物語の裏側

ズターエ王国王都アスハレムから北にある、ビビラの街。

その、地下迷宮。


ここにクロイツが篭り、五ヶ月は過ぎた。


古代の設備の制御装置がある。

解析は、難解だった。

それも、あと一月ほどで終わるか。


終わったら、ハウザードのいるドニック王国へと向かうことになる。


「ねえ」


手には大鎌。纏うは返り血に染まったボディスーツ。


声を掛けてきたのは、ソフィアだった。


もっとも、この地下迷宮に他の者の姿はなく、彼女以外に口を利く相手はいないのだが。


絶世の美女と言っても良いが、それよりも背筋を凍らすような雰囲気の方が印象に残るだろう。


無数の『天使』と『悪魔』が、クロイツの作業を阻止せんと襲いくる。


それらを、たった一人で撃退し続けているのがソフィアだった。


最近は、『天使』と『悪魔』の襲撃が減っていた。


ソフィアにも、余裕が見えるようになってきた。


「誰か、侵入しようとしていない?」


「……そうだな」


とうに気付いていた。


人として、つまり肉体を以てここへ来ようとしているのではない。


何者かが、人外の力を以て侵入を試みている。

そして、失敗を繰り返している。


周囲の空間は、古代の技術により歪み、入り乱れていた。

直接の転移は困難なはずだ。


まともな出入り口は一箇所だけあるが、普通に人の足で移動すれば、迷宮の外からクロイツたちの元まで来るのに一日以上掛かるだろう。


さらに、『天使』と『悪魔』の妨害に遭うことになる。


(何者かな?)


普通に考えればエスしか思い浮かばないが、彼ならもっと簡単に侵入を果たす。


エスではなく、だがエスと同質の力を操る者。


それでいて、扱いがひどく稚拙である。


何度目の失敗か。

何時間失敗を繰り返したか。


空間に、足が生えた。

それが幾度かばたつき、向こうから押し出されるように全体が滑り落ちてくる。


無様に尻餅を付いたそれは、一応人間だった。

エスとは違い、肉体がある。


鍛えているようには見えない、細い手足。


尻を摩りながら立ち上がった姿は、ひょろりとしている。


眼はやや垂れ気味で、気力のようなものが感じられない。


まだ若い。

青年と言っていいだろう。


真っ直ぐ立つのが苦手なのか、葦のようにふらふらしている。


「ふへぇ……時間掛かったぁ……」


声には、どこか軽薄な響きがあった。


クロイツは、青年を観察し解析した。


(ロンロ……現在はロンロ・オースター……元『フォルダーの住人』か……)


「やあ、綺麗なお姉さんだ」


青年、ロンロ・オースターが、ソフィアを見て言った。


「夜の街角に立っていると、『いくらだ?』って言われませんか?」


「……」


ソフィアは、返答をしなかった。

おそらく、初めての経験だろう。

侮るようなことを言われたのは。


きょとんとした表情を、ソフィアは向けてきた。

怒りは感じられない。


「クロイツ、どうするの、この子?」


「ロンロ・オースター。ミンミ・オースターの実の兄。『フォルダーの住人』だな」


「元『フォルダーの住人』ですよ。元。ここ大事です」


元を強調させて、ロンロ・オースターが言う。


「役に立たない。価値がない。そう判断され、エスさんに捨てられた者ですよ。俺もミンミも、物語の中央に立つことのない存在です」


「だが、君が扱っている力は、エスの力だろう? そんな力がある者は、脇役とは言えんよ」


エスの計算の元で生まれ、エスの監視の元で育てられる者がいる。

彼や彼の妹は、それだった。


「ふぅん……」


ソフィアが、鼻を鳴らすような声を漏らした。


一瞬その姿を見失い、クロイツが気付いた時には、ソフィアはロンロ・オースターの背後に立っていた。


生白い首に、大鎌の刃を当てている。


「元『フォルダーの住人』ねえ……。どうする、クロイツ? 殺しておく?」


「えええっ!?」


「ふむ。エスの力を使用する許可を持っている。消しておいた方が良いかもしれないね」


「いやいやいやいやっ!? 言ったでしょう!? 俺は、無力で無価値で……」


「元『フォルダーの住人』か。なるほど。幼少よりエスの力に触れてきた。馴染みやすい訳だな」


「聞いてないし。困ったな。ああ、そうだ。えいっ」


ソフィアの姿が消えた。


そして、首筋がひやりとするのを、クロイツは感じた。


大鎌が押し当てられている。

背後に、ソフィア。


「やあ、良かった。上手くいった」


表情を緩ませ、ロンロ・オースターはわざとらしく胸を撫で下ろしている。


(……ソフィアを、転移……強制的に。魔法ではない)


大鎌を押し退けながら、ロンロ・オースターの力を解析していく。


ソフィアの感心するような声が聞こえた。


「エスの力を、使いこなしている。だけど、それだけじゃないね」


「俺には、肉体がありますから」


「ふむ」


肉体のないエスには、他人の肉体にできることが限られている。


脳の電気信号に干渉して、記憶や五感の操作が精々だろう。


「これは……思ったよりも厄介かもしれないな」


「いえいえ、そんな全然」


「エスと力を共用しているのか。君が死ねば、エスの力に影響を与えるのだろうか?」


「俺が扱えるのは、ほんの一部だけですよ。そして、俺が死ぬ前に、彼は躊躇わず俺を切り離すでしょうね」


「試してみてもいいかね?」


「やめておきましょう。互いのために」


ソフィアが、クロイツの前に出る。


「俺は、肉体のあるエスさんです。殺されることができる代わりに、殺すことができる」


「へぇ……」


面白そうに、ソフィアが呟く。


剣呑な雰囲気に、ロンロ・オースターは後退りした。


「まいったなぁ……。少しははったりに引っ掛かって警戒して欲しいんですけど」


「君の用件はなにかね?」


ロンロ・オースターを殺すことは、可能だろう。

死神と呼ばれるソフィアなのだ。

ただ、おそらく手間取る。


クロイツの最優先の目的は制御装置の解析であり、ソフィアの役割はクロイツの守護だった。


必要以上の時間を、ロンロ・オースターに割く訳にはいかない。


用件次第では、放っておけばいい。


ロンロ・オースターは、ほっとした表情だった。


「ああ、良かった。話を聞いてくれる気になってくれて。ええとですね、ちょっと、取り引きをしてもらおうと思いまして」


「……取り引き?」


「ええ、取り引きです。そちらにとっても、悪い話ではないかと」


「帰りたまえ」


クロイツは、払うように手を振った。


ロンロ・オースターが、呆気に取られた顔をする。


「え? あの、ですね……」


「君は、エスとの繋がりが太い。そして、私はエスをよく知っている。策を練ることが大好きな者でね」


「……」


「君が言う取り引きを利用して、私たちを策に嵌めようとしていると思う。君に、なにも知らせずにね」


足下に、魔法陣を展開させた。


ロンロ・オースターの足下にも、同様の魔法陣。


「策に嵌まらない、最も単純で有効な方法を教えてあげよう。それは、策士と、策に関係あるもの全てを遠ざけ、関わらないことだ」


「えー……ちょっ、待っ……」


ロンロ・オースターの姿が消える。


クロイツが開発した、強制転移の魔法。


歪んだ空間の外に、ロンロ・オースターを転移させた。


歪みは、刻一刻と変わる。

再びここに戻ってくるには、莫大な時間を必要とするだろう。


「いいの?」


聞いてくるソフィアに、クロイツは頷いた。


「彼は、元『フォルダーの住人』だからね。さほど重要ではない」


ミンミ・オースターはライア・ネクタスの妻になれず、ロンロ・オースターは次代の『フォルダーの住人』の父親になれなかった。


システムとは無縁な、無意味な存在。


「エスの力をいくらか扱えるようだが、物語の中心に出る野心もなさそうだしね。生かしておいても、問題はない」


「あなたがそう言うなら、そうなのでしょうけど」


クロイツは、解析作業を再開した。


不思議と、集中できない。

ロンロ・オースターの、気力のない顔が思い浮かぶ。


物語の中心に立つような人物ではない。


彼が、望むこともないだろう。


(だが、もしかしたら……)


もしかしたら、物語の中心が彼を求めるかもしれない。

なぜか、そんなことを考えた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


また意識を失ったルーアの胸に手を当て、マリアベルは治療を続けた。


『ルインクロード』の力なのか、異様な速度で傷口が塞がった。


だが、蘇生すると同時に、その回復力は失われた。


こうして治療をしていると、普通の人間となんら変わらないように思える。


ルーアという普通の人間と、『ルインクロード』という力が、生と死を境に肉体の支配権を奪い合っているように感じられた。


ともかく、命は取り留めた。

数日安静にすれば、動くこともできるようになるだろう。


と、洞窟の中に別の者の存在を感じて、マリアベルは顔を上げた。


白い人影。


「こうして会うのは初めてとなるが、自己紹介はいらないかな、マリィ・エセンツよ」


「そうね、リーザイの亡霊、エスさん」


身構えるような気分に、マリアベルはなっていた。


警戒する意味はないのだが。


「声だけでは、君は相手をしてくれないからね。こうして、会いにきたよ」


「……よく、わたしを見つけられたわね。クロイツに監視されて、まともに能力を使えないでしょうに」


「彼は、私から一時眼を逸らした。その間に、ダミー情報を掴ませた。しばらくは、欺ける」


エスは、一旦マリアベルの足下を見て、それからまた視線を上げた。


「やはり生きていたのだね、マリィ・エセンツ」


「マリアベル」


「ん?」


「わたしは、マリアベルよ」


もう、彼のところへ戻れないかもしれない。

だから、マリアベルと名乗るべきなのだ。


「クロイツに、視られることはないのかしら?」


「ないね。使う予定のなかったはずの札が、思いの外効果を発揮した。この地にクロイツがいたら、通用しなかっただろうがね」


「わたしも、手札に加えるつもりかしら?」


「利害が一致しているとは言えないが、それでも手を組むべきだと思うね」


「……」


一理あった。

『コミュニティ』を共に敵としている。

そして、エスは有能だった。


目的が異なるとしても、手を組むべきなのかもしれない。


ストラーム・レイルも、最終目標を違えているが、エスとは協力関係を保っている。


「……勝算は?」


「ザイアムの目的次第、だな」


「クロイツは?」


「彼の眼を逸らすことに、成功した。彼が気付いた時には、終わっている」


マリアベルは、溜息をついた。


エスは、騙されている。

クロイツに能力を封じられていたのだから、仕方ないが。


「あなたが言う使う予定のなかった札というのは、捨てた『フォルダーの住人』たちのことかしら?」


「そうだ」


不思議と、懐かしい知り合いと話しているかのような気分になっていた。


エスの声は耳に馴染んでいるからだろうか。


これまでに何度も呼び掛けられていた。

尽く無視してきたが。


「……協力すると決めた訳じゃないけど、忠告だけはしてあげる。あなたに隠していた札があるように、クロイツにもまた、ジョーカーがある。それが、この地に派遣済みよ」


「……」


エスが、無言で眼を細めた。


「フィル・アッキームを再現するために生まれた、サミー・ロジャーを筆頭とする九人の魔法使い。彼ら全員が、ただの失敗作だと、みなが横一線だと思った?」


「……違うのかね?」


「そんな面白みのない連中に、クロイツが作戦を託す訳ないでしょ? 能力を全開で使える今のあなたなら、すぐに調べがつくはずよ」


瞑目するエス。

検索を終えたか、数秒して眼を開いた。


「……ドリ・クリューツ。サミー・ロジャー、ガイケルに続く、三番目の実験体か」


「彼は、クロイツの力の一部を使用する許可を得ているわ」


この事実は、指揮をしているサミー・ロジャーにも隠されているだろう。


クロイツの眼から、長年逃げてきた。


彼の部下については、一通り調査したことがある。


「魔力量だけなら、ハウザード級だな」


エスは、淡々としている。


それを、マリアベルは怪訝に感じた。


「慌てないのね」


「……いや、なに……指摘されたばかりでね。私はどうも、力の大きさや量ばかり気にする傾向にあるらしい」


「……」


エスから土壁に視線を移した。

マリアベルも、ドリ・クリューツが実戦を如何程重ねたかは知らない。


「さて、優れた魔法使いとは理解したが、今のところおとなしいね」


「『地図』を警戒しているのよ」


「ふむ」


全てを説明しなくても、エスはわかるだろう。


『地図』の力にだけは、抗する手段がない。


そして、敵が巨大であれば巨大であるだけ、リンダ・オースターは精神的に追い込まれる。


『地図』の真の力、空の向こうからの一撃を、使うきっかけとなる。


目立たぬよう、平凡な魔法使いのふりをしているのだ。


「ところで、『地図』は奪われてしまったよ」


なんでもないことのように、エスが言う。


「……最悪よ、それ」


これで、ドリ・クリューツがいつ牙を剥き出しにしてもおかしくなくなってしまった。


『地図』がクロイツの手に渡ったら、どうなることか。


現物が手元にありさえすれば、彼は起動方法を解析できるだろう。


「確かに、最悪だな。ザイアム一人だけでも、手に負えないというのに。これは是が非でも、君に協力してもらわなくてはね」


「……オースター孤児院が落ちても、わたしにとっては痛手じゃないわ」


「だが、テラント・エセンツには生きていて欲しいだろう? 彼に、オースター孤児院を見捨てることができるかな?」


「……ほとんど脅迫よね、それって」


軽く睨みつける。

毛ほども、エスは動じない。


「策は?」


「クロイツは、眼を逸らした。利用しない手はあるまい」


言って、ひどく気楽にエスは肩をすくませてみせた。


最後まで、ルーアのことを気にする様子は見せなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


意識を取り戻すたび、痛みが和らいでいるような気がする。


眼を開いて、ルーアは混乱した。

暗い。

眼を負傷した記憶がある。

失明したのではないか。


しばらく、動かないでいた。

徐々に、闇に眼が慣れていく。


暗いのは、洞窟の中だったからか。


外も、暗い。

夜なのか。

意識を失う前は、まだ明るかったような気がする。


冬であり、山中である。

暗くなるのは早いだろう。


あるいは、まだ夕刻という時間帯なのかもしれない。


明かりの魔法を使おうとして、失敗した。

指先が震えている。

魔力を引き出すことができない。


寒い。

昼に寒さを感じなかったのは、女が魔法で気温の操作をしていたからだろう。


(……いない)


ルーアの治療をし、命を救ってくれた女がいない。


(……今のうち、か?)


また止められるだろう。

どこかに出掛けている今が好機なのかもしれない。


(……戻るんだ)


身を起こそうとして、ルーアはうずくまった。


「……あ……がっ……!」


胸が痛む。

体の内部が裂けているような痛み方だった。


空気を吸い込めない。

口を閉じることもできず、涎が垂れた。

乾いた肌に、汗が滲む。


(くそっ……!)


この程度で。


(戻るんだろうがよ!)


ストラームには、毎日毎日もっと痛めつけられていた。


激痛で強張る体を、無理矢理立ち上がらせる。


「待ってろよ……今、戻ってやる……」


足を前に出す。

爪先に力を込めて、転びそうになるのを堪えた。


倒れる訳にはいかない。


魔法を使えなくても、剣が折れていても、体がまともに動かなくても。

なにかができるはずだ。


十四の時とは違う。

今度こそ、奪わせない。


また一歩、ルーアは足を進めた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ランワゴ、アリノリ、ジャックの率いる部隊が、攻撃された。


襲撃してきた者は、テラント・エセンツ、デリフィス・デュラム、シーパル・ヨゥロ、ユファレート・パーターのようだ。


その四人に、勝てる訳がない。

勝てるだけの戦力を揃えていなかった。

地形も良くない。


ランワゴだけが逃げ延びた。

アリノリはデリフィス・デュラムに胴体を断ち割られ、ジャックはユファレート・パーターの魔法に消し飛んだという。


アルベルト、ガンジャメに続いて、自分にそっくりな者が四人死んだ。

余り、気持ち良くはない。


ランワゴの報告に、不覚にも殺された部下たちの姿を想像してしまった。


背筋を虫が這っているような怖気を感じながら、サミーは現状の確認をした。


敵の主力である四人が、孤児院を離れている。


好機だろう。


ガイケル、ドリ、シャルルの率いる部隊は、『ヒロンの霊薬』製造工場の真下に辿り着き、そこから地上に出た。


だが、思わぬ抵抗があった。

村の自警団である。


たかが七、八十の自警団などと、侮っていた。


ロウズの村は、過去に何度も盗賊団に狙われている。


それが、自警団を強かにしたようだ。


地下からの侵攻も、想定にあったのだろう。


ガイケルたちの部隊には、兵士が三十七名いる。

総勢四十名の大部隊である。


自警団などに、なんて様だと思うが、部隊には戦闘に特化した者はいない。


もちろん、力尽くなら容易く突破できるが、それだと犠牲が出る。


リンダ・オースターとオースター孤児院には、できるだけ大勢で、それも多方面から一斉に当たりたい。


従業員たちを人質に、ガイケルたちは工場に立て篭もり、それを自警団が包囲しているという格好だった。


自分たちだけで解決できると考えているのか、自警団がどこかに応援を頼んでいる様子はない。


もっとも、応援が来るとしたら西の王都からであり、それは数日掛かる。


近隣の村人が徐々に避難しているようだが、まだ騒ぎは村中に広まっていないという状況だった。


工場から離れているオースター孤児院にも、まだ連絡はいっていないだろう。


兵士の半数ほどは、夕闇に紛れ密かに工場の包囲を脱していた。


やがて、内と外から自警団を衝けるようになる。


そうなれば、ほとんど犠牲を出すことなく制圧できるはずだ。


そして、オースター孤児院を攻める。


これは、サムとダワンダが率いる北の部隊と同時に行わなければならない。


この部隊とは、連絡がつかなかった。


ガイケルたちとは違い、『天使憑き』の二人とは、能力で意思の疎通を取ることはできないのだ。


本当は、北の部隊にはドリかシャルルを付けたかった。


だが、サムとダワンダに拒絶された。


共にクロイツの部下であるが、共同して仕事をするのは今回が初めてだった。


派閥のようなものがあり、むしろ反目するような関係である。


指揮官としての強権を発動するような気概も出せず、結局サムとダワンダに北の部隊を任せたのだった。


少なからず、齟齬が出る。

それが致命的なものにならないことを、祈るばかりだった。


サミーは、『地図』に表示されない谷間にいた。


少し離れた場所には、動きが比較的良い選抜した十三人の兵士が控えている。


余り近くにいられると、思考の妨げになる。


かといって、敵地で一人きりになる度胸はない。


最終決戦前には、サミーも十三人を率いてガイケルたちと合流する予定だった。


いつ、工場を制圧できるか。

ぐずぐずしていたら、敵の主力が戻ってくる。


『サミーよ』


いきなり、声が脳内に響いた。

ガイケルたちの声ではない。


(クロイツ? どうなさいましたか?)


クロイツには、毎日正午に状況の報告を求められる。

今は、午後六時くらいか。

こんな時間に声を掛けられるのは、初めてのことだった。


『首尾はどうだ?』


もしかしたらクロイツは、決着が近いと予想しているのかもしれない。


細かく現状の報告をする。

ただ、北の部隊の状況だけは不明だった。


『北の部隊は、サムとダワンダ、兵士一名以外は倒されたようだ』


クロイツの冷静な声。


(それは……)


壊滅的な打撃と言えた。


『ただし、リンダ・オースターとティア・オースターは重傷を負った。ガド山へと逃走したようだな。サムたちが追跡中だ』


ガド山は、ロウズの村の北部にある。


(……『地図』は、どうなったのでしょうか?)


『地図』をクロイツは求めていた。


地上を観測している空の向こうの物体に、ティア・オースターの変化を記録させる。


物体へは、『地図』から接続できる。


そのデータを解析し、停滞している『天使憑き』の実験に活用する目的があるのだ。


『……『地図』の反応は、ガド山にあるな』


しばしの間の後、クロイツの声が響いた。


やや、曖昧な言い方である。


(……そうですか)


リンダ・オースターとティア・オースターを苦しめてはいるが、サムとダワンダはまだ『地図』を奪えていないようだ。


所持するリンダ・オースターを、二人は捕らえ倒すことができるのか。


ガド山のどこかに隠している可能性も、ない訳ではない。


クロイツならば、サムとダワンダの二人と念話で意思の疎通ができるだろう。


二人が『地図』を奪取したのならば、クロイツははっきりとそう言うはずだ。


『優先順位は、わかるな?』


(はい)


『地図』の奪取。それが第一である。


ガド山に潜伏しているのならば、他の者とは合流しにくいだろう。


今のうちに『地図』を奪い、できれば二人を捕らえるなりしたいところだ。


ただ、山狩りとなれば人手がいる。


(……オースター孤児院への侵攻は、一時中断します。よろしいでしょうか?)


『……どうする?』


地形と部下たちの位置を重ね合わせ、思い浮かべる。


(ランワゴが、近くにおります。工場の外に、兵士が十七名。ランワゴに指揮を執らせ、リンダ・オースターの捜索をさせます)


『……よかろう』


小さな山だが、それでも人手がいるだろう。


本来なら、全員投入したいところだった。


あまり派手に部下を動かすと、ティア・オースターの仲間たちに悟られてしまう。


せっかく怪我人たちだけで孤立してくれているのだ。

この優位性は保つべきだ。


『必ず『地図』を奪え。そのためなら、犠牲が大きくなっても構わん』


(わかりました)


『任せるぞ、サミー』


(必ず、ご期待に応えてみせます)


クロイツとの念話が途切れる。


(……なんだ?)


ふと気がつくと、足下を凝視していた。


なにかが引っ掛かる。

クロイツとの会話に、しっくりしないものがある。


(気のせい、か……?)


反芻する。

特におかしな発言はなかった。


やはり、気のせいか。

神経質になっているのかもしれない。


無理もないか。

いよいよ大詰めなのだ。


気を取り直し、サミーはランワゴと連絡を取った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


デリフィスは、先頭を駆けた。


ロウズの村は、盆地にある。

村と王都を結ぶ道は幅広い。


ロウズの村の全景とまでは言わないが、かなり見渡せる所まで近付いていた。


ただし、黄昏時のため見通しは悪い。


村の中央、『ヒロンの霊薬』製造工場とその周辺だけ、別世界のように明るかった。


光は空までは届かず、上へと伸びる煙突は、影のように見えた。


道は、下り坂である。

シーパルが生み出した魔法の明かりを頼りに、ひた走るのみだった。


疲弊しているはずのシーパルとユファレートも、よくついてきている。


特にユファレートは、体力がある方ではない。


憔悴しきった顔をしているが、弱音は吐かなかった。


「……止まってください!」


シーパルが、鋭く声を上げる。


ユファレートは、杖を両手で握り締めて周囲を見回していた。


この二人が反応したのだから、間違いなく魔法だろう。

地面に亀裂が走る。


路面の固められた土が、錐のように尖り向かってきた。

剣で払う。


道の端に堆く積み重なった雪が、突如破裂する。

風が唸る音がした。


どこからか、魔法で攻撃されている。


シーパルが、魔法の明かりを消した。


光源を確保していては、狙い撃ちされるだけである。


体勢を低くした。


「こっちだ!」


逸早く街道脇にある林に駆け込んだテラントが、声を張り上げる。


シーパルに続いて、デリフィスも林に飛び込んだ。


背後では、ユファレートが魔力障壁で光球を受け止めていた。


木の陰に、四人で纏まる。


「おい、いきなり過ぎんぞ……! どっから撃ってやがる……」


舌打ちしながら、テラントが呻く。


デリフィスが数えられただけでも、四回は魔法が放たれた。

何人の魔法使いが相手なのか。


シーパルとユファレートは、強張った表情をしている。


「……同一の魔力でした。つまり、おそらく一人。相当の実力の魔法使いですね。もしかしたら……」


シーパルに横目で見られたユファレートが頷く。


「もしかしたら、お兄ちゃんと同じくらい……」


「ハウザードか……」


ズターエ王国のアスハレムで、戦ったことがあった。


剣の距離まで踏み込んだが、斬ることができなかった相手。


笑いそうになっていることに、デリフィスは気付いた。


「どこにいるか、わかるか?」


テラントの問いに、ユファレートが首を振る。


「かなり遠距離からってことくらいしか……」


「あれを……!」


シーパルが、村の方を指差した。

工場に、小さく火が点いている。


「敵さん侵入しやがったな……」


テラントが、また舌打ちした。


工場の近くには、軍の詰め所のような建造物があった。

自警団だろうか。

『コミュニティ』の部隊と、小競り合いでも始まっているのだろう。


見ているうちに消火されたようだが、危険だった。


工場ならば、様々な薬品があるだろう。

引火しないとも限らない。


自警団が、いつまでも『コミュニティ』を押さえられるとも思えない。


「この魔法使いは、足止めか……?」


「おそらくな」


自問するように呟いたテラントに、デリフィスは同意した。


「どうする?」


急いで村へ戻らなくてはならない。


だが、敵の魔法使いは相当の実力者らしい。


遠距離からの足止めに徹されたら、そうは身動きが取れないだろう。


シーパルとユファレートが万全の状態ならば、打開策はいくらでもあるだろうが。


破裂音が響いた。

村の方からである。

魔法が使われている。


「……よし! 村に戻ろう」


決心したように、テラントが言った。


「魔法使いは、どうする?」


シーパルとユファレートは、敵の位置を探っているのか、意識を周囲に向けている。

デリフィスが聞いた。


「俺たちが村に向かえば、足止めに魔法を使わざるをえないだろ。それで、居場所を知れるかもしれない」


「そこを、全員で叩くか」


「いや。村が危険だ。村へ向かえる者は向かう。この魔法使いの相手をするのは、見つけた奴と足止めをされた奴だな」


「……わかった」


全ての説明をされなくても、意図は理解できた。


「……危なくないですか?」


シーパルが、疑問を口にする。


「危ないが、リスクは相手にもある」


テラントは、説明を続けた。


「いいか? 足止めに徹するということは、裏を返せば、俺たち四人に揃われたら倒す自信がないということだ」


「……なるほど。僕たちがばらばらに行動すれば……」


「そう、向こうも出てくるかもしれない。こっちにとっても倒すチャンスになる。足止めを続けるか逃走されるかしても、何人かは村への救援に向かえる」


危険は、常にある。

敵に実力があるのなら、尚更だった。


ならば、相手にもリスクを負わせる。


これまでに積み重ねたものが高い者が、生き延びる。


ここで時間を浪費すれば浪費するだけ、村人やオースター孤児院の面々に犠牲が出る可能性が上がるのだ。


「よし、行くぞ……」


「待ってください、テラント」


シーパルが、眼を閉じ集中する。


「ラウラ・バリア」


淡い光が、衣のようにデリフィスたちの全身を包む。


魔法使いは魔力を探知できるらしいが、敵の魔法使いから攻撃はこなかった。


足止めが目的であり、こちらが動かない間は手を出さないつもりなのか。


魔力を探知できないほど、遠方にいるのかもしれない。


シーパルは、息をついた。

疲労の色は隠せない。


「これで、強力な魔法の直撃を喰らっても、多分一度は耐えられます」


「よし、今度こそ行くぞ……」


頷き、まずテラントが飛び出す。

シーパルやユファレートと並んで、デリフィスも林を抜け出した。


テラントは、本調子ではない。

すぐにデリフィスは先頭に出た。


全身が、淡く輝く防御魔法に包まれている。

敵が見逃す訳がないだろう。


地面から、また錐が生える。

雪から氷の柱が突き進んでくる。


デリフィスは剣で叩き砕き、立ち止まった。

テラントたちが追い抜いていく。


背後からも、大地の錐。

それも、剣で砕いた。


シーパルやユファレートは、村人のことを忘れて戦いに没頭することはできないだろう。


その点、デリフィスならば敵を斬ることだけに集中できる。


そして、ここまでつまらない相手ばかりだった。


ようやく、強敵らしい強敵が出てきたのだ。


ここで残るのは俺だろう、デリフィスはそう思った。


風を切る音に、身を躍らせた。

足下の地面がずたずたになっている。


ただ避けただけではない。

薄闇の中、眼を凝らす。


見つけた。

後方、道の脇に積み重なった残雪の陰に、人影。

迷わずデリフィスは突進した。


一度は魔法の直撃を受けても耐えられる。


だが、防御魔法に頼ることなく勝ってみせる。


これから斬る相手に、つまらない負け惜しみは言わせたくない。


敵が、動いた。

背後の森へと姿を消す。


(……逃げる?)


それにしては、落ち着いて行動しているように見えた。


戦術として、一時撤退しただけなのか。


場所を変えたいのか、罠でも張っているのか。


森へと足を踏み入れた。

木々を縫うように、獣道が続いている。


先を歩く人物。


(……女?)


まだ距離があるためはっきりしないが、体の線は女のものに思えた。


柄を握る手に、力を込める。

女だろうと子供だろうと、戦場で敵として出会った以上、斬るのみである。


遠ざかる方に、女は獣道をするすると進んでいく。


追い掛けた。

もちろん、逃がすつもりはない。


(……なんだ?)


しばらくして、違和感を覚えた。

いくら全力で駆けようとも、一向に女との距離が縮まらない。


女は、ゆったりとしたペースで歩いているように見える。


似たようなことが、以前にもあった。


あれは、ヤンリの村だったか。

逃げるズィニア・スティマを、ユファレートと共に追い掛けた時。


いつまで経っても、追い付くことはなかった。


空間を歪めでもしているのか、光を屈折させ虚像でも見せているのか。


今回も、追い付くことはないのかもしれない。


(……戻るか?)


考えたが、やめた。


女が、かなりの腕前の魔法使いであることは間違いないだろう。


それが、戦うことなく足止めや誘導らしき行動を取るのだ。

なにかがある。


更に駆け続けた。

山を一つ越えたか。


今更戻ったところで、村の戦闘は決着がついているだろう。


獣道が、やや広くなった。

そして女が唐突に立ち止まり、消えた。


道の中央に、雪に埋もれるように倒れ伏している人物。

長い赤毛。


すぐにデリフィスは追跡を中断し、木陰に身を隠した。


死んだはずの旅の連れが、あんな所で寝ている。


罠の臭いが漂う。


不用意に近付けば、どこかから魔法が飛んでくるのではないか。


見回した。

見通しは悪く、狙撃に向く地形ではない。


それでも、デリフィスは様子を窺った。


状況からして、罠だとしか思えない。

普通ならば。


『さっさと拾いたまえ』


「……」


聞こえてきた声に、デリフィスは瞑目してこめかみの辺りをほぐした。

深く溜息をつく。


そういえば、普通ではない者のことを忘れていた。


苛々としたものが込み上げてきて、デリフィスは再度溜息をついた。


「……別に、俺の遺失物ではないがな」


どこかで聞いているであろうエスに、投げ遣りな気分で言う。


『罠ではない。時間がないのだ。早く拾いたまえ』


「……」


無性になにかを斬りたくなったが、デリフィスは堪えてそれの元へ向かった。


長い赤毛。

死んで崖に転落したはずの、ルーア。


防寒着の上半身の部分は、赤く汚れている。


『意識はないが、ちゃんと生きている。連れていくといい』


ティアは一体どういう反応をするだろう、真っ先にそう思った。


「……なぜ、この傷で生きている?」


足下のルーアは、呼吸をしているようだった。


『治療をされたからだ』


「……誰に?」


『わかるだろう?』


「……さっきの、女か。何者だ、あの女は?」


『協力者だ』


「……」


これまでの出来事を思い出していく。


妄想染みたものが手足を持ち、形になっていく、そんな感じがした。


「まさか、あの女は……」


『詮索するかね? 君は、面倒なことは全てルーアに押し付けて、丸投げにしたいのだろう?』


「……」


そんなことも、言ったような気がする。


『ルーアも、彼女の正体に気付いている』


「……そうか」


ならば、やはり丸投げにしてしまうか。


デリフィスは、ルーアを背負った。


血で汚れることなど、気にならない。


どのみち、血の臭いは体に染み付いているだろう。


「協力者、と言ったな?」


『ああ』


「……なぜ、あんな真似を?」


襲撃のようなことをされた。


『君たちの誰かを、ルーアの元に誘導するため。彼女は、テラント・エセンツに正体を悟られたくないようだ。だから、敵の振りをした』


「……」


わからなくもない。

だが、回りくど過ぎるような。


「……他に、遣り様はいくらでもあっただろう」


『私も、そう思うよ』


「……」


馬鹿じゃないのか、と正直思った。


なにか特別な意図でもあるのかもしれないが。


問答が面倒になってきた。

それでも、まずこれだけは確認しなければならないだろう。

後の質問は、追い追いしていけばいい。


「……俺が、こいつを背負って、村まで連れていかなければならないのか?」


何時間掛かることか。


『他に、誰がいる?』


さも当然のことであるかのような響きが、エスの声には湛えられていた。

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