レオンハルト「っ。姫、伏せて下さい……!」
二人と話して余った中休みの間に情報に通じていそうな自警団の団長に道を尋ねた。東校と西校を行き来する道はある程度は確立されているそうだ。
問題は距離。俺単独なら半日も歩き通せば、なんとかなりそうだ。自転車を調達できれば、もっと早く着く。
けど、雨音さんを伴うとどうだろう。
「その前に、交渉の心配が先か……」
俺の特質である第二種人類嫌悪症は健在。それも不安要素の一つだけど、問題は相手が見ず知らずの男の言葉を取り合ってくれるか、だ。
ただでさえ、西校と東校までの移動がネックになるのに、信用出来ない人間に誘われて首を縦に振る人間が居るとしたら、相当に酔狂なのか、あるいは秋穂さんレベルのお人好しだ。
ラジオを聞いていた感じだと、終活部への取材には前向きな様子だったのが唯一の好材料か。
「俺の立場を証明できれば、あるいは」
まずは手早く荷造りを済ませよう。昨日、焼失した筈の購買はすっかり元の姿を取り戻していた。
一体どんな仕組みになってるんだと疑問に浮かされながら、日持ちするものを選択して二三日分の食糧を調達する。
食糧と言えば、あいつらの食糧も十全にしておかなきゃいけない。
寮の自室に寄る時間を省いて、駄菓子屋へ向かう。あそこには嗜好品を隠すのに使っていた鞄やらがあるから、荷物はそれに詰めよう。
駄菓子屋が視界に入ってくる。先客が居るようだ。ゴールデンレトリーバーのレオを始め、多数の獣に囲まれて戯れている。レオのがっつき方が半端じゃない。
動物との逢瀬に癒やしを求めて此処を訪ねる者はたまーに居る。
誰だ? 初めて見る顔には欠点らしい欠点は見当たらない。性別の時点で決定的な誤りだから、色々と霞むのである。
亜麻色の長い髪と舞う、第二種人類。見慣れない制服を着ている。え、なに、制服マニア? 等と惑う俺の視界で。
「君、力が強いね。懐いてくれるのは嬉しいけど、落ち着いてっ、ほんと、危な……きゃっ」
その人がレオに押し倒された。
「いったぁ……ひゃん!? えっ、ちょっと、えぇっ!?」
なんていうのかな。亜麻色の長い髪の乙女? に、レオが怒涛の勢いで求愛してるって言うの? 伝わる? あれだよ、あれ。
助けてやるべきなんだろうけど、どことなく黄色を含んだ薄い茶色は俺のトラウマをツンツンと刺激してくる。
それは、人類の凡そ半分がディボロスであると知る前の話だ。遠く幼少の記憶には、いつも亜麻色が画面を彩っていた。
その髪の持ち主の名前は『ココ』ちゃんで、苗字は『ヒビノ』だったか。初恋の相手の名前は忘れようと思っても忘れられず、記憶の中心にしっかりと刻まれている。
記憶があるって事は、この世界の何処かでまだ生き伸びているのか、あるいは改竄されているのか……なんにせよ、おぞましい過去に違いない。
万が一、あのレオに襲われている第二種人類がヒビノだったらと思うと、俺は静観せざるを得なかった。
そんな俺の元に、俺の訪問に気付いた犬っころが寄ってくる。レオの独走で遊び相手を失った面々も次第に集まりだした。
レオに求愛されている第二種人類の瞳が、そいつらに引き摺られるようにして此方を向く。たまゆらの視界の交錯。
「この子達の飼い主の方でしょうか?」
「違う」
「そうなんだ。良く懐かれてるね?」
俺がとりあえず愛想笑いを浮かべてみると、相手もとりあえず愛想笑いを浮かべてきた。
「あ、あの……出来れば、見てないで助け欲しいなぁって思うんだけど」
「その前に聞いていいか。確かめなければいけないことがある」
「えっと、なにかな」
「ワッツユアネーム?」
「どうして英語なのかは謎だけど、その質問に答えたら助けてくれるんだね」
首肯をしながら、回答によるけども、と心の中で補足する。
「私の名前は
あまねここのは。ココの部分に引っかかりを覚えるけど、ココノハなら大丈夫だろう。苗字も違うし。
それとは別に何処かで聞いた事のある名前だ。記憶を浚って、思い当たる。
「あまねここのはってあのラジオのあまねここのは?」
「あ、聞いてくれてるんですか? そう。そのあまねここのは!」
アマネココノハイター! 鴨がネギ背負ってやってきたんだけど……いや、なんかこの表現は違うな。狩るわけじゃない。棚から牡丹餅だ。そうと解れば、こうしてはいられない。
「レオ」
サンドウィッチの中からキュウリを抽出して、調味料を舐めとったものをぷらぷらと揺らす。
俺の呼び声に反応してレオが此方を向いた。その手に揺れるキュウリを眼中に収めた瞬間、組み敷いた葉っぱの人への意識が食欲に洗い流されたようだ。
飛び込んでくるレオの衝撃をそのまま受け止められる自信はないから、キュウリをマントに見立てて闘牛士さながらに受け流して勢いを殺してから与えてやった。
一瞬で食糧を嚥下したレオが次を寄越せと言わんばかりに俺の眼下でおすわりの格好をする。
「獣の大半はそうだけど、その中でも特にお前は即物的な奴だよな」
頭に手を置いて撫でて「我慢しろ」のサインを送った。レオの魔手から逃れた葉っぱの人は砂埃に塗れた制服を手で払っているが、その成果は芳しくない。
泥みたいな付着物がアレじゃないことを祈ってあげていると、再び目が合った。汚れを落とす手を止めて、近づいてくる。
拒絶反応が出始めて制止をかけようとしたギリギリの三メートルラインで彼女はピターっと足を止め、丁寧に頭を下げてきた。
「助けてくれて、ありがとう」
顔を上げて、葉っぱの人がたおやかな微笑みを浮かべる。制服が汚れて不機嫌になっても可笑しくない場面で、何故笑える。俺を懐柔しようとしているのか、どうするつもりだ、ぶるぶる。
「い、いや。俺の方こそ悪い。飼い主じゃないとは言ったけど、一応世話をしてる身だからな……」
言いながら、顔を逸らす。敵から目を背けるなんて有るまじきことだけど、今回は例外だ。客人を害する訳にはいかない。落ち着け、平常心になれもんじゅもんじゅ。
「飼い主じゃないのに世話をしているって、この子たちは誰かから預かってるの?」
心臓が跳ねる。せっかく外した視界に、葉っぱの人が回りこんできた。距離がなかったら、手が出ていたかも知れない。
レオをひたすら撫で回して平静を保つ。アニマルセラピー効果を期待しての事だ。
「あ、預かってるって言うのは語弊がある。こいつらの飼い主はもうこの世には居ないからな」
「そっか」
そう短く返して、葉っぱの人は近辺をウロウロしている獣達に穏やかな眼差しを向ける。そして、最後に俺の足元でお行儀よくしているレオを見た。
「その子の名前は『レオ』だよね?」
「正式名称はレオンハルト。大仰な名前だよな」
「そうかな? 君に忠節を誓ってるみたいな凛々しい佇まいを見てると、ぴったりの格好いい名前だと思う」
これは忠節じゃなくて、食い意地が張ってるだけだ。サンドウィッチ本体に飛びかかってきそうなギラついた目を向けてくるレオの頭を押さえつけるように撫でながら、要件をどう切り出すか考える。
わざわざフルマラソンをしてまで(したわけじゃないだろうけど)東校の区画まで足を伸ばしたんだから、葉っぱの人には何か用事がある筈だ。
もしそれが『終活部』への取材の為であったなら、俺が橋渡しを買って出ればいい。よし、その辺りを尋ねてみるか。俺は気合を入れて口を開く。
「「あの」」
被った。重なった。なんで、どうして。こういうのってあれだろ、羞恥心から沈黙の時間が流れた後に起こるもんじゃないの?
雨音葉っぱさんの言葉を切ったのが俺なんだから、どう考えたって次は俺の番だろ。だが、しかし、相手の気分を害する訳にはいかない。誠に遺憾ながら、ここは紳士な対応をするしかないだろう。
「「あっ、先ど……」」
なにこれ。途切れるとこまで一緒だぞ、どうなってんの。もしかして俺、心を読まれてたりする?
大上来常がやってのけていたんだ。前例がある以上、雨音さんにその力が備わっていても不思議では――いや、そうそうあるもんじゃないよな。落ち着け。もんじゅもんじゅあきほあきほ。
俺の次の一手は待ちが安定か。待ちなら被ることはない。相手の言葉に対して丁寧な返しをすることで、この混沌に秩序を戻す。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
お互いぎこちない笑みを顔面に貼り付けながら、見つめ合う。
「…………」
「…………」
今は耐えるべき時だ。相手が同じ手を打っているのだとしても、先に動けば負ける。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
もういいよ、笑えよ。プッて吹き出して和気藹々としよう。俺は笑えそうにないけど。
「…………」
「…………」
これ、このままだと日が暮れるよな。
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