『神話篇』第5話 崩壊する日常
5
聖暦6663年。平和の終わりは唐突に訪れた。
これまでは、理論上にのみ存在した第一位級契約神器、七つの鍵の創造と、それらが開く世界樹へ至る門の発見によって、世界が大混乱に陥ったとき、巨人族の末裔と黒妖精族の過激武装組織が、アース神族の大統領府と重要軍事施設を急襲、七つの鍵の一つ、大神槍ガングニールを強奪した。
幸いにも生き延びた大統領は、これを最悪のテロ行為と糾弾し、国際社会の協力を訴えたが、巨人族の末裔と黒妖精族からなる実行組織は、「我々は一軍を以ってアース神族に戦いを挑んだまで。民間人を巻き込むことなく、軍のみを標的とする行為はテロに当たらない。我々、“虐げられしものたち”は、すべての国と軍に対し、ここに聖戦を開始する事を宣言する」と一蹴した。
だが、この詭弁に乗った者達がいた。アース神族と敵対関係にあるヴァン神族の大国と、野心に燃える人間族の大国が、彼らの暴挙を支持した。
本来であれば、テロ行為を容認する愚かな国家として、国際社会の評価を地の底にまで落としただろう。
しかしながら、世界最強を謳われたアース神族の軍隊も、少なからぬ被害を受けており、何より、今かの国に“第一位級契約神器ガングニール”は存在しない……。
平和とは、各国のパワーバランスが生み出す、一夜の凪ぎに過ぎない。
最強の軍事力と最大の経済力で、アース神族が秩序を維持する時代は終わった。立ち上がれ、“世界樹”の加護の元、新世界へと誘われん!
二国の声明を皮切りに、まるで張り詰めていた糸が切れるように、世界規模での大動乱が幕を開けた。
アース神族に干渉の力なしと知るや、長年対立関係にあった白妖精族と黒妖精族は、互いの“鍵”を掲げて、血で血を洗う戦火へと突入。
ヴァン神族と、人間族最大の国家は、我こそがミッドガルド、人の大陸を治める盟主なりと、ありあまる人口と武器にものを言わせて周辺諸国へと侵攻を開始した。
ミッドガルド大陸の東端で、同盟国であるアース神族に護られて、惰眠を貪っていたガートランド王国も、そのうねりにいやおうなく飲み込まれていった。
――――
―――
中西部に国境を位置する、ガートランド王国の潜在的敵国家ナラール国が、無数の大陸間弾道弾をもってガートランド王国を爆撃し、戦争は始まった。
長年の平和と専守防衛を是とする国の方針から、非常事態における法整備も、スパイ防止法の制定も行っていなかったガートランド王国は、在王国ナラール人として潜伏していた工作員達の無差別放火や無差別ガス攻撃によって、多くの国民を虐殺され、また熱核攻撃によって防衛網をズタズタに寸断されていた。
翌日、ナラール国と国境を接し、敵対関係にあった同民族国家ナロール国が、電撃的に同盟を結び、護るもののいないガートランド王国へ宣戦を布告、侵略を開始する。
が。
出港したナロール国の海軍艦隊は、たかだか4
更にその翌日、北方のナラール国が一夜にして同盟を破棄し、南方のナロール国に
ナロール国は、いったい何をやっているのか? とガートランド王国国民は呆れ果てたが、そんな余裕はすぐに消えうせた。
『ミッドガルド人民連邦国』――人間族、最大の軍事大国が、王国へと攻め寄せたのだ。
☆
ガートランド王国を熱核弾道弾が焼いた日のことを、アザードは今もなお悪夢に見る。
早朝に宿舎から叩き起こされ、為すすべもなく、大都市が次々と巨大なきのこ雲に飲み込まれてゆく報道を、血がにじむほどに拳を握り締めて、ずっとずっと見つめていた。
ナラール国による熱核攻撃の後、ガートランド王国との国境線に襲来した万余のミッドガルド人民連邦軍は、わずか数百名に満たない王国軍国境警備隊を一日で粉砕、ブレイブダガー州に侵攻を開始するや否や、わずか一日のうちに三つの都市を陥落せしめた。
連邦兵の蛮行は非道を極め、老人も幼子も関係なく戦車で踏み潰され、男は四肢を裂かれてビルに吊られ、女は暴行を受けた上で下腹部から喉まで街灯で貫かれて飾られた。
肉体を徹底的に破壊する。それが、ミッドガルド人民連邦国における虐殺と戦争の流儀であった。
ガートランド王国にとって幸いだったのは、緊急時における独自裁量権を与えられていた海軍潜水艦隊が獅子奮迅の活躍で連邦海軍を追い払ったこと。
そしてまた、当時、巨人族が制圧されていたミッドガルド人民連邦の自治州で解放運動を扇動していたがために、連邦陸軍の大部隊を鎮圧のため辺境へ派遣していたこと。
また、確たる戦略や方針もなく、四方八方の国々に攻め入ったが為に、東の王国側には航空駆逐艦をはじめとする航空戦力をほとんど投入できなかったことだろう。
だが、王国の動きは連邦以上に遅かった。
突然の核攻撃から七日、連邦の侵攻から二日が経ち、すでに百万人単位ではきかない死傷者を出しながら、なお軍による組織的反攻に踏み切れずにいたのだ。
国政に携わる貴族達の中には、『我々は専守防衛の精神に乗っ取り、全面降伏することで、以後は連邦の自治州として、ひとつのミッドガルドの成立に力を注ぐべき』などという、すでに専守防衛でもなんでもない事大主義じみた暴論を説く輩まで飛び出す始末だった。
このように王国行政府が大混乱に陥っていた頃、王都パーリヴァスの、魔術士官学校、国立アーク学院の生徒エレキウス・ストレンジャーは、学園長にブレイブダガー州の州都、スカイナイブズの救援に生徒達の派遣を談判し、当たり前のように却下された。
銀髪と銀の眉を逆立てて論じる生徒会長に、白く豊かな髭を生やした学院長は重く淀んだ瞳を向けた。
「わが学院は魔術士官を育てているが、軍人を育てているわけではない」
「ですが非常時です。スカイナイブズには空港がある。もしもかの都市が押さえられたら、その時点で王国全土が爆撃の対象となる。我が国は滅びます」
「自らを守ろうともしない国なぞ、滅びれば善いのだ」
「なんということを……」
この時、エレキウスは知らなかった。
学院長は、否、学院長だけではない。
あらゆる教育、軍事、経済の代表者達が国にかけあい、防衛策を訴えたが、行政府は受け付けなかったのだ。
ミッドガルド人民連邦による王国掌握の戦略は、すでに行政府深くにまで浸透していた。
せめて、アース神族や白妖精族のように、選挙による立法府が存在すれば、ここまで酷い事態にはならなかったかもしれない。
国民が警鐘を鳴らし、政府もその意見を少なからず汲む事ができたかもしれない。
が、残念ながらこの世界の人間族の国には、選挙制度はなかった。
もっとも、王国の場合、あっても同じだったかもしれない。
ミッドガルド人民連邦の運営する通信社から莫大な資金提供を受けた自称進歩派の新聞社をはじめ、映像、電波、各媒体は無条件降伏を一斉に説き、わずかなメディアが細々と抵抗していたのが現実だ。
たとえば、全国レベルで情報を共有化し、海外を含む記事やマスコミを検証する手段があれば、結果は全く異なるものとなっていたかもしれないが、なかったのだからどうしようもない。
かくて、王国の命運は尽きようとしていた。
「すまない。俺には学院長を説得することができなかった」
生徒会室で頭を下げた銀髪の少年を、集まった数十名の有志代表は労った。
最初から、覚悟はしていた。
ここに集ったのは州都スカイナイブズに実家のある生徒や、ブレイブダガー州に親類のいる生徒。
たとえ学校の方針に逆らっても、州都スカイナイブズ数十万の命と、ブレイブダガー州数百万の命を見捨てられなかった者達だ。
恐怖はあった。
今にも貧血で倒れそうだったし、小便をちびりそうだった。
それでも、彼らは行くと決めた。
魔術師には、命を救う『力』があるのだから。
有志達は解散し出立の準備へと向かった時、アザードはエレキウスを呼び止めた。
「エレキウス。君は来ちゃ駄目だ」
「アザード。何を言ってるんだ? 俺も皆と一緒に戦うぞ」
「ううん。駄目だよ。君には、やることがあるはずだ」
アザードの青い瞳に射抜かれて、エレキウスは目を逸らした。
「軍人じゃなくても、僕達がやろうとしていることは、明らかに法の統治から離れたものだ。国が交戦を決めなければ、組織的な反抗作戦は不可能だ。レジスタンスなんてやってちゃ、被害がどれほど増えるか想像もつかない」
「しかし、それは、俺達にはどうしようもないことだ」
「僕たちには、ね。でも、君は違う。そうだろう。エレキウス・ガートランド?」
アザードの言葉に、エレキウスは俯いた。銀の前髪が、青灰色の瞳を隠す。
「俺は貴族になどなりたくなかった。お前達と一緒に、魔術師を目指したかった」
「目指すところは、きっと一緒だよ」
「違う。違うんだ」
震えるエレキウスの掌を、アザードは力強く握り締めた。
あるいは、これが今生の別れになるかもしれない。
「お願いだ。王家と、この国を護ってくれ」
二人はすれ違う。
残るものと、行くもの。
離れ行くアザードとの距離を埋めようとでもするかのように、エレキウスは叫んだ。
「アザードっ。俺は必ずお前との約束を護ろう。だから、あと三日。三日だけミッドガルド人民連邦を、侵略者たちを食い止めてくれ。そうすれば、必ず援軍をスカイナイブズに送る。頼む、生き残ってくれ!」
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