西へ
水色の男が、高笑いをしている。
自分の力に酔っているように。
それを、ティアは半ば崩れた診療所の壁にすがりつきながら見ていた。
「……うそ」
膨大な光に、ルーアが呑み込まれたように見えた。
光の通った後は、路面や壁が融解している。
水路の向こうの民家には、大穴が穿たれていた。
騒動に目覚めたのか、家から出てきた住民がちらほら見えるようになってきた。
遠くから、鐘の音が鳴り響く。
怒鳴り声も聞こえる。
距離があるためか、内容は聞き取れない。
何度も同じことが、叫ばれているようである。
水色の男に、変化があった。
高笑いをやめて、苛立った様子を見せる。
なにか呟くと、路地へと入っていった。
デリフィスを遮っていた兵士も、身を翻し退散する。
デリフィスは、追わなかった。
ルーアの安否を確かめるのが優先だと判断したのだろう、水路へと走っていった。
おかしな動悸がする。
ティアも、水路へと向かった。
うまく走れない。
なにもない所で、躓いたりする。
デリフィスは、地面を調べていた。
「……ルーアは?」
声が、震えた。
魔法の余波か、周囲の空気が弾ける音がする。
熱気で蒸し暑い。
「当たってはいない」
デリフィスは、水面に眼をやった。
「よけた。いや、滑り落ちたか? バラクは、勝利に眼が眩んで見落としたようだが」
バラクとは、水色の『悪魔憑き』のことか。
「無事なの?」
「当たってはいない」
水路。流れは早かった。
負傷したルーアでは、無事だとは断言できない。
「捜してくる」
手の埃を払って、デリフィスは言った。
「あたしも……」
無言で、診療所を指される。
「……わかったわよ」
水路は、西へと延びていた。
赤く鈍い輝きを放つ、『塔』が見える。
「……ちょうどいい」
『塔』に、ダリアンはいる。
デリフィスは呟き、水路沿いを走っていった。
鐘と大声は、今だに鳴り響いている。
騎馬が駆けているのか、馬蹄の響きも聞こえる。
辺りが、騒然としてきた。
叫ぶ内容が、ようやく聞き取れるようになってきた。
「『ヴァトムの塔』に、誤作動の恐れあり! 住民のみなさんは、直ちに街の外へと避難してください! 繰り返します……」
ヴァトムの軍隊だろう。
騎馬の一団が、通りを走っている。
分かれ道の度に、二騎が集団を離れてその道を進む。
二人一組なのだろう。
診療所の方へも、二騎が向かってきた。
一人は鐘を鳴らし、一人は拡声器を口に当てて、警告を叫んでいる。
診療所の前で、馬を止めた。
それも仕方ない。
診療所の壁は崩れ、道には『コミュニティ』の兵士の死体がいくつも転がっているのだ。
外に出たユファレートに、なにか問い掛けている。
詰問しているようにも見えた。
ティアは、慌てて診療所へと戻った。
ユファレートは、魔法に関係することはとんでもなく饒舌だが、それ以外には、ぼんやりとしたところがある。
うまい応対ができないかもしれない。
「よく聞こえないですね。なにがあったのか、説明して欲しいだけなのですが」
騎馬兵の物言いは丁寧だったが、口調は威圧的だった。
馬から降りることもしない。
「ここで、謎の集団が争いを始めましてね」
魔法医のワッツだった。
診療所から出て、ティアとユファレートの肩に手を置く。
「通りすがりの彼女たちが、私たちを庇ってくれました。おかげで、私たち夫婦は無傷です」
領主リトイ・ハーリペットは、『コミュニティ』のメンバー。
だから、軍や警察と関わることも危険。
そこまで説明はしてはいないのだが、ユファレートの態度で察してくれたのかもしれない。
騒動の当事者として連行されるのは、まずい。
事態は切迫しているのだ。
いつの間にか、診察室の仕切りのカーテンは閉ざされて、宿屋の親子は隠されていた。
カーテンの前には、ワッツ夫人が無表情で立っている。
宿の女主人の腹部の創傷を見られたら、また面倒な質問をされるところだった。
「これは、ワッツ殿」
騎馬兵が、馬を降りる。
ワッツのことを、知っているようだ。
腕の良い魔法医であるから、兵士の治療をすることでもあるのだろう。
「聞こえたと思いますが、街は今、大変危険な状況にあります。直ちに避難なさってください」
「そうしたいのは山々ですが、なにしろここは診療所。入院患者もいます。彼らを置いて、避難するわけにもいきません」
「それはわかりますが」
「馬車を一台用意してもらえますと、とても助かります」
「なるほど。では、そのように手配致しましょう」
兵士たちは、馬に飛び乗って立ち去っていった。
その姿が見えなくなってから、ティアは頭を下げた。
「助かりました」
「なに、君らは『塔』の発動を止めようとしてくれているのだろう? 色々事情があるようだが、詮索もしないよ」
地面に転がる、『コミュニティ』の兵士へと眼を向けた。
「私は医者だから、人間の体をよく知っているつもりだ。彼らが普通ではないのは、見ればわかる。事情を知るのは、とても危険だろう?」
笑いながら、言う。
「以前会った時も、今も、君たちはとても悪人には見えないからね」
ティアは、もう一度頭を下げた。
「着替えを」
ワッツ夫人が、頷く。
宿の女主人の服は、血が付着していた。
兵士たちに見られたら、また不審がられるだろう。
ワッツ夫人とユファレートと協力して、寝巻きを着せた。
やがて、馬車を準備した兵士たちが戻ってきた。
「全員は乗れないね」
馬車の荷台を覗いて、ワッツが言った。
「行きなさい。私は残ろう」
「……ワッツさん?」
「患者の家を回ってくる。みなの避難を確認したら、私もすぐ行くよ」
「危険すぎます!」
「私は、医者だ。そのことを、誇りに思っている。だから、医者として誇りに思える行動を取りたい。患者がまだいるのに、避難はできない」
ワッツ夫人は、夫の顔を見つめている。
その頬を、ワッツは撫でた。
「御婦人の治療は、まだ完全に終わっていない。頼むよ」
「……はい、あなたも気をつけて」
ワッツ夫人が止めないのだ。
ティアには、これ以上口出しすることはできなかった。
ワッツ夫人と兵士が協力して、馬車の荷台に宿の女主人を運んだ。
ユファレートが、女の子を抱き上げて乗り込む。
最後に乗ろうとしたティアに、ワッツが耳元で囁いた。
「すぐに、仕切りのカーテンを閉めればいい」
馬車を走らせる兵士たちが、邪魔だとは思っていた。
先程、疑われたばかりである。
『コミュニティ』と繋がりがある可能性だってあった。
当然、その視線は気になる。
「カーテン閉じたら、余計怪しまれないですか?」
「最初は、何度か覗かれるかもね。そうしたら、咎めるような視線を向ければいい。それで、男は見づらくなるものだよ。君たちは、全員女性だからね」
そして、ワッツは悪戯っぽく笑った。
馬車が、走り出した。
ワッツだけを残して。
西地区である。
街の西門へと、馬車は向かった。
そして、西門を出てしばらくしたら、『塔』へと着くはずだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
『ヴァトムの塔』。
おかしな所だった。
ダリアンは、『塔』の屋上にいた。
下から見上げるた時は、天まで届いているのではないかと思えたが、実際には雲までも届いていない。
四百メートルくらいの高さだろう。
屋上は、学校のグラウンドほどの広さがある。
壁も柵もない。
それなのに、なぜか無風だった。
なにか、不思議な力で守られているのだろうか。
『塔』全体の材質も、訳のわからない物だった。
大理石のような白さ。
それに、赤い線が無数に張り付いている。
だから、遠目だと『塔』は深紅に見えるのだ。
赤い線は、血管のように脈打っている。
『塔』にいると、その鼓動のために、巨大な生物の体内にでもいる気分になった。
『塔』の中に、階段はなかった。
横開きの扉で遮られた小部屋がある。
扉は自動で開き、小部屋に入ると、振動と共に体に軽い負荷がかかった。
そして、しばらくしたら、また扉は自動で開き、屋上へと出ることになる。
(旧人類の、失われた技術、か……)
不思議というよりも、気味が悪いという印象をダリアンは持った。
原理がわかる物が、なに一つとしてない。
きっと人間は、理解できないものに恐怖を抱くのだろう。
屋上のほぼ中央に、『塔』の中枢というべき存在があった。
ランスのような形状の物体がある。
ただし、ランスにしては巨大すぎる。
もし、家ほどの大きさの人間がいるのならば、ランスとして使えるのかもしれない。
そのランスの先から、『塔』の力は放たれるらしい。
ヴァトムの街の中央へと向いていた。
ランスの下には、箱状の物があった。
箱には、楽器の鍵盤のように、四角の形の物が無数に並んでいる。
それを押すと、ランスを起動できるらしい。
起動の方法を、『コミュニティ』は解析していた。
恐ろしい組織だと、つくづく思う。
ランスの下の箱の前に、男がいた。
死神から与えられた、部下の一人である。
レオン、と自己紹介された。
『悪魔憑き』らしい。
外見上は、普通の人間と全く変わらない。
ランスの起動方法は、この男が知っている。
死神から与えられた部下は、あと二人いた。
一人は『悪魔憑き』。
バラクという名前の、全身が水でできているような男だった。
もう一人は、普通の人間の魔法使いだった。
パウロという名前である。
ただの人間の魔法使いのはずだが、『悪魔憑き』よりも危険な気配を感じた。
実際のところは、わからない。
ダリアンは魔法使いではないのだ。
魔力が感知できないので、彼らの実力を正確に読み取ることはできない。
だが三人とも、一癖も二癖もあるのは間違いない。
小部屋の扉が開く。
水色の体をした男が、屋上に出てきた。
『悪魔憑き』のバラクである。
自分の力に、自信を持った男だった。
そして、好戦的である。
ルーアを仕留めるために真っ先に『塔』を出たのは、バラクだった。
「ルーアを、殺したぞ」
聞き取りにくい声で、そう言った。
「そうか」
なぜか、戸惑うような気分にダリアンはなった。
レオンの視線を感じる。
ダリアンが命令を出せば、『塔』が起動される。
何十万という人間が、消滅するのだ。
「どうした? ルーアは殺した。『塔』を起動させないのか?」
ルーアが死んだら、『塔』を起動させる。
そういうルールだった。
「……遺体は?」
「吹っ飛んじまったよ」
「絶対殺したと、言い切れるか?」
バラクが、眼を細めた。
「……なんだ? あんたまさか、びびってんのか?」
「……そうではない。俺は、ゲームの主催者だからな。ルール違反を犯したくはないだけだ。死体を確認してから、『塔』を発動させる」
バラクが、あからさまに舌打ちをした。
「バラク」
レオンが咎める。
「どの道、正午までには『塔』を起動させるのだ」
「わかってるよ。仕方ない。水路でも浚って、死体を捜してくるか。レオン」
「なんだ?」
「俺が街にいるのに、誤作動されては堪らん。お前も来い」
レオンは、溜息をついた。
やれやれ、という風に立ち上がる。
「あー、そうだ」
バラクが、小部屋の扉の前で振り返った。
「警官や軍人がうろうろし始めているが、事を起こしたらまずいんだよな?」
「そうだな」
警察と軍隊は、リトイに繋がる。
こちらから、手出しはしない。
リトイから、手を出させる。
それで、正当防衛が成り立つ。
リトイを殺す理由ができるというものだ。
「びびってる……か」
『塔』の屋上で一人残され、ダリアンは呟いた。
あるいは、本当に怖じけづいたのかもしれない。
気持ちが揺らいだのは、事実だ。
自分が決断したら、大勢の人間が死ぬ。
迷いも出るというものだ。
必要ならば、どんな非人道的なこともできる自信が、ダリアンにはあった。
それでも、迷いは生ずる。
まだ、人間らしい部分が残っているということか。
必ず、『塔』は発動させる。
それが、世界の裏側の最大の組織、『コミュニティ』でのし上がる近道となるはずだ。
組織のトップの一人、死神からの、直々の指令なのである。
必ず、必ず『塔』は発動させる。
あとは、決心を固めるまでだ。
焦る必要はない。
正午までに、固めればいい。
ダリアンは、自分にそう言い聞かせた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「こりゃ、どうなったかな……」
テラントは呟いた。
戦闘があった。それはわかる。
いくつも、『コミュニティ』の兵士の死体が転がっているのだ。
見覚えのある、剣で斬られた跡。
焼け焦げた死体も、いくつかある。
壁が半壊した建物。
『ワッツ診療所』と看板には書かれている。
この場所を見つけるのは、そう難しいことではなかった。
街の外へと避難中の住人を掴まえて尋ねたら、すぐに返答があったのだ。
どうやら、ワッツはかなり優秀な魔法医らしく、街ではちょっとした有名人のようだ。
(戦闘があった。それはいい。問題は、だ……)
デリフィスたちの姿がない。
戦闘に、勝ったとしたら。
次の襲撃を警戒して、場所を移した。
もしくは、敵がいるという、『塔』に向かった。
あまり考えたくはないが、負けたのだとしたら。
最悪なのは、すでに全員が殺されていること。
(やっぱ、『塔』かな)
捜すとしたら、そっちの方向だろう。
それに、『塔』にいるダリアンという男を倒せば、勝ちと言われた。
敵の言葉を、鵜呑みにしたわけではないが。
「……君は?」
声を掛けられて、テラントは顔を上げた。
松葉杖を付いた男と、それを支える白衣を着た中年の男がいる。
声をかけてきたのは、白衣の男の方だった。
医者のように、見える。
「あなたが、ワッツさんですか? 魔法医の」
「そうだが、君は何者だい? 見たところ、病気や怪我をしている様子はないようだが」
警戒されている。
ここで戦闘があったのだろうから、仕方ないことか。
「俺は、テラントってもんです。旅の連れが、ここにいると聞いて、やってきました」
「……テラント? テラント・エセンツかい? ラグマ王国の」
「……そうです」
少し、嫌な予感がした。
ラグマ王国とホルン王国の関係は、良好とは言えない。
だが、ここで嘘をつくのも不自然だった。
「いや、驚いた。ラグマ王国の若き常勝将軍と、こんな所で会うとは」
懐かしい呼び方をされて、テラントは苦笑いをした。
「私のことをご存知なのですね。ですが、警戒はなさらないでください。今の私は将軍はおろか、軍人ですらありません。ただの一介の旅人です」
将軍、と呼ばれ、テラントは自然と丁寧な話し方になった。
「知っているよ。君のことは、気にかけていた。いや、正確には、君に嫁いだマリィのことを」
「妻のことを」
「ああ、知っているよ。彼女も私も、以前は『放浪する医師団』に所属していた」
「そうでしたか……」
『放浪する医師団』とは、国境を越えて世界各地で医療活動を行っている非営利団体だった。
「マリィほどの魔法医を、私はまだ見たことがない。そして、彼女は美しかった。外見もそうだが、なによりもその魂が」
そうだ。それに、テラントは惹かれたのだった。
「彼女には、国境も人種も、貧富の差も関係なかったな。傷ついた者のために、日夜奔走し、時には魔力を使い果たし、気を失うまで傷を癒して回っていた。医師としてのあるべき姿を、彼女は体現していた」
ワッツは、懐かしそうに眼を細めた。
「医師も患者も、男共はみんな彼女に惚れていたよ。ああ、これは女房には内緒にしておいて欲しい」
そして、笑った。
「彼女が嫁いだ相手として、君のことを知ったのだよ、エセンツ将軍」
「妻は……」
「ああ、そうだったね……。まったく、なぜ彼女のような人が……」
「私は、妻を殺した男を追っています」
「……仇打ちのためかい?」
「あれは、平和を愛し、争いを嫌う女でした。だから、仇討ちなど望まないでしょう。全て、私の自己満足のため。……恥ずかしい話です」
マリィのことを思い出すのは、簡単だった。
眼を、閉じればいい。
だが、あの日から。
瞼の裏に映る彼女の姿は、血に染まった。
思い出は、汚されてしまった。
「……今は、連れのことが心配です。デリフィスという男が、ここにきませんでしたか?」
「その名前の剣士さんなら、負傷した赤毛の……ルーアとかいう名前だったかな、少年を連れてきたよ。それに、少女も」
どうやら、間違いなさそうだ。
デリフィスたちは、この診療所を訪れている。
シーパルと顔見知りらしいあの魔法使いは、嘘を言ってはいなかった。
敵にも拘わらず、情報を提供した理由は不明だが。
「彼らは、今どこに?」
ワッツは、水路を指した。
「赤毛の少年は、戦闘中に水路へと落ちて流されてしまったようだ。剣士さんは、それを追っていったよ」
水路は、西へ続くようだ。
『塔』が見える。
「ティアとユファレートだったかな? 少女二人は、患者さんを連れて街の外へ避難しているところだろう」
ユファレートもいたのか。
なにか理由があってのことだろうが。
避難というのは、『塔』が誤作動を起こす可能性があるからか。
ここへ来る途中にも、軍隊や警官がその内容のことを警告して回っているのを、テラントは見ていた。
誤作動というのが、引っ掛かった。
『塔』にいるダリアンという者を倒せば勝ち。
その言葉が思い出される。
「避難というと、西門の方でしょうか?」
距離を考えると、そうなる。
「そうだね」
ワッツが頷く。
全員が、西へ向かっていた。
ならば、テラントが次にどうするべきかは決まっている。
「わかりました。私も、西へ向かってみます」
また、長距離を走ることになりそうだ。
「将軍」
走ろうとしたところで声をかけられ、テラントは肩越しに振り返った。
「マリィから、手紙が届いたことがある。君と結婚して、しばらくしてからのことだ」
「手紙、ですか」
「幸せだと、書いてあったよ」
「……」
テラントは、眼を伏せた。
「君は、自分を恥じるようなことを言っていたが、私が君の立場ならば、私は攻撃的な魔法を習うことだろう。もし、妻が殺されているところを見たのならば、メスを凶器に変えるだろう。だから、君を恥ずかしい男とは思わない。同じ男としてね」
ゆっくりと、丁寧に言い聞かせるような話し方だった。
テラントは、一礼してワッツに背を向けた。
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