たとえ剣が折れていても

温かい力が、流れ込んでいる。


それが、体に染み渡っていく。


ルーアは、薄く眼を開いた。


ティアとユファレートが、顔を並べてルーアを覗き込んでいた。


ティアが、生気が抜けたような表情をして、パイプ椅子に腰を降ろす。


「……良かった……眼ぇ覚ました……」


ぽつぽつと呟いている。


(……どこだ、ここ?)


清潔感のある、壁や天井、ベッドである。


医療器具が眼についた。


消毒液の臭いもする。


病室なのだろうか。


なぜ、こんな所で眠っていたのか。


服が破られ、左腕が剥き出しになっていた。


耐刃繊維でできたジャケットを切るのは、かなりの重労働だっただろう。


ユファレートが、左腕に治療の魔法を使っている。


(……なにがあった?)


白濁した意識の中、ルーアは上半身を起こした。


「まだ、動いちゃ……!」


ユファレートが止めるが、もう遅い。


左腕から激痛が響き、ルーアは声を上げた。


「おとなしく横になっていなさい、少年」


髪を短く刈り込んだ中年の男が、そう言った。


医師なのだろう、白衣を着ている。


「骨は大体修復させたが、筋肉は断裂したままだからね」


医師は、同じく白衣を着た女と、別の寝台を挟んで立っていた。


寝台にぐったりと横たわっているのは、小肥りした中年の女である。


衣服の腹の辺りが、赤く汚れていた。


意識はないようだ。


どこかで見たことがある女性だった。


「ユファレート、俺よりも、あっちを手伝って……」


出血の位置からして、命に関わるのではないか。


「こちらのご婦人の治療は、もう終わるところだ」


男の医師が、手を拭いながら言った。


「安静にしていれば、もう大丈夫」


ユファレートが、安堵の表情を見せる。


「次は、君の番だ」


医師たちが、ユファレートと共にルーアの腕に触れ、癒しの力を送り込んでくる。


魔法医として、かなりの腕前なのだろう。


二人とも、ユファレートと比較しても遜色ない。


「君の左腕だけど、まあ酷い状態だよ」


男の医師が、口を開いた。


女の医師の方は、静かに魔法を発動させ続けている。


あまり特徴のない、おとなしい印象の女である。


「左腕のあらゆる骨は折れ、筋肉は断裂している。発狂してもおかしくないほどの、痛みだったはずだ」


「……痛いのには、慣れているので」


ティアが、額の汗を拭ってくれる。


「……お前も怪我してるな」


頬に擦り剥いた傷があった。


膝には、自分で処置したのか、ぞんざいに包帯が巻かれている。


血が滲んでいた。


「あんたは、人の心配してる場合じゃないでしょ」


その通りだった。


ルーアは首だけを動かして、部屋を観察した。


デリフィスが、壁に背を預け腕組みしている。


窓から外を見張っているようだ。


ルーアの位置からでは、街灯の明かりしか見えなかった。


もう一人。


ソファーで横になって眠っている女の子がいた。


掛けられた毛布が、規則正しく上下していることから、負傷しているわけではなさそうだ。


顔には、涙の跡が残っていた。


泊まっている宿屋で見た女の子だった。


思い出す。


寝台で横たわっている女性は、宿の女主人か。


なぜ負傷しているのかは、わからないが。


病室ではなさそうだ。


生活感がある。


診療所の診察室というところか。


何があったのか、ようやく思い出した。


ソフィアに、負けたのだ。


そして、戦闘で負った傷の治療中に、意識を失った。


「ここは……?」


「あたしたちが泊まってた宿の近くの、診療所よ。宿に戻っても誰もいないし……良かった、ここの場所覚えてて」


「オースター、お前……」


心臓が鼓動する度に、痛みが脳を刺激する。


それにルーアは苛立った。


「俺をここに連れてきて、ここの人たちが危険だとは思わなかったか?」


「それは……」


ティアが、言葉を詰まらす。


ソフィアは手を引くようなことを言っていたが、ダリアンは未だに狙っているだろう。


ルーアのことを心配してくれての行動だろうが、迂闊だと思えた。


「俺も、ここへ運ぶことを賛成した」


デリフィスが、外から眼を離さずに言った。


「事情は、ティアから聞いた。すでに、街にいるすべての住民が、危険だと言えるだろう」


「ちっ……」


確かに、デリフィスの言う通りだった。


「宿にいた人たちも、殺されていたわ。助かったのは、あの人と女の子くらい。もう、巻き込んじゃってるのよ」


ユファレートが、唇を噛んだ。


「何者かが、『ヴァトムの塔』を起動させようとしているんだってね……にわかには信じがたい話だが……」


男の医師が、頭を振った。


「今、何時だ」


ティアに聞いた。


「二時くらい」


「あと、十時間か……」


ダリアンは、正午に『塔』を発動させると言っていた。


「左腕、あと何時間で治せますか?」


「何時間なんて……どれだけ魔法の治療を受け続けても、全治に一ヶ月はかかるよ」


今回はもう、左腕は使い物にはならないのか。


不安になる。


剣と魔法を使い分けるのが、ルーアの戦闘スタイルだった。


今は利き腕を潰され、剣もない。


こんな状態で、ダリアンを倒せるのか。


嘲笑する顔が浮かぶ。


ダリアン、そしてソフィア。


(……本気で、『塔』を発動させる気なのか?)


何十万もの命が掛かっているとは、話が大きすぎる。


目的のために大きな混乱を起こすのは、ソフィアのやり口だった。


『塔』の脅威をちらつかせ、そのどさくさに紛れて、目的を達成しようとしていないか。


ルーアの実力を試したかったというようなことを言っていたが、それだけが目的ではないだろう。


それだったら、宿でティアと二人でいる時に襲撃を掛ければ、それで済む。


目的が、他にもある。


(考えても、わかりはしないか……)


思考にふける方が、腕の痛みは忘れられた。


考えるべきは、ダリアンのことか。


少しでも良識があれば、『塔』の発動などできやしない。


ダリアンは、変人、あるいは狂人のような印象を残していったが、冷静に思い返してみれば、言動はいちいち演技臭かった。


『塔』の発動は、はったりの可能性がある。


だからといって、放置はできないが。


「兵士だ」


デリフィスが、いつもの陰気な口調で言った。


「何人だ?」


「一人。すぐに引き返した」


おそらく、時間を置かず、仲間を引き連れ戻ってくるだろう。


デリフィスは剣を抜き、診療所を出ていった。


「……やるしかねえな」


ルーアは身を起こした。


それだけで、金槌で殴られたような痛みが走り、寝台の上でうずくまる。


「まだ無理です」


女の医師が、気遣ってくれる。


「……いえ、さっきよりは大分ましです。これなら、なんとか」


強がりではなかった。


少なくとも、痛みで意識が飛ぶことはなさそうだ。


さすがに、ユファレートと魔法医が三人掛りで治療しただけはある。


「代わりに戦える人がいるなら、甘えますけどね」


「すまないが、私たち夫婦は医療系の魔法しか使えない」


女の医師の肩を抱くようにして、男の医師が言った。


「あたしたちが」


ティアに、ルーアは首を振った。


ユファレートの顔色が悪い。


昨日の早朝から、ボランティアに参加して、地震の被害にあった人々を助けるため、魔法を使い続けているのだ。


相当、消耗しているだろう。


「オースター、俺をここに連れてきたのは、お前だ」


ルーアがこの診療所にいなければ、少なくとも今、医師夫婦や宿屋の親子に危険はなかった。


「……わかってるわよ。だからあたしが……」


「だから、この人たちから離れるな。お前が守れ。傷一つ負わせるなよ。俺やデリフィスに何があってもだ」


「……わかった」


医師たちをどかすようにして、ルーアは寝台を降りた。


大丈夫だ。


思ったよりも、傷に響かない。


足に力も入る。


問題なく歩くことができた。


ドアノブを回す。


「ばーか!」


後ろで、ティアが言った。


(……なんでだ)


診療所は、水路沿いにあった。


先に外にいたデリフィスが、視線を向けてくる。


「寝てろ」


「兵士だけだったら、そうする」


仮に、もし敵に魔法使いがいたら。


いくらデリフィスでも、診療所を守りながらでは、兵士と魔法使い両方の相手はできないだろう。


「来たな」


デリフィスが睨む先に、兵士たちが十五人ほどか。


そして、もう一人。


「ああ、けど。なんだありゃあ……」


単純に表現すれば、その男は水色の人間と言えた。


水色の全身タイツでも、着ているかのようである。


だが、その顔も水色だった。


間違いなく『悪魔憑き』である。


それも、全身の外見が変貌してしまうほど、重度の。


普通の人間だった頃よりも、かなり強化されているだろう。


「ルーア、デリフィス・デュラム。中にいるのは、ティア・オースター、ユファレート・パーター」


おかしな響き方をする声だった。


まるで、水が入った洗面器に、顔を突っ込んで喋っているかのような。


「俺は、ただ殺せればいい。この力を、存分に奮えればいい。だが、相棒がうるさい。殺す相手にも名乗れと。それが礼儀だと。だから名乗る。俺は、バラク」


言葉を発するたびに、体の表面が波打つ。


ほとんど水分だけで、体が構成されているのかもしれない。


「いけ!」


バラクの号令に、兵士たちが一斉に動き出した。


デリフィスが、ルーアの前に出る。


わかっている。

自分の役割。


「ライトニング・ボルト!」


電光が、兵士の一人を貫く。


ルーアは、顔を引きつらせ、息を詰まらせた。


いつもは全く気にならない、魔法を使った時に生じる反動が、左腕に響く。


デリフィスが、兵士たちが投げ付けた、数本のダガーを叩き落とした。


かわす気はないようだ。


痛がっている場合ではなかった。


デリフィスは、前に出て、足を止めて戦っているのだ。


前衛として、壁になるために。


ならば、ルーアの役割は決まっている。


後方から、魔法での狙撃、そして、バラクの魔法攻撃に対する、防御。


不用意に接近してきた兵士二人が、デリフィスの剣の一振りにより、冗談のような勢いで吹っ飛んでいく。


またダガーが投げ付けられるが、デリフィスは難無く剣で弾いた。


(……すげえな)


デリフィスの実戦を見るのは、初めてだった。


体格に恵まれている方だが、巨漢というほどではない。


剣は厚く、長大。


普通の剣の三倍の重量はありそうだ。


それを、軽々と扱っている。


並の力ならば、剣の重さに振り回されるだろう。


斬撃は、速く、強く、重い。


並外れた、膂力と体幹の強さである。


そのため、剣を振る時も戻す時も、頭部がぶれない。


視界が安定しているから、飛び道具にも正確に対応できる。


デリフィスの剣を振る迫力に、兵士たちは近付けない。


ルーアは、バラクに注意を払っていた。


兵士だけなら、デリフィスだけで充分である。


バラクの技量次第で、こちらのバランスは崩れ兼ねない。


今は動かない。


見られている。

嫌な感じが強い。


「フレア・スティング!」


炎塊が、兵士四人を呑み込む。


デリフィスやテラント級の使い手が前衛にいると、魔法使いとしては非常に戦いやすい。


存分に、魔法を使うことに専念できる。


また一人、デリフィスの剣の餌食となった。


「ああ、やはり」


バラクの呟きが、風に流れ聞こえてきた。


「こう……かな?」


水色の姿が消える。


瞬間移動。


(……どこだ!? どこに現れる!?)


悲鳴。

屋内。


(診療所の中か!)


中にいるのは、ティア、疲労したユファレート、攻撃魔法を使えない魔法医が二人、重傷の一般人に、女の子。


いずれも、『悪魔憑き』には対抗できそうにない。


「この野郎!」


かっ、と頭に血が昇る。


腕の痛みを忘れて、ルーアは診療所のドアを蹴り破った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ここヴァトムは、ホルン王国の南の主要都市である。


その中央区ともなると、広大だった。


自分一人だけで、ルーアとティアを見つけるのは無謀だと思えた。


それでも、なにもしないわけにはいかない。


手掛かりはないので、シーパルは想像で動くことにした。


目覚めたルーア。

ティアに背中を押され、地震による負傷者の治療に向かう。


少し短気なところがある彼のことだから、ちょっとした騒ぎくらいは起こすかもしれない。


街の警備にあたる軍人や警官を見つけては、話しかけた。


被災者の集う避難所を、覗いていった。


ルーアは、赤毛を長く伸ばしている。


ティアも、いくらか幼く見えるが、美少女と言っていいだろう。


二人とも、目立つはずだ。


だが、彼らを見かけたという者はいなかった。


「いないですねえ……」


避難所となっていた小学校の体育館を出て、シーパルは呟いた。


人捜しには人海戦術が有効だが、警察には頼めない。


『コミュニティ』が潜り込んでいる可能性が高いという。


警官に、『長い赤毛の少年を見ませんでしたか?』と、尋ねることまでしかできなかった。


遠くで、鐘が二回鳴り響く。


二時。


日の出までには宿に戻れと言われた。


まだ早いが、戻ってもいいかもしれない。


ルーアたちの手掛かりはなく、そしてシーパルたちは危険な状態だった。


個々で動いているのだ。


宿で一人で待っているユファレートも、かなり危険だろう。


戻ることにした。


人気がある所には、ルーアたちはいなかった。


だから帰り道は、人気がない所を選ぶことにする。


ますます危険かもしれないが、ある程度の相手なら、どうにでもできる自信がシーパルにはあった。


先程の襲撃も、簡単に撃退できたではないか。


「……」


ふと、気になった。


あの襲撃には、なんの意味があったのか。


兵士が、たった四人だった。


シーパルたちに、勝てるはずがない。


テラントもデリフィスもいたのだ。


あの襲撃がなければ、宿に急いで戻ることはなかった。


当然、宿の凄惨な事件の跡を見つけるのは、もっと遅い時間になった。


(……僕らを、誘導している?)


焦るように。


襲撃。殺人事件。所在が不明な旅の連れ。


どうしたって焦りは出る。


判断に狂いも出るだろう。


みんながバラバラになったのは、不用意すぎたかもしれない。


背後から足音がした。


反射的に振り返り、短槍を向ける。


「おっとぉ」


見慣れた短い金髪の男が、両手を上げた。


「テラント!? なんでここに……?」


「南は捨てて、こっちの応援にきた」


あっさりと、テラントは言った。


「道はあちこち寸断されているし、橋もほとんどが崩れている。とても出歩くことができる状況じゃなかったからな。いない、と予想した。それでも、一応しばらく捜してみたが」


「そうですか」


シーパルは、少しほっとしていた。


やはり、一人ではないというのは、安心感がある。


「今、どんな感じだ?」


「目撃情報はなし、ですね。ルーアなんか特に目立つと思うんですけど。あれだけ派手な頭をしていれば」


人捜しとは、こんなにも難しいものか。


シーパルはそれを実感していた。


「そう言えば、よく僕を見つけられましたね」


「ああ、緑色の変な頭をした奴を見なかったかって聞いて回ったら、まあ目撃証言が出るわ出るわ」


「……」


「んで、お前、気付いてないのか?」


「え?」


「つけられてるぞ。おびき出すために、人気がないとこに入ったんだと思ったんだけどな」


「……え」


テラントが、魔法道具を抜いた。


「やれやれ……」


テラントの視線の先、路地から、男が肩をすくめて出てくる。


「上手くいきそうだと思っていたのに、ここで俺の計画は頓挫か」


「計画?」


テラントが、聞き返す。


シーパルは、それどころではなかった。


現れた男は、知人によく似ていた。


立ち振る舞い、話し方、声。


(いえ……)


シーパルは、脳内で否定した。


男は、黒髪ではないか。


肌の色だって、シーパルの記憶とは違う。

白い肌。


「少し、強引な手段を取らせてもらう」


男は、テラントの問い掛けに答えることはなかった。


台詞を合図に、ぞろぞろと『コミュニティ』の兵士が現れる。


十五人以上はいるだろう。


(……やっぱり、違う)


彼ならば、こんな連中を率いているはずがない。


「最初に、俺たちに襲い掛かってきた兵士は、お前の差し金か?」


テラントが、魔法道具から光を伸ばす。


「そうだ」


「……宿の人たちを、殺したのも?」


「それは、また別の者だ」


兵士に囲まれていた。


男が手を上げる。


まるで、オーケストラの指揮者のように。


兵士たちが、動く。


シーパルは、テラントと背中合わせに立った。


一人を、さっそくテラントが斬り飛ばすのが伝わってくる。


「フォトン・ブレイザー!」


シーパルが放った光線が、兵士二人を貫く。


短槍を持つ手に、力を込めた。


数が多い。

そして、囲まれている。


接近を許すのは仕方なかった。


テラントが、体を独楽のように回転させて、一人を斬り裂きながら、シーパルの前に出る。


シーパル目掛けて突き出された槍の穂先と、兵士の首が同時に撥ね飛んだ。


シーパルは体を反転させて、再びテラントと背中合わせになった。


「ライトニング・ボール!」


光球が、兵士を撃つ。


楽な戦闘ではないが、いける。


兵士は、決して烏合の衆ではない。


だがテラントは、兵士三、四人を同時に相手にできる。


それも、シーパルのフォローをしながらである。


テラントと二人ならば、兵士はあしらえる。


視界に、男が腕を振り上げるのが映った。


「そんな……」


伝わる、魔力の波動。


シーパルが、よく知っている魔力。


違う。


彼のはずがない。


彼は、山の中で数百のヨゥロ族を率いているはずではないか。


こんな所で、『コミュニティ』の一員として、兵士を率いているはずがない。


男の手の先で、光が輝いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


診療所の中に、駆け込む。


部屋の隅に、ティアたちは一塊になっていた。


ユファレートは、寝ぼけた眼の女の子を抱きしめている。


魔法医二人は、気を失ったままの宿屋の女主人を抱えていた。


ティアが、少し前に出て、小剣の柄に手を掛けている。


バラクは、彼女たちには背を向けていた。


診療所に入ってきたルーアを見て、嗤う。


「しまっ……!?」


ルーアは、自身の失策に気付いた。


バラクの狙いは、人質を取ることではなく、ルーアの行動をコントロールすることか。


瞬間移動を使った直後だ。


たいした魔法は使えないはず。


ルーアの足下の床が、割れた。


風を切る音がする。


なにかが、首に巻き付いてきた。


咄嗟に、なにかと首の間に、右手を差し込む。


「がっ……!?」


万力のような力が、首を絞め上げる。


足が宙に浮いた。


壁に叩き付けられる。


「ぐっ!」


首に巻き付いているのは、水色の触手だった。


バラクの片方の足が、床に沈んで見える。


(体を自在に伸ばせるのか!?)


バラクの伸びた足が、床下を通り、床を破ってルーアの首を絞めている。


右手を差し込んでいなかったら、頸動脈を絞められ、ものの数秒で失神していただろう。


歯を喰いしばり振りほどこうとしても、びくともしない。


「動かない方がいいぞ」


バラクの言葉は、ティアたちに向けられたものだった。


「この男の首を、へし折られたくなかったらな」


(……俺がっ! 人質になってどうすんだよ!)


手首を無理矢理ねじり、壁に触れる。


口を、半開きにした。


(意識を保てよ!)


自分を叱咤して、ルーアは魔力を破裂させた。


壁が破れ、触手がちぎれる。


耳元での轟音に、ルーアは悶絶しそうになった。


口を開いていなかったら、鼓膜が破れていただろう。


受け身を取り損ね、ルーアは左腕から地に落ちた。


叫び声を上げながら、地面でもがく。


「……しぶといな」


触手がちぎれても、たいした痛痒はないらしい。


バラクが、掌を向けてきた。


デリフィスが、ルーアを蹴り飛ばし、後方へ跳んだ。


地面を転がる。


直後に、ルーアがいた場所に、穴が空いた。


デリフィスのおかげで、バラクの魔法は当たらなかったが、離ればなれになってしまった。


「押さえろ」


バラクがデリフィスを指し、短く指示を出す。


兵士たちが、デリフィスを取り囲む。


ルーアの方にも、兵士が三人向かってきた。


「ヴォルト・アクス!」


ルーアの手から伸びた電光が、兵士二人を灼き尽くす。


「ライトニング・ボール!」


バラクが、光球を投げ付けてきた。


「くっ!」


魔法の撃ち終わりを狙われた。


防御魔法を使う暇がない。


ルーアは背後に跳躍して、光球をかわした。


左腕から、激痛が全身に響き渡る。


悪化している。


治療の途中だったのに、衝撃を与えてしまったのだ。


(……やばい)


意識が、途切れそうになる。


バラクの魔法攻撃を確認することもなく、ルーアは魔力障壁を展開させた。


案の定、バラクの魔法が魔力障壁を叩いた。


簡単な魔法を使っているのだろう。


連続で、小さな衝撃が伝わってくる。


こちらに、反撃をさせない気か。


痛みに呻きながら、少しずつルーアは押されていった。


下げた足の踵に、踏み締める地面の感覚がなくなる。


背後は、水路だった。


バラクの魔法攻撃が、止んだ。


魔法を維持できず、魔力障壁が消える。


ルーアは膝をついた。


「追い込まれたな」


聞き取りにくいバラクの声には、余裕の響きがあった。


デリフィスが、剣を振り、一人二人三人と斬っていく。


こちらに向かおうとしてくれているようだが、まだ距離があった。


自分で、なんとかするしかない。


だが、足が前に出なかった。


「その状態では、逃げることもできまい」


バラクが、掌を翳す。


「遠くから、なぶってもいいが、最後だからな」


バラクが笑う。


「正面からの力比べといこうか。実力の差を痛感して、逝け」


「……あ?」


バラクの掌に、強烈な光が灯る。


(要するに、こいつ……)


ルーアは、地面を手で殴るようにして、立ち上がっていた。


「……舐め、てんじゃ……ねえぇ!」


絶叫しながら、腕を振り上げる。


光線が、闇夜を切り裂いていった。


バラクが放った光線とぶつかり合い、大気が震える。


迫って来ていた兵士が、熱で消し炭となった。


「ぐっ……!」


ルーアの足場に、亀裂が入った。


体に掛かる負荷に、右手の指が逆に反り返る。


(……押されている!?)


「……っの野郎!」


ルーアは、さらに体から魔力を引っ張り出していった。


「……!」


バラクの向こうに、診療所があることに、ルーアは気付いた。


もし押し勝ったら、診療所を破壊することにならないか。


そうなったら、中の人間は無事ですまないかもしれない。


「しまっ……」


余計なことを考えてしまった。


心の迷いに反応して、魔法の威力が削げていく。


バラクの魔法に、どうしようもないほど圧倒された。


光に包まれる。


その直前に、足下が崩れた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「なにしてんだっ!?」


兵士の一人を斬り倒しながら、テラントが叫ぶ。


それでシーパルは、我に返った。


迫る兵士の剣を、短槍の柄で搦め捕り、穂先を首に突き立てる。


男の魔法が、間もなく放たれる。


それがわかっていたので、魔法は使わなかった。


体術や武器の扱いにそこまでの自信はないが、兵士一人くらいならごまかせる。


「フォトン・ブレイザー!」


男が、魔法を放つ。


「ルーン・シールド!」


分厚い魔力障壁が、シーパルの前方に展開する。


防御魔法には自信があった。


鉄壁、といってもいい。


正面からの力押しでは、ユファレートでも突破できないはずだ。


だが。


「……くぅ!」


魔力障壁は、破られてはいない。


しかし、激しい衝撃がシーパルに伝わってきた。


後ろに転がる。


兵士が、ここぞとばかりに殺到してきた。


テラントが、シーパルと兵士たちの間に抜いた剣を投げ付ける。


それで、追撃の足が止まった。


「ライトニング・ボルト!」


棒立ちとなった兵士二人を、電撃が貫く。


「なにしてんだ!?」


先程と同じように怒鳴りながら、テラントがシーパルの前に回り、壁となった。


「……手加減は、してませんよ」


「……なんだと」


全力で防御した。


だが、吹き飛ばされた。


単純に、男の魔力はシーパルと同等か、それ以上である。


「……おもしれえ」


テラントが、唇を舐めて地を蹴った。


あっという間に、兵士三人を斬り飛ばした。


男へと迫る。


横から遮ろうとした兵士は、シーパルの光球が撃った。


「殺さないでください!」


思わず、シーパルは叫んでいた。


テラントの突進が鈍る。


男が、飛行の魔法を発動させた。


高度を変えるのは、かなり困難なはずだが、男の移動は円滑だった。


すぐに、テラントの剣が届かない高さまで浮かび上がり、家の屋根へと着地する。


「凄まじい勢いで向かってくるものだから、魔法で撃退よりも逃亡することを、つい選択してしまったよ」


男が、指を鳴らした。


残り三人となっていた兵士が、身を翻し退却する。


見下ろしてくる男の瞳。


それを見返して、シーパルは確信してしまった。


やはり、彼だ。


懐かしさと、疑問が交錯する。


なぜ、『コミュニティ』として、シーパルたちの前に現れたのだ。


男は、『塔』を指した。


「ダリアン・ローレラという男が、『ヴァトムの塔』にいる。その男を倒すことができれば、お前たちの勝ちだ」


「……なにを言ってる?」


テラントが聞いても、男は反応しなかった。


淡々と、自分の言いたいことだけを喋る。

そんな感じだった。


「お前たちの仲間は、今、ワッツという魔法医夫婦の診療所にいる。この街では割と有名だからな。誰かに聞けば、場所はわかるさ」


「なぜ、なんですか?」


今度は、シーパルが問い掛けた。


「なぜ、あなたは敵として、僕の前に現れたんですか!? なぜ、今度は、僕たちが有利となる情報を伝えるんですか!?」


「さあ、な」


男は、微笑を浮かべた。


背を向ける。


だが肩越しに振り返り、男は意味あり気な視線をシーパルに向けてきた。


しばらく、見つめ合う。


そして、男は建物の向こうへと飛び降りた。


明らかに、シーパルを誘っている。


「フライト!」


シーパルは、飛行の魔法を使用して、建物の屋根へと着地した。


「シーパル!」


「テラント、すみません。僕は、別行動を取らせてもらいます。どうしても、彼を追わないと」


「なに言ってんだ! どう考えても、罠だろうが!」


「みんなを、頼みます!」


叫ぶように言って、シーパルは男を追う方向に屋根を飛び降りた。


男は、道の先で立ち止まっていた。


やはり、誘っている。


男は再度、飛行の魔法を発動させた。


素晴らしい速さで遠ざかっていく。


シーパルも、飛行の魔法を発動させた。


男に離されまいと、速度を上げていく。


(なんで!? なんで!? なんで!?)


何度も、その単語が頭の中で繰り返される。


その黒髪は、染めたのか。


肌は、化粧でもつけているのか。


男の名前は、パウロ・ヨゥロという。


シーパルの、従兄弟である。


同い年で、幼い時から一緒だった。


シーパルが、一族を捨てたあの日まで。


ヨゥロ族現族長の実の息子にして、次の族長の、最有力候補。


それなのに、なぜ。


歯を喰いしばる。


シーパルは、さらに飛行の速度を上げた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


数分間追い掛けたところで、テラントは諦めた。


シーパルたちは、断続的に飛行の魔法を使っている。


とても、追い付けそうにない。


しかも、南へと向かっている。


足場が、悪くなってくるはずだ。


「あンの……バカたれがっ!」


テラントは、地面を蹴りつけた。


あの男は、他の連中は魔法医の診療所にいると言っていた。


魔法医の診療所。


それはつまり、誰かが負傷している可能性が高いということにならないか。


誰も負傷していないのに、そんな所に行くとは考えにくい。


無関係な者を巻き込むことになる。


(だとしたら、お前の出番だろうが、シーパル!)


ユファレートよりも、ルーアよりも、シーパルは回復魔法の扱いに長ける。


テラントができるのは、せいぜい止血くらいなものだ。


治療はできない。


(お前が行かんで、どうする!)


もう一度、地面を蹴りかけて、テラントは足を止めた。


地を踏み締める。


明らかに、シーパルの様子はおかしかった。


そして、男のことを知っているようだった。


(……なにか事情はあるんだろうが)


他の連中を、テラントに託するほどの。


「……ちっ」


テラントは、頭を強く掻いた。


「俺たちが、納得できる事情なんだろうな?」


さもなくば。


「ユファレートの、魔法講座の刑だからな!」


男は、『ヴァトムの塔』にいる、ダリアンという者を倒せとも言っていた。


とりあえず、それは放っておいていい。


まずは、みんなと合流することか。


診療所を、捜さねば。


テラントは、地面を蹴って駆け出した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ルーアは、壁に手をついた。


体を引きずるようにして、歩いていく。


水路に落ちて、流された。


追撃らしいものは、一切なかった。


魔法が直撃して、死体も残らず消滅したとでも思ったか。


放っておいても、溺れ死ぬとでも思ったか。


デリフィスに、足止めされたのかもしれない。


泳ぎは達者だった。


体を使うことは、たいてい人並み以上はできる。


もっとも、片腕が動かない状態では、ほとんど流されるがままだったが。


かなり流された所で、ようやくルーアは水路を上がることができた。


流れが緩やかになったのだ。


春になったとはいえ、深夜は冷える。


濡れ鼠では、歯の根が合わなかった。


それなのに、左腕だけはどうしようもないほど熱い。


「無様だな……」


ダリアン。ソフィア。バラク。


次々と、脳裏を顔が過ぎっていく。


嘲笑っている。


(どいつも、こいつも……舐めやがって!)


人をコケにしやがって。


ルーアは、右手を拳の形にして、壁を殴りつけた。


独りになった。


だが、それでいい。


誰も彼も、俺の足を引っ張ってばかりだ。


ティアや女の子が人質に取られていなかったら、のこのこと領主の屋敷に行くことはなかった。


街の住人の命が掛かっていなかったら、『塔』に向かうことなどなく、兵士に追い掛け回されることもなかった。


ティアがいなかったら、ソフィアに立ち向かう必要はなく、逃げの手が打てた。


バラクの背後に診療所がなければ、全力で魔法を放つことができた。


誰かを守って、背負って、なにかいいことがあるのか。


邪魔臭いんだ、どいつもこいつも。


リーザイを出た八ヶ月前から、独りだったじゃないか。


独りで戦ってきたじゃないか。


自分のことだけを考えろ。


自分の力だけを信じろ。


その結果、敗れ死ぬのならば、所詮それまでの男だということだ。


剣が折れていようと、骨が折れていようと、知ったことではなかった。


ストラームとランディが授けてくれた力を、見せ付けてやる。


熱にうなされながら、彼は進んだ。

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