印刷屋とユマニスト

一、印刷術

ルネッサンスには三大発明と呼ばれているものがある。火薬、羅針盤らしんばん、そして活版かっぱん印刷術だ。活版印刷はドイツ・マインツ生まれのグーテンベルクが発明した。ローマ時代から存在していたワインづくりのためのブドウ圧搾あっさく機からヒントを得て、活版印刷の機械を作ったという。十五世紀に発明された印刷機だが、絵の資料は残っているものの、機械そのものは、古くても十六世紀中期以降のものしか残っていないという。当初は本の印刷が主で、十六世紀に入ると図柄の入った印刷物が出回り、十七、十八世紀に入ると定期刊行物が発行されるようになる。そして十九世紀に入ると新聞の時代がやってくるのだ。


フランスには十五世紀後半にパリに輸入され、一四七〇年に初めてソルボンヌから本が刊行された。


リヨンにもすぐに導入され、パリで初刊が刷られた三年後の一四七三年に、リヨンでも初めて印刷物が発行された。もちろん他都市でも印刷されたが、二大都市のパリとリヨンでフランスの刊行物全体の八〇パーセントを占めたというから、リヨンでも相当な数の本が印刷された。


ただパリとリヨンでは出版物の内容に大きな違いがあった。パリでは学術書など知識人向けの書物が多く出版され、ソルボンヌの教師や学生が主な読者層だった。それに対してリヨンでは商業色が強く、あきないの都市らしい特色がよくあらわれていた。新しい客層の開発を目指して小説や歴史読み物が印刷され、豪商や説教師せっきょうし、公正証書を扱う公証人などが、これまで知らなかった読書の世界に没頭するようになった。十五世紀が終わるころ、リヨンでの刊行物は一一四〇を数え、フランス全体の三〇パーセントを占めた。


一五〇〇年代に入ると、逆転の現象が起こり、パリでは大衆向けの書物が、リヨンでは司法文書や医学書、人文主義の本が刊行されるようになったが、この二都市は互いに良きライバル関係を保ってフランスの出版物の発展に貢献した。


リヨンは商取引の町から印刷の町へと発展していくのである。そのリヨンの印刷界で大きな力を持っていたのがセバスチャン・グリフだった。ドイツのヴュルテンベルグの印刷屋の息子だった彼は、ドイツのみならずイタリアのベネチアでも印刷術を学び、一五二三年ごろリヨンにやってきたという。リヨンの印刷組合で働くためだった。

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