには見分けがつかないくらい同じに見えた。


一人は怒りを顕わにし、一人は平静を取り戻そうとしている。


怒りで顔を赤くしている方は、デリフィスに視線を向けていた。


横に移動し始める。

視線を、デリフィスから離そうとしない。

誘われているようだ。


ルーアの横顔をちらりと見ると、頷かれた。


あと一人は、任せてもよさそうだ。


傷の痛みで苦しいだろうが、戦うことを望んだのはルーアだった。

そして、戦闘の場に立った。


一人の戦力として扱うのが、当然だろう。


ルーアと魔法使い、動けないシーパルとリンダを残し、オースター孤児院から離れていった。


顔を赤くした魔法使いは、デリフィスにずっと視線を向けている。


いくらか孤児院から離れたところで、どちらからともなく立ち止まった。


剣で仕掛けることも魔法で仕掛けることも可能な間合い。


ルーアなどが得意とする距離かもしれない。


雪は余り積もっておらず、足場はなかなか良い。


斜面はなく、木が数本生え、身を隠せる程度の岩がいくつか転がっている。


魔法使いは、まず口を動かした。


「……質問だ、デリフィス・デュラム。なんでさっきてめえは、俺を斬らなかった……?」


「……?」


問いの意味を理解するのに、少し時間を要した。


「……ああ、あの時か」


おそらく、シーパルを拾いに行った時のことだろう。


言われてみれば確かに、斬る好機だったかもしれない。


だが、慌てて斬る必要もないだろう、と感じたのだ。


シーパルの容態を確認してから、ゆっくり相手をしてやればいいと。


魔法使い二人にどの程度の実力があるのかわからないが、怖いとは感じなかった。


「……すまんな。眼中になかった」


正直に言うと、魔法使いの顔が更に赤くなった。


「俺はドリ・クリューツ! クロイツから力を授けられた! 剣を振り回すしか能のないてめえごときが、舐めていい相手じゃねえんだよ!」


(……クロイツ?)


何度か聞いた名だ。


「死んだぞてめえ! 千載一遇のチャンスってやつを逃しやがった! てめえはもう二度と、俺には近付けねえ!」


腕を振り上げる。

目映いばかりの光が生まれた。


(……?)


不思議に思った。


多分、かなり強力な魔法を使おうとしている。


そして、そんな魔法を使える間合いではない。


強力な魔法ほど、制御が困難で発動までに時間を要する傾向にあるはず。


不思議に思った時には、デリフィスはドリ・クリューツとの間合いを潰していた。


驚愕に歪む表情。

光が霧散する。


デリフィスは、剣を一閃させた。

手応えはない。


少し離れた位置に、ドリ・クリューツはいた。

瞬間移動の魔法だろう。


高度な魔法の割りには、余り時間ロスをすることなく発動できる。


ただし、急げば急ぐだけ転移できる距離は縮み、座標が擦れる。


そんな説明をデリフィスにしたのは、ユファレートか。


ドリ・クリューツに足を向けかけたが、デリフィスは止まった。


魔法使いの周囲に、何百という光弾が浮いている。

さすがに、迂闊には近付かない。


「二度と……なんだって?」


聞いた。

ドリ・クリューツの顔が、笑ってしまいそうになるほど歪む。

怖いとは、全く思わなかった。


強力な魔法を使える。

それはわかった。


それだけで、魔法使いとして優秀なのかどうかは、デリフィスには判断できない。


ただ、確実にシーパルやユファレートの足下にも及ばない。


強大な力を誇示し、圧倒するような戦い方しかできない男だろう。


「俺は……俺が最強だ! シーパル・ヨゥロもユファレート・パーターも、俺には敵わなかった!」


唾を飛ばしながら、ドリ・クリューツが言う。


もう、笑うしかなかった。


ザイアムとかいう男との戦闘で、二人ともかなり消耗していた。


デリフィスと別れる前には、魔力が尽き掛けていた。


魔法が使えない魔法使いは、手足がもげた剣士のようなものだろう。


そんな二人と戦い、圧倒したとして、それが誇らしいことなのだろうか。


「死ねぇっ!」


ドリ・クリューツが吠えると共に、光弾が向かってくる。


デリフィスは、横に駆けた。

光弾が、背中の方を撃ち抜いていく。


地面に穴を穿ち、空気を灼き、木々をへし折り、背後を削っていく。


デリフィスは、岩の陰に飛び込んだ。


岩の表面で、光弾が弾ける音がする。


足を止めずに、デリフィスは岩陰を飛び出していた。


光弾が、破壊がデリフィスを追う。


ドリ・クリューツを一瞥した。

周囲の光弾は、かなり数を減少させているようだ。


(そろそろいいか……)


また、別の岩の後ろに回る。

足は止めない。


そのまま岩の背後を走り抜けるデリフィスの姿を、ドリ・クリューツは見たのかもしれない。


光弾が、虚しく誰もいない空間を貫いている。


足を止めず、だが岩の背後を走り抜けた訳ではない。


デリフィスは、岩を駆け上がっていた。


一息で乗り越え、ドリ・クリューツとの間合いを詰めていく。

変化に弱いのか、反応は鈍い。


また逃げられるかもしれないが、構わない。


魔力量は豊富なようだが、接近を繰り返されれば、精神力は削られていくだろう。


瞬間移動のような高度な魔法を、いつまで制御に失敗せずに使い続けられるか。


残った光弾を、一気に撃ち放ってくる。

軽くかわし、近接し。


「……!?」


ドリ・クリューツの手に剣が現れ、デリフィスの斬撃を受け止めた。


さらに、左手にも剣。

デリフィスは後退しながら、斬撃を受け流した。


少し、驚いている。


両手の剣を、ドリ・クリューツは投げ付けてきた。

後退しながら捌く。


さらに手の中に、短剣が現れていた。


投擲されるそれを弾き、放たれる光線をかわし、頭上から降ってくる、一振りの剣を払いのける。


間合いが開いた。


「はっはぁ! ンだその面は!? そんな驚いたかよ!?」


「……」


物質転送とかいう魔法がある。

その魔法で、武器を取り寄せているのだろう。


「俺がクロイツから与えられた『倉庫』は二つ……。一つには無尽蔵の魔力が詰め込まれ、もう一つには、これだ……!」


ドリ・クリューツの背後が軋み、黒い穴が空く。

そこに並ぶ、無数の刀剣。


「この武器の数々……。そして俺は、武器を扱う知識をダウンロードされ、振るう体力を与えられた!」


「……」


聞いたことのない単語が台詞に含まれているため、理解しにくいが、要は強力な魔法を連発できて、様々な武器を遣える、ということだろう。


「てめえにあるのは? その一振りの剣だけだろ!? はっ! ただの剣士風情が、逆らっていい相手じゃねえんだよ、俺は!」


「……」


ドリ・クリューツが、腕を振り上げた。


地面が隆起し、錐のようになって突き進んでくる。


横にかわした。

ただし、わずかに前に出て。


剣が投げ付けられたが、弾いた。

光線は、横にかわす。


短剣。

左手で払い落とした。


光球を、かわしきれない。

剣の腹で受け流すようにして捌いた。


デリフィスの剣は、普通の剣の三倍は重い。


この程度の衝撃で折れることはないが、剣身は痛んだだろう。


少し腹が立つ。

剣に魂が宿るなどとは言わないが、長年遣い続けた、自分の分身のような剣だ。


防ぎ、かわしながら、足は前に出ている。


大地から生えた錐が向かってくる。


退かずに踏み止まり、正面から剣で砕く。


破片がドリ・クリューツへ飛び、慌てるのが見えた。


剣を弾き、光線をかわし、短剣も弾き、頭上からの剣を払った。

前へ出ながら。


「なんだ……!?」


尽く攻撃を防がれて、表情が歪んでいる。

夜でもはっきりそれが見える距離。


ドリ・クリューツの両手に、また剣が現れる。


「なんだてめえはっ……!?」


名乗る必要はないだろう。

ドリ・クリューツは知っている。

デリフィスの名前も、剣を振り回すしか能のない一介の剣士であることも。


「……!」


無言の斬撃で答えた。

ドリ・クリューツの剣が断ち割れる。


悲鳴。赤い飛沫。

ドリ・クリューツが、うずくまった。


「ああっ!? はああっ!? 指がっ……! 俺の指がっ……!」


ドリ・クリューツの左手。

人差し指が、なんとか繋がっている状態だった。


中指から小指までは、斬り落とされている。


「……首を撥ねることもできた。……が、特別だ」


剣を空振りさせて血を切り、デリフィスは言った。


血を汚いと感じたのは、久しぶりのことだった。


「お前の物言いは、特別癇に障る。血を止めろ。立て。全部見せてみろ」


震えながら、ドリ・クリューツが顔を上げる。


「千の武器でも、万の魔法でも、用いればいい。お前の言う通り、俺にあるのはこの一振りの剣だけだ。これだけで、俺は相手をする」


少し臭う。

ドリ・クリューツが尿を漏らしたのかもしれない。


「この剣だけで、お前の全てを叩き斬ってやる」


剣の切っ先を、突き付けた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


訳がわからない。

サミーは混乱していた。


あと一息というところまで、追い込んだはずではなかったか。


オースター孤児院を守る者たちは、疲弊していたはずだ。


戦う力を残している者は、いなかったはずだ。

勝ったも同然だったはずだ。


なぜ立ちはだかる。

死んだはずの、ルーアが。


はっきりとこの眼で見たはずだ。

『ダインスレイフ』に貫かれたところを。


あれで、一命を取り留めたというのか。


そうだとしても、身動きが取れるはずがない。


着ているジャケットには、血が染み込んでいる。

死ぬべき出血量ではないのか。

まだ戦う力が、残っているというのか。


死に損ないだ。

放っておいてもいいかもしれない。


ドリは短気を起こし止めを刺そうとしていたが、リンダから鍵となる語句を聞き出す方法はまだある。


オースター孤児院の子供たちを捕らえ、一人ずつ嬲り殺しにしていく。


リンダにとっては、死よりも辛いことだろう。


「はがっ!?」


頬や鼻の辺りに衝撃を感じて、サミーは顔を押さえた。


光が弾けるのも見たような気がする。

肉が灼ける臭いがした。


「……ちっ。浅いか……。そのままずっとアホみたいによそ見してりゃいいのに……」


よろけながら、ルーアが言う。

光球をぶつけられたのか。


確かに、よそ見をした。

オースター孤児院から戦いを見守る者たちに、意識を向けた。

だが、一瞬のことだ。


(速い……!)


いや、恐れるな。

不意を衝いても、肌を灼くのが精々ではないか。


あれだけの傷を負って、戦う力など残っている訳がない。


リンダ・オースターも、倒れていた。


あと、この小僧だけではないか。


「……死に損ないが、たった一人で足掻くものだ。シーパル・ヨゥロも、一人で無謀な戦いをして敗れた。貴様も……」


「あ? ……鼻潰れてる奴が喋んな……。なに言ってんのか……わかんねえって……」


「……」


「まあ……なに言いたいのか、大体わかるけど……。けどよ……」


ルーアは、サミーの背後に眼をやっていた。


転がっている。

シャルルやランワゴ、兵士十三人の死体が。


「……大勢でたった一人をようやく倒したことが、そんなに自慢か……? それに……シーパルは死んでねえぞ。……萎びただけで」


一歩出てくる。

二歩、三歩とサミーは後退りした。


(なぜ……気圧される……?)


死に損ないのはずだ。


恐れる要素はない。


また一歩、踏み出してくる。

サミーは唾を呑み込んだ。


いや、やはりこの小僧は危険だ。

まともに当たるべきではない。


『……サミーよ』


声がした。クロイツ。


(クロイツ!? クロイツ! ルーアです! 生きていました!)


『ああ。私も、驚いた』


そう言うわりには、落ち着いている。


それでこそクロイツだった。

慌てふためくことなど、ある訳がない。


(指示を……指示をください! この小僧は、危険です! 指示を! クロイツ!)


『落ち着け、サミー。お前と、ルーアの戦闘能力を比較した。なんとか生きているだけだ。本来の力を奮うことなどできない。正面からぶつかればいい』


(……正面から、ですか?)


『そうだ。必ず勝てる』


(……わかりました)


一抹の不安はあるが、クロイツの言葉は絶対だった。


正面からぶつかれば、必ず勝てる。


ルーアを睨みつけた。

自信が漲ってくる。

必ず勝てるはずだ。


ルーアの前進が止まった。

警戒している。


サミーは、右腕を上げた。

掌の先に、光が生まれる。


ルーアは、左腕を上げた。

鏡に映しているかのように、同じ姿勢。

やはり、光が生まれる。


正面からのぶつかり合いに応じてきた。


勝った。

クロイツの言葉は絶対だ。


もっとも、まともに体が動かないであろうルーアには、他の選択肢はなかっただろうが。


「フォトン・ブレイザー!」


全力で、光線を撃ち出した。


光と光がぶつかり合う。

勝った。


(そういえば……)


勝ってしまっていいのか。

クロイツは、ルーアに利用価値を見出だしていた。


このままでは、ルーアが死ぬではないか。


疑問。


そして、ぶつかり合いに押されていることに、サミーは気付いた。


(なんだ……!?)


じりじりと押されている。

熱が、光が、死が、迫ってきている。


(クロイツ! クロイツ……これは一体……!?)


全力で魔法を放っていては、そう身動きも取れない。

他の魔法も使えない。

光線の放出を止めれば、即座に光に呑み込まれるだろう。


勝てるはずだ。

クロイツが、そう言ったのだ。


『言ったはずだ。正面からぶつかり合えば、必ず勝てると。……ただし、勝つのはお前ではなく、ルーアだが』


(クロイツ……!?)


『自惚れるな。例え死にかけといえども、お前ごときがルーアに勝てるものか。あれは、ストラーム・レイル、ランディ・ウェルズ、そして、ザイアムの弟子だぞ』


(クロイツ! なにを……)


『まだ、気付かないのかね、サミー・ロジャー?』


(……!)


声が、変わった。

クロイツではない。

では、誰だ。


クロイツではなく、クロイツに匹敵する存在。


(エス!? 貴様、エスか!? 馬鹿な! いつから……!?)


『さあ?』


冷笑が、聞こえたような気がした。


光が、迫ってくる。


(エス! 貴様っ! 貴様っ! 貴様っ!)


『さようなら、サミー・ロジャー。君は、とても役に立つ能無しだったよ』


涼し気な声。


(貴様ぁぁぁっ!)


絶叫は、言葉にならない。

喉も、肺も、焼け爛れている。


そしてサミーは、光に呑み込まれた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「なんだかなぁ……」


つい、呻いてしまう。


痩せ我慢で戦線に立ってみたが、ルーアの体はほとんど動かなかった。


左眼は、霞むようにしか見えない。


ザイアムとの戦いで、かなりの魔力を消耗した。

痛みで、思うように魔法の制御もできない。


剣もない。

あったとしても、振ることはできなかっただろうが。


直線的に魔法を放つことしか、ルーアにはできなかった。


そして、名も知らぬ相手の魔法使いは、正面から直線的にぶつかり合いを仕掛けてきたのである。


以前にも、同じようなことがあった。


『ヴァトムの塔』だった。

あの時も、剣を失い、負傷で体が動かず、魔力もほとんど使い果たしていた。


名前を思い出せないが、相手の『悪魔憑き』は、真っ正面から力比べを仕掛けてきたのだ。


あの『悪魔憑き』は、自信家であるようだった。

自身の力を過信していた。


だから、正面から捩じ伏せにくるのもわかる。


だが、今倒したばかりの魔法使いは、そういうタイプには見えなかった。


もっと思慮深く、慎重に行動する人間に見えた。


(まあ、どうでもいいけど……)


単純に向かってきてくれたお陰で、楽に勝てた。


胸には、まだ剣が貫いているのではないかというような痛みがある。

治癒の魔法もまともに使えない。


脂汗を垂らしながら、ルーアは振り返った。

立っている者はいない。


「シーパル……生きてるかぁ……?」


「……」


返事はない。

だがシーパルは、微かに口角を上げた。


へばってはいるようだが、生きている。


リンダの息子たちも、倒れたり座ったりしているが、みな生きているようだ。


リンダは、座り込んでいた。

それを、咎める者はいないだろう。


彼女は、ずっと戦い続けてきた。

傷付いてきた。


座って休む時間くらい、あっていい。


(あとは、デリフィスか……)


デリフィスがあと一人を叩き斬れば、この場は切り抜けられる。


(おい……)


視線を送り、頬が引き攣る。


よく見えない左眼を閉じ、右眼だけで確認する。


魔法使いが、飛行の魔法でこちらへ向かってきていた。


デリフィスがやられた訳ではなかった。

魔法使いを追っている。


魔法使いは、左手を怪我しているようだった。


怯えた表情で、何度も振り返っている。


心身に恐怖は刻み込んでやったようだが、逃がしてどうする。


デリフィスが、立ち止まった。

しれっとした顔で、肩を竦めている。


(野郎……)


あっさりと諦めやがった。


確かに、飛行の魔法で逃げる相手に、走って追い付くものではないが。


おまけに、足場には雪が積もり走りにくいだろうが。


だが、なにかあるかもしれないではないか。


木が倒れてきて、行く手を塞ぐとか。


急にくしゃみがしたくなり、集中が乱れ飛行の魔法が解除されるとか。


デリフィスの表情。


『その程度の奴、お前なら問題なく倒せるだろう?』


そう言っていた。


多分、デリフィスの食指を動かすほどの相手ではなかったのだ。


真顔のデリフィス。


『面倒なことはお前に全部丸投げにして、押し付けてしまいたい』


ロデンゼラーで言われたことを思い出した。


あとでぶん殴ってやろうか。

殴り返されるだろうけど。


魔法使いが迫ってくる。

デリフィスを避け、他の者を倒しにきたか、人質にするつもりか。


(さあて……どうするかな……)


この絶望的な状況。

魔力は尽きた。

体力も尽きた。

剣もない。

どうしようもない状態。


(……いや、そんなこともないか)


本当に魔力が尽きていたら、意識を保つことも難しいだろう。


本当に体力が尽きていたら、立っていられない。


剣がなくても、武器はある。

拳や爪先で打つべきところを打てば、人は簡単に殺せる。


(つまり、言い訳にしようとしていたわけだ……)


情けない。

シーパルもリンダも、立っていられなくなるまで戦ったのに。


ティアやユファレートやテラントも、似たようなものだろう。


言い訳などせずに、どう戦うかを考えろ。


魔法が使えなくても、ストラームなら敵をすり潰す。


不治の病に侵されても、ランディは最後まで強かった。


剣がなくても、ザイアムは最強だろう。


彼らなら、言い訳も泣き言も口にせず戦うはずだ。


魔法使いは、デリフィスが追跡をやめたことに気付いたようだ。

前だけを向いている。


ルーアは、魔法使いの眼を見た。

デリフィスとの戦闘が堪えているのか、魔法使いに怯えが走る。

自然と、足が前に出ていた。


魔法使いが、飛行の魔法を解除する。


着地。それとほぼ同時に、その姿が消えた。


瞬間移動。

死角に回っている。

頭上か、背後か。


土を踏む音。

魔力の流れを読みきる前に、それが耳に入った。

間髪を容れず振り返る。


魔法使いは、背中を向けていた。

腕を上げ狙っているのは、リンダか、他の誰かか。


ぶち、とはっきりと聞こえた。

体の痛みを感じなくなる。


襟首を掴んで引っ張り、魔法使いの体を地面に叩き付けた。


「あー……ムカつく……」


反動でよろけながら、ルーアは呻いた。


魔法使いが跳ね起き、後退する。


「なんなんだよ、てめえらはっ!? 俺はドリ・クリューツだぞっ!? てめえらごときが、俺を……!」


右手の先に、光が点る。


「うっせ……」


ルーアは、魔法使いの負傷した左手に小さな風塊を叩き込んでいた。


魔法使いが表情を歪ませ、光が消失する。


膝を折ろうとするところを、顎を蹴り上げて立たせた。


のけ反る魔法使いに、指を向ける。


「ル・ク・ウィスプ」


残されたわずかな魔力。

生み出せた光弾は、たった三発。

ただし、威力だけは普段通り。


魔法使いの顎を砕き、喉に穴を空ける。


蹴り飛ばした。


オースター孤児院は、丘の上にある。


魔法使いの体は、坂を転がり落ちていった。


左眼を閉じて見つめる。

坂の途中で止まった魔法使いの体は、ぴくりとも動かない。


(……死んだ……か……)


退けることができた。

気が緩んだのか、体が痛みを思い出す。


まだ、終わっていない。

ザイアムがいるはずだ。


痛みに顔をしかめながら、ルーアは全員の状態を確認しようと視線を移していった。


デリフィスは、かすり傷一つないか。

しっかりとした歩調である。


シーパルは、地面に寝転がったまま身動きできないようだが、死にはしないだろう。


リンダやその息子たちも、負傷はしているが命に別状はないようだ。


孤児院の中。

歓呼の声がした。


シュアや、確かミンミだったか。

他にも、まだ名前を覚えていないリンダの娘たち。


ここまでは、なんとか死なせずにすんだ。


テラントは、意外と平気そうな顔に見える。


平気そうに見せ掛けているだけだろうが。


戦えるなら、戦闘の場に立つ男だ。


テラントに肩を貸しているパナも、無事そうだ。


良かった。

彼女になにかあれば、彼女の夫のドーラに申し訳が立たない。


小さい子供たちは、姿が見えなかった。


弟や妹たちの身になにかあれば、シュアたちが歓声を上げたりする訳がないから、おそらく無事だろう。

建物の奥にでもいるのか。


それでいいと、ルーアは思った。

人が殺されるところなど、見る必要はない。


玄関が開いた。

支え合うようにして出てきたのは、ティアとユファレートだった。


二人とも、傷だらけのようである。


ユファレートは玄関の扉にもたれ微笑んだ。


ティアだけが、疲労や負傷の影響か、躓きながら向かってくる。


怪我をしているのだから、わざわざ走って来なくてもいいのに。


段々と、勢いよくなっているような気がする。


そして、いきなり体当たりをされた。


「うおっ!?」


今の足腰の状態で支えきれる訳もなく、当然のように尻餅をついてしまう。


「いっ……!」


ぶつけた尻の痛みよりも、衝撃が胸の傷に響くことが辛い。


「なにすんだよ、お前はっ……!?」


なんでいきなり体当たりをぶちかましてくるのだ。


尻餅をついたルーアに跨がっているティアが、顔を上げた。


(うっ……!?)


余りに近すぎることに、動揺してしまう。


これは、なんかまずい。

よくわからないがまずい。


すぐ側にあるティアの顔に、異様なまでに焦る。


上目遣いで見るな。

涙目になるな。

頬を赤らめるな。


これは反則だ。

威力が有りすぎる。


首の後ろに腕を回された。

そのまま抱き着いてくる。


(って、ちょっと待て……!)


なんでそうなるのだ。

なにがあった。


「……ルーア」


呟くような声は、涙で濡れている。


「……お、おう」


自分で恥ずかしくなるくらい、返事は震えていた。


「……ルーア……ルーア……」


「なんだよ……?」


今度は、いきなり声を上げて泣き出す。


どうすればいいのかわからず、助けを求めてルーアはみんなを見た。


デリフィスは、明後日の方を向いている。


シーパルは、寝転がったまま身動きせずに夜空を眺めていた。


リンダからはいまいち表情を読めず、リンダの息子たちは、なんとも形容しづらい複雑な顔をしている。


孤児院の方では、テラントはにやにやし、パナとシュアは、『あらまあ』という感じで口に手を当て、ミンミは爪を噛んでいた。


そして、玄関の前でユファレートが、『こうよ、こう!』と口を動かしながら、抱きしめ返すようジェスチャーで指示をだしている。


(できるかっ!)


そんなことをしたら、終わりである。


よくわからないが、後戻りができなくなる。


「……えーっと、だな……オースター?」


落ち着かせるために、背中を軽く叩く。


返事はなく、泣き声だけが聞こえる。


要するに、心配してくれたということだろう。


「……ばーか。死なないって、言っただろうが」


やっぱり、返事はない。

ただ、抱きしめる力が強くなった。


(ええいっ! 逆効果か!)


落ち着かせるために、言ったのに。


段々と、変な気分になってきた。

体が密着している。

やわらかい。


おかしいだろ、と思う。

普段小剣を振り回しているのだから、もっと筋肉質であって然るべきなのだ。


それなのに、なんでこんなにやわらかいのか。


頭に血が昇り、脳が回らなくなってきた。


今の状態が心地好いのだと、ルーアは気付いた。


「……どうせなら、シュアさんみたいにあればいいのに……」


胸や、腰回りが。


(まあ、口に出しては言えないけど……)


「……」


唐突に、抱き着いていたティアが離れた。


ルーアに跨がったまま、袖でぐしぐしと涙を拭いている。


なぜか向けられる険悪な視線。


「あっ……れぇ……?」


そしてなぜか、鼻息荒くティアは拳を振り上げた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ガイケル、それに、『天使憑き』のサムとダワンダ。


『地図』を持ち帰らす訳にはいかない。


クロイツの手に渡ると、記録されたデータから、彼はティア・オースターの力を解析してしまうだろう。


それは、『天使憑き』の研究が進展してしまうということだった。


『コミュニティ』の戦力が、大幅に増強されてしまう。

それだけならまだいい。


『悪魔憑き』と『天使憑き』の研究が進めば、違う形で『ルインクロード』が完成するかもしれない。


『ルインクロード』が量産されてしまうかもしれない。

そうなれば、終わりだった。


対抗できる『ネクタス家の者』は、この世にたった一人しかいないのだから。


『地図』を所持する三人が思いきって仕掛けてくる前に、マリアベルは数時間掛けて仕込んでいた魔法陣を展開させた。


三人は、問題なく倒せる。


クロイツに身を晒すことになるが、それだけの価値が『地図』にはある。


だが、どうせならこの状況を利用してやろう、マリアベルはそう思っていた。


あの男の本心を知る、いい機会である。


周囲一帯を覆う魔法陣には、魔法干渉妨害の効果があった。


これで、外部からの、魔法や魔法に準ずる力は遮断される。


これからここでなにが起きても、クロイツやエスは視ることができない。


魔法陣展開前に、マリアベルが三人と対峙したのは、束の間である。


クロイツが扱う情報量は、莫大なものだった。


その束の間を、マリアベルがここにいたことを、見落とす可能性もある。


その小さな可能性を信じ、魔法干渉妨害の魔法陣を拡げた。


クロイツの眼をこれからも欺き、マリアベルの生死を不明なままにしようとしている。


そんなふうにクロイツが勘違いしてくれれば、マリアベルの目論見通りといえた。


クロイツが、ここにマリアベルがいたことを見落とす訳がない。


本当に大事なことは、クロイツは絶対に見逃さない。


だが、ここでなにが起きるかだけは、知ることはできない。


彼も、動きやすくなっただろう。

彼がなにをしようと、それは全て『魔女』マリアベルが行ったことと、クロイツは勘違いをする。


勘違いさせるために、姿を見せたのだ。


「『魔女』マリアベルか……。さすがにたいした自信だな。こんな魔法陣を拡げ、私たち三人と戦おうというのか……」


ガイケルが言った。


「あら、私がそんな自信家に見える?」


これだけの規模で魔法干渉妨害の魔法陣を展開すれば、その維持のために他の魔法はそう使えない。


それでも三人に勝てるかもしれないが、苦戦は必至だった。


元々、攻撃的な魔法は得意ではない。


もちろん並の魔法使いよりは使える自信があるが、マリアベルが得意とするのは、防御や回復、幻影や足止めといった補助的な魔法である。


もしかしたら、『地図』を持って逃げられるかもしれない。


それは、彼も困るのではないか。


ゆっくりと近付いてくる者がいた。


重い足音。

規則正しい歩幅。

巨躯。太く、それでいてしなやかな手足。

長い髪。

抜き身の『ダインスレイフ』。


やはり現れた。


「ザイアム!」


『天使憑き』のダワンダが、希望に満ちた声を上げる。


マリアベルは、意識を緊張させた。


『ダインスレイフ』の刃がこちらを向いた時には、すでに逃げていなければならない。


『魔女』と呼ばれたこの力も、ザイアムには及ばない。


「ザイアム! いいところに来てくれました! マリアベルです! 『魔女』マリアベルです! あなたの力で、あの女を……」


『ダインスレイフ』が、一閃された。


ザイアムに駆け寄ったダワンダの体が、真っ二つになる。


「えっ……?」


呟いたのはガイケルか、弟を殺されたサムか。


「『地図』は?」


何事もなかったかのように、ザイアムが聞く。


「……は、はい。ここに……」


まるっきり事態を理解できていない様子で、サムが懐から『地図』を取り出す。


受け取ったザイアムは、『地図』をしげしげと眺め。


空気が唸った。

サムの体も、二つに割れる。


「ザ……ザイアム……なにを……!?」


「……」


無言で、ザイアムはガイケルに歩み寄る。


「ひぃっ!?」


ガイケルは腕を上げた。

次の瞬間には、肩から斬り落とされていた。


吹き上がる血。

ガイケルの、信じられないという表情。

白眼を剥き、仰向けに倒れる。


血の臭いが、鼻についた。


ザイアムの視線が、マリアベルに向く。

刃は向いていない。


「……余り驚いた様子ではないな、『魔女』マリアベル」


「……薄々、そんな気はしていたのよね」


ザイアムの行動は、おかしいのだ。

納得できない部分が多い。


リンダ・オースターに対して、三ヶ月の間戦力を小出しにして当たらせた。


疲弊させるため、レヴィスト・ヴィール、今はルーアか、彼をおびき寄せるためという言い訳があるようだが、釈然とするものではない。


ザイアムの力ならば、リンダ・オースターもルーアも、一瞬で叩き斬ることができるのだから。


戦力を消耗させる必要はないだろう。


リンダ・オースターとしては、敵を各個撃破できて非常に助かっただろう。


ルーアだけをおびき出す必要もなかった。


わざわざ孤立させなくても、ルーアを殺すなり捕らえるなりできたはずだ。


ルーアの力をクロイツは利用しようとしている。


当然、ザイアムもそのことを知っている。


だから、ルーアを殺す必要もなかったといえる。


ザイアムの行動は、おかしいのだ。


『コミュニティ』最高幹部の一人、ザイアムとしては。


「……ザイアム、あなたの目的はなに?」


「わからないか?」


「……」


「簡単なことだ。簡単過ぎて、エス以外の者にはすぐわかる」


エスにだけは、わからないかもしれない。

人間をやめた、エスにだけは。


エスはきっと、人の心の底の底にあるものを、理解できなくなっている。


リンダ・オースターを殺さなかったのは、彼女がティア・オースターの家族だから。


ルーアだけをおびき出そうとしたのは、彼やティア・オースターの仲間を死なせないため。


ルーアを殺した。

だが、結果的に彼は息を吹き返した。


マリアベルがいたことも、計算していたのではないか。


マリアベルがルーアを蘇生させることも。


ルーアが『ルインクロード』の力を取り戻していく、きっかけとなっただろう。


それは、『コミュニティ』やクロイツが、望んでいることでもあるが。


『ルインクロード』の力は、ルーアを守ることになるはずだ。


ティア・オースターの、『ルインクロード』の『天使』の力も。


マリアベルは、『コミュニティ』最高幹部のザイアムではなく、彼らの父親ザイアムとして考えた。


『コミュニティ』最高幹部の立場のまま、ティア・オースターやルーア、彼らの大切な人々の手助けを、陰からしていないか。


「ザイアム、あなたは……」


「ロンロ・オースターは、随分前からお前と同じ推測をしていたようだ」


父親として、行動していないか。

聞こうと思ったが、ザイアムの眼が光るのを感じて、マリアベルはその問いを呑み込んだ。


ザイアムはきっと、肯定も否定もしたくないのだ。


「『地図』を、どうするつもりかしら?」


代わりに、別の問いを投げ掛けた。


『地図』が『コミュニティ』の手に渡れば、ティア・オースターやルーアの危険は大きくなるだろう。


リンダ・オースターの元に戻れば、彼女が危険だった。


ドラウ・パーターの側面援護は、もうないのだから。


ザイアムは、無言で『地図』を放った。


風に流されるそれに、『ダインスレイフ』を振るう。


剣圧が、『地図』を粉微塵にした。


再生能力がある魔法道具だが、さすがにこれは元に戻ることはないだろう。


これで、この世から『地図』は失われた。


クロイツは、視ることができないはずだ。


ザイアムがガイケルたちを斬ったことも、『地図』を破壊したことも。


「ザイアム、あなた、やっぱり……」


ザイアムの深い眼差しからは、思考は読めない。


「『コミュニティ』を裏切るつもり……?」


「いや、そんなつもりはないが」


即答だった。


「『コミュニティ』のザイアムとして、いずれまたルーアと戦うことがあるかもしれないな。その時は、当然殺すつもりだ」


「……」


わからない、この男は。

本気なのか、嘘なのか、別の意図があるのか。


「さて、『魔女』マリアベル。クロイツは、お前の『コミュニティ』への帰還を望んでいるだろうが」


「……そんなつもりはないわ」


「そうか……」


力尽くでくるだろうか。

そうなったら、逃げきれるのか。

戦うという選択はなかった。


一歩にじり寄り、思い出したかのように、ザイアムは自身の脇腹を摩った。


「そういえば、リンダ・オースターに思い切り殴られた。とても痛いな。肋骨が、何本か折れているかもしれん」


「……」


「私は、数日体を休ませようと思う」


見逃してやる、と言っているようだ。


「その数日の間に、オースター孤児院を取り巻く環境に、変化が出るかもしれんな」


「……」


なにを言いたいのか、よくわからなかった。


今のうちに、オースター家の者たちを逃がせと言っているのだろうか。


それとも、数日の間に誰かがなんとかすると言っているのか。


謎掛けをされている気分だった。


ザイアムが、背中を向けた。

立ち去ろうとしている。


「待って!」


呼び止めてしまう。

どうしても、聞きたいことがあった。


肩越しに、ザイアムが鋭い視線を送ってくる。


「……あなたは、『天使憑き』をどう思う?」


聞きたいことを、そのまま聞くことはできなかった。


『天使憑き』のような存在であるティア・オースターを、どう思うのか。


人間から少し離れてしまった娘を、受け入れられるのか。


その答えを、どうしても聞きたかった。


あの人に、自分の妻が実は化け物だったらどうするか、などと聞けないから。


ザイアムの眼差しは、静かだった。


短い静寂。


「……『悪魔憑き』よりは、聞こえがいいと思う」


ふざけているのか、本心なのか。

そう言って、ザイアムは立ち去った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「降伏というのはですねえ……」


「待ちたまえ」


ロンロ・オースターに掌を向けて、クロイツはその口を制止させた。


違和感があったのだ。

この青年からではない。


遥か遠く、ホルン王国北の大地。

違和感は、部下たちから覚えた。


正午にサミーから報告を受けた時は、なにもおかしいところはなかったが。


今も、おかしいところはない。

何一つ変化がない。

それが、違和感の正体だった。


午後九時を過ぎている。

約九時間、変化がなかった。

呼吸や脈拍のリズムさえも。


それが、おかしい。

人間としては有り得ない。


(これは……)


解析していく。

その、サミー・ロジャーを。


サミー・ロジャーに見せ掛けた、情報の塊。


周囲に誰もいなければ、舌打ちをしていたかもしれない。


ダミー情報を掴まされている。

誰の仕業かは、調査するまでもない。


(やられたな……)


一体、いつからなのか。

彼が、この隙を見逃すはずがないだろう。


意識を向け、状況を確認する。


サミー・ロジャーとその部下たちは、全滅していた。


一時奪った『地図』も、失ってしまったようだ。


奪い返されたにしては、所持している者が見当たらない。


記録を、手繰っていった。


『地図』を所持していたのは、『天使憑き』のサム。


同道していたのは、ガイケルと弟のダワンダ。


立ちはだかる者。


(ほう……)


やはり生きていたか。

『魔女』マリアベル。


それからしばらく、情報が遮断されている。


空白の時の後に残されたのは、焼け崩れた三人の死体に、砂粒のように細かく破壊された『地図』の残骸。


マリアベルの姿はない。


(ザイアムは……)


あの男は、なにをしているのか。

すぐに見つかった。

山中にある小屋で、身を休ませている。


負傷しているようだ。

どうせ、油断して手を抜いていたのだろう。


驕りではなく、性格だった。

本気を出すことさえも面倒臭がる。


その辺りが、同じ最強でもソフィアとは違った。

彼女には、どんな時も隙がない。


(……)


なにかが引っ掛かった。

疑念がある。


ザイアムは、ずっと体を休めていたのか。


(いや……)


クロイツは、疑うのをやめた。


仮にザイアムがなにかしていたとしても、都合が悪い証拠など残さないだろう。


灰色以上に濃くなることはない。


疑わしきは罰せず。

そもそも、この世の誰がザイアムに罰を与えられるというのだ。


クロイツは、意識を戻した。


「待たせたね」


ぼんやりとしているロンロ・オースターに言う。


もっとも、ほんの十数秒のことだが。


「話を、続けたまえ」


「それでは……」


わざとらしく咳払いをして、愛想笑いを浮かべる。


「オースター孤児院は、『コミュニティ』に降伏します。ストラーム・レイルにもドラウ・パーターにも、もちろんエスさんにも、今後協力しません」


「ふむ」


「孤児院にある物で必要なのがあったら、どうぞ持っていってください。もっとも、『コミュニティ』が欲しがる物なんてないでしょうけど」


すでに、『地図』の破壊を掴んでいたのだろう。


そして、文句なしの降伏だった。

こちらはこれ以上犠牲を出すことはなく、ストラーム・レイル側の戦力は落ちる。


「条件が、一つだけ」


「なにかね?」


「家族には、手を出さないでください」


「無理だな」


ティア・オースターには、まだ用がある。


「……では、ティア以外の家族に、手は出さないでください」


「……ティア・オースターは、いいのかね?」


「あなたたちがティアから手を引くことはないでしょうし、それに……」


「それに?」


「ティアには、頼りになる仲間がたくさんいるみたいなので」


へらりと笑う。


「人質が必要だというのなら、俺がなります。どうです? 降伏を受け入れてもらえませんか?」


「……問題点が一つあるな」


「なんですか?」


「リンダ・オースターだ。彼女とストラーム・レイルの関係を、君も知っているだろう?」


ストラーム・レイルの味方でいられなくなることを、果たしてリンダ・オースターは承服できるのか。


「俺が説得します。どうしても受け入れられないのなら、力尽くででも」


「ほう……」


「今の俺は、エスさんの力の一部を扱えますから……」


それも、肉体がある者として、他人に強く干渉できる。


説得に応じないリンダ・オースターを、植物状態にすることも可能だろう。


計算した。


オースター孤児院を犠牲なく確実に落とせるのは、ザイアムとソフィアだけだろう。


ザイアムが、思い通りに動いてくれるとは思えない。


ソフィアには、やってもらわなくてはならないことが山ほどある。


オースター孤児院が降伏するというのは、悪くない話だ。

極上といってもいい。


ストラーム・レイルの味方は減り、『コミュニティ』は戦力を削られることもない。


ティア・オースターは、旅を続けるだろう。


そして、奪われて困る『地図』もない。


リンダ・オースターとしては、降伏しやすい状況となる。


孤児院に暮らす家族のことだけを考えるならば、降伏する方が得だろう。


ティア・オースターが不在で『地図』もないオースター孤児院には、攻める理由が、敵だからという単純なものしかない。


敵対しないのならば、こちらも相手をする必要はない。


互いに良い妥協案なのかもしれない。


「いいだろう。オースター孤児院の降伏を受け入れよう」


「そうですか。良かった……。ありがとうございます」


ロンロ・オースターは、笑顔だった。

今までの笑顔とは、少し違う。

安堵からくる笑顔。


「ロンロ・オースター。君は、これからどうするのかね?」


「家に帰ります」


「そういう意味ではない。その力をどうする? 実に大きな力だが」


「……必要なくなり次第、エスさんに返します。俺は、普通でいい。普通の生活を、あの家で家族と送れたら、それだけで充分満足です」


「そういうものか」


ロンロ・オースターの言葉に、嘘偽りはないだろう。


彼は本心から、力はいらないと思っている。


「では、失礼しますね」


「ああ」


ロンロ・オースターが消える。


様々な人間がいるものだ、とクロイツは思った。


力を欲する者は多い。

そういった者に力を与えると、大概は自分を見失い、溺れる。


ドリ・クリューツも、そうだった。


まれに、ズィニアのような者も出てくる。


立ち止まることをせず、貪欲に力を求め、自らを磨き続ける者が。


ロンロ・オースターは、真逆だった。


力などいらないと。

家族と暮らせさえすればいいと。


平凡な日々の中に、居場所を求めている。


「……それもまた、人の生き方か」


呟く。


会話に参加しようとしなかったソフィアは、聞き耳を立てるような表情をした。

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