幻影現る

 ひた、ひた、ひた……と、誰かの靴音がやたらうるさく響いた。

なんとか決死隊であろう聖騎士団員をすべて倒したものの、ルーカスを失った王国軍の兵士は狼狽えていた。涙を見せる者、しゃがみこみ呆然とする者、乾いた笑いを漏らす者。そのすべての兵士たちが、靴音を聞いた。何なのかわからず、恐怖で固まる兵士たちの目の前に『それ』は現れた。

ざっ、ざっ、ざっ……数十人にも及ぶ衣擦れの音が響く。軍隊のようなものが、兵士たちのいる場所へ、まるでパレードで行進するかのように歩いてきていた。


「っ……!?」

「あっ……お、お……!?ひ……!!」


 その軍の者達の顔が見える位置まで近づいて、兵士たちは恐慌状態に陥った。兵士たちのよく見知った顔。それは、前日の戦闘で死んだ同胞だったのだ。恐怖のあまり泣き叫ぶ者、逃げ出すもの、動くこともかなわずへたり込む者。兵士たちの様子を全く気にすることなく、軍は隊列を二つに割った。

 隊列の中央から、ひたひたと歩く人影。見た事のない軍服を身に纏った、顔の右側に仮面をつけた男。美しい金髪を風になびかせ歩くさまに、思わず兵士たちは見とれてしまった。

 歩みを止めた男は、戦場を眺めまわした。つい先ほどまで戦闘があり、血の匂いが濃く立ち込めるそこで、男は静かに目を閉じた。


「―――――、―――、―――」


 静かに何事かを詠唱しはじめる男。兵士たちはそれを止めなかった。いや、止めることができなかった。恐怖と畏怖が支配し、動くことはおろか、喋ることすらままならなかった。

 最初に動いたのはルーカスの死骸だった。ぴく、と指が動き、緩慢な仕草で身を起こす。その眼は虚ろなままで、明らかに命がないとわかるのに、だ。


「た、隊長!?」


 ルーカスに続いて、他の死骸たちもゆっくりと身を起こす。立ち上がり、男の隊列へと向かっていく。男はそれを、慈しみを込めた表情で見つめていた。

 兵士たちは死骸が忽然と消えた事を知らなかった。だからこそ一部始終を目撃できたと言っていい。そうでなければ皆我先に報告に向っていただろう。


「隊長!戻ってきてください!」


 かろうじて声を出すことができた兵士がルーカスに声をかけた。しかし、ルーカスは彼を一瞥することすらなく、ゆっくり歩いて隊列の中に消えていった。


「よく覚えておくが良い」


 男が詠唱以外で初めて口を開いた。凛とした声は兵士たちの注目を集めるには十分すぎるものだ。


「わが名はファントム。亡霊なり。貴君らの、すべての生者の敵となる者だ」


 高らかに宣言した男……ファントムは、ふと左手を上げた。軍勢が、一気に殺気を帯びる。殺される。兵士たちは皆一様にそう思った。思わず目を瞑り神に祈る兵士たちを見つめ、ファントムは口角を上げた。

 くるりと踵を返し、ファントムはマントを翻す。途端に一陣の強い風が吹き荒れた。それがやむ頃、兵士たちはおそるおそる目を開け周りを見て驚愕する。

 あれだけの軍勢が跡形もなく消えており、血だまりはあっても、死骸はひとつも見つからない。またファントムという謎の男の靴の跡も残っていなかった。

 一人の兵士が腰を上げた。そして慌てて駆け出していく。向かうは司令部。今起きた一部始終を、総司令官に報告するために。

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