光陰

 

 ノイズパターンが変化する。耳馴染みのあるその砂嵐は、ラジオの放送が始まる合図だった。


「先日、この間の投稿コーナーで名前の挙がった東校の終活部に密着取材に行ってきたよ」


 実声よりも篭っているが、それでも透き通った雨音さんの声が部室に行き渡る。


「放送部の皆から猛反対されたから独断で実行したんだけど、その価値はあったと思います」


 だから一人だったのかと納得する。「私は知っていた」と得意気にアピールする秋穂さんが子供っぽくて微笑ましい。


「そういうわけで、今日は東校終活部の特集です」


 ただ遊んでいただけのように思うんだけど、ちゃんと番組として成り立つのだろうか。そんな懸念をふわふわと頭の中に漂わせながら聞いていると。


「日本都市東地区を彷徨っていた私は、人懐こい動物たちが安穏と暮らす場所を見つけました。その毛並みは多少乱れているものの整っていて、人の手が加わっていることは見て明らかです」


 不穏な単語を聞き取る。もしかしてこれは、駄菓子屋の事を言っているのか。


「実は無計画な突撃取材に一抹の不安を抱いていた私。そんな私を歓迎してくれるように寄ってきてくれるわんちゃんねこちゃんに心癒されていると、一際体躯の大きい子に飛びつかれて私は倒されてしまいました」


 間違いない。あの場面だ。


「顔中をぺろぺろと舐められて、懐いてくれる事を嬉しく思いながらも、身動きが取れない状態に途方に暮れていると、第一村人を発見!」


 トトが食べ物をたかっているレオの頭を乱暴に撫でまわして「羨ましいやつだなっ、このっ」と戯れる。尻尾を振って喜びを表現するレオは、このラジオの声の主が自分が顔中を舐めまわした相手であることすら解ってない。


「何とこの人は、この間の取材するきっかけとなった投稿に書かれていた『人生に意味を付けたい』と言っていた人だったの。凄い偶然だよね?」


 俺もそう思ったよ。遠出の覚悟だけじゃなくて、拉致してまで連れてこようとしてた相手が馴染み深い場所に居たんだからな。


「駄菓子屋の住人達は彼……M君に気づくと私なんてそっちのけで、駆け寄っていきます。話を聞くと、M君はその場所で飼い主を失った動物達の世話をしているんだそうで」


 部室の連中が十人十色の感情を乗せた視線を向けてくる。居心地が悪い。


「動物達の懐きようが、M君の言葉に偽りがないことを証明してました。良い人、それが私が彼に抱いた第一印象かな」


 トトが俺の頭を乱暴に撫で回そうとしてきたから、こっちが頭を押さえ付けて机に沈めてやった。


「私の目的を話すと、M君は自ら案内を買って出てくれたの。終活部の活動拠点である部室に向かうその途中で、駄菓子屋で動物達の世話をするに至った経緯を話してくれました」


 一応取材という名目だったから、後で聞いて恥ずかしくなる台詞を吐かないように気を付けた。


「『人の手の中で育ってきた生き物は、自然界では生きられない』……それを知っていて、見ぬふりをするのは寝覚めが悪かったからと言っていました」


 気を付けたんだけど、他のところで注意を怠ったんだよなぁ。


「真意は別にあるんだろうなぁと思いながら、私は感心ばかりしていました。ところが、駄菓子屋の内部は鳥の居住空間になってるって話になった時にね、やらかしちゃったんだ……」


『ただ生きてる事がこいつらの幸せなのかな』


 そんな心の内を、俺が吐露してしまった。


「『ただ生きてるだけでは無意味』だと言うM君に、私は『生きてるだけでも価値があるよ』って真っ向から対立しちゃったの」


 籠の中の鳥。空を自由に羽撃く権利を失う代わりに約束された命の猶予。只の牢獄なんじゃないか。命を失うと解っていても、飛びたいと願っているんじゃないか。


『生きてないと何も出来ないよ。飛びたいと思う事も、夢を描くことも』


『生きていても、籠の中だ。命を消費し尽くすまで、ずっと。そんな事に意味があるとは思えない』


 もうそこからは泥沼の平行線。学校に到着する頃には、あんな感じだった。


 秋穂さんや月日さんはくすくすと笑い、トトがざまぁみろと笑っていた。別に、どうでもいいし。


「一気に関係が悪化した私達。でも、憎めない人だったよ。一気に心の距離感が開いたのに、ちゃんと気を使ってくれたのもあるから」


 そして、場面は終活部の面々との初対面に移る。


「彼に案内して貰った終活部の部室では3人の部員が談笑してたんだ。和気藹々って言葉がぴったりかな? 終活部って名前から、もっと深刻に消滅ロストに備えた準備をしてるのかと思ってたのに、想像からかけ離れた光景だったよ」


 秋穂さんの願望が誰かと時間を共有することで、ふくちゃんは食べること、トトは綺麗な女性と過ごすことが現状の目的なんだから、端から見たら遊んでるだけにしか見えなかっただろう。


「私の突然の取材依頼を嫌な顔一つせず快く受け入れて貰った所で、早速話を聞きました」


 人物紹介を終えて、活動内容は漠然、創部にまつわるエピソードに入る。


「部長である女性は、翌々日……つまり今日この日が人生の最後の日だという話を聞いた時は流石に疑ったよ。けど、それは紛うことなき真実でした。なのに、この部室のこの雰囲気は何なのか、彼女の過去について言及すると、その理由が薄っすらとだけど見えてきたんだ」


 ここで秋穂さんの過去話が挿入される。混迷の時代に突入する前から、ただ生きるだけの生活だったことや、孤独だったこと。久しぶりに対面した外の世界に受けた衝撃の大きさや、その後の葛藤を、短く丁寧に纏めてから、こう結んだ。


「この平和な日常の一幕こそが、彼女が望んだ日々なんだって」


 それから、俺達の知らない秋穂さんの部屋に一泊した時の話を経て、祁答院秋穂という女性が『特別』ではない事が語られた。そして。


「私も見送りたいって言ったら、彼女は『最後の日にこそ君の声をラジオで聞きたいんだ』って即断されちゃった」


 なんとも秋穂さんらしい欲張り方だ。


「狡いと思うけど、この場を借りて、きっと、今もこの放送を聞いてくれているであろう君だけに歌うよ――」


 しっとりとしたピアノの旋律が徐々に大きくなる。歌うのか、そうか。え?


「――クロの憧憬」


~ ~ ~


-クロの憧憬-

作詞曲:雨音九葉

 

足跡を振り返り 記憶の中を歩く

いつか 見たその景色に会いたくて

このクロの世界に投影する


灯りを灯して 昏いこの場所から

抜け出したくて 手を伸ばす


もし私の 全てがクロに溶けても

それでも 願いは残るのだろう

いつか光が 心を照らしたなら

また私は 前を向けるかな




笑ったこと 泣いたことも全部

いつか あった昨日の日々は

等しく愛しく 幸せだった


昔の話 みたいに呟いて

俯く理由 探してる


怖くて 逃げ出したその先で

何度も 間違って悔いたけれど

もし私が クロに飲まれてしまっても

歩き出せるよ あとすこし

ひかりを かき集めて




もし私の 全てがクロに溶けても

在りし日は 変わらぬままいつかにある

もし私が クロに飲まれてしまっても

いつか願いが ココロを照らすから

何度でも 何度でも

私は 歩いていく




果てない暗闇を越えて 光の差す場所へ




~ ~ ~


 静かな呼吸音。それから、吐息のようで、けれども明瞭とした儚い声色が俺の意識から雑音を拭い去って否応なしに引きつけた。


 音が鳴り止むと静寂が漂う。余韻がほうっと溜息を出させた。


「なんだよ、普通にこういう曲もあるのかよ……」


 音楽の造詣は浅い俺だけど、○シバとの対比で、感動すら覚えている。


「まるシバが異端なだけで、普段の九葉ちゃんはこの路線なんだぜ」


「そうなのか。まぁでも、第二種人類の歌声を好んで聞く趣味はないな」


 と、何処からか鼻を啜る音が聞こえた。案の定と言うか、秋穂さんから出たものだ。瞑った瞼の端から涙を流し、未だに余韻に浸っている。


「素晴らしい餞別だった……感謝を伝えられないのが、心残りになりそうだ」


「メールを送っておけばいいだろ」


「明智くん、君は天才だな!」


 そんなノータリンな会話を交わせるだけ交わす。その度に、時間の経過を想う。


 月日さんが自警団の仕事に戻り、どさくさに紛れてルネ美が消えていて、レオを枕に杏樹が船を漕ぎ始める。


 時計の針は戻せても、時間は不可逆的で、タイムリミットは矢の如く迫っていた。

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